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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

両国その8

2019-08-31 23:53:58 | 日本国内旅行(両国・2019)
この博物館、過去に使われていたものの実物の展示もあるのだが(刀や旗など)、何と言っても面白いのは当時の状況を再現した模型である。上は当時一般的だった江戸の長屋で、指物師や大工が住んでいたところを再現している。下左から2枚目は寺子屋。よく見るとノートに落書きをする子あり、先生に怒られる子ありで現在の学校とあまり変わらない。
Wikipedia「寺子屋」
下左から3枚目は当時のトイレ。また全体的に「体験型」のものが多く、下一番右は当時の大名籠。他にも肥溜めの桶を担ぐ体験や、火消しの纏を振る体験などもあった。


両国その7

2019-08-31 01:11:27 | 日本国内旅行(両国・2019)
橋を渡り終えると江戸の街のミニチュアが出てくる。この街、かなりの作り込みようである。上写真は拡大写真であるが、下左写真が遠景。人の大きさと比べて見られたし。小さいながらも人間の表情まで表現されており、芸の細かさが際立っている。脇には双眼鏡がおいてあり、これで覗くと拡大像が見れる。海外からの観光客も見に来る理由が分かる。下右写真は大名屋敷のミニチュアである。


両国その6

2019-08-30 00:18:24 | 日本国内旅行(両国・2019)
この博物館、年間100万人の入場者があるというからかなりのものである。外国人観光客の姿も目立った。
建物内部に入る。エレベーターから降りると最初に迎えてくれるのは日本橋のレプリカである。実物は1603年に作成されたもので、レプリカはその2分の1の部分だけを再現した。幅8mなり。上を歩くと江戸時代の雑踏をみる思いである。ご存知五街道の起点となった橋で、21世紀になった現在でも国道7本の起点になっている。
Wikipedia「日本橋(東京都中央区)」


両国その5

2019-08-25 23:35:55 | 日本国内旅行(両国・2019)
さてさて、すみだ北斎美術館もあったし、また国技館の内部には「相撲博物館」もあったのであるが、今回行ったのはただ一つ、こちら「江戸東京博物館」である。失われた江戸や昔の東京の風景を残すために作られた博物館で、あの「江戸東京たてもの園」はこの博物館の分院なのである。
日本国内旅行(江戸東京たてもの園2017)
両国駅から歩くことわずかに3分。なお、ここの地名は「墨田区横網」であり、国技館もあるので思わずこれを「よこづな」と読みそうになってしまうが、正しい読みは「よこあみ」である(漢字をよく確認されたし。「綱」ではなく「網」である)。建物は写真のごとく高床式の不思議な構造をしている。主要な展示はこの上層部の階に集中しているのである。早速入ってみる。
Wikipedia「東京都江戸東京博物館」

両国その4

2019-08-25 23:15:28 | 日本国内旅行(両国・2019)
両国はその後に多くの歴史の舞台となる。あの「忠臣蔵」の討ち入りの場所、吉良上野介の屋敷はJR両国駅の近くで、その屋敷跡も残っている。
Wikipedia「吉良義央」

しかし、両国ゆかりの印象的な人物とくれば、自分はこの人を挙げたい。葛飾北斎である。
Wikipedia「葛飾北斎」
言わずと知れた江戸時代後期の浮世絵師であるが、生涯のほとんどを両国の近辺で過ごしている。葛飾北斎と言われて、ほとんどの人は浮世絵、なかでも「神奈川沖浪裏」を思い出されるであろう。ただ、この人物が実際にどんな人物で、どんな人生を送ったのか、ご存知の方は意外にいないのではあるまいか。
Wikipedia「神奈川沖浪裏」
ウィキペディアの葛飾北斎のページをご覧になればわかると思うが、かなりの「変人」である。今風に言えば「ギーク」とでもいうところか。とにかく「より良い絵を描く」以外の事には一切の興味がなかった人物で、部屋はごみ溜め、金銭管理はいい加減、社交性は皆無というありさまである。離婚して実家に帰ってきた娘と二人暮らしをしていたが、娘の方も北斎に輪をかけて社会性皆無の人物で、二人して絵を描くことに没頭し続けた。ちなみにこの娘もまた尋常ならざる腕前の絵師である。ウィキペディアに載った絵をご覧になられたし。
Wikipedia「葛飾応為」
こんなグチャグチャな生活を送りながらも数えで90歳という長寿を全うした北斎であるが、最後は「ああ、俺にあと5年寿命があったら、俺は本物の絵師になれたのに!」と言って息を引き取ったという。人間のライフワークというもの、かくのごとくでなくてはならぬ。
たしなみについて
このJR両国駅から歩いてそう遠くないところに葛飾北斎の画を収集した美術館もあったのであるが、残念ながら時間がなく行くことはできなかった。
Wikipedia「すみだ北斎美術館」
しかし、こうやって極東の地で、決して裕福とは言えない環境で絵を描くことに没頭して生涯をささげた人間の作品が、その後に遠くヨーロッパにまで届けられ、芸術家たちの心を揺さぶったのである。考えてみると感慨深いものがある。上写真は江戸東京博物館内に再現された、当時の錦絵を売る店である。
オランダ旅行その15 エルミタージュ美術館別館(ゴッホ美術館)
カール・ラーション展

両国その3

2019-08-25 22:40:31 | 日本国内旅行(両国・2019)
さてさて両国とくれば大相撲である。写真の通り、JR両国駅の中にも大相撲がらみのモニュメント、展示が非常に多い。日本の国技であり、両国の代名詞となっている。こちらも同じく明暦の大火がかかわっている。明暦の大火で亡くなった人を弔ったお墓をもとにして両国に「回向院」という寺が建てられたのである。このお寺は現存する。
Wikipedia「回向院」
この回向院の境内で行われた相撲が、現在の大相撲の起源なのである。当時の相撲は、お寺が建立資金を得るために興行として行っていたものであった。明暦の大火で寺が焼け出されたこともあって各地で相撲が行われたが、回向院はそのうち相撲を定期的にする場所として定着していった。これが現在の大相撲の原型なのである。その後に紆余曲折あって一回大相撲は両国から離れるのであるが、1985年に両国に現在の国技館が完成し、以降再び大相撲は両国に戻ってきた。下右がJR両国駅から見える国技館である。
Wikipedia「大相撲」



両国その2

2019-08-25 21:01:48 | 日本国内旅行(両国・2019)
そもそも両国はなぜ「両国」という名前なのか。こちらの由来は江戸時代にまでさかのぼる。1657年に発生した「明暦の大火」がきっかけなのである。
Wikipedia「明暦の大火」
明暦の大火は別名を振袖火事とも言い、世界史的に見ても犠牲者数の極めて多かった火事の一つである。一説には死者10万人ともいう。この大火事の時、幕府は隅田川に防衛上の理由からほとんど架橋していなかった。このために火に追われた避難民が逃げ場を失い、犠牲者が増える一因となってしまった。火事ののちに流石の幕府も架橋を認めた。この橋が「武蔵国」と「下総国」の2つの国を繋ぐ橋であったことから俗に「両国橋」と呼ばれるようになり、これがそのまま地名となったのである。写真は江戸東京博物館の中にある両国橋のジオラマである。
Wikipedia「両国橋」