皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

成長曲線

2009-05-28 11:39:13 | 檸檬語

生物の発達過程は多種多様である。
生きるために発達し、死ぬために発達する。

胎生の生物は母胎の中である程度までの成長を約束される。
外界に出でるトキに捕食のターゲットとされない程度に。
現代の霊長類ヒト科にはこの世界の扉を開いたトキ、遭遇する外敵は非常に少ない。
サバンナで産み落とされる多元種のようにすぐに立ち上がる事を要求されない環境を保証されている。それは一種の環境適応能力でもある。

一つの種でも持っているものは全て異なる。
身長しかり、体重しかり、臓器しかり、容姿しかり。
両親の性格、所得、家族構成、病院etc まちまちの条件下で扉を開く。
基本的に条件は不公平が大前提であったりする。
五体満足はヒト科的には四肢+頭部とされる面があるが、満足か不満足かを決定するのは自我の発達した自分自身の認知によるところが大きい。
ヒトは生まれ落ちた時、地上の他のどの生物よりも五体不満足な状態だったりする。

生物の発達速度や発達度合いは多種多様であり、発達の最終地点や発達目標などは実は存在しない。それは惑星や銀河の成り立ちとも共通する。
現時点で火星の大気は750Pa。大気組成の95%は二酸化炭素である。それは偶然とも必然ともいえる状態であり、地球と比較して不公平だと述べるものはいないだろう。

ヒトの成長もまた不公平で不平等なものである。
性別も違えば体格も違う。知的能力も違えば学力も違う。当然考え方や感じ方も異なる個体なのである。
個体のライフサイクルという短い周期に限ってみてもバラツキは観られる。

大前提はそうなのであるが、人間社会という土俵に立った時バラバラでもいいじゃないか、と短絡的には言えないことも事実である。
そのことを時代のせいや社会のせいにするのは本末転倒であったりもする。
ヒトはその時代の、その社会の、その場所の構成員でもあるわけだから。


話の通じない子を持つ親としては、やるせない気持ちにもなるだろう。
学校の勉強が出来なければ将来を憂うこともあるだろう。
トラブルが絶えなかったら育て方が間違ってたのではないかと自分を責める事もあるだろう。

一部の特例を除いて、親が悪いわけでも、当人が悪いわけでも、周囲が悪いわけでもないのが事実だと思う。
ヒトの親という立場に立った時、そのヒトそれぞれの考え方がそこにはあり、育て方の正解などは存在しない。あるとするならば、自分自身の経験上後になって振り返ることくらいである。
当人としても辿ってきた道程は、自分だけの道程であり他者と比較することはできないものである。

結局のところ自分自身の置かれている現状に対する満足度という主観的尺度が幸福感の指標になる。

生物の成長発達は個体毎に異なる。
自己の快適な環境を整備するために努力を要することはあたりまえのことでもある。
自己利益のみを追求していても、それは自己利益には繋がらない。
生物は共存し、補い合っている。

成長曲線に適さない生き方は、個体に過度の負荷をかける。
環境に適応することが生物が生きていく上での基本原則ではあるが、現在日本に住む多くのヒトにはありがたいことに環境を選択する権利が与えられている。
選択肢は無限大に存在する。
自我が形成されたヒトの選択は自己責任ではあるが、少なくとも選択する主体の意思は尊重される。


ヒトはヒトそれぞれ異なるということを本質的に理解できるようになると、他者も尊重できるようになる。
成長曲線は平面図では語れない。

ワタシ個人は自分を少数派とは思っていない。
少数派マニュアルを使用することは、多数派マニュアルを使用していることとあまり変わらない。
制度などは試行錯誤を繰り返して変化していくものなので、不満があるヒトは大いに不満を語り、いいと思う事は取り入れていけば良いと思う。
一つだけ気になるのは、「良いやり方」というものの押しつけである。

5年後、10年後には制度も概念も理論も教育用語も医学用語も、
ヒトの症例も、当事者の訴えも、変わっていると思う。
当然のことである。
ヒトは社会から影響を受けるものであるのだから。


ワタシ個人は、自分自身を観察する事が人生を謳歌することに繋がると思っている。



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おひさ~・・・ (異星人)
2009-05-28 18:08:43
ご無沙汰です。
今月初めに朝起きたら天井がぐるぐる・・・
おまけに嘔吐でダウン!連休も点滴に通い、11日に「突発性難聴」と診断を受けて今日に至りました。おかげさまで聴力は回復してまいりましたが、ふらつきが治まらず、今月はお休みをもらうことに・・・
車にもまだ乗れません。
昨日はハリ治療を受けてみました。
当たり前に歩けるのってありがたいことやと
しみじみ・・・
どっか体が不都合になるたび、体をあらためて
意識しますね

plutoさんの自己観察力、私も見習わねば・・・


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5年後10年後 (はるぼん)
2009-05-28 21:34:27
こんばんは。

自分を見つめ自分を知る事の大切さを身にしみて感じています。(観察と言う表現いいですね)

そうか~少数派としてのマニュアル・・・
これ気がつきませんでした。

少し先の未来・・・5年後10年後今とは確実に異なっているはず。
自分自身がそれにあわせて生きていく事は出来ないだろうけど、だからといってそれを苦にする必要も無い。
今にそれを移せば、今、必死にあわせていくことのデメリット(個々によって異なると思いますが)よりも、自分なりの成長をしていけばいいのですよね。

人生はいろいろあるし、すべてを予測して構えているわけにも行かないし・・・
体調もすぐにいろいろなものに影響されるし・・・
そんな自分をしっかり観察していきます。

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大丈夫ですか (pluto)
2009-05-29 00:28:27
>異星人さん
こんばんは。
目眩に嘔吐ですか。
聴力まで弱くなるとは相当お辛い状況ですね。
ワタシもちょっと前に目眩から嘔吐しちゃいまして、検査したら「メニエール症候群」とか「元々の事情(なんちゃらがおかしい)」と言われました。
針って利くんですね。
刺されると思うとビビッてしまいます。
お大事になさってください。
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自分なりの成長 (pluto)
2009-05-29 00:43:41
>はるぼんさん
こんばんは。
これビミョーなネタだと思ったのですが…
サンプルモデルみたいなものがあれば制度とか対応とかが格段にしやすくなることはわかるんですが、今はその段階から一歩進んでいるような印象を個人的に受けたりしてます。
とある成人当事者像が一人歩きするのは、「みんなちがってみんないい」とはかけ離れていっちゃうような。
合わせるの無理って言っちゃうと元も子もなくなりますけど、「らしさ」と「合わせるポイント」を掴めるようになりたいですね。
自分も楽、周りも楽。そうなれれば理想ですね。

相変わらずの堅苦しいワタシの世界にお付き合い頂きまして恐縮です。
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遅くに失礼・・・ (もけ)
2009-05-31 00:49:04
こんばんは!お久しぶりでっす。
Plutoさんが、カタカナと漢字を使い分けしている基準って何かあるのかな・・・なんてどうでも良いことが気になってしまいました。←って、しょっぱなから話ズレとるやん!

>満足か不満足かを決定するのは自我の発達した自分自身の認知によるところが大きい。
>ヒトは生まれ落ちた時、地上の他のどの生物よりも五体不満足な状態だったりする。

これ、私にはよく分からなかったんだけど、満足か不満足かを決めるのは、社会に用意された既成の基準によるのではないのかなぁ。
地上のどの生物より・・・というのも、人の主観な訳だけど、それも勝手に作られた基準だよね。
的外れな発言かもしれないけど・・・。
(ごめんなさい、読解力に自信がない・・・orz)

>結局のところ自分自身の置かれている現状に対する満足度という主観的尺度が幸福感の指標になる。

これは、同意だな~。
“幸福”という言葉は、色々と掘り下げられてまた面白いと思うけど。
ただ、幸福って一時的な感情と、理性によるものかとも思う。

>少数派マニュアルを使用することは、多数派マニュアルを使用していることとあまり変わらない。

少数派マニュアル、多数派マニュアルというものが、自分にはよく分からないな。
マニュアル・・・存在しているのか・・・、って、一体どんなものなのか・・・。
私は、周りから変わり者認定されると、自分はそういう点においては少数派なのかと思ってましたわ。
大きい視点で見ると、少数派、多数派、関係ないと思ってるけど。
どの立場で見るかによっても変わってくるし・・・。

あぁ、時間ないもんで、今日はこれしか読めなかったけど、また来ますわ~。
記事がいっぱいアップしてあって嬉しいな♪
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面白い (pluto)
2009-06-02 01:12:44
>もけさん
こんばんは。
そういう突っ込み入れてくれるあたりがとても好印象です。
カタカナと漢字は明確に意識してます。法則は一応あるのですが、ひ・み・つ

>満足か不満足かを決めるのは、社会に用意された既成の基準によるのではないのかなぁ
鋭いなあ、と思いました。
ワタシ人間社会における主体と対象の関係の他に、ヒトを物質とした際の世界のバランスってのをちょっと考えたりしてます。
地球上の全生物種の母子を均一の環境に一組ずつ揃えたトキ、霊長類ヒト科の生存率は非常に低いでしょう。個体サイクルでの環境適応能力に関してはヒトは極めて低い(社会適応ではなく自然界における環境適応)。
仮にワタシが突然無人島に住むことになったら、環境に適応する前に話し相手のなさにただ発狂すると思います。それほど脆いヒトは実は意識下における知性や道徳や感情に左右されやすいイキモノだということをなんとなくですが文章で纏めていこうと思ってます。

少数派マニュアルは、もけさんが大らかだから気にならない部分かもですが、特別支援教育とか子どもと接する機会が多いヒトは少なからず感じているんじゃないかなあ、と思ってます。
教育において支援級の子どもに接するにあたって、何も資料がないというのは指導者としては困ると思います。
ですが、“自閉症の子どもにはこういう接し方が正しいです”というのを鵜呑みにして専門機関で教育を受けてきたヒトがいざ子どもに接した時、それはある種危険な場合もあるということです。
もともと参考書や文献に書かれていることをどう受け止めるかも、各人によって異なりますし、ヒトは皆違う(残念ながらワタシも含めて自分の思考の範疇から抜け出ることは至難の業だと思ってます)という意味において、少数でも多数でもない。
もけさんが、ワタシの書いた文章の一部には同意だけど、他の部分はちょっと考え方が違うよなあ、っていうのが極々自然の状態だと思うんです。

長くなっちゃいました。
今まで通り思った事を好きなように書いて下さいね。
ワタシは嬉しいです。
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