スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

江戸東京たてもの園2024その7

2024-06-30 22:31:00 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)














そしてこれは2017年も訪れた場所。高橋是清邸である。高橋是清は戦前の有力政治家で、特に経済通であり、大蔵大臣を5回もつとめたことで知られている。大変な苦労人であり、江戸時代末期に江戸で私生児として生まれ、すぐに仙台藩の足軽の家に養子に出された。幼少期から英語を学ぶチャンスがあり、これが彼の出世を大きく助けることになる。海外留学(これも苦労の連続であった)を経て政界に入り、多くの功績を残した。特に日露戦争当時の戦費の調達に成功したのは有名であり、文字通り「日本を救う」活躍であった。一時は内閣総理大臣もつとめたがあまり目立った業績はなく、やはり経済に関わる功績が有名である。上から2枚目写真は1911年に是清が日銀総裁に就任した際に、前職の部下たちが贈った木製の像である。また東京共立学校(現在の開成中学・高等学校)の校長をつとめたことでも知られる。
この屋敷は東京・赤坂に建てられた屋敷で、和風建築に窓ガラスを入れた初期の例とされる。栂(つが)の木で作られた高級住宅である。晩年の高橋是清は2階の部屋で寝起きし、就寝前には習字をすることを日課にしていたのだという。上から5枚目写真は是清本人の筆による「不忘念(ふもうねん)」の文字で、「正法を心に念じて忘れないようにすること」の意味。1931年、高齢でありながら5回目の大蔵大臣に就任し、ここでインフレ抑制のために軍事予算を削減しようとしたことが軍部の恨みをかってしまった。1936年、2・26事件発生。この屋敷で是清は青年将校に襲われ銃撃を受ける。ほぼ即死であった。享年81。
Wikipedia「高橋是清」
江戸東京たてもの園その18
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江戸東京たてもの園2024その6

2024-06-30 22:03:08 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)














これは前回はアップしなかったところ。吉野屋(農家)である。現在の東京都三鷹市にあった農家を移築したもので、建設されたのは江戸時代後期なのだという。内部で再現されているのは昭和30年代の農家の生活である。上から2枚目写真は台所、下は土である。上から3枚目は座敷である。4枚目はお勝手。囲炉裏が見える。5枚目には蚊帳が釣ってある。家に隙間が多いこの時代は蚊に刺されず寝るためには必需品であった。一番下写真は奥座敷である。おそらくここで大家族で生活をしていたのであろう。生活の息吹が聞こえてくるようである。しかし先の三井八郎右衞門邸をみた直後にこの家を見ると(再現されている年代はだいたい同じはずである)、何とも言えない気分になる。
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江戸東京たてもの園2024その5

2024-06-30 21:45:39 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)




















そしてこれは写真館の道をはさんで反対側にある「三井八郎右衞門邸」である。7年前には「そこまで感銘を受けるに至らなかった」と書いていたのであるが、改めて見てみると、恐ろしくお金がかかっていることは間違いないのである。「三井八郎右衛門」は三井家総領家である北家の当主が代々名乗った名前で、この家は第11代当主である高公(たかきみ)の家である。上から4枚目写真が高公の肖像画である。戦前にロンドンに留学歴があり、1939年には納税額で全国一位になったとか。また自動車の愛好家であり、ベントレーをはじめとして高級車を10台以上所有していた。これは戦争後、1952年に建てたものである。財閥解体を経てだいぶ三井家のパワーは落ちていたころであるが、それでも全国各地の屋敷から調度品を運ばせて部屋を飾った。上から5枚目写真のシャンデリアは大磯の別荘から運ばれたものである。上から7・8枚目は裏の土蔵に展示されていた長持で、妻の鋹子(としこ、越前松平家当主の長女)が輿入れの時にこの長持に何個分もの調度品を持ってきたのだという。つくづく一般庶民とはかけ離れた世界である。一番下写真は庭から見た屋敷の写真である。
Wikipedia「三井八郎右衛門」
江戸東京たてもの園その17
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江戸東京たてもの園2024その4

2024-06-30 19:44:18 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)














そしてこれも前回も訪れた「常盤台写真場」である。1937年の作である。常盤台は現在の東京都板橋区にある。21世紀の現在も家族写真などを撮ってくれる写真屋さんはあるが、その当時はデジカメもスマホもなく、家族での記念撮影の需要はもっと多かったため、写真屋さんが街のあちこちにあるのが普通だったのである。当時は照明の設備が十分でなく、採光のためにすりガラスを使用した建築となっていた。一番上写真で2階の部分、写真の左側(スタジオのところ)にはかなり大きな窓が作られ、その全てにすりガラスがはめられているのが確認できる。この方角が北側になっていて、間接光を取り入れるようになっていた。中に入ると1階が家族の生活空間で、2階がスタジオという作りになっている。1階部分(上写真2から5枚目)まではいかにも昭和の家、という雰囲気である。長火鉢(上から3枚目)など、今では落語の中でした出てこないのではあるまいか。6枚目と7枚目が2階のスタジオで、一番下写真は当時のマグネシウムを使用したフラッシュであろう。
江戸東京たてもの園その14
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江戸東京たてもの園2024その3

2024-06-30 19:14:12 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)










そして2017年の訪問時も強い印象を残した「前川國男邸」。7年ぶりの再訪であったが、やはり飛びぬけたデザインの良さは変わりない。1942年に建てられたとは思えないほどのシャープなデザインである。前川國男は新潟県の生まれで東京帝国大学(現東京大学)を卒業し、フランスに渡ってル・コルビュジェの事務所で働き、帰国後に多くの仕事を残した。新宿の紀伊国屋書店は有名である。一番下写真はトイレと風呂場であるが、トイレまで何となく洗練されたような感じが。
江戸東京たてもの園その8
江戸東京たてもの園その9
江戸東京たてもの園その10
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江戸東京たてもの園2024その2

2024-06-30 18:54:40 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)












以前も見ていた建物が多いので、今回は駆け足で見て回りたい。まず最初は「田園調布の家(大川邸)」である。1925年に建てられた田園調布の住宅で、当時の田園調布は今、各地に出来ている「ニュータウン」のはしりであった。あの渋沢栄一が「田園都市株式会社」という会社を設立し、郊外に住宅地を造成することを計画したのである。下から3枚目写真は当時の田園調布の区画を示した図。下から2枚目は風呂場。そして一番下写真は女中部屋である。その当時にはある程度の収入のある家には「お手伝いさん」がいるのが普通のことであった。ちなみに「田園都市株式会社」こそがのちの東急不動産である。
江戸東京たてもの園その6
江戸東京たてもの園その7
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江戸東京たてもの園2024その1

2024-06-30 18:16:44 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)




気付いたらまるまる7年ぶりの再訪となった「江戸東京たてもの園」である。偶然の産物であるが、7年ぶりに行ってみることとなった。上写真は「光華殿」。下写真の芋虫のようなキャラクターはもちろん宮崎駿監督のデザインによる「えどまる」である。
Wikipedia「江戸東京たてもの園」
江戸東京たてもの園その1
江戸東京たてもの園その3
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星乃珈琲2024

2024-06-30 17:46:51 | 日本の食品


コロナ流行もだいぶ落ち着いて。星乃珈琲に行ってみた。たまにはこういう時間もよい。体はめっきり疲れが残りやすくなり、だんだんにあちこちにガタが来るようにはなってきたが、身近にいる人達を大事にしていかなくてはと思う。
星乃珈琲2023
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アオゲラ2024その3

2024-06-30 00:21:37 | 日本の野鳥




朝に思いもよらない場所で見かけたのがアオゲラである。普段は独特の鳴き声を頼りに探すことが多いが、今日は無言で木を突っつき続けていた。
アオゲラ2024その2
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