意志のなかにいる

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アニメ遅報(アニメ感想)

2012-09-18 19:17:49 | アニメの感想(2012・秋)







もやしもん リターンズ 第10話 ただいま とまとめ △+









発酵期間五年







5年前っていや当ブログを始めたばかりのころでほぼ毎日更新してたころw
ガンダムは「OO」で京都アニメーションは「らき☆すた」→「CLANNAD」をやってて
四文字のまったりアニメは「みなみけ」で「ご愁傷さま二ノ宮くん」で沢城みゆきさんが無双やってたころだ
いやもう皆懐かしいねえ。






「菌」というお題で何ができるかってーといろんな食べ物つくったりってなるわな、それがベース
逆方向なら「病気」をもたらすあたりか、これもまあ看過はできないか
でも物語的にどう面白くするかというとなかなか難しいね、「妹」を出したほうがてっとり早いというか
まあそういうハナシにほとんど縁なく生きてきた人かあるいは食傷をおぼえるぐらいどっぷり浸かった
諸兄が箸休め的に見るのが正しい視点なんかねえ
フランス編のオチだった「菌」からの「メッセージ」がたぶんこの「菌」が「可視」できるおはなしの
表現媒介としてのMAXだったのではないかなーとおもう
あとは力まずに「オトナに限りなく近いコドモ」という日常を楽しめばいいんだろうね
長谷川さんがフィアンセと閨(ねや)を共にしながらその間にカバンを置いて邪魔していたのは
そのあたりに一線を敷いていたっことなんだろう。













夏雪ランデブー 第11話 とまとめ △+







雑多な「菌」を排除した実験室で行われる純粋な効果を測定するための「実験」のような
印象だったなあといったところ、「氷菓」や「DOG DAYS’」がもの凄い量と質の
キャストがあるのとは全く対極の手法というか。ま、質は遅れをとっていないけど
というか「朗読劇」的な側面があるから名手を用いざるをえないというか。
しかしまあもの凄い「個人的」なことに立ち入ったな、という感慨がある。
一個人の心理世界や惚れた晴れた切ったはった心中だってことまでガン見してたものね
落ち着いて考えれば、そんなこんなで2世代を経てようやく幽霊が成仏できるっていう
人間の(故人だが)「情念」ってのを描ききったのはすごいことではあるね
ただし、極めて個人的な話題なのでそれが端的なエンターテイメント性を有してはいないけども。
「ノイタミナ」枠はそういう「視聴者」へのおもねりみたいのを割愛して
製作者側が創りたいものをつくる場ってのが生成されている気はする、そういうのは大事にすべきだと思う。
そういえばノイタミナももうン年もやってるのね、随分楽しませてもらってます。














人類は衰退しました 第12話「妖精さんの、ひみつのおちゃかい」 とまとめ ○









(人類の)放課後ティータイム






「わたし」ちゃんは旧人類の高等教育を受けた「最後の娘」ってことなのね
そこはいくぶん閉鎖的な環境で、でも相応に得るものがあってってこと
それが旧人類にとっての最後の「卒業式」ってなるとまあなんか凄いわな
どこの卒業式ともそんなに変わらない画ではあるけど、当事者のように特別な画。
そう、この「衰退」にはたしかに何かが「終わってしまった」って感がそここに
感じられるわけで、それは現人類たる「妖精さん」が引き起こす因果律の崩壊現象で
あったり、旧人類のモニュメントを見つけたりした時であったり。
それをその事態をギリギリ橋渡しできる「わたし」ちゃんがアナウンスしてるわけね
その時点でそれを視聴している現人類とは大分隔世のものなのだろうけど
適度なドタバタと巨視的なブラックコメディとそして妖精さんの愛らしさが
視聴者の興味をつないでるのね。退廃癖と思い出したかのようなドタバタってのは
まさしくインテリゲンチャの好むところであって、そういう作品が「ごらく」の中から
出てくる内はアニメーションもまだ黄昏を迎えてはいないかもって
お気楽な第三者はおもう。ちょうど「わたし」が卒業を迎えて学舎を去ろうと
した時に「妖精さん」と再開したような、何かを想起するよろこび。















ゆるゆり♪♪ 第12話「さようなら主人公、また会う日まで」 とまとめ♪ △+









普通って言うな!








本当は最終回のAパートの「何でもない特別ないちにち」でオトしてもよかったんだろうね
Bパートの全員集合!は余興(ごらく)といったところ。




さて最後は「あっかりん」の話題で。この娘の「存在感」が無いネタも
1期はまだ説得力があったけどこんだけ露出度が高い2期でもまだ作り手側がそれを謡うのは
なんでだろうね、いい加減辟易している人もいるんではないだろうか。
私が考えるに「あっかりん」のいる場所がちょうど「ガチ百合」と「ゆるゆり」の境界だと
思っているからなのね、というのも彼女がいちばん「百合的展開」に適合する「普通の娘」だから
彼女達の姉達は「ガチ」で、それに続いてちなちゅとの関係が一番アブなかしくて興味深いわけで
それゆえに彼女にスポットがあたりがちなるとわざと「存在」を薄くして、ある種秘匿してるのね
そんぐらいに「ごらく部」であることを大事にしているわけだ
「関係」が進展するとイカんから1年間で時間がぐるぐるループしたりするぐらいには。
ま、ものたりぬという御仁もおるかもしれないけど、惚れた腫れたってなるとやっぱしいろいろあるから
そういう甘酸っぱさすら排除しただだ甘な極天楽の世界が「ゆるゆり」なんだろね
これはこれで極めればひとつの道かもしれぬわな、大手をふって人に自慢はできないけど。
それは「百合」のようにやっぱりどこか「秘匿」がつきまとうそういう堕ちた天国なんかもしれない。













氷菓 第22話 「遠まわりする雛」 と遠まわりする感想のまとめ(いつもだろ) ○











「推理」っていうのはドヤ顔で説明しだすととたんに「知性」が疑われるから
ホームズからちょっとしたら探偵の皆さんはみんな苦虫にかみつぶしたように語るようになったのね
アニメーションのように小説より派手なことができる分野ではなおのこと抑制が必要になる
そういったことを京都アニメーションは実に上手くやるよねえ、そういった意味では
ある種「抑制」されている「名家」のお嬢たる千反田えるちゃんは恰好のヒロインだったかもな。
逆に「いい画」を撮るためなら人の迷惑も顧みないような者は糾弾されるわけね
何も考えずにバンバン派手なシーンを繰り出しまくる美学もあるけど
こうやって抑え抑えでやる手法もあり、それは実に「日本人的」といえるかもしれない
もち論、派手にやりたくてもできない者もいるし、できるのにせん者もいるから事態はいよいよ
ややこしいのだけど、それでも何かを表現する者達は何かしら叫ぶところがあるからそうしているわけで
そういった機微をおそろしい精度で「氷菓」は描き出してみせたのだと思う。
「もっとも美しいもの」を求めているのではなく、そこからこぼれ落ちるなにかを掬って
確かななんらかのカタチあるものを作り上げているそんな感じ、その味は「ほろ苦い」にちがいない。






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