皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

どうやら『社会的』には不安定なんですけど

2010-09-27 22:36:38 | かえるの泳ぎ方

久しぶりにちょっと書いてみようかな?、という気になってきた。

ワタシ、今現在、非正規雇用という形が社会的な体裁というか、身分というか、地位というか。
体調わりー、わりー、って言ってるこの時期に、またまた契約更改で期間が延びた。


喜ばしい、ととるか、感謝、ととるか、はたまたやべーな、ととるか、まあ次で終わりだよな、ととるか・・・・・・
どうとでも取れるし、なるようにしかならない、とも取れるし、これからの態度や技量次第だよな、とも取れる(今までが素晴らしく良かったとは到底言えないし、どちらかというとかなりなお荷物感はあるのだが、それはそれで毎日反省し、少しずつ自分自身の軌道を調整していく毎日)。


「社会的基盤が安定していない」、というのは心身ともに『不安定』になりうる大きな要因である、というのは事実だろう、と思う。それが全てではないのだけれど、それが全てに近いと錯覚しているうちは相当しんどい。

違う意味でもものすごーく錯覚したり、幻覚みたりしていがちなワタシなわけで、そりゃあもう、ワタシが触れ、匂い、聴き、感じ、表現していることは、めちゃくちゃズレてるよなー、と自分自身でもビンビン感じる。


『なにがどう』とかは、ワタシが体験して、ワタシが感じ、ワタシが考える範疇では、少しずつではあるが理解できるというか、腑に落ちるというか。
まあ、ワタシのショボイ脳みそちゃん的処理なわけで、たいしたことはないのだが、『ワタシはワタシであること』についてはそれでよいのだろう、と思う。

『他人は他人』、『ワタシはワタシ』。と言っちゃうとなんかこう、なんだよーこの自己中野郎がー、となっちゃうこともあるだろうが、それ自体が偏りの断片であり、個体として、全体として、時間の中で、空間の中で、色んなところでバランスを取る。

平衡感覚っていうんだろうか?

ワタシは基本的に超チキンちゃんなんで、外的素因によって大きく振り子が揺れる。
影響されやすい、ってヤツですかね。
そういう弱っちい自分を知っているからこそ、外的素因を遮断しようと強がったり、自分の主張を一方的に通したり、ごり押ししたり。
今でも相当そういう感じだし、我ながら恥ずかしい訳なのだが、もうちょっと若かりし頃は、そりゃーもう『サイテーなヤツ』だったと思う。

あ、今でも『サイテーなヤツ』と思ってるヒトもいっぱいいるだろうし、ワタシ自身も、ワタシを主観的にみて、『ほんまあかんヤツやなー』と思う。

一言で片づけてしまうと『人間として未熟』なんだろうな、と思うんだけど、そういうことは毎日ジミーに修正していこう(矯正はちょっとご遠慮)。ちょっとずつなんですけど、ほんと。


なんか、何が言いたいのか、相変わらずまとまりがない文章になりまくってるのだが、『ヒトは一人として同一の感覚や、思考や、認知や、判断や、表現はしないものだ』という、ワタシ自身の大前提は、それはそれでアリだよな、と思っていることが自分にとって重要なような気がしている。

ヒトはヒトと連鎖して社会を形成しているのだろうが、衝突したり、摩擦したり、部分的に折れたり、しゃあねえなと思ったり、部分的に共有したり、ここが素晴らしいと認めたり、そういう考えもいいなと思ったり。

『折り合いをつける』というのだろうか?
確かにいろんな刺激に影響される。影響されて揺れ動く。
そのとき、ワタシの土台も揺れるだろうし、そういうので不安とか、恐怖とかという絵を描くこともあるだろう。

ただ、ワタシという振り子は、外的素因に影響されてそのまま流されていくのではなく、波が去ると、ワタシの重心で安定する。


影響されて、流されて、ワタシの中でグワングワンと錘が揺れ動いたとしても、少し長い時間で考えると、ワタシの重心に戻ると言うこと。
それは正確には過去と同一地点に戻っていると言うことではなく、じわりじわりと変化していくもの。重心は常に変化している。
ワタシ自身が工夫して変化した一種の環境適応なのだろう。

屋久島なんかで残っている太古の杉とかってのは、そりゃーすんごい形相してる。
色々あって、今そういう姿であり、そういう姿であるから『材木』としての利用価値の範疇を外れ、今現在地に根を張っている。

そういうのもあり。


揺れなさすぎるのでは成長しないし、適度に揺れて着地しよう。

根を張って、根に持たない。
影響されるけど、流されないで、水に流す。

・・・・・かな(苦笑



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おかえりなさい。 (ぴーまん)
2010-09-28 00:26:02
>根を張って、根に持たない。
影響されるけど、流されないで、水に流す。

これ、オモシロいです!
明日、息子に教えてみます♪

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よかった。 (はるぼん)
2010-09-30 10:43:35
振り子状態があっていいんだと思うのです。
生きていると、ゆれているほうが自然。
ふわふわ泳ぐように生きる。もいいなあ~
多分、感覚的なものが違うので、ほかの方に(多くの)通じない所はあるけれど、それでも感謝していますよ~って気持ちがあれば、大丈夫だと思うのです。

ゆれに逆らったりすると、やっぱり体を痛めます。なんと言うかゆっくりゆれていれば、それがバランスの取れたいい状態になるんじゃないかなあと。。。

今激しく揺れすぎていて、ついていっていない状態の私が言うのも何なのですが・・・^^

なんとかなるんですよ。きっと。

よかった。plutoさんの文章が読めて。
幸せだなあ。
コメントなかなか書けなくて、あれこれ考えずに思いついたまま書いてみました。
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Unknown (pluto)
2010-10-02 11:38:19
>ぴーまんさん
こんにちは。
自分自身が、『どうしたいか』とか、『どう生きるか』とかにかかっているような気がしています。

うまくは言えないですけど(苦笑

ぴーまんさんはじめ、ご家族が歩まれる道を、応援しています。
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Unknown (pluto)
2010-10-02 11:50:22
>はるぼんさん
こんにちは。
自分の肉体ってのは、正直ですよね。その波長を超えて、『我慢』とか『忍耐』し続ける、というのは、周囲への波及効果込みで、得るモノは少ないかな?、と。

今、対応可能な変化は大いに取り入れる。
残念ながら、自分の狭小(ワタシ)なキャパを大幅に超えるようなら、流す。
でもいいかなぁ、と。

きっと大丈夫ですよ。
はるぼんさんは、はるぼんさんで。
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