皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

大いに悩む(LDに関して直面した世界)

2009-05-20 02:47:54 | 認知の歪み

ワタシはヒトに何かを教えることを生業の一部としていたりする。

旧文部省の定義では、
「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。」

(Wikipdia 学習障害 より引用)


定義に従えばワタシ自身が学習障害に該当するかも知れない(本人的には自覚できないんですよね。ヒトの指摘でそういえばというのは多々ありますが)。
ベテランさんから客観的に学習障害だろうと聞かされたあるヒト(そうかも知れないと推測されている方は、言葉使いに悪意とかは全く感じられず冷静に受け止められています)を教える立場に遭遇した時、

・ワタシ自身の困難がオーバーラップする部分と
・その方の困難さを感じずにはいられない部分と
・教える立場としての教え方の難しさと
・正解を導くためだけに異次元の思考を押しつけていいのだろうか

、という疑問や難問にぶち当たった。

その方は、事実として今の問題回答方法では正答に結びつかない。
じっくり話を聞いてみると、その方なりのやり方というものが出来ており、それを否定することはできない。
そういう考え方があるとしても、その考え方をしている限り同じところでひっかかるし、異なるやり方を一時的にマスターできても、数分後には元通りだったりする。
自分自身で組み込んだシステムは自己解除出来づらい。
それは生きてる時間が長ければ長いほどそうだろう、というのはワタシの浅い経験に基づいた考えであったりする。
初等教育で独自のシステムを編み出したとして、中等教育でも通用するかと言えばことのほかムズカシイと思う。中等教育が高等教育、専門教育となっていくにつれより困難となるかも知れない。
ただそれらの教育は人生の一部でしかないのも事実である。

ワタシは見た目上は、学問分野における“ふつう”に何とか底辺くらいで対応できていると自分自身錯覚する程度までの教育を受けさせて貰えた(今まで指導下さった方々に感謝です)。どれくらいが努力というのかは皆目見当は付かないが、学生時代は勉強だけの生活を送り続けて漸く、錯覚できる程度であったりする。
今の歳になっても学術分野の勉強をしている訳だが、周りの方々に言わせれば、トンチンカンなぶっ飛び思考の連続と、“ふつう”のヒト的学習方法は未だに出来ていないと思う。

そんな人間が、ヒトに物事を教えていいのだろうか?
試験の点数を上げるためや、受験や、資格取得のためという名目の元に、その方の可能性を削いでいるのではないか?、とも悩む。


ワタシの学生時代は、ワタシの考え方を大部分封印して独自の勉強方法を確立し、何とか教育制度の底辺ギリギリラインを保てたが、勉強に比重をおくあまり多くのモノを犠牲にしてきたと思う。

その方と対峙した時、ワタシが経験してきた困難と、その方の困難がある部分でダブり、またある部分では残念ながらワタシの能力不足で理解に苦しむ部分が多々ある。

教育制度というものは一定の教え方が存在し、私塾などでは親御さんが少しでも勉強が理解できるようになって、我が子の自己評価の向上を望まれたり、後々の苦労を軽減させてあげられるようにと心を砕いていらっしゃるのは痛切に感じるが、当人にとっては地球がひっくり返るくらいの思考の変換を要求されているのに等しいこともあるのではないかと思ったりする。経験上微妙なラインであったりする。

学校の勉学も、私塾の勉学も、社会人としての専門分野の勉学も、資格取得などの勉学も、ワタシの経験上人生において大変役立つことが多いと個人的には思っていたりする。
学校で習う勉強なんて、社会にでてみると役に立たない事ばかりだ、というようなことを仰る方もいるみたいですが、ワタシ個人は非常に有意義なことが多いと思っていたりする。


国語で学習したことは、ヒトと言葉を交わしたり、書物を読んだり、他分野の知識を身につける上で、非常に役立つ。単語の意味がわからないと、文章の意図は全く理解できないし、何をするにも理解力に欠ける。
古文や漢文から古の方々の考え方や生き様を知り、自分自身の人生に投影することもできる。

算数・数学で学習したことは、教育制度上暗記に近いので日常の計算以外には使い道がなさそうに見える節もあるが、工学・科学のベースとしては不可避であり、哲学や社会学、経済学など文系全般の分野の基礎となっていたりもする。

社会は歴史から学ぶヒト、文化、風習、芸術、民族などから得られる智恵が人間形成の規範例になったり、地理での日本や世界の情勢、社会というシステムを理解する手助けとなったり、倫理感や身近からグローバルに渡る政治・経済を知るきっかけにもなる。

理科は万物の法則や理論を実感し、世界で自分の周りで起こる小さな出来事から大きな出来事の成り立ちを具体的に納得できる判断材料になる。

外国語は異邦人の文化や考え方、風習やそのヒトのことを言語というコミュニケーション手段で獲得できるスキルとなる。


学校で習うことは、蜘蛛の糸のように多重連鎖して人間形成に大いに役立っていると思う。
ワタシが学校に限らず学んできたことは、ワタシの思考に選択に生き様に大いに影響を及ぼしてきただろう。それは今後も続いていくと思う。


では、学習障害(LD)であれば学習ができないかと言われれば、やっぱりそうではないと思いたい。教育制度上には乗っ取らなくても、別角度でビックリするような能力があったりすると思う。
テストでいい点数を取るとか、いい学校に入るとか、資格取得をするとかの日本社会的既成概念の上では、当人としてはもの凄く苦労をすると思う。
“ふつう”の型とは相容れない部分が多々あり、社会に適応するという観点からは“ふつう”に合わせる事を半ば強要されるのだから(それは当人にとっても生きやすくなる一つの方法でもあるのだが)。


ワタシは学習に困難があるかも知れないそのヒトとお話をさせてもらって、色んなことを考えずにはいられなかった。
当人の勉強に対する苦痛や混乱、劣等感などが如何ばかりか。
親の立場で、我が子の学習に対する困難を感じている方の生来への不安や心労は如何ばかりか。
教職に立つ先生の全児童に対する公平性と、特定の教え子への学校生活全般への配慮をどのようにしようかという思い悩み。
私塾で学力を向上させることを職務としている方々の、職務遂行義務と個人を思いやるジレンマ。


ワタシ自身がアスペルガー症候群と診断され、類似の傾向を持つ方と接してみて、自分自身の投影でもあり、接し方の難しさも少なからず感じ、心の奥底ではその独特の考え方を尊重できるように努力したいと思う反面、今現状の社会では受け入れられ難いという側面的事実をすこーしだけ見てきたことなどから、大変悩ましく思っています。


ただ一つ言えることは、ヒトはいいところをいっぱい持っている。
個人個人が特性を生かしてのびのびと生活できる環境の多様化が容認されるような社会に少しずつでもなっていければなあ、と。
非常にムズカシイが・・・
点数を採れないとテスト系の評価(自己・他者共に)が伴わなくなるのも事実。
評価なんてヒトの決める事じゃん。そんなの気にしなくていいよってのはやっぱり綺麗事になってしまう部分があると思う。
ワタシなんぞはへなちょこなので大いに凹んでしまって、いい年こいて引きずってる部分がかなりある。


ワタシ個人のことにしても同様で、ワタシの場合はワタシのことをキチッとしてはじめてヒトさまに何かを言っても差し支えが少なくなるんだろうなあ、とも思う。



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4 コメント

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一つのルールとして (はるぼん)
2009-05-20 19:00:12
基礎学習の面では、変な話ですが一つのルールとして、覚えてもらう。
と言う方法があると思います。
ただし、その人その人の考え方せっかく生み出した方法を否定しないやり方で・・・
LDについてはよくわかっていないのですが、見え方聴こえ方・・・自閉圏の人たちと同じような過敏さと想像すればいいでしょうか?(実際的にもっと大変だと思いますが)

基礎を越えた部分で花開いていく事も十分に考えられます。
エジソンの例がよくたとえられますが、一番してはいけないのが押し付け。
当人の心を解放した形で学びと言うものを楽しめれば・・と思います。
その微妙な部分を感じる事が出来るplutoさん。
どうか、ご自分の感性を役立てて、何かを教えて言って欲しいと思います。

「吉田友子先生」の言葉に、
私たちが教えているのは「正しいやり方」ではありません。「多数派のやり方」です
というものがあります。(療育に関してですが)
これだ。
と思っています。

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結構悩んでます (pluto)
2009-05-20 21:49:07
>はるぼんさん
こんばんは。
教育者という職に長年ついておられる方々はなるほど観察眼が鋭いなあ、と思わされます。
ワタシも自分の守備範囲内でしか語れないのですが“独特の方法で当人なりに結構頑張って考えている”と言う表現が適切なのだろうと思います。

自閉圏の方の比喩としてOSの違いという言葉を耳にすることがあるのですが、それに合わせると「wordで表計算のマクロを組んで計算している」様なイメージです。
ワタシはそのことはそれでいいと思います。
ただ残念ながら、お金をかけてしんどい思いをして勉強しても勉強する前と変わらないでは意味がないので、彼(とします)が納得できる範囲内で学校における「正解」数を増やす手伝いをしている感じでしょうか(我ながら力不足ですね)。

心を開いてくれるかどうかは、今後のワタシの努力次第です。
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自分を認めてくれる (はるぼん)
2009-05-21 20:20:39
自分のやり方をこの人は理解してくれた。
それだけで、たぶんたぶんたぶん・・・
いい気持ちになると思います。

心を開くのは時間はかかるけど・・・
あれ?この人自分のこと自分のやり方わかるの??
って言う気づきから始まっていくのではないかと・・・・


全然関係ないんですが・・・
グリムスが成長しないのが寂しいですね。
多分未来記事がトップにあるからだと思うのですが・・・
(すみません~~~いつも気になっちゃって~~リスさんがかわいいし♪)
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そうあってほしいです (pluto)
2009-05-23 00:11:30
>はるぼんさん
こんばんは。
愛着形成の独特さという当人的にかなり不利な要素があったりなんかして、他者視点からは挑発的、ヤマアラシのジレンマなどなど...(あああ、ワタシも少なからずあったなあ)
と、苦労するだろうなあというのを感じちゃいます。
接触する機会があれば、地道に、ゆっくりと聞いてみたいと思います。

グリムス、気になってました。
全然成長しないじゃん。これってワタシの事?
それともワタシの育て方、なーんて思ったり。

トップ記事ちと検討してみます。
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