墨汁日記

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徒然草 第三十二段 九月廿日

2006-07-21 19:45:18 | 新訳 徒然草

 九月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。
 よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。
 その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

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<口語訳>

 九月二十日の頃、ある人に誘われいただいて、明けるまで月見あるく事ございましたら、思い出される所あって、案内させて、入られた。荒れた庭の露繁くて、わざとでない匂い、しめやかにうち薫って、忍ぶ気配、とてももの哀れだ。
 よき程にて出られたけれど、なお、事様が優に思えて、物の隠れよりしばらく見ていると、妻戸をいま少しおし開けて、月見る様子である。すぐにかけこもったならば、口惜しかろう。あとまで見る人あるとは、いかが知ろう。このような事は、ただ、朝夕の心づかいによるはず。
 その人、ほどなく失せたと聞きます。
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<意訳>

 九月二十日の頃。
 ある人にお誘いいただいて夜明けまで月を見て歩く事がありました。
 連れの方が、ふと思い出された家があり、その家の者に案内させて門をくぐると、荒れた庭は草木生い茂り夜露に覆われている。だが、わざとらしからぬ香の匂いがしめやかに薫り、忍ぶ気配はなんとも哀れであった。

 適当な時分でおいとまされたが、なお、様子を優雅に思い物陰よりしばらく見ていると、家の主人は戸を少しだけ開いて月を見ている様子。すぐに引きこもって戸締まりをしたなら残念に思えただろう。
 最後まで見ている人間がいるとは知りもしないはず。こういう事は、ただ毎日の心づかいによるもののだ。
 この家の主人は、ほどなく亡くなられたと聞く。
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<感想>

 この段は、すごく判りにくい文章で兼好の本意はまったく分からない。

 まず、この文章に書かれている「ある人」と「その人」は別人である。
「ある人」は、兼好と夜明けまで月を見て歩いた人。敬語をふんだんに使っているので身分ある人なのだろう。
「その人」は、「ある人」が思いつきで尋ねた家の主人。

 この段を素直に解釈するならこうなる。

「9月20日頃に、俺(兼好)は、ある偉い人のお誘いを受けて、夜が明けるまで月見に出かけた。
 その途中、偉い人が寄りたい家があると思い出されたので、寄ってみると、庭こそ荒れていたが、家にはさりげなく香の匂いただよい雰囲気がでていた。
 ある偉い人は適当なところで家を去ったが、俺はその家の様子が気になって物陰から覗いていたら、その家の主人は戸締まりも忘れて月にみとれている。なるほど風流だなと感心した。
 その家の主人は最近亡くなられたと聞く」

 この文章は何か変だ。
 この文章のままなら、兼好は夜明けまで一緒に月を見たはずの「ある人」が、ふと思いつきで尋ねた家で、「ある人」の用事が終わるまで待っていながらも、「ある人」が帰るのをほったらかしにして、物陰からその家の主人である「その人」の様子をストーカーのごとく覗いていたという事になる。
 兼好のいる位置でさえ、まるで夢の中の出来事のように不確定で、兼好がどこで「ある人」を待ち、どこから様子を見ていたのかまるでわからない。
 日常の出来事を書いた風で、じつはなにもかもはぐらかそうとしているようにもこの段は読める。
 兼好はなんだってこんな変な文章を書いたのだろう?
 兼好は何をはぐらしたかったのだろう?

 つながりで読むなら、家の主人は前段で雪の日に手紙を送ったその相手だと読める。
 雪の朝にその家の主人に用事を頼んだら、この雪の事をなにも書いてよこさないようなひねくれ者で唐変木のお願いなんて聞いて良いものかなと返事を返す。

「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」

 そこまで言うなら、お前はどこまで風流なのかよと覗いていたら、客を見送った後もすぐに戸は閉めないで月を見ている。
 おぉ!
 そこまでの風流はなかなかだぞ!

 そして、その家の主人は詩が大好きで、詩の下書きや落書きまで平気で兼好に送りつけていた。(第29段)

 兼好にしてみれば「その人」が、可愛くて仕方がなかったのだろう。
 兼好と、詩を愛する「その人」との交流があったはずだ。
 互いに相手を憎からず思っていたかもしれない。
 でも兼好は坊主だ!
 兼好法師なのである。
 迷いはドブに捨てた。
 はずなのだ。
 それに、たぶんこの時の兼好は40過ぎのおっさんだ。
 相手にだって世間体もあろう。
 さらに、その人はすでに死んでしまった。
 いまさらになんだかんだ言うべきじゃないだろう。

 だから兼好は、わざとはぐらかして書いたんじゃないかなと想像する。

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<解説>

『九月廿日の比』
 9月20日ころ。旧暦では満月は15日になるので、すでに半月だ。わざわざそんな頃に月見をするのが風流だったのだろう。

『妻戸』
 貴族の館などにあった外へ両開きになる木製の戸。いわゆる観音開き式の戸である。

『やがて』
 すぐに。
 現代語では「やがて」はワンテンポ遅れた時を表現する言葉となっているが、兼好の頃の「やがて」は、間もなくという意味だったらしいので「すぐに」と訳されるが、「やがて、間もなくすぐに」という状況を現代人は想像できる。


金曜の朝

2006-07-21 05:55:31 | 携帯から
涼しくて良く眠れて、いくらでも寝ていられる。クーラーもつけていない部屋がこんなに快適なのは怪しいなと思って外に出ると、かなりの雨量の雨が降っていて、だいぶ肌寒い。今朝は、Tシャツの上に半袖のシャツをはおって出勤する。これだけ雨が降ると、始業まで時間調整していようにも居場所がない。仕方なく駅前の古本屋の軒先でタバコを吸う。