どうも、桜が散る頃には燃え尽きていそうな今日この頃。
ちょっと書いておこう、と思ったので記載。
自分の感覚とか、感情とか、は大切なモノだと思う。
それらを直接的に表現するコトによる、対人関係への影響力、という、二次的産物に気を取られがちではあるが、自分自身が直接的に情報を入力し、装飾を施すなどがない反応と言うモノは、基本的に自己の内部で生み出された一次的産物であり、それ自体に大きな価値があると思う。
例えば、ワタシの書いた文章を読んで、「ムカつく」、と感じれば、その文章の何かが当人にとって大きなモンダイであり、自分自身の内面を写す鏡の役割になったりする。
面白い、と思えばそういう要素に反応するモノを持っているし、不安だ、と思えば、そういう要素を『自分自身が』持っている訳で、それに対する反応は、二次的なモノである。
何が言いたいか、と言うと、自分自身の『素の感覚を大切にする』というコトだったりする。
社会というシステム上、ヒト対ヒトである限り、ヒトは押したり引いたり、合わせたり、抑えたり、押し殺したり『も』する。
しても良いし、むしろスルコトこそが『アタリマエ』である、という前提条件で、『過剰』でも『欠損』でもない状態を維持するコトこそが、単純な話、『生活している』と言うコトのような気がする。
まあ、リアルのワタシはかなりなダメだしをされている訳だが、その一方でダメだしされるほど、気にされていたりする。
そういう二次的なコトを考えるのも、意義のあるコトだが、その時々に感じる『生情報』は、自分自身にとって、結構重要である。
ワタシなんぞは、正直に直属の上司が『苦手』である。何がどう苦手か、少しずつ理解しはじめている。
それと、『相手との関係性』は別個のモンダイだと思っている。
ワタシ自身が、24時間、365日付き合うのは、ワタシ自身だけである。
そのワタシ自身の感覚を超えるほど、自分にとって重要だ、と言い切れる要素などそうそう無い。
無い訳ではなく、『そうそうない』。
表現するにしろ、しないにしろ、感じたコト、というのは大切である。
そういうモノを溜め込んだり、シカトしたりしているコトが、自分自身をカラカラ空回りさせる大きな要素である。
ちょっと書いておこう、と思ったので記載。
自分の感覚とか、感情とか、は大切なモノだと思う。
それらを直接的に表現するコトによる、対人関係への影響力、という、二次的産物に気を取られがちではあるが、自分自身が直接的に情報を入力し、装飾を施すなどがない反応と言うモノは、基本的に自己の内部で生み出された一次的産物であり、それ自体に大きな価値があると思う。
例えば、ワタシの書いた文章を読んで、「ムカつく」、と感じれば、その文章の何かが当人にとって大きなモンダイであり、自分自身の内面を写す鏡の役割になったりする。
面白い、と思えばそういう要素に反応するモノを持っているし、不安だ、と思えば、そういう要素を『自分自身が』持っている訳で、それに対する反応は、二次的なモノである。
何が言いたいか、と言うと、自分自身の『素の感覚を大切にする』というコトだったりする。
社会というシステム上、ヒト対ヒトである限り、ヒトは押したり引いたり、合わせたり、抑えたり、押し殺したり『も』する。
しても良いし、むしろスルコトこそが『アタリマエ』である、という前提条件で、『過剰』でも『欠損』でもない状態を維持するコトこそが、単純な話、『生活している』と言うコトのような気がする。
まあ、リアルのワタシはかなりなダメだしをされている訳だが、その一方でダメだしされるほど、気にされていたりする。
そういう二次的なコトを考えるのも、意義のあるコトだが、その時々に感じる『生情報』は、自分自身にとって、結構重要である。
ワタシなんぞは、正直に直属の上司が『苦手』である。何がどう苦手か、少しずつ理解しはじめている。
それと、『相手との関係性』は別個のモンダイだと思っている。
ワタシ自身が、24時間、365日付き合うのは、ワタシ自身だけである。
そのワタシ自身の感覚を超えるほど、自分にとって重要だ、と言い切れる要素などそうそう無い。
無い訳ではなく、『そうそうない』。
表現するにしろ、しないにしろ、感じたコト、というのは大切である。
そういうモノを溜め込んだり、シカトしたりしているコトが、自分自身をカラカラ空回りさせる大きな要素である。
こんばんは。
強烈ですかあ、おおお、ある意味すみません。
文章が好きと言って下さるのは、やっぱり嬉しいですね。
『時には必要』これはそうかもですねー。
重心をどこに持っていくかで、変化してもよいものなのかなー、と思います。
『過ぎる』がモンダイなわけで、と個人的には気をつけてたり。
気を揉ませちゃってすみませんでした。
自分の周波数を維持できるようになったら、心地いい音階を奏でたいなー、と思ってます。
こんばんは。
よーく考えたら、読んでる本が似てるんですよね。
ワタシ、手元に置いてる好きな著者の一人はE・キューブラー・ロスですし、怒りのダンスも大変参考になりました。
何がくるって空回りだよー(色んな意味で)、と。これは蝕むよな。
今、ホセ戦中の矢吹ですけど、気をつけます。
倒れないように、祈っています~
私はplutoさんの文章がとてつもなく好きで(困ったもんですね^^)愛読書?なので、色々強烈ではありますよね。
でもむかつくとかは感じないので、不思議なもんです。
溜め込んだり、シカトしたり、脳内変換したり・・・は、時には必要なことだと、私は思うんですよね。
自分自身の体調・心の管理を重視するならば・・・
空回りもその時に必要な要素の一つのなるんじゃないかな?
気になっていたので、お忙しい中記事書いてくださってとってもうれしいです。
ほんとに、サクラと一緒に燃え尽きないで下さいね~~
欠損してしまったり、も、しますが、
空回りが一番辛いなぁ、と、か、思います。
燃え尽きても、
新しい息吹が吹き込まれますように☆