皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

リアクションにアクション

2009-11-05 23:18:12 | 認知の歪み

アクションに対してリアクションがある。

リアクションに対してまたリアクションがあるのだが、リアクションにリアクションすることを考えたところで、グルグル回るだけだったりする。

ワタシの場合のあまりお肌によくない連鎖は、なんのことはないワタシ自身のグルグルだったりする。
ヒトさまにもそれなりの要素はあるのだろうが、それこそ十人十色で、ワタシの持っているリアクション札では、まあそれなりにはいかないことのほうが多い。

なによりリアクションにリアクションなんてできうるスペックがないのだから、必死になってやろうとすると泥沼にハマる。
はまった泥沼は実は自重で沈んでいるだけだったりする。

こう書くと、努力とかはしなくていいんだ、ともとれなくもないが、するに越したことはなかったりする。ただ、自分が楽になるための努力を心がけると、なんだか世界が変わってくるような気がする。

思うことは捉え様。ワタシ自身が辛いと思えば辛いし、楽しいと思えば楽しい。

抑制というのは、やっぱり酸欠になったりする。
酸欠しているヒトの周りの空気は、やっぱり酸欠していたりする。

リアクションに対するリアクションに思い煩うことは、泥沼でもがいていることに近い。
ものすごーくエネルギーを消費してしまう。

リアクションに対して憂うことは、あまり得策ではないな、とこの歳になってつくづく思う。
リアクションはヒトさまの自由。それぞれの感じ方や考え方によって反応するのは実に自然な状態で、ヒト様の領域。

ということで、リアクションは丸投げでいいような気がする。
チキンちゃんのワタシ的には、不安というとても恐ろしい世界が先にあるから、不安は回避したい。

なら安心できる方法を編み出せばいいじゃあないの。
まずは、生きる上での様々な面で「楽を心がけること」。自分にとっての。

「楽」な状態というのが、これかなりズレてたりするのが難点だったりしたわけだが、ワタシとして「楽」な選択は、少なくともワタシの周囲の酸素濃度を18.2%に近づける大きな一歩だと感じる。
過剰も不足もやっぱりしんどい。
適度にも個体差があるのなら、ワタシは他人様の適度の存在をただ認めること。
それは合わせることではなく、合うモノは合うし、合わないモノは合わない。
それでいいと思う。

ワタシはそろそろ、リアクションにアクションしようと思う。

ワタシはワタシ。あなたはあなた。
変えていくことも素晴らしいが、変わらず持っておくのもきっと大切。



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