マンガ日本の古典17『徒然草』バロン吉元(中公文庫)より。
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今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成りけるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。
これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。
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<口語訳>
今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられたら、いづこも難なしとして、すでに遷幸の日も近くなってから、玄輝門院が御覧して、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてあったぞ」と仰られた、すばらしかった。
これは、葉が入って、木で縁をしていれば、誤りで、直されたそうだ。
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<意訳>
新しい皇居が再建され、知識ある方々に見ていただいたところ、どこにも問題なしとなり、すでに天皇の引っ越しも間近になっていた。
ところが、天皇の祖母の玄輝門院が、新皇居を御覧になられたところ、
「昔あった閑院殿の半月の形の覗き穴は、丸くてふちもありませんでしたよ」
と、仰られたそうで、これはすばらしいご指摘であった。
問題の窓には、切り込みがあり木で周りにふちをつけていたが、これは誤りであるとして直させたそうだ。
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<感想>
全体から見ると、『徒然草』としては特殊な表現の続いた「センチメンタル編」は前段で終了した。
ちなみに、俺が強引にくぎったカテゴリを迷惑だろうがおさらいしてみよう。
序段から18段までが、「青春・苦悩編」である。
兼好が、出家に至るまでの苦しい胸の内が書いてある。
19段から21段までが、「出家ほやほや編」だ。
出家したての兼好の、ホヤホヤな産みたての気持ちが書かれている。世を捨てて、季節を愛で空を眺める境地に自分で自分に感動している。
22段から32段までは、「センチメンタル編」なのだ。
親しい人を亡くした事による悲しみから、兼好の文章は極端にセンチメンタルしている。
そして、この33段から38段までが、「おセンチ無常編」となる。
「センチメンタル編」では感情あふれる悲しみの表現が続いたが、「おセンチ無常編」では、兼好の感情は読めなくなる。
だらだらとなんとなく筆は続き、38段で最後にとんでもない無常観を見せる。その無常観は、後半の『徒然草』で書かれる無常観とはかなり違い、ややヤケクソぎみである。
そして、もうひとつ「おセンチ無常編」が特徴的であるのは、結論となる38段以外は全て女性から連想されたと思われる話で構成されていることだ。
テキストによれば、この33段で問題とされる「櫛形の穴」は、清涼殿の鬼の間と殿上の間との仕切り壁の間に設けられた覗き窓のことなんだそうだ。これは、皇族などの尊いお方たちが、控え室から外の役人達の様子をこっそり覗き見るために作らせた「覗き窓」の事であるらしい。
ようするに、火事で焼け落ちる前の内裏では、半月の形であったはずの内裏の覗き窓が、新築の内裏では、葉っぱのような変な切り込みの入った、しかもなかったはずのふちまでついた見たこともない窓になっていた。
それを見た皇后である玄輝門院が、昔の内裏の覗き窓とは違うぞと工事関係者にクレームをつけたというのが、この段の話である。
古い内裏が焼け落ちて新しい内裏が再建されるのは、内裏の焼失から58年後のことである。
だから、当時の内裏の記憶をもつ玄輝門院の発言に意味があったのだろう。
ちなみに、内裏が焼け落ちた時に玄輝門院は14歳の少女で、再築の時には72歳となっている。
兼好は、この33段で、玄輝門院の指摘を「いみじ」と評価している。10代の玄輝門院は覗き窓から外の役人たちをどんな目で見ていたのだろう。
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<解説>
『今の内裏』
新しい内裏。
内裏は現代風に言うなら皇居。
焼け落ちた内裏に変わり、二条富小路に内裏を再建した。
『遷幸の日』
天皇が引っ越される日。
『玄輝門院』(げんきもんいん)
皇后、この時の天皇の祖母。
『閑院殿』
焼け落ちた昔の内裏。
『櫛形の穴』
くしがたの覗き窓。
昔のくしは半月の形をしていたので、半月形の覗き穴。
『葉の入りて』
葉っぱのふちみたいな切り込みが入って。