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日座中殺 & 日居中殺 に関する記事

2017-10-18 03:06:56 | うらなり  占い話

関心のある内容だったので、イケジイさんの記事をお借りしてきました。
「 日座 & 日居中殺 」


完璧を求めながら「不完全な美となる日座天中殺」
を取り上げます。

*日座天中殺の場合 
 「日座天中殺」も宿命天中殺の一員ですが、六十干支の中で「甲戌日」と「乙亥日」の2つを「日座天中殺」と言います。
この日座天中殺の場所は、「日干支」のみに現れた場合ですが、他の年干支と月干支に現れる場合は、普通の異常干支扱いとなります。従って日干支に出現した「甲戌」と「乙亥」のみが日座天中殺となるのです。

2つが意味するものとしては、甲戌、乙亥そのものが天中殺なのではなく、天中殺の現象を受けやすいと同時に、現実的な空間現象がまとまりがたいという特色をもった干支なのです。中でも「甲戌」は「陽現象」に強く現れ、「乙亥」は「陰現象」に強く現れます。もともと日座天中殺は「干支」そのものに現実有形の東西が備わっていない形であり、西方の欠落は当然として、甲戌、乙亥の干支事態は「申酉天中殺」なのです。

それに加えて東方も欠落しているのと同じ結果になってしまいます。従って東方と西方の空間現象を除いて考えなければならないわけで、残されている方向は、「南北」と「中央」のみになります。

このような姿を現実界で言えば、未来を見通す力(東方)、物事をまとめる力(西方)が弱くなってしまいます。ただし、精神的に弱いのではなく、現実の形になりにくいのです。このため、特に「現在」と言う瞬間で人間関係を作るために数年後、数十年後のための人間関係ではないのです。
無駄のない世渡りをする人のように見えますが、親兄弟と言えども、仕事に関連して交流を保つと言えるのです。

人間は過去が消えるときは、必ず速い速度で前進するエネルギーを誰もが所有しており、「日座天中殺」はその特色が顕著なのです。日座天中殺が女性の場合であれば、生家から離れがたく、人生の長い時間親や兄弟、姉妹に影響されることが多くなります。

本来、日座天中殺は男性であれ、女性であれ、身内に対してある面では優しさを持ち、そのために捕らわれてしまうと言う状態が生まれます。
女性の場合は、特別な環境変化がない限り婚期が遅くなってしまいます。この日座天中殺の女性の結婚運を「反華運型」と呼び、特殊な結婚のパターンが生まれやすくなります。これは若い時代に、結婚不可能な男性との交際が生まれやすく、それにより精神的葛藤の末、平穏な普通の結婚生活へ入るというパターンになりやすいのです。

どうしてこのような運命となるのかと言えば、配偶者の場所が「西方」であり、恋愛における恋人の場所が「東方」です。ところが西方も東方も欠けるために、順当な恋愛がそのまま結婚となって西方へのつながりが少ないのです。このような現象下では、東方の未来を諦めたようなときに結婚運が生じてくることになるのです。つまり「東方」を打ち切ることにより、諦め的な結婚の形になりやすく、日座天中殺の女性は波乱の後の結婚が実に平和なものとなるのです。

また天性の質として、「不完全の美」を持っているだけに、完全を求めようとする願望が強く働き、「欲望」となってしまいます。従って日座天中殺の気質の中で、常に「完全を目指す」という特性が生まれ、結果的には不完全な美が出来上がるのです。

*日居(にっきょ)天中殺の場合
「日居天中殺」と呼ばれる干支は「甲辰」と「乙巳」です。この「甲辰」と「乙巳」が日干支に出現する人が対象となり、「日居天中殺」となります。
特殊性と言えば、日居天中殺は「東西」の両方が欠けているのです。運命的な特色は東西の欠けですから、残りの方向が「南北」の精神面と「中央」だけになります。

幼少期に身についた習慣や思考法が、壮年期や晩年期に至っても変化しないという特色が生まれてきます。「東方」と「西方」が欠落することで、現実的な行動や行為から学ぶことが少ないのです。そのため行動面で失敗を繰り返したり、自己反省が少なくなって来ます。日居天中殺は、行動で失敗しても新しい行動で取り返そうとせず、即座に「精神世界」へ逃げ込んでしまうのです。

表面的に現れる「日居天中殺」は、よく働き、肉体の疲労に対し、相当の耐久力を持っています。そのため「働き者」とか「正直な真面目さ」として
評価が高いのです。このような運命を「精神の貴人、行動の野人」と呼ばれていますが、精神の持ち方と行動のバランスが保てず、その格差が大きすぎるのです。

「日居天中殺」はもう一つ「老若の同居」と言う一面を所有しており、老成した部分と、幼稚な部分とが同時に働くのです。このような形は若くして老人に好かれたり、老人になってから若者達に好まれる状態を作り出します。本来は若いときに行動が受け入れられ、老いて思考が受け入れられる方が順当であり、同時に同世代、同世界の人たちに迎え入れられる方が人生として楽な面が生まれてきます。日居天中殺はその姿が逆になっており、同世代や同世界に立脚した場合は精神的な世界での苦が多く現れるのです。

日居天中殺の人の結婚は、普通の夫婦ではなく、「異座夫婦」の状態で美となり、不完全な美をつくり出すのです。日居天中殺には生家や親族の世界と融合しにくいと言う特色があり、家柄に関係なく育った家風から異なった気風をつくりだすのです。商人や事業家の家庭で育ったとすれば、商人的な気風が備わらず、正反対に近い世界を好むような気風が生まれてきます。

このような場合には、商家から学者とか芸術家へと進む人を輩出したり、学者の家庭に育ち商人として大成したという状態が生まれます。しかし日居天中殺そのものに商人の才があるとか、学者の才があるなどとは言えません。日居天中殺の特色は、生まれ育った環境とは「相反する世界」での能力が後天的に備わるところにあります。

これはある種の環境によって副作用的な形で生まれますから、才能発揮も不安定なのです。発揮するときは最大に現れ、発揮できないときはまったく形にならないなど、極端な差が生じます。このような人生は必然的に「壁を多くする」傾向となり、常に戦いの人生になりやすいのですが、これは精神世界に置いてと言うことです。自己の環境と自己の内面とが相反するときに最大の力量を発揮する訳ですから、環境と内面が一致すると能力の低下が現れます。

また女性が日居天中殺の場合は、その形が端的な現れ方をします。商人や事業家の家庭で育った場合、正反対の能力が身につき、芸術家や芸能の才が生まれた場合、芸術家へ嫁げば、嫁いだ数年間は見事な能力を発揮し、他人の目から見ても才能ある奥様として受け止められるでしょう。しかし年数が経過するに従って、自己の才能と環境が一致してしまい、やがて嫁いだ頃の才能が発揮できないことになります。そこに生じる精神的な苦は大きなものとなり、必然的に才能とは異なった世界を志向するようになります。

運命の本質は、常に自己の内面と環境の一致によって必然的に発展し、完全な自己のエネルギー発揮が出来るものですが、日居天中殺だけはその中で「例外」なのです。それだけに真の理解者を得ることが難しいようですが、理解者を得ようとすれば、それは自己の立場とは異なった世界のみ存在しているのです。

しかし異なった世界での理解者を得ても、その世界へ飛び込んで行くのではなく、異なった世界同士での交流の中に真実を見極めることが出来るはずです。何れにしても自己の人生を「不完全」の中に求めなければならないという運命は、多くの場合、信仰への道へと誘うものです。
 
イケジイさん、ありがとうございます。

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