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夢をみたんだ の  訂正

2011-03-18 18:58:50 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
たぬきちから メールが届いた。

たぬきちの夢のお話の内容が、違っていた。ここに訂正させていただきます。それにしても、こんなにもはっきり言葉を覚えていられるのにはびっくりだな。

それから、ワタシがとっくにリタイヤ状態・幽霊部員になっている、児言態( 児童の言語生態研究会 )のことについても書いてありますからよろしければどうぞお読みください。

。。。地震の翌朝未明、まだ電気もついていない闇の中でみた夢で言われたセリフは正確には

「地震があろうが何があろうが児言態の研究はしっかりやらねばいかん!!!」
です。「子どもを救え」等々というのではなく「児言態の研究」と言われたことに夢の中で驚いていました。

そして、あれからの自分の体験、そしてテレビでの各地の様子や人々の様子をみると、まさに上原先生の被爆体験からきているであろう「時空の転換」「世界定め」「イメージの裁断と継続」等々というのが、まさにすべてこれからの復興に向けて人々の意識のベースになる得るかどうかだと思っています。

先日もHPに書きましたが、ズタズタにされた日常の感覚をどうやって修復するか・・・そして単に元通りに修復するだけではなくて、より深めるか・・・それがさらなる自分の中にある生命力を湧き上がらせることになる。

やはり児言態がやってきたことは人間の根源そのものについてだったんだと、こうした非常時にこそ感じられて、誇りに思えます。。。。
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 四月 十一日

2010-04-12 00:38:50 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
+++  四月 十一日 +++
・・・は恩師の命日だった。
予定が変わって たぬきちが来ることになった。

二年前、いちょう街から自宅に帰ることに決めたのもこの日。いろいろな出来事、状況、助言を頂いての決定だった。何よりワタシにはマンマミーヤを通して、上ちゃんがメッセージをくださったと思えた日だった。
あの日の決断は間違っていなかったと思える。

いつでも人が自分の限界点を知ることは大切なことなのだろう。そこから、方向転換をする。また生きる。次の限界点がやってくる。そしてまた生きる。この繰り返し。
前進 後退 後退 ・・ 前進 後退 停滞 停滞 停滞・・・・・ 前進 前進・・・・。
リズムはいろいろ。

この日、たぬきちと教育論で盛り上がる。
秋葉原事件のような子供がなぜ、そのような事件を起こしてしまうのか?みたいなこと。
イマジネーションの欠落。人対人の係わりあいの少なさ。ごっこ遊びや、演劇を通して養われていく多様な人格形成。
やっぱりね、小さい頃からゲームソフトだけ相手にしていたんじゃあ、乏しい感性の人間になりそうだよね。同じくいわゆる受験勉強。

占いの星の話をするならば・・・例えば、手塚治虫の星と、パリだっけ?で人肉を食べた事件を起こした人の星って似ているんだ。陰陽をわける、どちらの方向へ動いていくのか?
それを方向づけるものは一体なんであるのか?ということを考えた。
+++ 四月十日 +++
フィンガーピッキングコンテストという、アコギのコンテストに出かけた。女性は会場内3割ほどか?出場者17名中、女性はたった一人。
男性の方がロマンチストであるということはその通りなのかも知れないが、女性がフリーになるには時間が必要だ。

例えば子育てをある程度終了する。介護を終了する。まあそういったこと。男とは勝手なもので( ワタシが言ったんじゃあありません )自分の気を自分勝手に流す生きものらしい。

例えば相手が女性だったり、奥さんだったり、家庭だったり、子供だったり、仕事だったり、賭けごとだったり、趣味だったり・・・。

女性の場合、その対象が子供であることが一般的。子供たちのお世話で忙しい。
だから このような(コンテスト)夢のある「 場 」にいないのかも知れないな~。
いや待てよ、そうじゃあなくって、観劇だの、映画だの、ワタシが知らないだけで、女性の園になっている場所は、そこいらじゅうにあるのかも知れない。

ワタシがそう言った場所を知らないだけで、もっともっと、自由に遊んでいる( 悪い意味ではない )女性たちが沢山いるのかも知れない。

大体ワタシが出向く所は、マラソンにしたって 男の人が多いような気がする。正直言えば、女性ってあんまり好きじゃあない。どちらかというと逞しい男性的な女性(体型じゃあない)が好きだしね。

昔 女のくさったみたいな・・・っていう表現をしたけれど、そういう女性(男性)は苦手。にゃんにゃんしている女性 (→この表現も独特だわね )も昔から嫌い。
@@@@@  @@@@@
>ジャパン・・・
パート内定通知届く。
それが仰天なんだけれど、以前、別の会社に本採用になった時より、単なるパートなのに、提出する書類の量が半端なく多い。保証人だって、とうちゃんだけじゃあダメ。何なんだ それ?

まだ採用が正式決定したわけでもない。これから研修が始まる。
しかしながら・・・今度は 少々頭にはげが出来ようとも、「 這ってでもいけ!」と言うしかないだろう。

>家具職人のうしお様(これあだ名)のHPは一応できあがった。あとはサーバーを決定してUPさせるだけ。よく頑張ったねと言ってあげたい。だって作り方見てると、文字だらけで、げ~~~んなりした。

ウエブクリエーターへの道は遥かに遠いらしい。少しは諦めもついたんじゃあなかろうか?

今の時代、仕事って、何やっても大変なんだろうな~と思う。

だけど、結婚ってもっともっと大変だと思うし、子育てはそれ以上に大変だとワタシには思えるんだ。



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お疲れさま ダケド・・・HAPPY

2010-02-28 21:28:13 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
ナイトにこんばんは~
こちら、あやかし@。今日はたぬきちがきた。

御料理は・・・いろいろ。
1、そのちゃんの白菜と豚の重ね蒸しはさっぱりしておいしかった。
2、トラウトサーモンのホイル焼きは試作品を作ったが不人気だったので、チーズとマヨネーズをのせてオーブンで焼いた。
3、クラゲときゅうりのあえもの。(よく使う手)
4、しめさば( 買ってきた品 )
5、太めきんぴら
6、マンマミーヤの作った、バー二ャカウダ これが結構おいしかった。AAAのうのちゃんお薦めの一品。
7、デザートはいちごの生クリームのケーキ。( 生徒さん、今年全員 第一志望の学校に合格、おめでとう!のケーキになった。)半分手づくり。スポンジは工場で頂いた品。やっぱりおいしかった。                以上

< 記録 >
  たぬきちは、やっぱり教育のプロだな~と思う。
受験勉強のようなことをやることが教育だとおもっている、学校の教師達が本日のマンマミーヤとたぬきちの対話を聞いたら仰天だろうな~と思った。
  
 あ~~~もっと早く、たぬきちと対話してたら、もっと ましな仕事ができただろうにな~と思う。いえね、何たって とっつきにくい先生だったんですよ、むかし。
こっちも、壁つくっていたし、もっともっと攻撃的な人間だったしね。

ダーキ二―(剣とシャレコウベ)と なんだっけ豊受稲荷?のお話、マンマミーヤからききました。あと、H2Oの変化する話とか 面白かったです。こころの解放ってすごく大事だと思う。マンマミーヤ、ホントに元気になったよ。ありがとうございま~~す。
いつか本に書いてくださ~~い。
あの~占い的にも説明できそうな点がありました~。恐らく根っこのところではつながる部分あるんじゃあないでしょうか?

何だか疲れたので、もう休みます。
たぬきちはまだ電車の中でしょう。往復 8時間もかけて わざわざ我が家にきてくれています。たぬきち~ ありがとう~~~!!!悪いけど、一応年上おばはんってことで先に休ませていただきま~~す。
 ひょっとしたら、あのトイレットペーパーの軸に、マニ車のご真言を書いたら、きっと運(うん●)が開けると思う!これってすごいいいアイディアだと思うな~。下痢や便秘で苦しんでいる人にもいいんじゃあなかろうか?

確かね、最初の神様って、”食べる” ”出す、”この二つの一番大切な行為をつかさどる神様だって、どこかで聞いたような気がするのよね。
欲張りな人って、腸が悪い ってきいたことあるし・・・。まあいいや。

 明日は 平日のお休みが取れたので、『 牛の鈴音 』を観にでかける予定。


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八雲たつ・・・ 八重垣

2009-08-20 07:01:45 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
実は、昨日の歌碑の歌のよみかたがわからずに、たぬき先生に聞いたところ、お返事が返ってきました。
 で、拝借。
これは古事記の神話の中に出てくる、日本最古・・・というか五・七・五・七・七の形で最初に読まれた和歌と言われているものです。
(と、いうことをたまたま知っていたから分かっただけであって、達筆を読めたわけではありませんが・・・)
 場面はスサノオがヤマタノオロチを退治して、中から出てきた剣を天照大神に献上したあと、新しく結ばれる妻と生活を始める今後の自分の活動拠点を探していた際にたどりついた地で詠まれた歌です。

「 八雲立つ(やくもたつ) 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻籠に(つまごみに) 八重垣つくる その八重垣を 」

*小学館日本古典文学全集を参考にちょっと私なりのアレンジを加えて訳すと
八雲が立ち上る出雲の八重垣。その盛んに湧き出ずる雲が、妻をこもらせるために宮のまわりに八重垣を作るよ、その見事な雲の八重垣を。
という「新築」と「新婚」を兼ねた祝宴歌・・・とありました。
(参考)「八雲」盛んに雲が立ち上るという意味で瑞兆(ずいちょう・・・めでたい兆候)とされた
 広く解釈すれば大自然(大いなる存在)に包まれ、一体となって、「もっとも純粋な自分の使命・魂が向かいたがる方向」への生き様にふさわしい拠点と巡りあえた喜びを詠んだ歌、ということろでしょうか???
 
>>>>  >>>>
そもそも、出雲へ出かけよう(3年前かな?)と思いたったのが、この歌を紹介してくださった 園山さんというお着物の作家さんのお話を聞いたからなんです。
 その方は「 出雲の神社のご神水を使ってもよろしい。」と唯一(?)使用を許された方で、その水を使って着物を作っている?もしくは描いていらっしゃるようなお話でした。( 記憶定かでない。)
 その方に、神迎えの儀式のお話や、出雲の神社に、三本からなる松葉があるとお聞きして、ならばこの目で是非とも見てみたい・・・・。と思いたったのが始まりでした。

しかしながら、松葉に関しては、出雲大社内のどの宮司さんらしき人にお聞きしても、その松葉のことは知らない。ということでした。

( 変だな~)と思っていたのだけれど、この度、この八重垣神社に立ち寄り、この歌碑を見つけて、(あ~ひょっとしたら、この神社の裏手にあるのかも知れない。)と思いました。

残念ながら、一人旅ではなかったので、その松葉を探すことはできませんでしたけれど・・・。

この八重垣神社にある ”不思議の池 ”については また後日。
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たぬきどんの知恵

2009-02-24 10:35:23 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
女三人の家事の分担は、ジャパンの手の怪我によって、第1ラウンド、あえなくダウン。水仕事以外はできるのでそちらをやってもらい、マンマミーヤにはワタシのお手伝いをよろしく!と伝えていたけれど・・・。

マンマミーヤの気まぐれは今に始まったことではない。(→ころころ気もちが変化する★をもつ)
「姉ちゃんがいないから、やる気がおきない。」
マンマミーヤ、皆でそろって一緒に、嬉々として家事やりたい人間。(真ん中に集団、文官名誉の星をもつ。誰よりも早くきちんとできるのが嬉しい。侮れないというか、おもしろいくらいに☆占いはあたる。こういう☆なんだから仕方ないな~と思えることもある。)

あとは好きな時に好きなことだけやりたいひと。ホント気まぐれ。
(→しかしながら、これをおうちで出せるようになったことは、まだ救い。自分で精神のバランスを取っているのだ。マンマミーヤは外で大層うけがよかった。そうではないことに気づく人は学校では殆どいなかった。と言っても過言ではない。ちょっと残念。)

まあ、以前通っていた学校で、相当嫌なこと、大変なことを日々押しつけられた印象だから、ただいまは休息の時だな。

 ジャパンは、よくわからないけれど、あと33時間講座をしっかり受ければ、10万円頂ける何たら試験に合格したらしい。
だけど、それと就職はまた別の問題なので、就職先が早く見つかるといいな~と思う。本日も朝一コンビニでバイト。

 マンマミーヤは、たぬき先生の「 待ち の子育て 」により 活き(息)をふきかえしつつある。

母親ならば、その異変にもっと早くに気付いてやるべきだったと思う。
ワタシは自らが中学時代から進学校に通い、おもしろくもないストイックな生活をしてきたから、まあ学校なんて、大体そんなもんなんじゃあないの?って思っていた。

しかしながら、よくよく考えてみると、やはり 学業というのは、知識を詰め込むのではなく、学問をえることによって、人(ひと)を育てるのでなければ意味がない。

お弁当を食べる時間がないほど、ただ記憶力を鍛える追試で追いまくられるような学校がいいわけがない。まあ今どきはどこもそうだろうけれど・・・。
++++         ++++
「 人間 体が鳴らなくなったら おしまいだ。」一端、こわばってしまった体をときほぐす所からたぬきどんの教えははじまる。

先日は、体を屈伸する事をやった。一度限界まで曲げた体を、単に、首のところを”ぽにょ ぽにょするだけで、手のひら分(10~15㎝)体がやわらかくなる。魔法のようだ。人体は自分が思っているより、決めつけているより、不思議な存在なのだと思う。

このことは、何も人間の体だけではなく、こころにも、頭にも応用できる。無意識のうちに抑え込まれていたり、蓋をして頑固に固まっている、幼き頃のトラウマや、幼き頃から蓄積されたコンプレックスなど意識を転換させることによって変革していくことは可能だ
しかしながら・・・。
意識を変えたり、「 ここをを定める 」ということはそんなに簡単なことではない。いろいろ試行錯誤をして やっと一歩進む。といった地道な作業を伴う。焦らず、本人が動きだすまでじっと待つ姿勢が一番大事だ。
やはり、人は人の中で育てなくてはならないと思う。その一番核になるのは、やはり家庭なのだろう。たった4人の家族、それだけでも 何とも難しい問題を抱えているものだと思う。

こちら横浜、お天気晴れてきました。本日もアクセスありがとう!今からお買いもの。気合いいれていくわ。無駄なものを一切排除して、きちんと住まうのが目標。
>写真は逗子の近くの漁港でとれた魚。一部干物にしてみた。新鮮で安い。
追伸・・・
http://www.youtube.com/watch?v=P_rAGbtikks
江原さんのすごい怒った映像をみつけた。うちは、ここまで状況はひどくないけれど、根本は一緒だと思う。親は自分の身を削ぐ覚悟がなくては、子供は育たないと思う。そして子育ては親育てであることも思う。



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やすこ先生が我が家にやってきた

2009-01-16 07:46:03 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
昨日「 児言態 」のやすこ先生がお忙しい中いらしてくださった。御紹介いただいたことを忘れないように 記録。忙しいのでクリックポンで飛べるようにしておくことにした。
< ガイヤシンフォニー >
http://www.gaiasymphony.com/

http://www.gaiasymphony.com/co_guide1.html 
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子供を知るということは・・・

2008-12-30 08:26:23 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
27日 (土曜日)
我が家にたぬき先生がやってきた。本日家庭教師2回目。葉山で行われた『 児童の言語生態研究会 』(=児言態)の冬合宿(=忘年会)の帰り道 立ち寄っていただいた。

合宿の方は例によって、3時間半の睡眠でずっと話あいだったらしい。昔からこの会は子供たちの教育に心血を注ぐようなところがあった。ワタシはマンマミーヤの家庭教師もさることながら、合宿でどのような話あいがなされたのか?大層興味ぶかかった。
 < 興味深い 話 >
N先生(=H大学の先生)のお話。H大学の学生さんたちの話。

注)ワタクシの素晴らしい、よく聞く(ことのできる)耳を通し、かつまた 素晴らしい(素晴らしく上手な)伝達を通しているため、正確にお伝えできないこと、”児言態もどき”であることを考慮しながらお読みいただければ幸い。
学生の国語の答案を見て?思うこと。その回答によって学生が、およそ二通りに分けることができるのではないだろうか?
A、筆者の考えを理解しようとしないで、設問に対して自分の考えを勝手にのべるもの。
B、設問の線を引いてある近くの答えらしきものを そのまま写すもの。

これを聞いてワタシ達は”おおうけ”だった。なぜならば、Aはワタクシ。Bはマンマミーヤ そのものの姿を表わしているようだったから。
++++  ++++

中学の受験時から、マンマミーヤの国語に関しては、ちょっと頭を悩ますようなところがあった。自分の生活実態とかけ離れたところにある文章や世界を本当の意味で理解するのは難しいことだからだ。

国語というのは、切り取られた文章を沢山読んで、瞬間的に正答をはじき出すことではない。沢山の知識を詰め込んでいくことでもない。

国語を学ぶ意義はどこにあるのだろうか?

人は、各々がお互いを生きていて、ある時は喧嘩をし、ある時は話あい、ある時は泣き 笑い こころを通い合わせて初めて相手のことを理解できるのではないかと思う。

友達と出会う、自分ではない者。どんな家庭に育ち、どんな両親がいて、兄弟は何人いて、どんな価値観をもっていて、何を食べ、何が好きで何が嫌いであるか・・・。様々な生活環境にあるものが、何かのご縁で出会う。

自分ではない ”ひと”と出会って、話し、相手を知り、自分とは違う世界をかいまみ、自分の世界を広げていくことにこそ意味があるのだ。それだって一生に出会える人の数など高がしれている。

その時、人は「言葉」を媒体として、お互いを理解しようとする。

ワタシはこのような”ひと”である。
自分の只今の気持ちを「言葉」(=用具言語)を使って伝えるとこのようである。
言いたいことを「言葉」によって表現しなければ何も伝わらない。と、そのように思っている。
しかし、本当にそうなのだろうか?
言葉にならない言葉 ・ 感極まって泣く・ 無言の抵抗 ・ 目は口ほどにものを言う
ひとは「言葉」だけで、こころを通わせてきたわけではない。限界まで闘った、”とき”を生きた人を見たとき( たとえばオリンピックの選手のインタビューなど )その選手は言葉を失うではないか。そして私たちは その姿に感動するではないか。その涙する姿に 同じく涙するではないか。
児言態では 子供の声音(こわね)、表情、一挙手一投足に注目するのだ。
ここで、 いまを 生きている子供 そのものに こころを向けるのだ。
・・・つづく
次回は アイデンティティー(=自己同一性)の確立と日本文化のゆらぎについて たぬき先生に教えていただいたことを基にして書きたい。
この日の授業5時間 びっちり。マンマミーヤもワタシも大変楽しかった。時のたつのもわからないほどだった。自分の子育てにおいて、ワタシは、実は苦手だったたぬき先生に再び出会えたことに感謝するのだ。
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たぬき先生への質問状  & 回答 ( 旧暦のこよみ)

2008-12-22 06:07:49 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
おはようございます。本日は、思いっきり自己中ブログ記事にて、ごめんしとくれやす!
>たぬき先生・・・以前教えていただいた、太陽太陰暦について・・・

太陰太陽暦 (ねこぱんだ)
2007-11-13 01:42:33
太陰暦というのは、月の満ち欠けで一ヶ月を決めます。すると、一ヶ月が29.5日になるので、12ヶ月が364日になって、だんだんと季節がずれてきます。
それを補正するのに、春分・夏至・秋分・冬至という、太陽と地球との関係で決まる時期を、かならず特定の月(春分なら2月というように)にはいるように補正をして、ずれを閏月という形で一年が13ヶ月になるように修正して、季節のずれを最小限におさえたものが、太陰太陽暦というものです。
いわゆる日本や東アジアで使われている旧暦は、これです。
いかがでしょう。

Q.自分のお誕生日を、ex,195● 11月 ●○ 日 旧暦の日付けにすることは計算によって可能ですか?

実は、占い学校で、旧暦のこよみに合わせて、ほしを占うべきだ。というような説が出てきて、まさか そんなこと先生にきくわけにもいかず、でもそれが本当なら、これは大変重要な問題であるわけで、占い学校のお友達のおばさまたちはさっそく、神保町?界隈の なんたら書房に旧暦のお誕生日が探せる暦を買いにでかけましょう!ってことでしたが、ワタシにはそんな時間の余裕はないわけで、計算によって導きだせるものなら、出したいんですけれど?

あと上の説明の13か月は そのまま13か月で正しいですか?何だか計算合わなくないですか?
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http
 変だな~ここクリック・ポンできないんだけど?何でかしらん?重すぎってことありますかね?

@@@@@  たぬきの 返信 ( 変身 ) まれびと @@@@@

旧暦について専門的に勉強したことはないのでよくは分かりませんが、毎年ではなくて補正が必要な時に13ヶ月とする年を入れるという感じのようです。
 それからかならず何日ずれるという規則正しいことがないので、「旧暦の○月○日は、今年は新暦の○月○日にあたります」というような言い方になるわけです。
それを簡単に表示してくれるサイトのうちの一つがあのサイトというわけですが、微妙にサイトのアドレスは変わっているようですが、私の登録しているアドレス帳からは自動的に飛びました。そちらのブログ上から飛べないのはリンクの設定に何かあるのかな????
http://koyomi.vis.ne.jp/kyuureki.htm
 やっほ!できましたぜ、ダンナ!




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我が家に たぬき先生がやってきた

2008-12-21 22:42:52 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
おばんです。本日もアクセスありがとう!今日は我が家に「 児童の言語生態研究会 」(=児言態)所属のたぬき先生がやってきた。

実はワタシは朝5時から大掃除をしたんだ。だからちょっとお疲れモード。
お掃除も苦手。お料理も苦手。お勉強も苦手。
(えッ?得意なものは あるのか?って?)
(ありまへんがな~。)

次女とワタシは、新美南吉の「 ごんぎつね 」を教材にして授業をうける。つまりたぬき先生はワタシ達二人の家庭教師。

今日は疲れているので、記録のみ。(あっ、昨日もそうだっけ?まあ いいや。)

4~5時間ぶっ通しの授業。だけど、自分を考える授業なわけで、疲れるけれど楽しいんだよね。

兵十が見ているもの、これを事実としてとらえる。ここに感情とイメージを混入させないことが大事。

そのうえで、ごんの想いを考えていかなくてはならない。事実は事実として、感情は感情として、イメージをふくらませるのはいいのだけれど、各々の置かれた「 場 」をしっかりと把握すること、このことができなくてはならない。

ワタシの場合・・・イメージが勝手にすっとぶ。だって楽しい。正解なんてしなくたっていい。人の気持ちなんていうのも、勝手にどうぞ!って言うところがあるし・・・。自分のイメージの中で遊ぶのは楽しいからね。

ワタシの弱点を発見した。イメージ先行型、たぶんそのようにいうことができるのだと思う。

相手のいうことに耳を傾けるってことが、ワタシのこれからの課題だな。

絵コンテを描いた。・・・ワタシのは 黒澤明 風で、マンマミーヤのは 市川コン? 風らしい。
>マンマミーヤは延々4時間に及ぶ学習であったけれど、楽しかったらしい。自分自身を考えるということと、自分を表現することはやはり楽しいことなのだ。
児言態というところはそういう勉強を子供たちにさせようといつも考えていたように思う。

時間・空間・人間というとらえ方が少しわかった。
意識・と無意識の構造にも言及した。
この前、家具職人のうしおさまと話した折、でてきたユングの話もでた。いまいち わからなかったけれど・・・。勉強は若いうちにやるもんだわね。
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芸術は 爆発だ~~~

2008-09-21 03:36:31 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
早朝 グッド・モーニング
本日 児言態の先生方とシンポジウムにでかけることにした。台風も去ってくれたし、やっほ!

今から 家事。あやかし@シンデレラ(=灰かぶりおばちゃん)はご飯を作るんだ~。つまりは家族に後ろ指さされないように、やるべきことはやろう!ってわけ。

@@@ 岡本太郎 さんのこと @@@

大阪の万国博覧会には確か?中学3年生の時にでかけた。太陽の塔は見た。だけど、「 ふ~~ん、これか~あのTVで見た塔は。」

それだけの感動だった。それより 会場内で見た本物の 「 トア・エ・モア 」の方が余程感動して、記憶に残った。ハッピー。

>たぬき先生同様( 先生も以前はそのようにお考えだったらしい )、岡本太郎さんはワタシの中で 
「 芸術は 爆発だ~。」
とか叫んでいる変なおじさんなんだけど、どうやら それが違うらしい。
引用はたぬき先生のところから・・・( 勝手にすみませ~ん。)
(17日 朝)昨日読んでいた岡本太郎の語録を集めた本に「芸術は爆発だ」についての岡本氏自身のこんな言葉が載っていました。
「爆発というと、みんなドカーンと音がして、物が飛び散ったり、壊れたり、また血が流れたりする、暴力的なテロを考える。僕の爆発はそういうんじゃないんだ。音もなく、宇宙に向かって精神が、いのちがぱあっとひらく。無条件に、それが爆発だ
>学習会だよりから・・・
 
先日、川崎市にある岡本太郎美術館に行って来ました。向ヶ丘遊園駅から徒歩20分程度なのですが、朝から曇っていた天気がちょうど歩き出す頃から薄日がさす状態になり暑さで、着く頃までには相当体力を消耗しました。

 さて、岡本太郎といえば我々の世代だと大阪万博の時の巨大な「太陽の塔」を思い起こします。(なんて、実物を見たことはないのですが、あれは当時小学生だった私にも強烈な印象を与えたものでした)その後、岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」とか「何だか分からない」を連発する奇妙な芸術家という印象でした。

 それが数年前に、熊野古道に関する番組で彼の著書からの文が引用されて、それが妙に児言態でやっていた発想と似ていると感じ、さっそくネットで調べて取り寄せました。この頃から岡本太郎はただの妙な芸術家ではないのだと思い始めたのです。

 最近になって再び岡本太郎と向かい合う機会がでてきました。詳しくは今は書きませんがNHKハイビジョンで「わたしが子どもだったころ 張本勲」が放送され、その中で美山加恋さんが演じていた張本氏の姉、点子さんの姿に恩師である上原輝男先生の被爆体験著書「忘れ水物語」に出てくる「かぼちゃの少女」が重なりました。そしてそのことが先生が繰り返し「被爆者が後生に伝えなければならないのは原爆の悲惨さではない」と言っていた事の意味が今までと違った形で感じられたのです。

 そんな時に知り合いからの電話の中で岡本太郎氏が太陽の塔と並行してメキシコで制作したという原爆を題材にした巨大壁画「明日の神話」についての話が偶然(必然?)飛び出してきました。それがまた上原先生の原爆のことと重なり合ってくるのです。 そんなこともあって、岡本太郎氏の作品をじかに観たことがなかったので見に行ったというわけです。

 敷地内にドーンとそびえ立つ「母の塔」に先ずは圧倒されました。自分にとっては衝撃的でした。これはやはり実物でないと伝わらない感覚です。

 館内では絵画と立体作品がそれぞれありました。疲れのせいかどうかは分かりませんが、観ている内に自分の頭が絵画をみている時には「理性モード」になっているのに気が付きました。抽象画をみながら「何を描いているのだろう」「これにはどんな意味があるのだろう」ということばかりが気になってしまっていて、絵の雰囲気をまるごと味わう状態になっていないことが実感されました。これには正直焦りました。いつもこの便りに書いている事と全く逆の状態です。

 疲れがどんどん体に影響を与えてきて、だんだんと足早になり、立体作品は割といい感じで観ていたのですが絵画は次々と眺めていってしまうだけになってしまいました。そして、アレッと思ったらおしまい。中途半端な気持ちで外に出ました。

 帰ろうとした時に、ちょうど関連イベントとして韓国の伝統芸能が母の塔の前で行われたので観ました。これが父の故郷で新盆の時に踊られる「じゃんがら念仏」を思い起こさせる響きもあって理性の壁が取り払われた感じでしたが、抽象画を観る際の自分の理性の壁のことを大いに反省させられた一日でした。

☆オマケに日本人の「かけことば」のクイズがついてますが、コピペできなかったので、自力でどうぞ。確か9月3日の学習会だより。こういうの得意とか思っていたけど一問も答えが思い浮かばなかった。

中沢新一さんのことも、やすこ先生から、ちらほらお話を聞いているのですごい楽しみ・・・わくわく。
ご興味のある方は、どうぞ!以下、会場案内。

@@@@@@    @@@@@@

シンポジウム「縄文と岡本太郎」を開催致します。
都内から非常にアクセスしやすい、四谷三丁目の会場です。
どうぞご参加ください。

日時:2008年9月21日(日曜)13時30分~16時(開場13時)
場所:四谷ひろば講堂(東京都新宿区四谷4-20)
地図は こちらをご覧下さい。
アクセス:東京メトロ丸の内線 四谷三丁目下車 徒歩5分
     都営地下鉄新宿線 曙橋駅下車 徒歩7分
※なお、駐車場はございませんので、公共交通機関にてご来場下さい。

入場料:一般 2,000円
芸術人類学研究所友の会会員 1,000円
※当日も「IAA友の会」ご入会を受付致します。
定員:当日先着250名

出演:
赤坂憲雄(日本思想史、東北文化論/東北芸術工科大学東北文化研究センター所長)
中沢新一(人類学/芸術人類学研究所所長)
田中 基(縄文図像学/芸術人類学研究所特別研究員)
平野暁臣(空間メディアプロデューサー/岡本太郎記念館館長)

プログラム:
講演(各45分)
 1.中沢新一「大仏と太陽の塔」
 2.赤坂憲雄「縄文の発見、岡本太郎の発見」
休憩(10分)
シンポジウム(50分)「縄文と岡本太郎」

お問合せ先:芸術人類学研究所
電話 042-679-5697

@ おまけ・・・大阪 万博 おもしろい記録を見つけた。お時間許す方 アクセス自力でどうぞ! 
 http://jp.youtube.com/watch?v=P_sGVS_3QFU
どこの どなたさまかは存じませんが、楽しい映像ありがとうございます!
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