東日本大震災の時、私は家猫ミカエルがそばにいて、その時自宅でPCで書類作成をしてました。
響きと共にガタガタと揺れ出して、つけていたテレビが急に止まり、どんどん揺れがすごくなってきて、これはヤバいと猫を抱いて家から逃げようとしましたが、横揺れのためなかなか前に進めず、猫は我先に驚いて私の視界から消えてしまい、その時は必死でよく覚えていませんが、外に出ると近所の方々が皆住居から飛び出していて、少しホッとしたものです。
家にそろそろ戻ってもいいんじゃないかしら?
どなたかがおっしゃったので、解散してこわごわ家に入ると、もう台所は滅茶苦茶だし、ミカエルは呼んでも来ないし、探してもいないし、また揺れが何度も何度も来て、その日は忘れられないような不安と恐怖を体験しました。
自宅の電気は完全につかなくなり、私の近所以外で何が起きていたのかは後でワンセグで知りましたが、それもすぐに電源が切れてなくなりました。
自宅はライフラインの復旧が早く、数日後の電気の復旧と共に、少し携帯が繋がりやすくなって知人たちとお話しすることができ、我が家がオール電化住宅だったのと水道は地震後も普通にきていため、知人にお風呂を招いたりしました。
サーフィンが好きで仙台新港の傍に住んでいた知人の家を確認に、夫が付き添うというので一緒に行こうと誘われましたが、私は悲惨な惨状を見たら一生頭に焼き付いてトラウマになりそうな気がして、同行しませんでした。
知人の住まいは基礎だけになっていて、近くから数枚の自分の写真を拾ったくらいで、大事にしていた車や趣味の物などは、結局は見つけることができなかったそうです。
いきなり。
なにも無くなる。
予想なんてできませんよね。
でも、時間だけは前に進んでいく。
8年も経っているのに、気持ちはまだあの日のままなのかもしれない。
最悪は、福島の原発。
今なら、戸建で自分たちが使う電気を賄えるような技術も仕組みもアリ?だと思えてならないのですが、どうでしょうか?
原発の心の痛恨は、エコロジーの復旧でしか癒されないと、私はそう思えてなりません。
東日本大震災で命を失われた方、家族との別れ、家も何もかもなくした方々含め、被災して生活の大きな変化を余儀なくされた多くの方には、心よりお祈り申し上げます。
震災後にボランティアで復興に貢献して下さった皆様には感謝と尊敬の気持ちしかありません。
この震災の経験を皆が忘れず、いたわったり励ましあったり、共有しあうことが、今の日本に求められていることのような気がしてなりません。
この経験を忘れない、次世代に記憶を引き継ぐという意味で、震災後数日経った仙台新港のあたりの写真を夫が私に託してくれたので、今回掲載させて頂きます。
私には今、このようなことでしか、東日本大震災を語ることはできませんが・・・。
新幹線も数十日、広瀬川の上で停車したままでした。