
ピクニック日和な昨日、第3回児童文学ピクニックを、クローバー咲き乱れ、紫陽花がきれいな公園で開催しました~

今回は初参加の人2名含め、6名で開催。このくらいの人数がちょうどいい♪
当初は5月に開催予定だったので、テーマは母の日とかけて
『絵本・児童文学に見る素敵な母親像』
でした~。そして、今回は手作りクッキーとハーブティーの交換も。Sちゃんの持ってきてくれたフクロウのぬいぐるみが物語の世界へといざなってくれましたよっ


いっぱい笑って、いっぱい興奮しました

さて、今回のテーマ。意外にも、意外にも!素敵な母を見つけるのって難しかったんです。
ファンタジーだと「孤独」がないとあちらの世界にいけないし、リアリティ文学でも児童文学は成長物語が多いんですよね。そうすると母親から理解されないとか、母親との軋轢のほうが多く描かれていて・・・


そんな中でやっぱり無条件に子どもから尊敬されてて、素敵な母親が出てくるのは、古典的な物語が多いです。そう、時代が違うの


子どもから無条件に尊敬されている時代の母親たちは、経済的には苦しい時代のことが多い。なので、母親は家事や仕事に忙しい。子どもになんてハッキリ言ってそんなに目が向いてないんですよね。子どもは子どもの世界で思いっきり遊び(←ここポイント!!!)、ふとしたときにあたたかく、全てを包み込んでくれる母親が「さりげなく」いるんですねえ。大きな存在だけれど、依存対象ではないというか。母の背中見せるだけで、子どもは尊敬するし、充足するんだな。
ところが、現代では、『ラモーナとおかあさん』もそうだけれど、とってもいいお母さんなんです。でも、子ども側はいつも不満で、「もっと分かってほしい!」「もっとこっちを見てほしい!」って・・・。我が家もそうですが、愛情注いでも注いでも、足りないって言われる

古典的な児童文学に出てくる素敵なお母さんの子どもとのやりとりは、下手な育児書読むよりよっぽど心にすーっと入ってきて、素直に(←ここもポイント)我が身を反省させられます

やっぱり児童文学は大人こそ読みたいなあ、と思う今日この頃なのでした
