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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

佐原その7

2014-10-24 00:21:43 | 日本国内旅行(佐原2014)
一回道に迷ったりしてワタワタしてしまったが、あちこち進むうちに小野川沿いに到着した。
Wikipedia「小野川(千葉県)」
この近辺が特に古い街並みの多い場所である。川がちと汚いのが玉に傷なのだが、この川を船頭さんの操る小舟で巡るツアーもある様である。もう少し時間があったら乗りたかったが。。。


佐原その6

2014-10-21 22:52:52 | 日本国内旅行(佐原2014)
自転車で出発である。駅付近はごく普通の商店街(下左)なのであるが、進んで行くにつれて古い家屋が少しずつ顔を出してくる。江戸時代にタイムスリップである。下一番右は馬場本店といって創業300年以上に達する老舗の酒造で、みりんなどは現在でも当時の製法を守り続け、高級品として知られているそうである。
Wikipedia「佐原の町並み」



佐原その5

2014-10-21 22:04:23 | 日本国内旅行(佐原2014)
さて、佐原は前述の通りJR佐原駅と街並みとが離れているので(だからこそ古い建物が残ったのだが)、駅からてくてく歩くと観光名所までは大体15分くらいかかってしまう。また、もう一つの名所、香取神宮へは徒歩で行くのはまず不可能である。なので自転車を借りる事にした。駅前ロータリーから直進するとすぐに観光案内所が出てきて、ここで自転車を借りられる。坂道の少ない街なので自転車での移動は便利であった。それに晴れた日に田園風景の中を走るのは結構気持ちが良いものである。
案内所の場所も良いし、スタッフも親切な方であったが、ちょっと困ったのが自転車。体格に比べてどうにも小さいのである。ちょっと見たところ似たようなサイズ・形(いわゆるママチャリ)の自転車ばかりが揃っていた。もう少し大きなサイズはなかったのかしらん。こういう観光地なら、欧州人などの外国人観光客は特に自転車を使いたがるのでないかな、とは思う。まあ、ニースの如くセグウェイを置いたりする必要はないだろうが。。
南仏旅行その17 城跡公園→バス停
ドイツ旅行その55 ミュンヘン・雑



佐原その4

2014-10-20 22:11:59 | 日本国内旅行(佐原2014)
佐原は伊能忠敬にとどまらず、歴史的にも文人を多く輩出している。文化的には豊かな場所であったのだ。何故こんな交通の便の悪い場所にこれだけの文化が?と言うと、「昔はむしろ逆に交通の要衝であったから」なのである。
現代の物流は電車・トラック、そして飛行機という時代であるが、江戸時代にはそのどれもが存在しなかった。物資の運送手段として重要であったのは「船」だったのである。特に東北で採れた米を海岸伝いに運搬した後、利根川を遡上して関宿に至り、そこから江戸川を下って江戸に運搬する、いわゆる「内川廻し」という水路が水運上で重要であった。現代で言えば高速道路と鉄道とを合わせた様なものであったか。佐原の繁栄は一にも二にも「利根川沿いに位置し、物資を積んで江戸に向かう船が立ち寄る交通の要衝であった」事に由来する。
Wikipedia「関宿町」
交通の中心であるところ、当然人の流れがあり情報も行き来する。そして情報を得た人の間では知的好奇心が芽生え、新しい学問や芸術が生まれる。世界のどこでも同じ現象である。ベルギーもウィーンも文化が花開いたのは交通の要衝であったからではなかったか。伊能忠敬も一代で生まれたのではなく、恐らく当時は知的好奇心を刺激する進取に富んだ気風が佐原にあったのであろう。
現在でも佐原のあたり一帯を称して「水郷」と呼ぶ。低湿地帯で、付近一帯の交通の主役もまた舟であった。しかし近代に至り、鉄道線が引かれ道路網が発展し、佐原は次第に交通の要衝としての地位を失っていく。市街の中心も小野川沿いからJR佐原駅付近に移動して行ってしまった。今、佐原は昔ながらの街並みで有名であるが、この街並みも一時は取り壊し計画があったともいう。これを観光資源として売り出す計画が活発になり、各種の整備が行われる様になったのは最近の事である。
Wikipedia「水郷」
上写真はJR佐原駅。街並みに合わせてレトロな作りになっていて、風情を感じさせる。
ベルギー旅行その37 ブルージュ
旅行(ベルギー・ブルージュ2011)


佐原その3

2014-10-19 23:49:40 | 日本国内旅行(佐原2014)
では佐原、あくまで農業が中心の町なのか?というとこれがそうではない。写真の人物、誰だかおわかりであろうか?伊能忠敬である。江戸時代に全国の地図を作製した人物である。皆様も名前は聞いた事がおありではなかろうか。
Wikipedia「伊能忠敬」
彼の本来の出身地は九十九里浜沿岸部なのであるが、養子として佐原の商人の家、伊能家に出され、そこで傾きかけた家を立て直す事に奔走する。実際、彼が担当してから伊能家の収入は3倍にもなったという。しかしながら商人を続けつつも天文学に興味を持ち始め、50歳で商人を隠居してから本格的に学び始める。その情熱は本物で、19歳も年下の学者に自ら弟子として入門したほどであった。やがて全国に測量に出て地図の作成を始めた。当時海が荒れて危険と言われた種子島・屋久島などにも行っているし、瀬戸内海に浮かぶ500以上の島も悉く訪れている。最終的には全国測量を完遂できずに彼は死去するのであるが、彼の死後に弟子たちの手によって日本初の精密な全国地図「大日本沿海輿地全図」が完成させられ幕府へ献上される。後にこれは明治政府などによって大いに活用され、日本の近代化に大きく寄与する事となった。
地元でも敬愛の対象であり、「忠敬」を「ちゅうけい」と読み「ちゅうけいさん」との名で呼ばれているとか。写真は佐原駅近くの公園にある銅像である。

佐原その2

2014-10-19 23:20:21 | 日本国内旅行(佐原2014)
JR佐原駅に無事到着である。パラパラと人が下りていく。ここより前の駅では殆ど人の出入りが無かったので、やはりこの駅周辺が地域での人の活動の中心地なのであろう。
佐原について。かつては「佐原市」が存在したが、合併によって現在は「香取市」となっている。人口7万8千人であるから、この近郊の自治体の中では大都市に類する。佐原で有名なのは香取神宮で、一説には紀元前の設立とも言われる。現在でも宮中では元日の最初に「四方拝」という行事を執り行うが、このうち天皇が拝される神社の一つにこの香取神宮が入っている。佐原もこの香取神宮の門前町として発展した。
産業は基本的には農業で、早場米の産地であり、米の出荷量は千葉県第1位である。またサツマイモの産地としても知られる。
Wikipedia「香取市」
Wikipedia「四方拝」



佐原その1

2014-10-19 22:34:27 | 日本国内旅行(佐原2014)
先日は横須賀に突然行って来たのであるが、
日本国内旅行(横須賀2014)
今回はさらに遠方に突然行く事になった。佐原である。千葉ないし茨城にお住まいの方以外で、「佐原」と言われてどこだかすぐに出て来る方、そうはいないのではないだろうか?
佐原は千葉県の北部に位置する。同じ千葉県に「佐倉」と「佐原」があるので、下手をするとこの2つが混同されてしまう(長嶋茂雄氏の出身地は「佐倉」の方である)。実際職場の千葉県出身の同僚ですらこの2つを混同していた。
千葉県北部は米どころでもある。電車に乗って行くと、周囲は一面の田んぼが広がり、ところどころで野焼きをしている。線路近くで焼いている時は、車内にまで焼けた匂いが漂ってきたりする。電車は単線で、1時間に1本程度走る程度。車内は閑散としている。各駅停車なので、佐原までは長い道のりである。正直、お世辞にも交通の便の良いところとは言えぬ。
Wikipedia「佐原市」