深夜にどうも。
< 27日 >
夜のパートは取り方のお仕事だった。I さんと一緒。この日の取り方は、各々の場所の配置人数・人選上 ずい分とお楽ちんコースだった。申し訳ないほどに。で、いろいろお喋りなんぞもして・・・。(内容は書けないけれど・・・)
ヒトって年齢や学歴や職業じゃあないわね。人生経験がものをいうと思う。つまり Iさんは幼いころからの苦労人で、16歳から世間様で一人前に働いているのであって、そういう意味で筋がねいり。どっこい生きている。だから実に実に学ぶところが多いんだなぁ。この日、彼女の素敵な所・尊敬できる所を発見して、また好きになってしまった。
彼女のこれまでの人生の経験談と、ワタシの乏しいけれど、ま 数奇であったと言えなくもない?経験をふまえて、(偉そうに→)物を言わせてもらえば・・・幸せになりたかったら、 やっぱり『 先祖を祀る 』 ことは大切なんじゃあないだろうか? と思う。
数ちゃんの受け売りみたいだけれど、数ちゃんはそんなにも好きな占い師(霊能師?なのか?)じゃあないけれど、やっぱりそういうことなんじゃあないかな?と思うようになった。
お友達のNさんが(=彼女は某宗教団体に所属しているのだけれど)こういうことを言っていた。
「 ご先祖さまは 木の根っこ、親は幹、子どもは 枝葉。」だから 根っこがしっかりしていない 木の葉はうまく茂らないと・・・。(ふ~~ん やっぱり そうなんですか~)
じゃあしっかりしているということはどういうことなのか?というと、そこのところが問題で、各々の家系・家庭によって、第一義的にするものが何であるのか?が異なるからね。家系に流れる「気」が問題になってくると思う。
つまり「 福(幸せ感)・寿(寿命・子供)・禄(財)・官(名誉・仕事)・印(生きる知恵)」
家系・家庭・もっと小さな単位でいえば家族一人一人が、このどれを優先するか?みたいなことが異なるからね。
話は飛ぶけれど、TVでN議員さんの出産と子育てのドキュメンタリー番組を(途中から)みた。ワタシが習っている占いでは、このような自然ではない出産に対しては否定的である。人間(ひと)を自然の中の一つの自然物として捉えているからね。
なぜそうなのか?といえば、自分はよく(=満足し)たって、生まれた子供の人生を曲げてしまうと考えているから。
尤も、本当にまげてしまっていると仮定して、じゃあその結果は一体いつ出るのか?何をもってしてまげてしまっている(しまった)と判断するのか?ということは難しい問題だと思う。それに、その点に関して、世の中の人全員が納得できる答えなどないと思う。
世の中のヒトはみんなそれぞれ自分の価値観でいきているからね。
N議員の子供が欲しい。という想いについては、なぜそうなのか?はよく知らない。家系を繋がなくてはならないという使命感なのかも知れないし、ただただ自分の子供が欲しい。ということなのかも知れない。
が、しかし、いずれにしても、それは『 執着 』という言葉で表わされるのではないのかな?と思う。
だけど、そこにどうしてもこだわってしまう「 自分 」がいてもそれは仕方のないことだろうな~と思う。人間 何かには執着するもの。
だけど、仕事もやりたいし、家庭も持ちたいし、子供だってうみたいし・・・。
なんて・・・いくつもの欲(と言っていいのかな?)望み?を同時にかなえることは相当な困難を伴うだろうと思う。
大体家系が途絶えるということは、五つの中の寿(寿命)がつきたからだと考えるのであって、家系の中の誰かが「 官 」だの「 財 」だのを取り過ぎると、それをうめるために誰かが何がしかの犠牲(という言い方でいいのかな?)をはらわなくてはならない。
家系 五代の中の 五つの(福・寿・禄・官・印)の総量は決まっていると考えられている。どこかの代の誰かが、何かをごっそり取ったとしたら、子孫はそれをとることができない。逆もあり!本人の努力だけの問題ではない、いわゆる持ってうまれた運というものも、そこには存在するのだと思う。
例えば、子どもが欲しかったら、仕事を捨てるとか、財を捨てるとか、自分のいのちを削るとか、しなくてはいけないのだろう。それにもっと大切なのは、相方との関係なんじゃあないだろうか?
N議員さんの生き方(出産)に関しての是非はともかくとして、自分の仕事を続けながら、子供とともに重篤な一つ一つの病気と闘っている姿を観ると、やっぱり並みのヒトじゃあないよな~と思うし、”頑張ってくださいね。”とお声かけしたい気持ちにもなる。
いずれにしても、人工授精・不妊治療・代理出産・・・等々、現代医学の進歩は目覚ましいと思うけれど、そのことがまた、別の新たなる苦労をもたらしているように思う。
やっぱりね、子どもって作るものじゃあなくて、授かるものなのだと思う。
個人的覚書・・・車(頭)・車(主) ~ 玉(左・要)~ 貫 ~ 調(右)・ 庚子・甲申・甲午(辰巳)
守1(丁=調・座下・本元・・・中元 己) 2、庚(車)/20~30~大運辰巳・車・牽/50~司 2012 地支会局(水)・天干 二重
< 27日 >
夜のパートは取り方のお仕事だった。I さんと一緒。この日の取り方は、各々の場所の配置人数・人選上 ずい分とお楽ちんコースだった。申し訳ないほどに。で、いろいろお喋りなんぞもして・・・。(内容は書けないけれど・・・)
ヒトって年齢や学歴や職業じゃあないわね。人生経験がものをいうと思う。つまり Iさんは幼いころからの苦労人で、16歳から世間様で一人前に働いているのであって、そういう意味で筋がねいり。どっこい生きている。だから実に実に学ぶところが多いんだなぁ。この日、彼女の素敵な所・尊敬できる所を発見して、また好きになってしまった。
彼女のこれまでの人生の経験談と、ワタシの乏しいけれど、ま 数奇であったと言えなくもない?経験をふまえて、(偉そうに→)物を言わせてもらえば・・・幸せになりたかったら、 やっぱり『 先祖を祀る 』 ことは大切なんじゃあないだろうか? と思う。
数ちゃんの受け売りみたいだけれど、数ちゃんはそんなにも好きな占い師(霊能師?なのか?)じゃあないけれど、やっぱりそういうことなんじゃあないかな?と思うようになった。
お友達のNさんが(=彼女は某宗教団体に所属しているのだけれど)こういうことを言っていた。
「 ご先祖さまは 木の根っこ、親は幹、子どもは 枝葉。」だから 根っこがしっかりしていない 木の葉はうまく茂らないと・・・。(ふ~~ん やっぱり そうなんですか~)
じゃあしっかりしているということはどういうことなのか?というと、そこのところが問題で、各々の家系・家庭によって、第一義的にするものが何であるのか?が異なるからね。家系に流れる「気」が問題になってくると思う。
つまり「 福(幸せ感)・寿(寿命・子供)・禄(財)・官(名誉・仕事)・印(生きる知恵)」
家系・家庭・もっと小さな単位でいえば家族一人一人が、このどれを優先するか?みたいなことが異なるからね。
話は飛ぶけれど、TVでN議員さんの出産と子育てのドキュメンタリー番組を(途中から)みた。ワタシが習っている占いでは、このような自然ではない出産に対しては否定的である。人間(ひと)を自然の中の一つの自然物として捉えているからね。
なぜそうなのか?といえば、自分はよく(=満足し)たって、生まれた子供の人生を曲げてしまうと考えているから。
尤も、本当にまげてしまっていると仮定して、じゃあその結果は一体いつ出るのか?何をもってしてまげてしまっている(しまった)と判断するのか?ということは難しい問題だと思う。それに、その点に関して、世の中の人全員が納得できる答えなどないと思う。
世の中のヒトはみんなそれぞれ自分の価値観でいきているからね。
N議員の子供が欲しい。という想いについては、なぜそうなのか?はよく知らない。家系を繋がなくてはならないという使命感なのかも知れないし、ただただ自分の子供が欲しい。ということなのかも知れない。
が、しかし、いずれにしても、それは『 執着 』という言葉で表わされるのではないのかな?と思う。
だけど、そこにどうしてもこだわってしまう「 自分 」がいてもそれは仕方のないことだろうな~と思う。人間 何かには執着するもの。
だけど、仕事もやりたいし、家庭も持ちたいし、子供だってうみたいし・・・。
なんて・・・いくつもの欲(と言っていいのかな?)望み?を同時にかなえることは相当な困難を伴うだろうと思う。
大体家系が途絶えるということは、五つの中の寿(寿命)がつきたからだと考えるのであって、家系の中の誰かが「 官 」だの「 財 」だのを取り過ぎると、それをうめるために誰かが何がしかの犠牲(という言い方でいいのかな?)をはらわなくてはならない。
家系 五代の中の 五つの(福・寿・禄・官・印)の総量は決まっていると考えられている。どこかの代の誰かが、何かをごっそり取ったとしたら、子孫はそれをとることができない。逆もあり!本人の努力だけの問題ではない、いわゆる持ってうまれた運というものも、そこには存在するのだと思う。
例えば、子どもが欲しかったら、仕事を捨てるとか、財を捨てるとか、自分のいのちを削るとか、しなくてはいけないのだろう。それにもっと大切なのは、相方との関係なんじゃあないだろうか?
N議員さんの生き方(出産)に関しての是非はともかくとして、自分の仕事を続けながら、子供とともに重篤な一つ一つの病気と闘っている姿を観ると、やっぱり並みのヒトじゃあないよな~と思うし、”頑張ってくださいね。”とお声かけしたい気持ちにもなる。
いずれにしても、人工授精・不妊治療・代理出産・・・等々、現代医学の進歩は目覚ましいと思うけれど、そのことがまた、別の新たなる苦労をもたらしているように思う。
やっぱりね、子どもって作るものじゃあなくて、授かるものなのだと思う。
個人的覚書・・・車(頭)・車(主) ~ 玉(左・要)~ 貫 ~ 調(右)・ 庚子・甲申・甲午(辰巳)
守1(丁=調・座下・本元・・・中元 己) 2、庚(車)/20~30~大運辰巳・車・牽/50~司 2012 地支会局(水)・天干 二重