そしてこれは2017年も訪れた場所。高橋是清邸である。高橋是清は戦前の有力政治家で、特に経済通であり、大蔵大臣を5回もつとめたことで知られている。大変な苦労人であり、江戸時代末期に江戸で私生児として生まれ、すぐに仙台藩の足軽の家に養子に出された。幼少期から英語を学ぶチャンスがあり、これが彼の出世を大きく助けることになる。海外留学(これも苦労の連続であった)を経て政界に入り、多くの功績を残した。特に日露戦争当時の戦費の調達に成功したのは有名であり、文字通り「日本を救う」活躍であった。一時は内閣総理大臣もつとめたがあまり目立った業績はなく、やはり経済に関わる功績が有名である。上から2枚目写真は1911年に是清が日銀総裁に就任した際に、前職の部下たちが贈った木製の像である。また東京共立学校(現在の開成中学・高等学校)の校長をつとめたことでも知られる。
この屋敷は東京・赤坂に建てられた屋敷で、和風建築に窓ガラスを入れた初期の例とされる。栂(つが)の木で作られた高級住宅である。晩年の高橋是清は2階の部屋で寝起きし、就寝前には習字をすることを日課にしていたのだという。上から5枚目写真は是清本人の筆による「不忘念(ふもうねん)」の文字で、「正法を心に念じて忘れないようにすること」の意味。1931年、高齢でありながら5回目の大蔵大臣に就任し、ここでインフレ抑制のために軍事予算を削減しようとしたことが軍部の恨みをかってしまった。1936年、2・26事件発生。この屋敷で是清は青年将校に襲われ銃撃を受ける。ほぼ即死であった。享年81。
Wikipedia「高橋是清」
江戸東京たてもの園その18