生きるというのは全身で感じるということ。
身体で感じるということは、一部の感覚器官だけを使うわけではないということ。
特定の刺激が特定の感覚器官で処理されているというのは、それこそヒトの錯覚であったりする。
ヒトは全身を使って情報を収集する。
自分の身を持って体験した事柄というものが己の糧となる。
体感できない情報は、垂れ流しの情報にしかすぎない。
情報を選ぶことは大切なこと。
それを己の骨肉にすることも体感することのひとつ。
感覚の性能を生かす大きな要素は、嬉しい、楽しい、大好き。
ヒトは感情に大きく左右される。体調も大きな要素。
頭の中に描いた像は、空想であれ妄想であれ、そのヒトにとっての事実である。
描いた像が他人にとっては虚像であっても大きな問題ではない。
まずは恐怖の像を描かないこと。
ヒトが最も支配されやすいのは、恐怖感。
恐怖感が個体に溜め込まれると爆発する。
生物である限り、あたりまえのことである。
今の日本では幸いなことに、よっぽどのことがない限り絶望的恐怖を描く必要がない。
ヒトは快楽に片足突っこんでるくらいが調度良い。
楽しくて楽しくて仕方がないくだらないことは、そこいら中に転がっている。
見つけられるかどうかは自分自身の感度次第。
大切なのは体感すること。身をもって経験すること。
体感するには自分の身体を日々メンテナンスすること。
健康体が快楽を生み、体感性能を向上させる。
やっぱり健康体が一番いい!
体の調子の良い時と悪い時ではかなり自分が異なるな~と感じています。
(あたり前なんですけど、それをごまかして生きることに慣れすぎていたんですね~)
自然に体感したいです。
今はもうしっかり年をとって大人なんだと、自分に念を押してあげました。
恐い事には、自分で対処できる知恵も経験もあるんだと・・・
plutoさん、ありがとう~~~~~
こんばんは。
ごまかしてるところって、結構麻痺しちゃってたりするんですねー。
ワタシ、恥ずかしながらこの歳になって人様に体調管理してもらっていたり(恥
感じることって大切なんだよおぉぉ、
っていうのがこのブログのテーマのひとつだったりします。