スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

7月1日

2024-07-01 23:08:46 | 日記
7月1日日記。
ついに今年の後半戦が始まった。ただ気候が急変しすぎて、体調がついて行くのが難しい。数名、体調不良での欠席者が出た。参ったものである。7月からちょっと体制も変わる。忙しい。ただ自分自身も体を動かして必死に仕事をすると、少し調子が出てくる感じもある。頑張っていかなくてはならない。明日は外回りの仕事がある。
ウクライナ情勢は大きな変化はない。東部戦線では変わらずロシア優勢が伝えられているが、それでも劇的な前進がみられているわけではない。国外ではEUの議長国にハンガリーが7月から就任した。ハンガリーのオルバン首相は親ロシア派で、
アメリカのトランプ氏と親しい関係にあることで知られている。標語もトランプ氏の「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again:MAGA)」とよく似た「欧州を再び偉大に(Make Europe Great Agarin:MEGA)」であるというのだから念がいっている。彼が議長を務めてどれだけの影響をもたらすのかは不明である。中東のガザではイスラエルの攻撃が続く。イスラエルのガラント国防相は「ハマスの壊滅に近づいている」と発言した。
Wikipedia「オルバーン・ヴィクトル」
コロナについては新しいニュースはない。沖縄県以外は穏やかな感染拡大が続いている。
6月30日
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ランチパック リリコイゼリー&チーズクリーム (ハワイアン航空監修)

2024-07-01 21:51:01 | 日本の食品


7月になって。何だか天気が不安定で体調を崩す人が続出している。自分も何だかだるい。遅くなって。またランチパックである。2022年にも「ハウピア風」と題したハワイアン航空とのコラボ商品があったが、コロナの影響が本格的にとれてきた今は、宣伝にも力が入るのであろう。円安は逆風であるが。。。「リリコイ」というのはパッションフルーツのことで、ハワイでは生け垣に植える家庭もあるのだとか。
東京都薬用植物園のこと
パッションフルーツ2020
ランチパック ハウピア風
ランチパック たこ焼風と焼きそば (築地銀だこ監修)
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カワラヒワ2024その7

2024-07-01 02:28:20 | 日本の野鳥




「キリコロ、キリコロ、ビイイーン」の鳴き声を耳にして、よく探してみると木の上にカワラヒワがいた。最後の「ビイイーン」はかなり離れていてもはっきり聞こえるくらい、大きな鳴き声である。
カワラヒワ2024その6
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6月30日

2024-07-01 02:17:46 | 日記
6月30日日記。
今日で一年の半分が終了する。明日から7月である。今日もあわや仕事が入りかかったが、他に仕事を買って出てくれた人がいて一日休むことができた。感謝あるのみである。
ウクライナ情勢では大きな動きはない。ただロシア側の攻撃は強く、特に東部戦線アウディーイカ付近での攻撃が続いているとされる。ゼレンスキー大統領は終戦の計画を年内に準備すると表明したが、今の状況では終戦というのはなかなか容易ではないだろう。妥協点が見いだせそうもないのである。中東のガザではイスラエルの攻撃が続く。北部のレバノンにあるヒズボラとイスラエルとの攻撃の応酬が続いており、互いにミサイルや無人機などを使って攻撃が行われているようである。大規模な衝突に至らないことを願うばかりである。
コロナについては目立ったニュースはない。ゆっくりとした感染拡大が続く。
6月29日
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江戸東京たてもの園2024その12

2024-07-01 02:01:16 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)
最後は残った写真を適当に。







こちらは「鍵屋」。居酒屋さんである。建物の創建は1856年と伝えられるからかなり古い建物である。3年前にペリーが浦賀に来たばかりである。元は酒問屋であったのが、1949年から居酒屋として営業を始めたのだとか。現在の東京都台東区下谷にあった店で、地元の人が気軽に一杯やりに行ける店であった。3枚目がメニュー表だが、確かにだいぶお安いような。







青梅街道沿いにあったという旅館「万徳旅館」。青梅街道は人や物資の往来に重要な街道で、この旅館も1998年まで営業していたのだという。上から2枚目写真が模型で、街道から奥に細長い建物であることが分かる。3枚目写真は建物の裏手にあった井戸で、これも趣がある。





東京都交通局7500形電車7514号である。1962年製造の都電で、昔の姿をとどめている。ちなみにこの電車の製造元がどこだかご存じであろうか?答えは新潟なのである。新潟鐵工(現・新潟トランシス)という会社で、最近では宇都宮に開通したばかりの宇都宮ライトレールの車両も、この会社の作である。歴史はつながっていく。
Wikipedia「新潟トランシス」
宇都宮のこと

ごく短い旅であったが楽しかった。たまには非日常の経験が必要である。
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江戸東京たてもの園2024その11

2024-07-01 01:38:34 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)














そしてもう一つ、「千と千尋の神隠し」のインスピレーションのもとになったとされているのがこちら、「子宝湯」である。1929年建築、東京都足立区にあった銭湯であり、この建物が宮崎駿監督の特にお気に入りであったとされている。昔ながらの銭湯の構造、入り方は皆様ご存じであろうか?入り口を入ると男女に別れ、中央に壁で仕切りがしてある。ただ仕切りの壁は高さ2m程度で、向こうは見えなくても声は聞こえる。そして一番下写真のような「番台」があり、これは仕切りのちょうど中央に位置しているので、男湯と女湯、双方が見渡せるのである。この番台に座るのが、昔から落語などでは与太郎の憧れの職業となっている。上から3枚目写真が女湯、上から6枚目写真が男湯である。上から5枚目写真では戦後のころのプロレスや映画のポスターで、プロレスでは力道山、映画では石原裕次郎が見える(映画のわき役をよく見ると、岡田真澄の名前も見える)。それにしてもこの建物に入ってあの映画を考え付くのであるから、宮崎駿監督の想像力は凄いというかなんというか。
Wikipedia「千と千尋の神隠し」
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江戸東京たてもの園2024その10

2024-07-01 01:20:41 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)










そしてやはり江戸東京たてもの園とくればここである。2017年当時も紹介した「武居三省堂」。東京・神田にあった文房具屋で、墨や硯、筆などを販売していた。ちょっと入っただけでも独特のホコリっぽいにおいが漂ってきそうである。そして上から3枚目写真、文房具をしまった木の引き出しが大量に並んでいる景色、これが映画「千と千尋の神隠し」で「釜爺の部屋」のモデルになったとされる場所なのである。映画では薬草が入っていることになっているが、本物は文房具を入れている場所だったのである。宮崎駿監督がこの「江戸東京たてもの園」を愛しているのは有名な話で、「その1」で述べた通りキャラクターの「えどまる」も同監督のデザインである。
Wikipedia「千と千尋の神隠し」
江戸東京たてもの園その21
江戸東京たてもの園その22
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江戸東京たてもの園2024その9

2024-07-01 01:01:22 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)










ついでこちらが「小寺醤油店」。1933年の建築で、大正時代から東京都港区白金で営業していた酒屋さんである。創業者が醤油の醸造元(東京の中野にあった[石森醤油醸造所」)で修業したために醤油店と名乗ったのだが、その当時は酒屋さんが味噌や醤油を売るのは普通のことであったらしい。上から3枚目写真は醤油の入った樽で、下の口から醤油を測り売りしていたそうである。上から4枚目はトリスウイスキーのポスターなのであるが、1等賞のハワイ旅行積立預金証書が100名なのは分かるが、2等賞のトリスウイスタンが「150万名」に当たることになっていて、どう考えてもそんな訳はないだろう、と思ってしまう。
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江戸東京たてもの園2024その8

2024-07-01 00:33:03 | 日本国内旅行(江戸東京たてもの園2024)














次は「村上精華堂」である。東京都台東区の不忍通りに面して建っていた化粧品店である。1928年建造で、関東大震災後に多く建てられた看板建築という洋式である。創業者の村上直三郎氏はアメリカの文献を参考にしながら化粧品を作成したそうである。一番上写真が外観、2枚目から4枚目までは表のカウンターである。そろばんと帳面が古めかしい。5枚目以降がこの建物の裏手で、裏手で化粧品の調合を行っていたのである。ビーカー、ガラス瓶などが見える。一番下写真の左側の瓶は、村上精華堂が本当に使用していた香水瓶なのだという。
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