スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
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国民性・県民性

2012-01-25 21:55:09 | 考えてみたこと
ギリシャ危機が続いている。最近あまり主要ニュースとして報じられる事は少なくなったが、これは事態が改善したからではなく、解決できないままずるずる時間が過ぎているからに他ならぬ。試しにGoogleに「ギリシャ、ニュース」と打ち込んで検索する事を1週間ほど毎日続けて頂きたい。「現在債権者と交渉中」→「遅くとも本日中には合意の見通し」→「結局まとまらず、継続協議中」これの繰り返しである。何より3月20日には日本円で1兆円を超える大規模な国債の償還期限が迫っているそうで、もう既に2カ月を切っている。なのに資金繰りの目途はまだ立っていないのだ。
この危機についてちょこちょこと勉強しつつ経過を追っているのだが、調べれば調べるほど「ギリシャの国民性もこの危機の悪化に大きく関わっている」という印象を受けている。例えばであるが、仮にスウェーデンが10年前にギリシャと全く同じ状況にあったとしたら、今スウェーデンは同様に危機に陥っているだろうか?多分陥らないであろう。この状態に辿りつくまでに幾つもの分岐点があり、その各々の選択にギリシャならではの事情が関与しているのである。まさしく芥川龍之介の言う通り、「運命は性格の中にある」のである。
良く日本では「県民性の本」などが売られており、テレビ番組でも県民性についての番組を特集していたりする。昔はこの手の本を半ば馬鹿にしつつ見ていたのであるが、こちらに来て「この手の事は意外と馬鹿にならない因子である」という感覚を持つ様になっている。雑誌で昔読んだのであるが、先日引退した高校野球の常総学院・木内監督
木内幸男監督
が、新潟の高校野球部の監督と会った時、いきなり初対面で「新潟が勝てないのは県民性だっぺ」と言い放ったという。その監督は相当気分を害した(当然であろう!)そうであるが、後に試合で負ける度に次第にその言葉が胸に刺さって行くように感じ、最後は新潟県の歴史から調べ直して対策を考え始め、最終的に結果もついて来る様になったとの由。
もちろん国民一人一人に個人差がある訳で、県民性の方から特定の個人の行動をあれこれ論評する、というのは危険であるが、組織全体がどういう傾向を持つか、それにどういう対策を取るべきか、という点に関してはなかなか馬鹿にできないと思う。個人一人一人に「ほんの少しだけ」であるが共通する傾向があり、それが集団となった時に物凄い力を発揮するのである。組織で働くのであれば少なくとも調べ、知っておくには値する情報ではあると思う。
特徴というもの
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