ワタシの場合キャパが小さいので、入力する情報量が多いとすぐにテンパる。
ワタシという個体内においても、同一の情報に接したその時々の自己の状態によって、受け取り方が大幅に異なったりする。
解釈というのは、主観にかなり左右される産物で、ヒトが接して来た経験や知識という物質に、その時の環境や感情、体調などの触媒を使用して化学反応して出来上がる化合物みたいなものである。
自分自身の状態が、その情報を受け入 . . . 本文を読む
ヒジョーにムズカシイテーマなのですが、ヒトは結構無理が利かない。自分自身の許容範囲というものを把握していると、これは様々な対応というものを自分なりに編み出したりできたりする。もちろん、どこぞの本に載ってるとか、誰かが言ってることとかも、参考になり、“自分なりに”活用できれば有用ではあるが、身に付いて初めて使い物になったりする。基本的にヒトの学習機能の原点は真似ることであるような気がするのだが、知ら . . . 本文を読む
ワタシが何かを表現しようとする時、キリキリと締め付けるような境目が存在する。
それは、ワタシという個体の中にも存在するし、社会システムの中にも蔓延している。
ワタシ自身を縛るものは、言葉にすると「道徳」や「倫理」というものに限りなく近いような気がする。
この道徳や倫理というものは、とても曖昧な存在であり、一過性の価値観だったりする。
極端な話、立場が代わればひっくり返ったりなんかする。
だから重要 . . . 本文を読む
ワタシは色んな所で色んな診断やら何やらを受けていたりする。
その度にとある深みにハマるのだが、そろそろそういった息苦しい修飾語の束縛から逃れようと思う。
ワタシは産まれた時からワタシだったが、ワタシというのは一つの概念であり、ワタシがワタシを語ることも、ヒト様がワタシを語ることも、概念の範疇から逃れられない訳で、ワタシを表現しきれていない。
ブログというツールを使ってワタシという個体を表現しよう . . . 本文を読む
社会というのは何かとアバウトである。
職業人をしていると、どうしても陥る穴みたいなモノがあったりする。
極々特殊なゲイジュツカなど、自己の才能が突き抜けたようなヒトを除いて、だいたい職業というのは誰かを満足させるものだったりする。
この”誰”って意外とアバウトだったりする。
焦点の合わせ方で、まるで異なる結果となる。
簡単な話、客商売だとして、顧客満足度を優先するか、会社利益を優先するか、部署 . . . 本文を読む
ほぼ対極に位置していそうな言葉だが、この二つ、意外と最近の世間様を渡っていく際の鍵になるわ、何だかんだ結ばれていたりなんかする言葉のような気がしている。
ワタシ、こんな辺境ブログでボソボソと呟いていたりするが、単純な話、コメントを付けてくれるヒトがいたり、コソッとボタンをクリックしてくれるヒトがいてくれたりするのはやっぱかなり嬉しい。
自分自身が嬉しいことと、他人様が嬉しいだろうことは、結構な . . . 本文を読む
ワタシは“約束”というモノには結構シビアにこだわる。特に自分が口にしたことを曲げることはまずありえないし、とんでもない状態でも起こらない限り“約束”を果たすことはアタリマエだと思っていたりする。
約束を反故にする、なんてのはワタシの性分が許さなかったりする。このことはいい面もあれば、ちょっと不具合な面もあったりする。
「明日○時に来ます。」と言ってしまうと、新型インフルエンザに罹患しようがその . . . 本文を読む
最近結構やつれている。もしかしたら結構どころではない。どっちかっていうと、楽をしたいし、力抜きたい。
でもなぜかそれができなくて、身を削ることがある。胃がキリキリしたり、意識もうろうとするのは、やっぱりしんどい。できれば回避したい。というかバックレたい。
ヒトを観察していると、さらりと右から左に受け流しているヒトもいる。そういうのになるべく遭遇しないように、防御線を張ってるヒトもいる。色んなや . . . 本文を読む
アクションに対してリアクションがある。
リアクションに対してまたリアクションがあるのだが、リアクションにリアクションすることを考えたところで、グルグル回るだけだったりする。
ワタシの場合のあまりお肌によくない連鎖は、なんのことはないワタシ自身のグルグルだったりする。ヒトさまにもそれなりの要素はあるのだろうが、それこそ十人十色で、ワタシの持っているリアクション札では、まあそれなりにはいかないこと . . . 本文を読む
形あるモノはいつかは朽ち果てる。
真っ白の世界は時間軸の狭間で真っ黒な世界にすり替わる。
霊長類ヒト科の個体の一生という非常に短いサイクルで考えた時、意識の中で変化は感じなくても、万物には無に戻るポイントが存在する。
今現在、世界を構成する全てのモノが、絶えず変化している。1/24(コマ/sec)のアニメーションの世界ではなく、現実は連続するナマモノである。
どんなに絶対的だと思えるモノで . . . 本文を読む
ここ最近めまぐるしく自分をとりまく環境が変化している。これはワタシ自身の力などおよびもしないところでの出来事もそうなのだが、ワタシ自身に内在する何かが一時期より急速に変容しようとしているのだと思う。ワタシはワタシの身の回りにある出来事に感情を揺さぶられ、思考し、日々過ごしている。ワタシを取り巻く世界は、実際には殆ど変わりのない世界なのだろう。
意識が切り取る世界は、ワタシの内面に影響されそれが投 . . . 本文を読む
ワタシは残念ながら一般的にいうところの臨機応変に対応するということができない。
今回の記事は、社会人として仕事上に限定した記事です。臨機応変に対応することができないんだから仕方ねーじゃねーか、では当然社会人としては全くもってやっていけないし、ガキである。その構造を深く探っていくと、稚拙かも知れないがワタシ流臨機応変術はあったりなんかする。
ワタシの場合、行動を起こす前に事前にシミュレーションを . . . 本文を読む
言葉というのは「あ」や「ふ」やがある。
これはワタシ自身に"ジョウシキ"が足りないということも大いに関係するが、どうやらそれだけではないらしい。
とても有名な短い活字を目にしたヒトの解釈or感じ方は、ものすごく多様性に富むコトを文系とやらと一般的に呼ばれる学術領域の分野で今更ながらまざまざと感じたりしている。
取り込む情報は普遍的な存在である場合も、個体の入力時にすでにフィルターにかかっていたり . . . 本文を読む
もって生まれたものもさることながら、二次障害とこちら方面で呼ばれているヤツを物心ついた頃から併せ持っていることも絡んで、押さえておくとスムーズに進むんだろう、って要所の感所がズレていたりする。
ワタシの場合、以前は24時間緊張状態という有様だったりした。その状態自体かなり不健康極まりない生き方なのだが、当時はそうせざるを得なかったという事情もあったりする(ワタシが認知の歪みカテゴリで書いていること . . . 本文を読む
バットにボールが当たる感じというのはキモチイイ。空振りというのはヒジョーにエネルギーを消耗するし、腰を痛めたりなんかする。
会話においても、こりゃヒットだろ、と思うトキは気持ち良かったりする。
ワタシなんぞはあまりの空振りの多さに、球が当たる感触がスッカスカに抜けていたりする。実はまずまずのヒットらしいことがあっても、本人に感触がまるでないので、バッターボックスに仁王立ち、レフトゴロなんてことに . . . 本文を読む