皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

自分の生きる場所、において使い分ける

2010-11-12 14:29:41 | 認知の歪み

ワタシ、いままで『医学的な診断名』としては色んなモノがついてきた。

セーシンカ関係でついたモノ、そうでないモノ(一般的、と呼ばれる範疇では「どえらい苦労してるね」と言われかねないモノもついてるけど、それを含めて生きてます)。それ自体に意味合いを持たせるとしたら、今生きていく上でどうしていくかを考える『パーツの一つ』だと思う。

人生は意外と長い。というか、長いかも知れないし、短いかも知れない。
将来のことなんてよく分かんない。では済まないが、今生きることを積み重ねることによって、将来というものが生まれる。

では、今どうするか、ということを考えるための『診断』であっていいのではないだろうかなあ? 
自閉症とか、アスペルガー症候群とか、ASDとか、ASとか、広汎性発達障害とか、高機能自閉症とか。
はっきりいって専門外のワタシには『まるでわかっていない』。

ただ、自分が今生きていく上で、自分を知ることの『きっかけ』になったことは確かだろうなあ。
そして、そういった枠を外してみて、ヒト様がどの様に生きているのかを、自分なりに考える。
自分にとって『得るモノが大きい』こと、『おお、なるほどと思える』ことは積極的に『自己流にアレンジして採用』する、ということが、生きているということのような気がしている。

そう言う意味では、『医学的な診断名』というモノに対しては、それほど依存していないというか、ソレによって枠を設けてしまうこと自体が、ワタシにとってはヒジョーに窮屈だったりするのが実情かもしれない。


じゃあ必要ないか、と言えば、そういう極端なことではない、と思う。
診断書なるものが出て、手帳なるものを所持し、年金なるものを取得し、自立支援なるもので医療費減免の措置を受ける、障害者枠なるもので働く。

そういうことは、現状の制度上で制定されているもので、『自分が生きていく上で使ったほうがよい』と思うものは、使えばいい、と思う。
それぞれを使うヒト、使わないヒト、諸々ある上で、今後改正していく必要性が見られるならば、見直す運動をすることもありだろうと思う。

それにはまず、そういうものを使って(使わなくて)どう、というサンプルが必要になる。
個人としては、生きていく上で必要な制度は使用する。その結果として不十分だ、と思うなら何がどう不十分であるかを考える。
そういうヒトが集まって、色々と検討して、変わっていくのだろう。

必要ない、と判断したヒトにとって、自分が必要ないから他人にも必要ない、とは言えないと思う。
要は、自分にとって『必要ない』と判断しただけであって、必要なヒトには必要であるということ。


現状の制度では、たぶん『発達障害者』としてのみ、何らかの社会的支援なりを享受することはムズカシイだろう。
まず、「主たる病名」というのは二次障害と呼ばれるものが記載される。
そのほうが通りやすい、という情勢もある。
その二次障害と呼ばれるモノは、確かに『社会生活』を営んでいく上では、もの凄く高い壁である。
なってみればある程度わかると思うけど、ほんとうに生活することが困難になる。

その上で、改善することを前提の上で、『有期の障害者』として認定されるのが現行制度。
ワタシ個人の感覚としては、たぶんよくなるとか悪くなるとかというものではなく、そういうことを踏まえた上で付き合って生きていく、ということになるのだろうと思っている。


ワタシは、自分が生きていく(家族が生きていく)上で、使えると判断できるモノは使えばいいと思う。
その選択に、正しいとか、正しくない、とかはなく、自分自身(家族)の生きる日常に組み込めばいいだけだろう。

他人の選択に対して、どうこういう必要はない。

そういうことの積み重ねが、その後を生きていくヒトへのヒントとなったり、制度というものの変更に繋がったりするのだろう。

みんなさあ、生きている今、笑ってたいじゃない。
それに向けて力を使いたいなあ、ワタシ。

(おっと、リアルで修羅場な上に、お受験控えてるので、ちょっと過集中モードに突入しないと)



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4 コメント

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Unknown (ぴーまん)
2010-11-12 15:50:26
>必要なヒトには必要であるということ
>みんなさあ、生きている今、笑ってたいじゃない。
それに向けて力を使いたいなあ、ワタシ。

うんうん、と、ただただ頷いています。



あ”!うちも受験だった( ̄▽ ̄;と、
活字を見て思い出しました。(汗汗)

plutoさんも受験ですか?
その過程を思う存分楽しめるといいですね♪
返信する
Unknown (pluto)
2010-11-16 20:12:11
>ぴーまんさん
こんばんは。
ありがとうございます。

お子さんお受験でしたね。
ワタシのは、好きなことをもっと知りたいなあ、ってお受験なのですが、1つ目は準備不足でした(苦笑

いつまでも、楽しんで学びたいなあ(苦悩もあるんですけどね)と、思います。
返信する
Unknown (はるぼん)
2010-11-17 10:56:54
ご無沙汰しております^^
お元気そうで何より。

いつものように突飛な事(記事に関係ない事)書いちゃいますが、脳も体も点滅ランプがピカピカいっている状態で、何かをしなければならないというのはやっぱりカンベンだなあ~

いつも思うこと。
一番初めに感じた何かを理屈から他者からの評価などで変化させるとろくな事にならない。
案外直感第一印象って、大字にしたほうが良いような、私に置いては確率が高すぎる。

感覚のアンテナ(鬼太郎の妖怪アンテナのような)は大事にしようと!
何かあるたびに心に刻むのだけど、それをすぐに忘れてしまう癖がある自分が悲しい。

自分や自分の大切なものを守る。
それにたとえ線を引いても(あくまでも能動的に引いた線)などと思う今日この頃な私なのであります^^

余力が少し出るくらい元気になりたいなあ~
きっとあと少しでなれるような気がしています。(来年の今ごろを予定^^気が長いのが私の特徴。人生100までコースですから)

plutoさんも何となくでいいからお元気でいてね。
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Unknown (pluto)
2010-11-20 22:23:55
>はるぼんさん
こんばんは。

カラータイマーは青色ですか?
直感って、ワタシも結構重要だと思います。
感じることも経験の蓄積で、余計な器官を通さない素の入力感覚ってのは正直だよなあ、と思ったり。

また自分の感受性の範疇でしか動けないのがヒトなのかなあ、とも思ったり。

ワタシがそうなんですが、『守り』が弱いなあ。傍目で見ていてのイメージですが、このカテゴリに属しているヒトは、総じて『守り』に脆さというか、危うさというか、を感じたりします(守りたいが故の・・・とか)。

余力持てるようになるといいですね。
これから、空気がパーんと張った気持ちいい季節になりますし。

ぼちぼちいけるといいですね。
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