





以前も見ていた建物が多いので、今回は駆け足で見て回りたい。まず最初は「田園調布の家(大川邸)」である。1925年に建てられた田園調布の住宅で、当時の田園調布は今、各地に出来ている「ニュータウン」のはしりであった。あの渋沢栄一が「田園都市株式会社」という会社を設立し、郊外に住宅地を造成することを計画したのである。下から3枚目写真は当時の田園調布の区画を示した図。下から2枚目は風呂場。そして一番下写真は女中部屋である。その当時にはある程度の収入のある家には「お手伝いさん」がいるのが普通のことであった。ちなみに「田園都市株式会社」こそがのちの東急不動産である。
江戸東京たてもの園その6
江戸東京たてもの園その7