『ナゲキバト』ラリー・バークダル著 片岡しのぶ訳 あすなろ書房 1996年(原書初版)1997年(翻訳初版)127頁
これは!!!
心打たれ、すぐに感想が言えない・・・そういう類の物語。ホームページに書かれている『この感動は10年に一度!』と言う謳い文句は、かえって軽く聞こえて好きではないのですが、大げさでなく、魂に響く物語でした。ただ、静かに響く。さらっと読めちゃう、でも、じわじわっと心にしみこんでくる・・・そういう物語でした。
≪『ナゲキバト』あらすじ≫
私は9歳のとき、両親を事故で亡くし、アイダホ州ボイジに住む祖父にひきとられた。やさしく、ときにはきびしく、「生きる」ということを教えてくれた祖父。ふたりで暮らした日々の思い出のなかで、ひときわ鮮烈によみがえるのは、あの日の情景。それは、あの夏の日、ナゲキバトを撃ってしまった日のこと…。深く、静かに、あなたの胸を撃ちぬく物語。人はいかに生きるべきか?小さなぼくに教えてくれたのは祖父だった。(BOOKデータベースよりそのまま転載)
先日紹介した『絵本・児童文学における老人像』の中で紹介されていて、読んでみたいと思ったのですが、鎌倉の図書館では児童コーナーではなく一般コーナーにありました。うん!!!これは、ぜひ両方のコーナーに置いてもらいたい物語。著者の自叙伝的この物語は元々は自費出版から、あっという間に広まったそうです。訳者の片岡しのぶさんが“珠玉のような作品”と述べられていますが、本当に大事に大事にしたい宝石のような物語。内容的にはどちらかというと暗いし、重い。けれど、変にドラマチック仕立てでなく、淡々と進行していくところがいい。主人公の祖父ポップの言葉ひとつひとつがもう書き留めておきたいくらい深くて心に響いて。どうして、祖父がそのような魂に響くことを言えるのかは最後に分かるのだけれど、人に対する希望を失いそうになっている人がいたら、この物語を差し出したい。
嘘をついてしまったり、何か罪を犯しても、失敗しても、肝心なのはそこからどう生きて行くかということ。
この物語の前半で、狩猟をしてみたくてたまらなかった主人公ハニバルは、ある日ポップの目を盗んでナゲキバトを撃ってしまいます。命中したとき体中に広がる勝利感。ところが、ぐんにゃりした鳥の死骸を実際に見ると、得意そうに笑って見せようとしても吐き気がしてくるんですね。とてもリアル。祖父は、目を盗んで撃ったことを責めたりしません。ただ、その鳥の巣を探す。そうして、腹をすかせたヒナを二羽見つけるのですが、父親鳥では一羽しか育てられないことを祖父は告げます。そして、一羽を自分の手で始末しなければいけなくなる主人公・・・祖父は何も言わない。無言の教え。命を奪うっていうことは、ゲーム感覚じゃない、どういうことなのかということをこの物語は教えてくれます。
そして、後半では隣家に引っ越してきた親友のチャーリーが、貧しく酒乱の父親の影響で、寂しいことにどんどん悪い方向にいってしまいます。仲がよかったので、それに引きずられそうになる主人公。最後はとても重く悲しい事件が起こってしまうのですが・・・もう言葉になりません。一度読んでみてください、としか言えないなあ。ぜひ。
ね、ね、言葉にならないよね。
ポップの二人の兄弟の話はね、聖書にある有名な放蕩息子の話をポップの言葉で分かりやすく伝えていたのだと思ってたの。だから、最後数ページになるまで気付かなくて・・・衝撃。色んな人に贈りたい物語。