佐原は伊能忠敬にとどまらず、歴史的にも文人を多く輩出している。文化的には豊かな場所であったのだ。何故こんな交通の便の悪い場所にこれだけの文化が?と言うと、「昔はむしろ逆に交通の要衝であったから」なのである。
現代の物流は電車・トラック、そして飛行機という時代であるが、江戸時代にはそのどれもが存在しなかった。物資の運送手段として重要であったのは「船」だったのである。特に東北で採れた米を海岸伝いに運搬した後、利根川を遡上して関宿に至り、そこから江戸川を下って江戸に運搬する、いわゆる「内川廻し」という水路が水運上で重要であった。現代で言えば高速道路と鉄道とを合わせた様なものであったか。佐原の繁栄は一にも二にも「利根川沿いに位置し、物資を積んで江戸に向かう船が立ち寄る交通の要衝であった」事に由来する。
Wikipedia「関宿町」
交通の中心であるところ、当然人の流れがあり情報も行き来する。そして情報を得た人の間では知的好奇心が芽生え、新しい学問や芸術が生まれる。世界のどこでも同じ現象である。ベルギーもウィーンも文化が花開いたのは交通の要衝であったからではなかったか。伊能忠敬も一代で生まれたのではなく、恐らく当時は知的好奇心を刺激する進取に富んだ気風が佐原にあったのであろう。
現在でも佐原のあたり一帯を称して「水郷」と呼ぶ。低湿地帯で、付近一帯の交通の主役もまた舟であった。しかし近代に至り、鉄道線が引かれ道路網が発展し、佐原は次第に交通の要衝としての地位を失っていく。市街の中心も小野川沿いからJR佐原駅付近に移動して行ってしまった。今、佐原は昔ながらの街並みで有名であるが、この街並みも一時は取り壊し計画があったともいう。これを観光資源として売り出す計画が活発になり、各種の整備が行われる様になったのは最近の事である。
Wikipedia「水郷」
上写真はJR佐原駅。街並みに合わせてレトロな作りになっていて、風情を感じさせる。
ベルギー旅行その37 ブルージュ
旅行(ベルギー・ブルージュ2011)