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あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

教案指導のテープ起こしが終わった

2021-02-18 22:13:04 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

こんばんは~こちらあやかし@テプコ (テプコってなんだっけ?) 

やっと 教案指導のテープ起こしが終了した。お疲れ~~
疲れている一番大きな原因は、パソコン操作。

例えば テープ起こしの作業は、10分間くにくぎってやらないと集中力が続かない。やっと仕上がったテープ起こしを保管する方法がなぜかいつも同じじゃあない場所になる。

せっかく起こしたものを消してしまっては困るので、名前を変化させて別のか所に移しておいたのだけれど、そのせいだか? 書き溜めたものがどこかへ消えてしまったのだ。お~~~~っ こわ~~っ。

だって それまでの努力が水の泡。
< 水の泡 >
それにしても、自分の頭のアホさ加減にはほとほと嫌気がさす。一体先生に何度おなじことを説明させているんだ!

うえはらせんせい~ ごめんしてください。
記憶によれば、延々のご指導、多分ですが 水の泡状態になったと思われます。しかもその上 ただ今、なんら成長していないワタシがいま~す。

平和希求なんて 言葉だけでした~~。
あ~~っ まったく おそ松くんだわ。

****    ******

でも、これから これから・・・
それから それから 
あれかな これかな 
これかも それかも

どれでもいいよ、あなたの人生だもの
思いつくまま 気の向くままに

それにしても・・・
 ほろほろと生きる。 
そんな言葉を40年前のワタシはどこで見つけてきたのだろうか?
テープを聞きなおすまではすっかり忘れ去っていた言葉だったけれど



 

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見つけたものは なんですか?

2021-02-08 00:01:19 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

            
ただ今、昔、児言態に所属していた時の40年前の、自分の授業案指導のテープ起こしをしている。
当時 上原先生に何を言われているのか?その意味が分からなかったが、今は少しづつ理解できるようになった。少しは成長しているのかも?

一生懸命取り組んでいても、理解できないことはある。むしろ渦中にいるときはなんのことやら?さっぱりである。 
当時は様々な感情が押し寄せてきて渦巻くだけで、殆ど収拾がつかなかった。涙はあふれ出るのだし、頭はガンガンしてくるしで、ぼ~~~っとして使い物にならない状態だった。

説明をうけて考えようとしているのかも知れないけれど、何というか・・・内側は、飽和水溶液状態になっていて、これ以上の吸収はむりで~~す!と悲鳴をあげている状態であった。

今回 テープ起こしをしながら、最初は、当時の感情が蘇ってきて、何とも悲しくて泣けていたが、テープを何度何度も聞きなおしているうちに、だんだんと泣かないようになった。

それをどのように解釈すればいいのか?ということになるけれども、多分こういうことだろうと思う。

つまり、それは
例えば、過去のふがいない自分のことを、ただ今のワタシがみつめ、その感情を味わい、味わいつくすことができたということ。このことにより、当時のワタシの痛みの一部分を癒せたということ。

それから、

例えば、ガンガンに怒られていると感じて、凹んでいる自分自身の抱えている大変さより、指導をしている先生のほうがもっと大変だったということがわかったということ。つまりこれは そこに 「 愛 」を感じることができた!ということだと思う。当時はそんなことを感じる余裕はなかったけれども。

             

 ヒーリングの世界で大事なことは何か? それは、自分の過去の傷に向き合う覚悟を決めること。そしてそれが見つかった時に、まずは、それをしっかり見つめること。そしてその傷を抱えて感じること。抱えて感じきることである。

こんなにも自分のことを、一生懸命、時間をさいて、考えてくれている先生や仲間がいるのに、それを理解できない,アホな自分がいる。
( あ~あ ホントに嫌になる。)そういうマイナスな思いに陥ったとしても、そのアホな自分自身をも、まずは OK! OK! それでも、いいんだよ~ っと受け入れてあげる事が大事。
大切なのは 自己肯定だ。
そして・・・色々な想いを、感じて感じて・・・冷静になったもう一人のワタシが その過去のワタシをみつめているうちに だんだんと ニュートラルなワタシになっていくのだ。

自分自身を癒すことができるのは自分自身しかいない。見たくない自分、凹んでいた自分を助けてあげられるのは他でもない ワタシしかいないのだ。
                     

 

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児童の言語生態研究会 ツイッター (原爆2)

2018-08-06 19:00:15 | 上原輝男先生の てるてる ワールド


たぬき先生が児言態( 児童の言語生態研究会 )のツイッターを作成してくれていた。
本日 73年目の原爆記念の日に ワタシのレアブログにご紹介させていただくことにした。

なぜ今日なのか?はこの会を開かれた恩師 上原輝男先生が被爆者であったからだ。研究会も今年50年目をむかえる。ワタシはほぼほぼ部外者的な存在であるのだけれど、恩師がそうであったようにたぬき先生のぶれることのない生き方に敬意を表し、たった一人でもいいので、誰かの目にとまることを願ってリンクを貼らせていただこうと思う。

http://jigentai.blog.shinobi.jp/

恐らく この記事は入れ替えがあると思われるので、重複すると思うけれど、「意識の転換」についての授業冒頭の原爆のお話しの部分を転載させていただくことにした。
原爆」② ツイッター055補足
2018-08-06 上原輝男 講義録・月例会発言
*我々や子ども達に被爆体験について語られている言葉はたくさん残っています。その中でこれは平成5年の研究授業で6年生たちに語られた記録です。
反戦というよりは「人間の意識」についてがテーマです。

上原「・・・「井の中の蛙」という諺知ってるでしょう。・・・人間というものはなかなか今住んでいる場所、今住んでいる時間、そういうものがなかなか分からない。そこから外に出た時に初めて分かる、というようなことなんですよね。
 (『意識の転換』と板書)
 意識を持っている、この意識が転換する。がらっと変わる。そういうのを『意識の転換』という。
 今日の授業をやって意識の転換が出来る様になるかならないか・・・こういうことを今日はやってもらおうと思っている。・・・ おじさんの体でもって、おじさん自身が体験したことで、意識の転換を起こさないわけにはいかない事にぶつかったの。それを少しお話しますね。・・・
 (原爆の体験談)
 ・・・おじさんは広島の駅へ向かいました。切符を買うために駅へ入る五~六メートル手前でした。・・・この時にドンだね。そしておじさんは倒れたというよりも倒れなくちゃいけないと思って身体を防いだ。 ところがその時おじさんの意識は、日常君達が今、君達の意識が普通に働いていると思うけれども、普通の状態ではなくなった。逆上というのわかる?気分が逆上してしまう。あるいは興奮してしまう。上がってしまうわけだ。普通の状態でなくなってしまう。意識が。転換を起こし始める。
 今、甲子園野球やっているね。初めて甲子園に行くとピッチャーが上がっちゃって、どこに投げていいのか分からないというような状態、時々起こす。・・・原爆でやられるんだから、当然逆上して訳分からないという状態になる。
・・・おじさんはもはや広島の駅に切符を買いに行ってるなんてケロッと忘れてしまっている。そしてそこが広島の駅前であるということも分からなくなった。なぜ分からなくなるかというとねそれは道が道でなくなる。道がつぶれたから。・・・建物は壊れてしまって、だから当然広島の駅はそこにあると思っても見えない。・・・今乗ってきた市電は既に倒れている。横になっている。そうすると大変なことが起こったということすらも分からない。人間というのは。
 この場所が広島の駅前だという認識ができない。今君達は北東小学校のこの教室に今いると思っている。だけども次の瞬間に君達は「ここどこ?」ということが起こりうるんだよ。今、丁度四十一分。君達は四十二分にもここにこうしているって思ってるだろうけれども、今ここで原爆が一発、バンといったらここにいることすらわからなくなる。そういう体験をおじさんは持った。
 もう一つ言っておこう。自分のとなり、見て御覧。その人は男の人であるか?女の人であるか?わかるだろ。原爆が一発落ちたら分からなくなっちゃう。・・・怪物の中にいるようなもんだよ。自分の顔だけ見られないから自分だけ人間の顔だと思っている。ところが回りはみんな怪物なんだね。そういう状態が起こった。だから、まとめるよ、最後に。
 人間の意識はなんという頼りないものだろう、とおじさんは思った。ここが広島の駅前であるということすらもわからない。隣にいるのが男か女かそれすらもわからない。こんな状態になりうる。
 人間の意識って何が本物なのだろう、とその時考えた。
 今日、君達にはこれから『意識の転換』ということを勉強してもらう。じゃ、先生かわるからね。」
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透きとおる その一瞬は・・・ 

2016-01-20 11:15:56 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
おはようございます。久しぶりの更新になりました。
Gooさまから、どんな記事が読まれているのか?というお知らせがありますが、たまに ( どんな記事なんだろ? )と思って読んでみることがあります。昔の記事は読んでいて 超恥ずかしいです。

どういうところが恥ずかしいかというと・・・自分の書いた記事が自分の生活とかけはなれているところです。意見とか、主義主張とか、生きる姿勢とか・・・自分自身の生き方がその主張なり主義なりに、十分とはいえないまでもほぼほぼ重なっていてくれなくては誠にお寒い感じがするのであります。(恥ずかし~~ィ)

 恩師 上原輝男先生には いつも 普段着を整えるようにいわれました。( 普段着 = 普段の生きる姿 の意味だと思う。

とはいっても この時にこの記事を書いていたワタシも ワタシなわけなので それはそれで  すてきだよ~とか かなしかったよね~ とか あッたまきてたよね~ とか まずは認めてあげることが大事なように思います。そこからスタートすることが、なんとなくですが、スピリチュアルの癒しの世界と繋がっていくのではないかと思えます。

下の記事( 紫色の記事 )は 2009.4.3 のものである。

ps、たぬきちへ・・・記事の入れ替えがあったみたいなので H21.4.1の記事を丸ごと コメント欄にいれておいていただけるとありがたいです。


おはようございます。~あやかし@です。

昨日、たぬき先生のところに出かけたら、素敵な記事があったので、またどこかに行ってしまっては困るので、勝手に拝借してきました。
http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/tubuyaki/tubuyaki.htm
< 学習だより > H21年 4月 1日の記事に飛んでください。

あこがれの 佐藤初女さんのご著書からの抜粋  

食材を「いのち」として調理するのと、「物」として調理するのでは、まったく違ってきます。いのちだと思うと、かけがえのないいのちを私たちに差し出してくれる食材に深い感謝の気持ちが生まれ、素材のすばらしさを生かしてお料理をすることにつながります。

  ・・・たとえば、野菜をゆでているとき、火のそばを離れずにじっと見ていると、野菜が大地に生きていたときより鮮やかな緑に輝く瞬間があります。そのとき、茎が透き通っているのです。私はその状態をとどめるために、すぐに火を止めて水で冷やします。

 透明になったときに火を止めると、じつにおいしく、体の隅々まで血が通うお料理ができあがります。透き通る瞬間は、素材の味が残っているだけではなく、味がしみ込みやすいときでもあるからです。映画『地球交響曲』をお撮りになった龍村仁監督にそのことを話したとき、監督はこうおっしやいました。

 「 野菜が地面に生えているときの緑色は、自分のいのちのために生き、光をはねかえす美しさなんですね。そして、野菜は調理され、自分のいのちを他者のために捧げるとき、透き通って輝くのでしょう。その瞬間を逃すと、野菜は『 いのち 』ではなく『 物 』になってしまう。料理とは、食材の『いのち』を生かすことなんですね 」

 野菜がなぜ透き通るかといえば、野菜のいのちが私たちのいのちとひとつになるために、生まれ変わる瞬間だからなのです。ですから、私はそれを「 いのちの移し替えの瞬間 」と呼びたいのです。蚕がさなぎに変わるときも、最後の段階で一瞬、透明になるといいます。また焼き物も同じで、いままで土だったものが焼き物として生まれ変わる瞬間に、窯のなかで透き通り、まったく見えなくなるそうです。

いのちが生まれ変わったり、いのちといのちがひとつになる瞬間に、すべてが透き通るのかもしれません。

 私は、透き通るということは、人生においても大切だと思うのです。心を透き通らせて脱皮し、また透き通らせて脱皮するというふうに成長しつづけることが、生涯の課題ではないでしょうか

>>>>   >>>>
あやかし@のこと・・・
生まれてこのかた、ワタシは自分の人生をどこかずっと恨みっぱなしで歩いてきたたようなところがある。

たぬきどん(=たぬき先生)とワタシには、ちょっとした共通点があるように思う。”いつも、ひとりぼっちだった”そんな感じなのかな?と思う。→これはワタシの勝手な解釈 )

昔のワタシにとっては「 児言態 」の研究会の中で、学者タイプの、何を考えているんだかわからない、たぬきどんは、実は苦手なタイプだったのだ。

しかしながら、時はすぎ、再び、再会したたぬきどんは意外な人物だった。( ひとは話をしてみなければわからない。)

恩師  上原輝男先生の退官記念講義が行われたとき
会場となった広い教室は老若男女、沢山の教え子達が集まった。立ち見が出るほど盛況だった。

あのときもワタシは 恨み の中にあったように思う。
( こんな大事な日に、なぜ子供を預かってもらえないんだ。)
ジャパンはまだ1歳になっていなかった。

広い会場で、乳のみ子を抱えた人はワタシ位のもので、ワタシはジャパンが泣いたらすぐに教室を出ることができるように、一番後ろの席に陣取った。

ミルク瓶も用意して、前だっこで90分間の時を過ごした。しかし、泣き虫ジャパンは一度も泣かなかった。
気もそぞろで、講義終了後、残った記憶は”ジャパンが泣かなかった”ということだけだった。
 >>> 20年の時 流れる >>>
たぬきどんが、この講義のビデオを撮っていることは全く知らなかった。

20年たって、ワタシの後ろ姿とジャパンのしゃっくりが入っている恩師の最終講義のDVDを見るとき、このビデオを三脚なしで撮り続けた、たぬきどんに「 本当に、ありがとう! 」と言いたい気もちになる。

もちろん、このDVDを観たところで、難解な恩師の講義内容は今もって理解不能なのだけれど、たまたま、映っている若かりし頃の、ジャパンをだっこしたワタシの後ろ姿がそこにあるのが、今、何だかとっても嬉しいんだ。( 頑張っていたんだよね。)
思い出、記憶というものは、自分自身が、今の生き方の中から、新しく紡いでいくものだろうと思う。

「 結婚前の約束とちがうじゃないか!」という思いは、結婚後、自分の思い描いていた、自分が座るであろう「 場 」と違うじゃあないか!ということであって、結婚するとか、嫁に行くということは、それ自体が、大層不自由な「 場 」に自分を置くことなのだと思う。違っていて当然なんだ。

それを、良い思い出に変えていくか、苦々しい思い出のままとどめるかは、自分の只今の生き方一つにかかってくるのだろうと思う。

自分にないものばかりを数えていてはいけない。あるものに目をむけて、じゃあ何が出来て、何ができないのか?そこをよくよく考えて生きていれば、自ずと選択ができてくるのだろう。

10代までのトラウマ、その後10年残る「 気 」これを解消するために、家族をいうものを与えられたり、世間様という人々を与えられたりして、日々、奮闘しながら生きているような気がする。

自分に透きとおる瞬間があるとするならば、それはきっと あの世に旅立つ時の魂が、肉体から離れる、その瞬間なんじゃあなかろうか?そう思った。

>写真は、広島市現代美術館に 展示されている
   岡本太郎さんの 「 明日の神話 」の原画  姉さんの手の大きさと比べてください。

注)この原画は美術館内、地下にあります。タダで、この原画だけをみることができます。それは、万人にこの壁画を解放したい という岡本太郎さんの希望を反映しているんじじゃあなかろうか?と思います。

だから、変な言い方だけれど、浮浪者の人にだって、この原画や壁画(渋谷)は解放されているわけです。


恨み事を 明るい光に変化させることができるのは 他でもない 自分しかいない。
スクールで 暗示文を作った。最終的には、私が作ったので どなたでも遠慮せずに使ってくださって結構です。著作権などありません。
『 あなたが あなたと共にいるとき、光はいつもあなたに降り注いでいます。』
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『 あとかくしの雪 』  上原輝男先生の 20年目の命日に・・・ ( その1 )

2015-04-11 19:27:15 | 上原輝男先生の てるてる ワールド



本日は 亡き恩師の 20年目の命日です。

児言態の仲間のたぬきちとお墓参りにいく行かないで ずい分 迷ったけれど結局のところ 行くのを取りやめた。

私個人としては 何だろう?
ただいまは 勝手に 部外者・落ち武者であると認識しているのだし・気力や体力( 主に気力 )低下、などなどの理由で 行くのをやめた。

誰のせい ってわけじゃあないのだけれど、たぬきちが行くんだったら 行こうかな~と思っていたのも事実だが・・・。

主として女性たちの 団体さんでうろうろ的な、金魚のふんみたいにくっついて行動している人達が一番嫌いだったのに、( たぬきちが行くんだったら・・・) というような選択をしている自分に驚いてもいるんだ。
それとともに もうひとつ理由はある。お墓の中にいらっしゃるもうお一方のことを考えると胸が痛むのだ。

( な~~~んだ 結構 だらしないじゃん )

たとえお墓に参らなくたって 自分がそのひとに想いを馳せるとき そのひとは必ず我とともにあるのだ。という考え方を今はしているのでまあ 良しとしよう。

で 今日もたぬきちとメールをしていて ちょっと心を動かされた。
たった 一人のひとのために 本日のつたない記事をUPすることもいいんじゃあないだろうか?と思ったんだ。

つたない っていっても それは過去の自分がつたなく不甲斐ないだけで、上原先生のお言葉は 何十年たとうとも 確かにその通りであると思うのだけれど・・・。

恩師の20年目の命日に まあ ちょっとした思いつきだけどUPさせていただこうと思うのだ。

この 数日間のあいだに恩師に言われた言葉を思いだした。

前後が流れがまるで思いだせないのだけれど・・・

『 君は 一人で やっていなさい。』 

ん~~~ん。なんだったかな~???思いだせない。 だけど・・・ま、いいや、そのうち大事なことがらであれば 思いだすでしょう。。。


これは S57年 12月 17日に 私が 6年生の授業をした時の教材である。
 
テーマは「 素直なこころを育てる。」そこを目指していたように記憶している。

教材に何を使うのか? 何ヶ月かかけて検討をしたけれど、最終的にはこの童話を恩師が選択してくれた。

「 人間の行為を決定させるものは何か?」という副題がついている。

      
   ++++++あとかくしの雪++++++

 あるところに、なんともかとも貧乏な百姓がひとり、住んでおった。
 
ある冬の日のもう暗くなったころに、ひとりの旅びとが、とぼりとぼり雪の上をあゆんできて、
 
「 どうだろうか、おらをひとばん、とめてくれるわけにはいくまいか 」というた。

百姓は、じぶんの食べるもんもろくにないぐらいのもんだったが、
 
「 ああ、ええとも。おらとこは貧乏でなんにもないが、まあ、とまってくれ 」というと、

旅びとは、
「 そうか、それはありがたい。おら、なんにもいらんぞ 」というて、うちにあがった。

けれどもこの百姓は、なにしろなんともかともびんぼうで、何をひとつ旅びとにもてなしてやるもんがない。それで、しかたがない、晩になってから、となりの大きないえの、大根をかこうてあるところから大根を一本ぬすんできて、大根やきをして旅びとに食わしてやった。
 
旅びとは、なにしろ寒い晩だったから、うまいうまいとしんからうまそうにしながら、その大根やきを食うた。

 その晩さらさらと雪はふってきて、百姓が大根をぬすんできた足あとは、あゆむあとからのように、すうっとみんな消えてしもうたと。


>写真は 2013年 Bさまの成人式の日の写真だと思う。この日、Bさまはどこにも行かず、自宅でゆっくりと過ごした。雪は夜にはかなり積もった。

  下につづく 順番をいれかえました。 
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『 あとかくしの雪 』  上原輝男先生の 20年目の命日に・・・ ( その2 ) 

2015-04-11 17:38:46 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

・・・授業内容等は ほとんど 割愛  上原先生のお言葉を書き記したい。・・・
@@@  @@@
恩「 盗むか 盗まないか そうだったね。ごめんなさい。」
 
 盗む ・・・    24人
 盗まない ・・・  12人
 わからない・・・   1人  他 1名 数え間違えたみたいだ。( 在籍数 38名 )

恩「 今日は 色んなことを考えてくれて、?私もね自分では一生懸命考えてきたつもりだったけども、もうみんなのことを聞いているとね、頭の中が本当に一杯になりました。

で、これからね、いろんな場面できっとこんなことに出合っていくと思うの。その時に、今日 同じようなことに遭遇した時に、盗むと答えたひとも、盗まないと答えたひともね、ぜひ今日のことを頭のすみに入れといて、そしてその時に、自分が一体何をするのか?何をしてしまったのか?その後自分はどうなったか?ということを考えてみてください。
では終わりにしましょう。

じゃあ 先生のほうから・・。

 上原 「 おじさん(=授業では 恩師は 自分のことを”おじさん”と言った。)から最後にね、みんなに今日の授業をみせてもらって静かに一生懸命みんなが考えたっていうのを感心してみておりました。

そして、おじさんはやっぱりね、恩からこんな授業をするっていうのを聞いていたから どんな風にみんなが答えるだろうか?っていうそういう想像もしていた。
でもね、想像していたような答えと違う答えがずい分でてきてね、おじさん自身も大変勉強しました。

で、あのね、今日の授業はこれでおしまいになったんだけども、今日の授業の一番最初、恩が皆に出した課題というのは、人間の行為を決定させるのは何か?という問いかけだったでしょ、そして色々勉強していってね、盗むって答えた人達のほうが多いわけでしょ?

普通みなさん小さい時だったらね、盗む、そんなこと僕は絶対にしない、って僕(=上原)は 言っていたはずだと思うんだよ。それがね、六年生になったら さあ、どっちをやるか?って言ったら ”私は盗む ” というほうをみんなとったんだもの、大変なことだね。

これは お巡りさんがその辺にいたら、
「 あ、6年 4組は危ない 」って言うかもわからないよ。
「 これは みんなしょっぴいて行こう。」って言うかもわからないよ、そうでしょ。そういう大変恐いことを発言して?。
それでも " 盗む ”っていうことを言った方が多いんだものね、そうでしょ。
それでも " 盗む ”と言う方を みんな採ったのね。それがみんなの行為を決定させたの。

何か、普通だったら、盗むというのはまずいし、盗んじゃあいかん、と思っているのにね、私はやっぱり”盗む”の方をやるだろうと思わせたものが、その盗むと答えた人達の中にはあるわけでしょう。

それから、また いや そんな場合においてもやっぱり盗まないだろうと言うのは、その人の行為を決定させたんだろう、そうでしょ、自分の行為を決定させるものは 一体何なんだろう?ということが今日一番みんなが勉強してほしいと 恩が考えたことだったんですよ。
そこのところをよく考えなくちゃあいけない。まだ勉強は半分くらいまでできたでしょうね。これから考える所だね。そう思いました。
おじさんの感想です。

# 今でも 思い出す。
いつもは ぐちゃぐちゃの めちゃくちゃの、学級崩壊と呼べそうなくらいのクラスなのに・・・この日の子供達は全く違っていた。
そうしましょうね、とか 頑張ってね、とか ちゃんとしてねとか と言ったわけでもないのに、背筋をぴ~~~んと伸ばしてきちんとこちらをむいたのだった。

それを見たとたん ガタガタガタと私は崩れ落ちたのだった。
( やられた~ )そう思った。
剣道などやったことはないけれど、もしもやったとしたら、おそらく相手の最初の構えをみたとたん、負けた!と感じるのとにているのではないだろうか?と思う。
その気迫というのか意気込み そして静けさ それに私はたじろき 茫然自失状態に陥ったのだった。

正直もうして その時にいたるまで、ずるいワタシは ”ウルトラマンのおじいちゃんがやってくるよ ”と言って ある意味子供達を えさでつっていた感がある。

 みんなのあこがれの ”ウルトラマン”をつくった人を育てた先生ですよ、そりゃあ はりきりますでしょ?

思うに・・・
大体 授業案は 今考えてみると上原先生がたてたような気がするのだ。

上原「 あ~ できた。できた。」
恩( 何が できた できた なんですか?)

わけのわからないまま自宅にもどり・・・

確か 授業案は 当日の朝に出来あがったように思う。ほとんど寝ていない。児言態の授業は だいたいいつもそうだ。

頭の中は ぼ~~ッとしたまま ワタシは教壇にたったのだった。そこにもってきて この背筋ぴ~~~んで もう完敗!

そこからは 頭は真っ白で、声は蚊のなくような声で、混乱している頭の中は 交通整理( =意見の整理が先生の仕事と考えている )どことろのさわぎじゃあなくて・・・
わけわからん状況に陥ったのであります。( 折角の時間を申し分けない )

もっとね、「 あなたの意見は これこれ こういうことでいいですか?」で「 あなたの意見は こういうことでしょうか?」と子供達の意見を、他の子供達に にわかりやすく簡潔にまとめ、言いなおしができていれば もっともっと子供達は思考をきもちよく展開させることができたに違いないと思う。

まあ 仕方がない。ワタシは頭が悪いし、緊張しいなのだ。#

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『 あとかくしの雪 』  上原輝男先生の 20年目の命日に・・・ ( その3 ) 

2015-04-11 05:09:38 | 上原輝男先生の てるてる ワールド



今でも 忘れられない映像が頭をよぎる。

授業が終了した時 子供達が どどどっと恩師のまわりに駆け寄った。
上ちゃんは たった一言 言っただけなのだ。

”盗むのか 盗まないのか?”を尋ねただけなのだ。

もう一度 テープを聞きなおして ここの記事をきちんと仕上げたいとは思うが、
くだくだと混迷の中授業を続けていて なんていうか ぱっと眼が覚めたというか そんな印象をもっているのだけれど・・・。

( あ~ そこでしたか~ )

そのあと まことにまことに すっきりとしたのだった。交通整理ということはこういう事だったのか~と感じた瞬間だった。
多分 子供達もすっきりしたと思う。

上ちゃんに最後を救っていただいてよかったな~と思う。

@@@      はなみち      @@@ 

研究授業の検討会のあとだから、どれくらい時間がたったのかはわからないが、小一時間はたっていたのではないだろうか?女の子たちはまだ学校に残っていて、上原先生を見送るべく手でアーチをつくり、先生はその花道の中をお帰りになって行ったのだ。

そりゃあ ウルトラマンのおじいちゃんっていうこともなくはないだろうけれど、ひとの器というのか、ひとの魅力っていうのを子供というのは 一瞬で見分けることが出来るのだと思う。

「 素直ないいこたちじゃないか~。」 恩師は私にそう言ったのだった。

あれから 私は 一体何をみてたのだろう。
何をきいてきたのだろう。

あの日から何十年もたっているのに、なんら気づかず、投げやりで、適当で、くさくさしながらやけ食いをし、太り、世の中を憂うことだけはいっちょまえで、批判することもいっちょまえで・・・。

だけど・・・
やっぱり・・・

自分が まず 何かをかえなくてはならない。

何をしたらいのかはまだわからないのだが・・・
ちょっとがんばってみたくなったのだ。

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「 子供に教えるのではない」 こだわりからの脱出 & 夢を持つということ (4) 叩く 壊す

2015-02-07 14:55:12 | 上原輝男先生の てるてる ワールド


恩 まさにその通り だと思います。・・・ のつづき
飯 じゃあ それまた温めて 19日会の時に持って来る?それとも今何かある?
下 今 もう少しやったほうがいい。
飯 伸ばせるけども・・・。
市 ん~ 提示して行ったほうがいいね。
飯 何か 今の感じじゃあ 一言しゃべっていったほうがいいよ。

市 そう じゃないと このまま引き続いちゃうよ。
飯 間をおかないほうがいいみたい。
佐 こっちで・・・? 
( 間 )
飯 先生 名文がありませんか?  ・・・?( 上原 ん?)
市 考えるヒントかなんかにでていたんじゃあないですか?

上 (ん?)
? なんか 一言いわないと気が済まない人ですよね・・・?
市 文学によって題名だとか形式だとか言う必要がないように思うのよね。題名知らなくたっていいんだよ。題名知ってるほうがもう一回ききたいって言う気が出るのかなって思うけどさ~。

下 何か 恩あるんだよね。きっと( あるんだよ)子供たちに その夢っていった イメージを言ってみればいいのに。
市 夢って私達が考える夢っていうのと恩が夢っていうのとは重ならないからね。

下 どうせよくは言われないのは決まってるんだから・・・そんなのは って
いろいろさ~ 研究会の中でいろんな話が交わされる中でその子供に夢を与えたいっていうのがなぜ恩の中に残ったかっていうんだってあるじゃない? それどうしてなの?
それを掴まえて じゃあ ・・・持ってきたっていうことだって・・・。
 ***  ここから ・・・***
瀬 上原先生が思っている事がダメっていうからいけないんじゃない。
思っているでしょ、いろいろなこと。思いつくでしょ、そして言おうとすると ダメ―っ!!て言うから・・。( 笑 )
(???)
瀬 この辺まで もう言えなくなっちゃう。
だから例えばライターの話が出てるでしょ。わ~ きれいなライターって思ってもね、心の中で思って、わぁ~きれいだな―って思ったら

なんだそんな安物のことを そういうのをきれいって言うからいけないんだって そういうふうにおっしゃるでしょう。だからもう あ~ きれいだなってこころの中で思っても あn安物のこと言っちゃあいけないのかなとか だんだんそういう壁ができちゃうわけ。

だけどこれで言いたいのはそんなことじゃあないよ。っていう事でしょう、結局。
あの葉っぱがきれいと思ったら あの葉っぱがきれい て思って言っていいんだってことでしょ?解説なしで。だから まず上原先生の頭のフィルターになってから 何かを言わないと 先生にダメって言われそうな気になって 心が・・・。

上原 そうでもないんだよ。(瀬 そう?)
僕と同じこころになってものを言え。ということで ダメ って言ってるわけではない、僕は。(瀬 と 思っちゃうのよ)ん~。
僕はそうじゃない。(瀬 だから 言っていいよのね?)
いや 言っていいんだけれども あまりつまらんことは言うなってことだよ。( 笑 )


瀬 だけど 始めはつまらないことをどんどん言って、そして どんどん もちろん言っていただければ、それなりの強い心は必要よ。
上原 そうじゃなくてね、例えば今 恩が考えようとしている所で発言するでしょ、ね、それはもうダメにきまっているんだということなんです。だから昨日の授業中でも また なん? ? って言ってるから ダメ!って言うでしょ。
そういう所とは違う発想をしなければダメなんだということを言ってるわけなんだ。

だから「 あっ はっぱきれい~。」なんて言ってるのをダメ!っていうのはさあ~、「 そんな所で、きれい!っていくら言ったってお前ダメなんだ、そのもう一つ先があるんだって そこへかかる為に”美しい”ということを言ってみろっていうの。それはいくら言ってもいいんだよ。


瀬 だからね その時には まず、葉っぱをきれいって・・
上原 ダメ!っていってやらないと、ね、 あ~ぁ 自分のこの見方はダメなのかって言う風に思わないじゃあないですか~。( 瀬 だから、その時にはいわなきゃあダメでしょ?)
言ってみたってダメなんだ そんな所で 同じこと・・?( 笑 )・・・どうにもならん、そこを乗り越えられないもの。

瀬 だけども、その葉っぱがきれい っていう言葉さえね、縮んじゃう場合ってあると思うの。
上原 あ~そうか~。
瀬 だから だから そう言う意味でね、何でも まず言ってみていいんだって。( 上原 そうかな~ぁ?)
もし ダメ!って言われたらね、あ、そうかあれはダメなのか・・・。

上原 僕はそうじゃない。僕は小林秀雄は俺と同じことを言ってるじゃないかっていう風に思ったのね。言葉に置き換えるからダメなんだ って言ってるじゃないですか。小林秀雄だってダメだって言ってるよ、これ。
・・・つづく

                      

# 上の話し合いと全く関係のない話になるが、実はワタシはこの瀬●先生が大好きだった。おそらくこの時もワタシのことを、ワタシのこころを、一番汲んでくださっていたと思うのだ。

この瀬●先生は カラスとお話ができる先生だった。
カラスとお話ができる~~~???え~~~~っ       もうそのことだけで ワタシの頭の中はびっくり仰天だったのだし、そのことがワタシをして のちのち 瀬●先生のところで働かせていただくんだという強いモチベーションになったことは間違いない。尤も そのことは 諸々の事情によって実現はしなかったのだが・・・。#
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『 続 感情教育論 』 によせて  上原輝男(先生)のお言葉

2015-02-03 19:07:28 | 上原輝男先生の てるてる ワールド


部屋の片付けをしていたら、恩師の『 続 感情教育論 』出版記念のおさそいのプリントが出てきた。
平成 24年1月 児童の言語生態研究会

これはたぬきち(=たぬき先生、最近 こう呼ばせていただくようになった。)が起こしたテ―プからの引用なのだろうか? わからないけれど 兎に角、心に留ったものは全部書き遺していくことにした。

上原「 教育は神様でなければできない仕事なんであります。何故か。
天が人の魂を与えたわけであります。その育成を図るということであるならば、神の思し召しというか、天の意向というものに従わなければ、できない仕事なのではありませんか。」
          ( 昭和 57年 鬼怒川での講演にて・・・)
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「 子供に教えるのではない 」 こだわりからの脱出 & 夢を持つということ (3)

2015-02-02 19:56:12 | 上原輝男先生の てるてる ワールド


上原・・・恩 泣くなって思ったよ。(笑)もう あのう 僕が喋り出す前に、僕はそう思った。だからやめようかな?と思ったんだけど・・。
飯・・・悪い癖です。
上原・・・悪い癖。
市・・・先生は泣かすの名人。
上原・・・いやその前に泣くな こりゃあ 今日は泣くな~と。
武・・・これ位の強い調子でいうと泣くなって・・・。( ははは )
上原・・・いや 強さじゃなくてね。
市・・・強さじゃあなくて一番痛いところ。
飯・・・中身だよ。
上原・・・だけども それ言わないとしょうがないし、だから本人知っているんだと思う。こだわっているって。
市・・・知ってる。こないだから言ってる。自分がこだわりの塊(かたまり)だって。わかっているだけど、その中に入れないから苦しいんだ。
上原・・・それが生態なんだよ。だから嫌な商売してるんですよ、我々は。我々自体が。いや 僕がじゃないですよ。う~ん。だから・・・
市・・・子供にこういう思いさせてんですね、私達。(上原・・・そうなんですよ。)昨日なんか、ママも一緒に泣きたい思いだったんじゃあないかしら。

上原・・・我々は本当に嫌な商売をしているんだということなんです。自分を結局ね、自分をそうやって傷めつけてその段階から出ないと教えられない。

上原・・・まあ、いいよ。久しぶりに泣いたんだ。(ははは)
いや、恩がじゃないですよ。児言態、最近泣かなくなったけども、昔この先輩たちも、皆泣いてたよ。

飯・・・かげで?
上原・・・目の前で泣いた人だっているよ。(ははは)
飯・・・昨日も泣きました、私トイレで。ヨヨと泣いてましたよ。
上原・・・下 だって全然泣かないようで良く泣いたんだから、俺の目の前で。
市・・・そうね、割と目の前で涙を流したこともあるもんね。(上原 ん~。)

下・・・もっと低次元のこだわりで。(笑)
市・・・低次元のこだわりで?
飯・・・先生なんか何さって・・・
下・・・それは 小(人の名前) でしょう。
佐・・・地 さん・・・。(笑)

上原・・・泣かして喜んでいるわけじゃあないんだけれども、あれだね年食ってきたから、わ~こりゃあ泣くなってことはわかるようになってきたね。

飯・・・昔はわからなかったんですか?
上原・・・ええっ それよりも先に なんでそんなところでウロウロっしてやがんだ、ちきしょうめ。っていうのがあんだよ。もう バババ―ン ってこうやって。(笑)
相手の身になって考えるなんていうようなことは全然しなかったからね。なんだそんな所でひっかかりやがって。もたもたするなってなもんで・・・。(笑)
だから時間がかかってるよ。最近は、ん~。恩なんてもっと早く泣きゃあよかったんだ。そしたらもっと早くそんなとこ通りこしているのにね。


飯・・・あのね、11;30分なんだけどね、あのね、さっきおもしろいなと思ったのはね、恩が三つ位単語を言ったんだよね。そしたら先生がそれじゃあダメだって言い始めた。三つ喋れればいいな~って思ったのよ。昔はね一音喋ればいいなって。あ~って言ったら「 ダメ。」って。( ははは ははは・・。)
武・・・お前の言ってることがわかるんだよ。
飯・・・その前、現役の時なんかね、一言も声なんか出さなかったもん、僕。
それだけ先生もあれだよ、言わなくなってきたんだよ。
恩 わかる?あれ、先生に指摘された所わかる?

恩・・・まさにその通りだと思います。
...つづく

# 文字づらだけを追うと 上原先生がなんだかとても怖い先生のように思えるかも知れないけれどそうではない。むしろ大変優しい先生だった。そしてやはり人間を良く知っている方であったと思う。#


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