ここ一年くらい、特定の、仕事で絡む、極々小数のヒトとの絡みに専念してきた。
残念ながら、素晴らしく『息』が合わない。
そりゃあもう、びっくりするくらい合わなくて、笑ってしまう。
この『息の合わなさ』っていうのは、社会生活において結構死活モンダイで、狭い社内でチグハグしている上司と部下という設定は、お互いしんどい。
何が合わないのか、を吟味すると、『目的』、『視点』、『下準備方法』、『やり方』etc...
ものの見事にズレていたりする。
これ、どっちがどう、と言う前にズレていることをお互いが承認できると、それなりに修正していけたりする訳で、『寛容さ』を持ち合わせているヒト通しだと、結構楽しい。
今の世の中、何かと『効率主義』だの『成果主義』だのと言われて、゛メンドクセー相手にも合わせる゛って言うのが省略されがちではないのかな?
と、個人的に思う。
これに関しては、ガッコと言う舞台からすでに存在して、メンドクセーと思われると村八分もある。
ヒトが村八分にならない方法を自分なりに模索するコトも、一つの学びなのだろう。
まあ、ワタシの様に、初期に村八分を経験した者は、村の中での経験値も頗る低い訳で、隣村でも村八分になったりする。
おいおい、悪循環やん。
て思ってしまうが、『自分自身の非に気付く』というのは、大きな収穫だと思う。自分を変化させる準備が進むわけだから、結構大きな前進なわけで。
脇道それちったので、軌道修正すると、学校生活でも、社会生活でも、家庭生活でも、ワタシは『上下関係』と呼ばれるモノを学んでいるほうがいい、と思う。
ワタシはワタシの経験してきたコトしか知らないが、そういうものは言われなくても要求されるモノであり、自分の呼吸を助けるモノでもある。
職場なんて、言ってしまえば特定の力を握っているヒトの、やり方や考え方、感じ方に合わせることで成り立っている面が大きく、おい、浮いてるだろ、てヒトはそりゃあ浮く。
なんていうんだろうか、自分を殺すことなく、『その場に調和する能力』っていうのは、やっぱり持っていたい。
ワタシは社会では、ぺーぺーなので、あるいみヒトが気持ち良く職場生活を営めるように、自分の立場、相手の立場、相手の感情を鑑みて、自分の行動に反映することも、仕事の一部である。
ていうか、生活の一部であり、そういうことを居酒屋風に「喜んで」できればいいのだが、かなり意識しないとできない、というのが実状だろう。
ま、ま、それだけで成り立っているわけではないだろうが、ワタシの様なタイプは、そういうところを意識しているくらいが調度いい。
さて、そんなこんなのやり取りに置いて、自分がイラッときたり、カチンときたり、それ以前に噴火したりするのはヨロシクナイ。
なってしまうモノは仕方ないし、溜め込まないことだが、変換する回路を持つことは大事だと思う。
ある意味、考えないに越したことはない、というか、都合のいいほうに解釈すればいい、というか、単純な回路でありたいなぁ、と思う。
基本的にズレている、と言うことに、お互い他意はない。
なら自分が一歩踏み出せば、相手との距離は一歩分は近づいてるやん、と言うことで。
自分の態度とか姿勢とか、そういうものは自分に帰ってくる。
まあ、考えないことだな
【2010.04.28 21:50 追記】
あ、タイトルからはずれた。そうそう、他者に意図があるとして『自分の体調のいいほうに都合良く解釈しちゃう』でいいな。
今日はそんなおちです。
残念ながら、素晴らしく『息』が合わない。
そりゃあもう、びっくりするくらい合わなくて、笑ってしまう。
この『息の合わなさ』っていうのは、社会生活において結構死活モンダイで、狭い社内でチグハグしている上司と部下という設定は、お互いしんどい。
何が合わないのか、を吟味すると、『目的』、『視点』、『下準備方法』、『やり方』etc...
ものの見事にズレていたりする。
これ、どっちがどう、と言う前にズレていることをお互いが承認できると、それなりに修正していけたりする訳で、『寛容さ』を持ち合わせているヒト通しだと、結構楽しい。
今の世の中、何かと『効率主義』だの『成果主義』だのと言われて、゛メンドクセー相手にも合わせる゛って言うのが省略されがちではないのかな?
と、個人的に思う。
これに関しては、ガッコと言う舞台からすでに存在して、メンドクセーと思われると村八分もある。
ヒトが村八分にならない方法を自分なりに模索するコトも、一つの学びなのだろう。
まあ、ワタシの様に、初期に村八分を経験した者は、村の中での経験値も頗る低い訳で、隣村でも村八分になったりする。
おいおい、悪循環やん。
て思ってしまうが、『自分自身の非に気付く』というのは、大きな収穫だと思う。自分を変化させる準備が進むわけだから、結構大きな前進なわけで。
脇道それちったので、軌道修正すると、学校生活でも、社会生活でも、家庭生活でも、ワタシは『上下関係』と呼ばれるモノを学んでいるほうがいい、と思う。
ワタシはワタシの経験してきたコトしか知らないが、そういうものは言われなくても要求されるモノであり、自分の呼吸を助けるモノでもある。
職場なんて、言ってしまえば特定の力を握っているヒトの、やり方や考え方、感じ方に合わせることで成り立っている面が大きく、おい、浮いてるだろ、てヒトはそりゃあ浮く。
なんていうんだろうか、自分を殺すことなく、『その場に調和する能力』っていうのは、やっぱり持っていたい。
ワタシは社会では、ぺーぺーなので、あるいみヒトが気持ち良く職場生活を営めるように、自分の立場、相手の立場、相手の感情を鑑みて、自分の行動に反映することも、仕事の一部である。
ていうか、生活の一部であり、そういうことを居酒屋風に「喜んで」できればいいのだが、かなり意識しないとできない、というのが実状だろう。
ま、ま、それだけで成り立っているわけではないだろうが、ワタシの様なタイプは、そういうところを意識しているくらいが調度いい。
さて、そんなこんなのやり取りに置いて、自分がイラッときたり、カチンときたり、それ以前に噴火したりするのはヨロシクナイ。
なってしまうモノは仕方ないし、溜め込まないことだが、変換する回路を持つことは大事だと思う。
ある意味、考えないに越したことはない、というか、都合のいいほうに解釈すればいい、というか、単純な回路でありたいなぁ、と思う。
基本的にズレている、と言うことに、お互い他意はない。
なら自分が一歩踏み出せば、相手との距離は一歩分は近づいてるやん、と言うことで。
自分の態度とか姿勢とか、そういうものは自分に帰ってくる。
まあ、考えないことだな
【2010.04.28 21:50 追記】
あ、タイトルからはずれた。そうそう、他者に意図があるとして『自分の体調のいいほうに都合良く解釈しちゃう』でいいな。
今日はそんなおちです。
こんばんは。
処世術とか書いちゃうとなんか感じが違うし、『かえるの泳ぎ方』くらいがいいかなー、と。
着色料駄菓子級、甘み成分:ワタシ的人生の甘さ、ってことろで(苦笑
「自分の体調に応じた解釈」
おおー、そっちのほうがいいですね。採用したい。
かえるの泳ぎ方。またまたいいネーミングでうれしいです^^
記事も楽しいし素直にするりと読めちゃう!
plutoさんの文章って、美味しいお水みたいな感じだったけど、「カエルの泳ぎ方」はちょっぴりお砂糖の味がして、これまたいい感じです☆
「都合のいい解釈」じゃなくて「自分の体調に応じた解釈・・・・」ではダメかしら?