スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

江戸東京たてもの園その24

2017-08-12 23:46:21 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
このゾーンの建物も順繰りに説明していくときりが無くなるので、まとめてざっと解説を。
まず上写真。東京都青梅市の「万徳旅館」で竣工はおそらく江戸時代末期から明治時代初期のころ。青梅は当時は林業で有名な町で、旅館の需要も高かった。非常に古いが雰囲気がある建物である。

下一番左:「小寺醤油店」。1933年竣工。醤油店と書いてはあるが実際は酒屋さんの方が主であった。これも港区白金台にあったもの。
左から2枚目:「鍵屋」。江戸時代末期の建築とも伝えられる。居酒屋さんで、鍵屋自体は今でも存続しているとか。
左から3枚目:「丸二商店」。昭和初期の建築で、荒物屋さんである。奥は長屋になっている。
左から4枚目:「川野商店」。1926年竣工。和傘の製造をしていた傘屋さんである。
左から5枚目:「花市生花店」。1927年竣工。昭和初期の花屋さん。

写真だけ並べてみたが、ここは皆様に是非一回実際に来て雰囲気を感じてみることをお勧めしたい。

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江戸東京たてもの園その23

2017-08-12 23:05:25 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
この一角はただフラフラして雰囲気を楽しむだけでも十分楽しめるが、他の建物も少しだけ紹介しておく。
写真は「大和屋本店」。1928年竣工、場所はあの東京都港区白金台である。シロガネーゼが闊歩する高級住宅地であるが、戦前はごく普通の住宅街であった。この地域は空襲の被害が少なく、あの朝香宮邸を含めて多くの建造物が戦災を逃れている。
東京都庭園美術館その1
たてもの園への移築は1999年であるから、実に70年間しっかり建っていたことになる。当時の木造建築の技術は大したものであったのだろう。この家も武居三省堂同様、住み込みの使用人たちが何人もいた(商品の宅配もやっていたため。もちろん宅配便などない時代である)。使用人は皆農家の三男や四男といった人々であったという。生活の息づかいが建築の中から匂ってくる様である。

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江戸東京たてもの園その22

2017-08-12 22:47:39 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
上写真のごとく、左側は筆をおさめるための木製の棚が天井まで続いていたのである。桐製で、長年にわたって使い込まれたために黒光りし、独特の威厳がある店内となっている。さらに下中央写真のごとく、入って左の床下を覗くと床下にもスペースがあるのが見える。この半地下の場所で商品を仕入れ、荷解きやラベル貼りなどの作業をしていたようである。店内で寝泊まりしていた住み込みの小僧さんも多かった。この狭い店内で10人以上の人間が働いていたのである。神田は学生街であり、筆や硯は必需品であった。
もうお分かりであろう。「千と千尋の神隠し」の釜爺(かまじい)の部屋のモデルとなったのがこの店である。薬草を仕分けして壁中の引き出しに収納してあったあの部屋、ご記憶の方も多いであろう。菅原文太の声が懐かしい。


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江戸東京たてもの園その21

2017-08-12 22:37:28 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
そしてミーハー度がMAXになるのがこちら、武居三省堂である。1927年竣工、東京・神田にあった文房具店である。木造建築の前に正面の面(ファザードという)を取り付けた「看板建築」と呼ばれる建築である。当時のことであるから、文房具店で売っているのは筆や硯、墨などである、これらが下写真のようにところ狭しと店内に並ぶ。そして入って左側の壁を見ると。。

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江戸東京たてもの園その20

2017-08-12 22:33:26 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
さて、最後のゾーンである。たてもの園に来たなら、何と言ってもここに来てみなければ始まらぬ。ミーハーかも知れないが、「千と千尋の神隠し」である。あの映画の舞台がこの場所にインスピレーションを得ていることは議論の余地はない。明治~昭和初期にかけての商店・宿などが一同に集まっていて、独特の雰囲気を醸し出しているのである。カオナシがどこかからやってきそうな雰囲気である。
Wikipedia「千と千尋の神隠し」

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江戸東京たてもの園その19

2017-08-12 22:08:57 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
次は「伊達家の門」。伊達家と言われれば通常は伊達政宗、東北の雄の戦国武将を思い浮かべるであろう。だが遠く離れた四国の地、宇和島にも伊達家の分家があったのである。あの伊達政宗の庶子に当たる秀宗という人物がこの地を与えられたのだ。
Wikipedia「宇和島藩」
Wikipedia「伊達秀宗」
小藩ながらも安定した治世が続き、幕末には国産の蒸気船を作るなど先見の明もあった。この門は大正期に作られたものであるが、下左写真のように、門の上には宇和島藩の家紋が彫り込まれている。なお下右写真は門の脇にあった番兵が詰める小屋で、屋根が上にカーブする独特の形をしている。これを「起り屋根(むくりやね)」という。

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江戸東京たてもの園その18

2017-08-12 00:32:48 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
次は隣のゾーンに移る。高橋是清邸である。
高橋是清の名前を聞いたことがない方は恐らくいないであろう。内閣総理大臣も務めたが、大変な経済通であり、大蔵大臣を何回も務めた。日露戦争の時には日銀の副総裁の地位にあり、海外に赴いて戦費の調達に走り回ったことは有名である。
横須賀その11
Wikipedia「高橋是清」
教育者としても知られ、現在も残る名門の進学校・開成高校の校長も務めた。各界で活躍を続けたが最後は2・26事件で暗殺されてしまう。この家は高橋是清が晩年の30年ほどを過ごした家で、下写真にある2階が高橋が暗殺された部屋である。



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江戸東京たてもの園その17

2017-08-12 00:09:51 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
こちらのゾーンの最後は三井八郎右衛門邸。言わずと知れた三井財閥のトップの屋敷である。三井八郎右衛門は特定の人物の名前ではなく、三井家の当主が代々名乗った名前である。
Wikipedia「三井八郎右衛門」
こちら、恐らく見る目がある人が見れば驚嘆する高級住宅なのであろうが、残念ながら自分の審美眼が足りないのか、そこまで感銘を受けるに至らなかった。写真だけ載せておきたい。下写真右の2枚は庭においてあった石で、右から2枚目は若干黒味を帯びている。これは屋敷が都内にあった時に空襲を受けて焼け焦げたものだという。一番右写真は葡萄酒を作る為に葡萄をすりつぶす石だったらしいのだが、これをわざわざ取り寄せて庭石として使ったものだとか。

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