皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

ヒト対ヒト

2009-09-29 00:33:25 | 檸檬語
ヒトが何かの行為をするということは、どこかの誰かと接点を持つということ。
ある大先生のお話をお聞きして、今更ながらびっくりしたのだが、ヒトが行為の選択をする際、選択に影響を与える要素の殆どは、自己利益と道徳的判断で説明づけられるらしい。
自分にとって損か得か、という概念、ワタシの中には希薄だったりする。まあ、世間知らずとか、甘ちゃんとか、自分の人生設計をきちんと考えられないお子ちゃま、とか言われる部分で、確かにぐうの音も出ない(お恥ずかしい限り。

古臭いとか、ずれてんじゃないのとか、方々からご指摘頂くが、ワタシの骨格を形成しているのは、義理・人情とか、判官贔屓とか、口にしたことには責任を持つとか、普段は口数少なく淡々と日々を送るとか、古臭くて今の社会では通用しないよー、てか頭堅すぎて臨機応変には程遠いよねー、とおっしゃるとおりと言うしかないかなあという状況が多々あったりする。
ご指摘はもっともなことで、今の社会システムの中では何かとヒト様にご苦労をおかけしながら生かして貰ってる訳だが、ワタシの超妄想的思想の中では、日本人って大事な事を捨て去っていってるんじぁあないかい?と思っていたりする。

ならまずあなたがきちんとしろよ、と方々から浴びせられそうだし、全くもってそのとおりなので、意気がって言えることではないが、先の大先生の御発言の利害関係が突っ走った世の中ってしんどくないかえ?、って勝手に思ったりなんかする。

話は飛躍して、其所を得るっていう考え方が個人的には居心地がいいだけかもしれないけどしっくりくる。違う言葉では中庸とか。

宮沢賢治氏は尊敬する方で、ある意味ワタシの考える理想像だなあ。

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