この前の弟の記事の中で言い足らないことがあって・・・
あのなかで一年間、弟のために毎日お経を唱えた と書いた・・はず
あの時自分の意識は確かに弟のため と信じていた
でも後から考えると 弟のためなんかじゃなかった
絶対・自分のためだったと思う
そうしなければ立っていられなかったんだ
だから弟のためと称して自分のためにそれをしたんだと思う
ボランティアで人のために力を貸してあげてる人
勿論批判するんじゃなくて
人のためにやってあげてることはその時は感じなくても必ず自分のためにもやってるんだよね
返ってくる・・・帰ってくると言い換えてもいいかもしれない
そうだと思う
僕自身はまだそこまでの余裕はないけれど
たとえばこの前 整形外科の待合室で 椅子から車椅子に座り直そうとしてるお爺さんがいた
僕はまだ怪我したばっかりで血の染みた包帯を巻いてたのだが
親父の車椅子をしょっちゅう触っていたので ごく自然に手伝いをしてあげられた
「ありがとうございます」って言われた
なんか目がジワ~~ときた
ボランティアの気持ちってこれなんだな って感じた
誰かのためにやるってことは自分のためになる
実は僕は空振りしたことがある
18歳、仕事し始めた頃 親父から小遣いとして30000円もらってた
その中の3000円をずっと毎月、何年間かにわたって新聞社の社会事業団を通して
「白血病の研究費の一部にしてください」
と、そんなアホなことをやっていた
S47年から何年やってたのかな?
ある時愛知県の医科大学で汚職事件?が 起こった
詳しい話は覚えていないけど 大学には、医学界には
うなるほどのお金があって自分のやってることなんて本当にただ邪魔をしてるだけの自己満足の世界だったことに気づいた
虚しかった
そして申し訳ないような感情まで生まれた
それ以来二度と寄付なんかしなくなってしまった(募金はするよ)
いいことをしてるつもりだった自分が恥ずかしかった
自分のためだけにやっていたということだ
ただし今この世界 白血病がかなりの確率で助かる病気の一つになったことも確か
研究を重ねている人たちには心から敬意を表したい
誰かのためにしてあげることは必ず自分に返ってくる
やり方を間違えなければ 必ずね
あのなかで一年間、弟のために毎日お経を唱えた と書いた・・はず
あの時自分の意識は確かに弟のため と信じていた
でも後から考えると 弟のためなんかじゃなかった
絶対・自分のためだったと思う
そうしなければ立っていられなかったんだ
だから弟のためと称して自分のためにそれをしたんだと思う
ボランティアで人のために力を貸してあげてる人
勿論批判するんじゃなくて
人のためにやってあげてることはその時は感じなくても必ず自分のためにもやってるんだよね
返ってくる・・・帰ってくると言い換えてもいいかもしれない
そうだと思う
僕自身はまだそこまでの余裕はないけれど
たとえばこの前 整形外科の待合室で 椅子から車椅子に座り直そうとしてるお爺さんがいた
僕はまだ怪我したばっかりで血の染みた包帯を巻いてたのだが
親父の車椅子をしょっちゅう触っていたので ごく自然に手伝いをしてあげられた
「ありがとうございます」って言われた
なんか目がジワ~~ときた
ボランティアの気持ちってこれなんだな って感じた
誰かのためにやるってことは自分のためになる
実は僕は空振りしたことがある
18歳、仕事し始めた頃 親父から小遣いとして30000円もらってた
その中の3000円をずっと毎月、何年間かにわたって新聞社の社会事業団を通して
「白血病の研究費の一部にしてください」
と、そんなアホなことをやっていた
S47年から何年やってたのかな?
ある時愛知県の医科大学で汚職事件?が 起こった
詳しい話は覚えていないけど 大学には、医学界には
うなるほどのお金があって自分のやってることなんて本当にただ邪魔をしてるだけの自己満足の世界だったことに気づいた
虚しかった
そして申し訳ないような感情まで生まれた
それ以来二度と寄付なんかしなくなってしまった(募金はするよ)
いいことをしてるつもりだった自分が恥ずかしかった
自分のためだけにやっていたということだ
ただし今この世界 白血病がかなりの確率で助かる病気の一つになったことも確か
研究を重ねている人たちには心から敬意を表したい
誰かのためにしてあげることは必ず自分に返ってくる
やり方を間違えなければ 必ずね
「誰だか分かる?」の声にさんざんいろんな人をあてはめて滑った覚えがあるので
こういうタイトルにしときました(笑)
僕の文章でそういうことを思い出していただいてすごく嬉しいです ありがとう
また声を聞かせて下さい 名前もね
不定期更新の私のブログにメッセージ有難うございます。
人の為と思って、すべて自分の為だった事が
何度も有ります。
やってる最中に気付くのが、とても
むずかしいデス。。。
冷静な判断が出来る大人になりたいです。。。
こちらこそお心遣いありがとうございます
あなたはそうやって毎日毎日成長しておられるんですね 僕はもうこの何年か停滞したままです(笑)
こうやってふうさんはじめここでいろんな方のお話を聞かせていただいて自分の至らなさを痛感する次第です
またこれからもよきアドバイスをお願いいたします
昨日は人参を煮る時 皮(あるのかな)を剥いた方がいいのか 考えなくてもいいのか 悩んでいました 結局そのまま切っただけで煮ましたがなんかちょっとふちが堅いような・・・
そういうアドバイスもお願いします(笑)
自分の甘い考えに対して落ち込んだのは事実ですが、
それは今後もこれらの活動を続けていく上で、
ふうには必要なペナルティだったと思っています。
ふうは出来ることしか、出来ません。
一時的な事(例えば単発的な寄付など)でしたら、
多少の無理もききますが、長期に維持していくには、
ふう自身も家族もそれが生活の一部として溶け込んでいける事が大切かと・・
その為には、オヤジさんの云われるように
「やってあげている」と云う考えでは必ず壁に
ぶち当たります。
ふうが自然に家族の世話をするように、
また、家族がなにげに協力し合って家庭を維持しているように・・・
そんな風に係わっていけるのが、ふうにはベストだと
思っています。
一時的な感情や同情(ふうはこの感情を決して
悪いものだとは思っていません)だけに囚われないで、
自分の周りに居る家族の気持ちや、家庭の状況などをよくよく検討、また話し合った上で、
今の自分に出来る事はなにかと云う事を見つけ出して行く、
ふうに欠けていたものはこれだったのだと反省しています。
2月の件は、そういう意味でふう自身も家族にも
今後どのように係わって行ったら良いのかと云う道を
開いてくれたと思います。
当事者側のオヤジさんのコメントは、当たり前の感情だと思います。
その思いに共感したからこそ、登録させて貰ったのですが、
結局、事前の用意が不十分だったふうは、
思いを形にする事が出来ませんでした。
それはふうの反省であって、オヤジさんが反省される事ではありません。
どうぞ、お気遣いなく・・
あの落ち込みは、現在の活動の原動力に繋がっていますから(^^ゞ
ついでに・・
年齢の公開は全然OKなので、白状なんて大袈裟なものではありませんよ。
ふうに関してはですが^_^;
向こうの家族はあなたに適合しているかどうかは多分知らないままのはずだし かき回したなんてことはないと思います
適合という言葉に思わず僕の気持が浮足立ってしまいました 書くべきではなかったと反省しています
やはり今の自分に満足してなければ 誰かのために力を貸すなんてことは出来ないと思います
頑張ってくださいね
そして 年齢まで白状させちゃってひらにご容赦を。。
現在のサポート(名目上)は、まだ三年ほどです。
気持ち的には、もう少し早く携わりたかったのですが、
生活の事もあり、なかなか仕事を辞める決心がつかず、
遅くなりました。
ドナー登録は、40才で腎臓バンク登録をした後、
アイバンク、骨髄バンクへ登録しました。
骨髄バンクは、今回の事で不用意な登録は却って、
迷惑をかける事になると思い知りましたので、
何かしらの拘り(私の身勝手な)は残ってはいましたが、
登録を抹消して貰いました。
抹消した後も、自分の不用意な行動で相手の方や、家族を
振り回してしまったことに対する後悔の念に苛まれました。
ボランティアと云えるような事はしていません。
係われば係わるほど、自分のお粗末さを思い知らされます。
それでも、そこに居させて貰うのは、
わたしにとって必要な事と思うからです。
因みに、年齢は52才です。^_^;
年齢的な衰えは否めませんが、50代になった自分に満足(あくまで自己満足)しているので、
もう少し、出来る事があればさせて貰いたいと思っています。
これだけの伝えられることがあるのに読み逃げするつもりだったんっすか
捕まえて コブラーツイスト級の罰です(笑)
ま それはそれ
僕の薄っぺらいボランティア分析を木端微塵に打ち砕いてくれて心から感謝しています
これはもう皮肉でも何でもなくて本当にこころから思っています
わたくし、あなたのボランティア履歴も頭に入っていませんでした
勿論ドナー登録のことも(実際何年生まれかも知らない)
やって来られた内容は絶対僕より先輩ですよね(笑)
でも話の内容は40代ってとこまでしかないのでおかしいのですが・・・
ドナー登録するということはやはり一人の意思だけでは通らないものなんですね
初めて知りました
特にお母様の反対に関しては 今まで考えたこともなくしかも説得力のあるご意見だったと思います
そしてふうさんが今度はその立場になられた。。
衝撃的だったのは今年の二月の出来事
その間のご家族の心の動きはそれこそ大変なものだったのでしょう
僕は患者側の立場を身をもって体験しています
当時はそんな希望の光は少しもありませんでした
蛇足ですが先生がおっしゃいました
「もう二十年先だったら何とかなったかもしれない」と
家族にとってはただ虚しいだけの言葉でしたが 実際世の中はそう動き始めました
ふうさん そしてご家族の決断をとやかく言うつもりは全くありませんが・・
僕なら 僕がその状況に置かれたらきっとベッドの上に上がったでしょう
今だってそうできたらうれしい
これは僕の体験を元にしての勝手な感情です
思わずのめりこんでしまいました
向こう側の患者 その家族の心理があまりにも見え過ぎてしまったから。
そうですか
ボランティアも家族の協力なしにはできないことか・・・
自分の見える範囲だけで勝手なことを言いましたが 実際に協力しておられる方から見て
失礼があったらお許しください
これからも読み逃げはしないでください
したら 僕もするでね(笑)
ついつい、日記の内容が気になって、
つまらないコメント残してしまいます<(_ _)>
ドナー登録をしています。
目、腎臓、骨髄(コレは過去形)
臓器提供意思表示カードは脳死判定が出た時点で、
表示されている全ての臓器を提供したいに○をつけ、
お財布の中に入れて持ち歩いています。
最終的に可能なら献体もお願いしたい。
ただ、
臓器提供は本人の意志だけでは決められないものだと、
思っています。
40才になった記念に、腎臓提供者登録をしました。
申請は本人だけでよいのですが、いざ本登録と
云う時に、
夫や親族の了解が必要でした。
夫はOkをくれるまで一週間、要しました。
しかし、母は「いや」と拒否しました。
「わたしがしたいのだから」と、
「その時には、もう死んでいるのだから」と、
説得しても、母は「親として、いや」と、
頑として聞き入れてくれません。
一ヶ月かけて、
「これは、あくまで登録だけだから」
「その時になったら、また変えてもいいのだから」説得し続けて、しふしぶOkをくれました。
その当時は、母の気持よりも自分の意思が先行して、
頑固な母に少しならず腹を立てていました。
でも、自分の子供たちが成人して、
臓器提供意思表示カードを持った時に、
母の気持ちが分かりました。
子供たちの意思を、口に出して反対は出来ませんが、
やっぱり親として釈然としない思いにかられました。
自分の中に沸いた釈然としない思いに後ろめたさは憶えてても、
「なんか、いや」と云う思いを消し去る事は出来ませんでした。
今年の2月に骨髄バンクから、
適合者が出たとの連絡が来ました。
たまたま、
インフルエンザにかかっていた私に、
家族はOkを出してくれませんでした。
保留と云う回答もありましたが、
私の今の年齢と万が一のリスクとを考えて、
家族は断って欲しいと云いました。
一刻も早い回答をと焦る気持ちと、家族の思いとの狭間で
どうしたらいいのか、正直、答えが出せませんでした。
言い訳がましいのですが、家族の強硬な反対を
押し切る気持ちが持てなくて、断りました。
(勿論、家族のOkが取れないと無効ですが)
と、同時に生体移植は無理だと云う我が家の現状も
思い知りました。
お断りした時点で、骨髄バンクは解消しました。
現在は、精神障害を持った方のボランティアを
させて貰っています。
ご本人よりも、ご家族のサポートが主です。
もともと、人の心や脳に興味があり、
それらの勉強をしていく中で、自然とそちらへ
気持ちが向かいました。
ボランティアとは形の上での事で、実際は
こちらが教えて貰う事や、元気を貰う事の方が
多いのが現状です。
ただ、今云える事は、ボランティアには、
家族の同意や協力は不可欠です。
本人の意思だけでは、いつか行き詰ってしまいます。
家族の気持ちも考えながら、よく話し合う事も
必須条件だと遅まきながら、思っているふうです。
長々と書いた割には、オヤジさんの趣旨から
ずれたような・・・
すみません<(_ _)>
ボランティア活動ぜんぜんいいことだと思いますよ
人のことばかりでただ自分を犠牲にと思ったら続かないんじゃないかな
やはり誰かのために活動しても喜びがなくちゃあね
僕にはやりたかったんだけどもう無理ってことがひとつだけあります
ドナー登録
55歳までなんだけど
血圧が高めで薬飲んでるから 無理みたいなんだよね
白血病の直接治療に関わることなのでこれができなかったのが少々の心残りです
でもそれ自体は悪いことではないと思います。
お互いにいい関係、状態になればそれはそれでよし。
少しでも疑問を感じるならその方法はやらなければよい。
方法は沢山あるのだから、納得できる方法を選べばよいと思う。
個人的にはテレビ局のボランティア番組って趣旨は賛同しますが、参加したことはないです(笑
日記書いてるとき ボランティアやってるあなたが気を悪くするといかんなぁ と思いながらキーボードを打ってました
役に立っていないって?
そんなぁ いまここでやめちゃえばそういうことも言えるかもしれないけどこれからなんでしょ 活躍するのは。
応援してますよ
>役に立とう!人のために!なんてそんな考えが間違ってると思ってる
ぜんぜん!間違ってないっすよ
そういう気持ちでなきゃ始められませんよ
立派だと思います
でもそれを続けていくといつかきっと今まで自分のしてきたことが誰かのためだけじゃなくて自分のためだったんだなぁ っと自然に感じるのでしょう おまけに誰かのためになった くらいに思えたら気が楽でしょ(笑)
でもほんと、人のために何かをしようとする心
尊敬しています
人のためでありそしてそれが自分のため って典型的なお仕事じゃないですか
僕の友達で郵便局の仕分やってるのがいます
この間何気なく仕事の話してたんだけど、ふっと気づきました 彼は仕事の相手からありがとうって言ってもらえないんだ と
僕でも仕事したものを手渡す時すべての人ではないけれど それを待っててくれて、ありがとうって言ってもらえる お金を受け取りながらね
彼はそういう言葉をお客さんからもらったことがないんだよね 初めてかわいそうにと思った(笑)
そういう意味では僕もそうだが先生はもっともっと恵まれています 自分が恵まれてることも心の片隅に置いて これからも頑張ってくださいね
コメありがとね
私はボランティアグループに入っているけれど(手話サークルね^^)
全くと言っていほど人の役に立っていません。。
人から教えてもらうことばかり。
役に立とう!人のために!なんてそんな考えが間違ってると思ってる。まだまだ修行wが足りない自分だから無理。
100%自分のため その中で少しでも誰かの力になれていたらいいかな。
それくらいの思いが丁度良いのかもね^^
いつか自分に返ってくるって私もそう思います。だから尚更悪いことはできないなというか いわゆる『得を積もう』と思う。
それに募金とかって本当に面倒くさいです。
寄付したお金がまるまる困った人達へ行く事って無いと思うのです。
だってその団体を運営する人達の資金とかあるじゃないですか。
分かってはいても 寄付する側としては 全部困ってるところへいけば良いのにと思ってしまう…。
とか思ってしまいます。