化物語 第12話 「つばさキャット 其ノ弐」と
とりあえずのまとめ △+
父親の背後でなぶりものにするたぁどんだけ
ありゃりゃぎのこと好きなんだよw
原作が「小説」なのでこのセカイが本質的に
力を有しているのは「言葉」なわけで、それは
アララギを苛めるためだけでなく
「化け物退治」も忍野が講釈をたれている時点で
半分は終わっていたりする。そしてもう半分は
カミサマにあやまったり迷子をお家まで連れて行ったり
半殺しの目にあったり蛇に咬まれたりして解決して
きたわけだ。「暴力」で排除するのではなくて
基本的にひたすら受け身なのがなんか生っぽくて
切ないね。
次に、根本的に力を有しているのが
はあ「おんなのこのからだ」なんだ
これについての説明は不要なはずだw
で、「化け物退治」と「おんなのこ」の間を
結んでいるのがアララギのモノローグと
楽しいトーク、これが3つ目
そして、おのおののフェイズに
おいて役割をキッチリ分けているのがこの
お話しの特徴といおうかシャフトの持ち味といえる
トークしてる時は絵は結構節約してるし
おんなのこ脱がす時はまあ、がんばる(笑
そしてそれらのバランスが悪くならないように
「地の文」のぶぶんの大半を占める声優さんは
手加減できない、まあ、それはこのアニメに
限ったことではないけれど。
そうやって考えてくと形式として
「ライトノベル」や「ノベルゲーム」の
方式をそのままに「アニメーション」に
おこしたものとも言えるかもしれない
「おいしい」シーンを地の文で繋ぐ
いわゆる「超豪華な紙芝居」ってやつ
あ、あんまり節約しすぎてホントに紙芝居に
なってた回もあったなw
ただ、アニメーションとしての良さを捨てて
しまっているところもあるから主流になることは
流石になさそうではある、シャフトらしいちゃ
実にらしいけど。逆に言えばこんだけタフな
登場人物たちを消化するのに特化した方法論って
ことなのかもしれないけれど
原作者の西尾さんがそれを意識的にやっているのか
あるいはそうでないかは分からないが
「青春」がラノベ・エロゲ的イタさ(断片的・刹那的)で
出来上がっているっていう認識はうなずけないでもない。
懺・さよなら絶望先生 第13話 誤字院原の敵討/
われらライナス/楽天大賞/夜間きよ飛行 と
思ひつくことなど △+
すっかりシャフトの「実験場」の趣がある絶望先生
だけれど、以外に今回は目立った遊びが少なかった
ような、「うそあらすじ」と「絵描き歌」ぐらいか
遊び自体は「化物語」のほうが多かったかも
そうするといわゆる「原作に忠実」なおはなし
だったわけで、これはこれで珍しいと言えるかも
で、今回のうんちくネタは総じてどうかというと
「そこそこ」ってとこで、考える側はたいへん
だろうけど無責任に見る側はそう感じまちた。
ただし「飛翔体」と「カエレ先生」はのぞく
「小林画伯」って揚げ足とって欲しくて
ワザとやってるんじゃないか疑惑
かなめも 第13話「そして、はじめての・・・」と
まとめでおま △+
最終回で評価がアップ
かなが美華ちゃんいぢめて遊んだり
はるかを罵ったり、成長著しいことだw
目指せ戦場ヶ原(無理
その美華ちゃんとの自転車レースシミュレーション
ごっこは中学生にはハードな妄想プレイw
なんか、「かなめも」って小学生っぽいことを
やってることもあるし、かと思うとガチ百合プレイな
人達もいるし、アンバランスな感じを受けることが
しばしば、それらの象徴が「代表」なんだろうなあ
まあそういう色んな人達にもまれてかなちゃんが
成長していくお話しって文脈なら、時折はさまってた
感傷的になるおはなしの所にも必然性が生まれて
いい感じになるかな、と
そういう意味でも最終回まで見て良かったなあと
思えました。
と日記には書いておこう
咲 第25局 「全国」と
管見愚見 △+
「麻雀」を「勝負」を通しての
コミュニケーションツールとして用いたその
アイディアだけでもまずは評価に値する
「戦闘美少女」の別バージョンといったところ
で「勝負」によって発生する恨みつらみが
そんなにないんで、ある種のスポーツものに
近い雰囲気があるともいえる
「野球をやる子に悪い子はいない」みたいな
もの足りないっちゃもの足りないけど
そこに踏み込むと「なかよしワールド」を
否定することになるんで方向性の問題なのかも
咲とか衣とかはあんまり出張ると「いじめ」に
なるんで扱いは必然的にあんな感じになる
次は「全国」というわけで、またまた大量に
女の娘たちが出てくる模様なんだけど
今まで培ってきた演出力なら新しい「彼女たち」も
魅力的に描いてくれるだろう、と信用はできる
そのための話づくりに苦労しているのなら
ある程度の「休息」もやむを得ないところ。
「萌える」為に話づくりで苦労するってのは
なんか皮肉かもな。
戦場のヴァルキュリア 第26話「決戦」と
回顧録 △
いぜん「スパロボ」がアニメ化した時に
もうほとんどアニメ並にガリガリ動くゲームから
SLG的おもしろさを抜いて話を面白くするのは
難しいなあと感じていたのだけど、こちらは
もっと露骨にそれが出た感じ
話のゴリ押し加減は「ゲームだから」で緩和
されていたのだと思う。
だから、ある意味「他メディア化」が実写化並に
「駄メディア化」しやすい分野なのかもしれない
ドラクエみたいに「主人公≒あなた」みたいな
話だとまだやりやすいのかもしれないけど
ある程度キャラクターを客観的に見られるお話しは
そのあたりの整合性をつけるのがもの凄く大変なわけだ
つまり、「戦略レベル(アニメ化)」の時点で不利が
あったわけでそれを覆すような天才指揮官は
あらわれませんでした、とも言える。
GA 芸術科アートデザインクラス
第12話「ヘクセン・ケッセル」と
品評会 △+
絵の質が全体的に高い(作画的な意味で)のは
「美術」を扱ったおはなしとして誠実だったと思う
そうじゃないと美術ネタに説得力がでないし
キャラクターのデザインもスマート
で、あとはそこで「何をするか」ってこと
なのだけど、基本的には「何もしていない」の
だよねえ、「闇鍋」ぐらいで「イベント」には
ちょっと足りないだろう。
「美術」をネタにするっていうのもちょっとこう
ウィットどまりまでしかいかない感じ
「すげー」って思ったネタや笑い転げたネタと
言われるとちょっとすぐには出てこないなあ
作中でも語られてたけど「キサラギが作った
マトモなおはなし」より「なんか滅茶苦茶な展開
のほうが幼稚園児のウケがよかった」っていうのが
あったけど作品も総じてそういう感触。
もちろんウケがいいだけの話ばっかりじゃ困るけど
当作品の根底のクォリティを見るに「日常系ほのぼの
4コマ」よりも思い切ったファンタジーのような
路線の方が良いような気がする。
ティアーズ・トゥ・ティアラ
第26話 「力の言葉」 とまとめ △
戦術シミュレーションゲームの「アニメ化」に
ついては「戦場のヴァルキュリア」のまとめの
所に同じ、加えて「王道ファンタジー」なんで
そのハードルはますます高し。
跳べなくても気にすんな。
時に、アニメとかにおいて「民衆」を描く
ということの何とも難しいことよ
だって大概民衆の描かれ方って「弱きもの」
「虐げられしもの」か「愚かなもの」なんだよねえ
合ってるけどさw
おはなしとしては俺と仲間のはなしがやりたいのに
立場上民草がどうだの国政がこうだのってのを
やらなきゃ話が弱くなるのは困るねえ
そういえば「うたわれるもの」でもよくハクオロさん
国務ほっぽりだして逃げ出してたなあw
あるいは見ている私たちの側にそういう「政治」を
フィクションに持ち込んで欲しくないって気持ちが
どこかにあるのかもしれない、真剣に取り扱うには
あまりにもニュース的エンタテインメント政治に
慣れきってしまった私たちにはちょっと耐えられないの
ではないか。