2030年7月15日の月曜日。
今日は満月だ。
俺の名前は木村実、60才の老人だ。
妻とは今年の春に離婚した。
互いに60になったら好きな道を歩もうよと約束しての結果だ。かってテレビで流れていた「チャーミィ・グリーン」の CM のようにはいつまでも手を繋いではいられない。
大震災の時に拾って育て続けた息子はいたが、妻との間に子供はできなかった、だからこそサラリと別れられたのだろう。
育てていた息子は海外に進出した大手の日本企業に就職が決まり中国に渡った。
妻は日本での貧乏生活に嫌気がさしたのかアメリカに移住している肉親を頼って渡米した。余生はカリフォルニアでのんびり過ごすそうだ。
妻と息子以外の肉親はあの大震災で全て亡くしている、また若い時のように独り身に戻った。
自分が60才になってみると、やはり年金制度は崩壊している。あー国民年金なんか払ってなくて良かったと思う。
日本はまったく昔とは変わってしまった、大震災前の「昭和時代」の俺が今の日本に来たなら、なにここ東南アジアみたいな変わりようである。日本の経済力は大震災後、確実に衰退した。そのかわりにいま元気が良いのが中国や統一朝鮮で、息が長いのがアメリカ。
2005年から日本全土は何年にも続き悪天候に襲われた。
その為に日本の食料自給率はほぼ壊滅的となっていた。そして訪れた大震災が確実に日本の息の根を止めたのだ。
大震災そのもので亡くなった人より、その後に続いた食料不足で飢え死にした人のほうが多いと聞く。
大震災を生き残った人達は、アスファルトを引き剥がしイモを植えて野犬よけの柵をこしらえて鳥や豚を飼った。
現在はいまだにその延長線上にある。
俺の職業は Web デザイナー。
顧客は主に中国の企業で、仕事は古い付き合いの代理店が取って来てくれるが、やはりネットを通じての顧客とのやりとりは避けられない。近所の中国人から中国語を習い、辞書片手に勉強の毎日である。
それだけでは食っていけないので、100坪ほどの土地に野菜を植えて鳥を飼っている。兼業農家でデザイナーといった感じか。
ピンポ~ン!
チャイムが鳴った。
客が来たらしい。
「ちわー、朝日新聞の集金で~す!」
柵の外で誰かが叫んでいる。
朝日新聞? うちは読売のはずだが。
柵に設置した監視カメラの映像を観ると、よれよれのシャツを着た汚い老人が立っている。
なんだろう?
略奪者や物乞いではなさそうだが、うちは読売新聞だ。
「うち読売なんだけど?」
「今月の新聞代は3億と6千5百円です!」
インターフォンごしに男は答える。なんだこいつはキチガイか?
沈黙。
「なんだよ、ギャグわかんねーのか。俺だよ俺、内山だよ!」
あっ、たしかにこの誰にも通じるはずもないギャグセンスは間違いなく内山ことうっちんだ。
「うっちんかぁ。懐かしいなぁ今いくから」
柵に流している電流を解除して、門に行くとうっちんがイライラと立っていた。
「ふつー、朝日新聞ってだけですぐ俺だとわかるだろ!」
わっかんねーよ。
「今月の新聞代は3億と6千5百円なら、かえしは十億円札でおつりはでますかだろ!」
そんなかえし想像もつかない。
「俺の仕込みを無駄にしやがって、普通なら容赦しないところだけど、久しぶりだな」
「久しぶりだ!」
30年ぶりぐらいじゃなかろうか。うっちんを中に誘うと、ここでいいと断る。
「ちょっとばかり遠い所に、その、旅だつ事にしたんで、世話になった人達に、挨拶してまわっている」
「寄ってきなよ、酒も、禁制のタバコもあるよ」
「いらない、医者から酒もタバコも禁じられている。空に旅立つんだ」
空、天国のことだろうか?
「どっか体わるいの?」
「知らない。でも、空には旅立てる」
よく自分の死期を悟った人間が親類縁者に挨拶回りをするという話を耳にするが、これはやはりソレらしい。
「木村達の活躍は、ネットで良く知っていたんだ、でも、俺も雇われている身分だったから、なかなか忙しくて」
彼とはじめて出会ったのは東京の予備校で、彼は絵描きを目指していたのだが絵を完成させる事もなくあちこちと職を変え、大震災直前にはアル中みたいな生活をしていたらしい。昔から夢ばかり追いかけてホラばかり言っていたが、のんきで適当な性格で、給料日前になると良く金を借りに来ていた。そういや、自分で自分を「懲りない馬鹿」とか言ってたっけ。
「若い頃は、本当に世話になった。ごめん、いろいろありがと。たぶん、この世ではもう二度とあえないだろうから。いや、この世もあの世もその世もないだろうから、たぶんこれで最後だ」
「大震災で死んだとばかり思っていたのに!」
再開したと思ったとたんにもうお別れだ。
「えへへ、いいじゃん俺なんかいないつもりで今まで生きて来たんだろ。だったらこの先だって問題ねーじゃねぇか。じゃサヨナラ」
そのまんまうっちんは照れ笑いを浮かべながら消えていった。
数ヶ月後、ネットで火星移民計画のニュースをぼんやり眺めていたら、その中に最高齢作業者としてうっちんの名前を見つけた。月面基地では本格的な火星移民計画の始動にともない大規模な求人を行った。うっちんは月面基地に調理師として雇われたらしい。
どうやら本当に最後まで懲りない馬鹿でいるつもりらしい。
今夜も満月で、あの月の中にうっちんがいると思うとなんだか可笑しい。
今日は満月だ。
俺の名前は木村実、60才の老人だ。
妻とは今年の春に離婚した。
互いに60になったら好きな道を歩もうよと約束しての結果だ。かってテレビで流れていた「チャーミィ・グリーン」の CM のようにはいつまでも手を繋いではいられない。
大震災の時に拾って育て続けた息子はいたが、妻との間に子供はできなかった、だからこそサラリと別れられたのだろう。
育てていた息子は海外に進出した大手の日本企業に就職が決まり中国に渡った。
妻は日本での貧乏生活に嫌気がさしたのかアメリカに移住している肉親を頼って渡米した。余生はカリフォルニアでのんびり過ごすそうだ。
妻と息子以外の肉親はあの大震災で全て亡くしている、また若い時のように独り身に戻った。
自分が60才になってみると、やはり年金制度は崩壊している。あー国民年金なんか払ってなくて良かったと思う。
日本はまったく昔とは変わってしまった、大震災前の「昭和時代」の俺が今の日本に来たなら、なにここ東南アジアみたいな変わりようである。日本の経済力は大震災後、確実に衰退した。そのかわりにいま元気が良いのが中国や統一朝鮮で、息が長いのがアメリカ。
2005年から日本全土は何年にも続き悪天候に襲われた。
その為に日本の食料自給率はほぼ壊滅的となっていた。そして訪れた大震災が確実に日本の息の根を止めたのだ。
大震災そのもので亡くなった人より、その後に続いた食料不足で飢え死にした人のほうが多いと聞く。
大震災を生き残った人達は、アスファルトを引き剥がしイモを植えて野犬よけの柵をこしらえて鳥や豚を飼った。
現在はいまだにその延長線上にある。
俺の職業は Web デザイナー。
顧客は主に中国の企業で、仕事は古い付き合いの代理店が取って来てくれるが、やはりネットを通じての顧客とのやりとりは避けられない。近所の中国人から中国語を習い、辞書片手に勉強の毎日である。
それだけでは食っていけないので、100坪ほどの土地に野菜を植えて鳥を飼っている。兼業農家でデザイナーといった感じか。
ピンポ~ン!
チャイムが鳴った。
客が来たらしい。
「ちわー、朝日新聞の集金で~す!」
柵の外で誰かが叫んでいる。
朝日新聞? うちは読売のはずだが。
柵に設置した監視カメラの映像を観ると、よれよれのシャツを着た汚い老人が立っている。
なんだろう?
略奪者や物乞いではなさそうだが、うちは読売新聞だ。
「うち読売なんだけど?」
「今月の新聞代は3億と6千5百円です!」
インターフォンごしに男は答える。なんだこいつはキチガイか?
沈黙。
「なんだよ、ギャグわかんねーのか。俺だよ俺、内山だよ!」
あっ、たしかにこの誰にも通じるはずもないギャグセンスは間違いなく内山ことうっちんだ。
「うっちんかぁ。懐かしいなぁ今いくから」
柵に流している電流を解除して、門に行くとうっちんがイライラと立っていた。
「ふつー、朝日新聞ってだけですぐ俺だとわかるだろ!」
わっかんねーよ。
「今月の新聞代は3億と6千5百円なら、かえしは十億円札でおつりはでますかだろ!」
そんなかえし想像もつかない。
「俺の仕込みを無駄にしやがって、普通なら容赦しないところだけど、久しぶりだな」
「久しぶりだ!」
30年ぶりぐらいじゃなかろうか。うっちんを中に誘うと、ここでいいと断る。
「ちょっとばかり遠い所に、その、旅だつ事にしたんで、世話になった人達に、挨拶してまわっている」
「寄ってきなよ、酒も、禁制のタバコもあるよ」
「いらない、医者から酒もタバコも禁じられている。空に旅立つんだ」
空、天国のことだろうか?
「どっか体わるいの?」
「知らない。でも、空には旅立てる」
よく自分の死期を悟った人間が親類縁者に挨拶回りをするという話を耳にするが、これはやはりソレらしい。
「木村達の活躍は、ネットで良く知っていたんだ、でも、俺も雇われている身分だったから、なかなか忙しくて」
彼とはじめて出会ったのは東京の予備校で、彼は絵描きを目指していたのだが絵を完成させる事もなくあちこちと職を変え、大震災直前にはアル中みたいな生活をしていたらしい。昔から夢ばかり追いかけてホラばかり言っていたが、のんきで適当な性格で、給料日前になると良く金を借りに来ていた。そういや、自分で自分を「懲りない馬鹿」とか言ってたっけ。
「若い頃は、本当に世話になった。ごめん、いろいろありがと。たぶん、この世ではもう二度とあえないだろうから。いや、この世もあの世もその世もないだろうから、たぶんこれで最後だ」
「大震災で死んだとばかり思っていたのに!」
再開したと思ったとたんにもうお別れだ。
「えへへ、いいじゃん俺なんかいないつもりで今まで生きて来たんだろ。だったらこの先だって問題ねーじゃねぇか。じゃサヨナラ」
そのまんまうっちんは照れ笑いを浮かべながら消えていった。
数ヶ月後、ネットで火星移民計画のニュースをぼんやり眺めていたら、その中に最高齢作業者としてうっちんの名前を見つけた。月面基地では本格的な火星移民計画の始動にともない大規模な求人を行った。うっちんは月面基地に調理師として雇われたらしい。
どうやら本当に最後まで懲りない馬鹿でいるつもりらしい。
今夜も満月で、あの月の中にうっちんがいると思うとなんだか可笑しい。