お~は~よ~
早朝のあやかし@であります。
昨日の出来事はショックではあったけれど、どこかすっきりした。スポーツバック(ってほどのもんじゃあない。マンマミーヤが買ったけれど使っていないバック )の中には結構なものが入っているんだ。
1、室内用の運動靴
2、汗まみれになった運動着や下着など ( 行く時は アフターのお着替えが入っている )
3、お風呂用の洗顔石鹸・化粧水・日焼け止めなど + タオル 4枚
4、携帯
5、音楽を聞くグッズ( ジャパンにもらったやつね )
6、うさこちゃんのポーチ
7、カギ二つ
8、洗濯ものを入れる スーパーの袋
9、お水の入ったペットボトル
10、スポーツクラブのカード
11、細かい事をいえば 輪ゴム。首にまいているタオルをとめるために必要。
昨日の出来事を反省すると・・・
1、エアロビクスが通しで踊れて ごきげんさんで浮かれていた。
2、それでも 超集中して踊ったので お・つ・か・れ さん
3、実は やってはいけないことだと思うのだけれど、音楽をききながらちゃりんこに乗っている & お買いものをしている。ごきげんさん。上の空状態。( ゆずの虹と栄光のかけ橋。特に「 虹 」が好き。 )
・・・つまり意識が全然違う所にいっちゃっているわけです。
ポイントカードを使って、お買いものをして、うさこちゃんのポ―チにポイントカードをしまったところまでは覚えているんだけど。このポーチ、恐らく短パンのポッケにいれたんだと思う。この間、うかれまくりなわけでね。で、多分だけど、チャリンコを漕いでいるあいだに 落っことしたんじゃあなかろうか?ちょっとわからないんだけど。
+++ 占いの知恵 剋すということ +++
五行に 木・火・土・金・水 というものがある。これは宇宙のそれぞれ 木星・火星・水星・金星・水星 からきている。これに太陽と月をあわせると 七つの気がそろう。これが一週間になったわけだ。
この五行をいろいろなものにあてはめることができる。
例えば 五感や五臓、五味といった言葉はここからきている。
五徳というものがある。それぞれ 五行の 木・火・土・金・水 (もっかどごんすい) にあてはめると。福・寿・禄・官・印 となる。
福( 幸せ感 )・寿 ( 寿命・子供 )・禄 ( 財 )・ 官 ( 名誉・仕事 ) 印 ( 生きる知恵 )それぞれ他にも色々意味があるけど・・・。これらは循環する。
この 5つのうち 一つおきは 剋する形になる。< 土 剋 水 ・ 木 剋 土 >
つまり 財がたっぷりあると生きる知恵がなくなる。財に執着すると生きる知恵がなくなる。株だの投資だので失敗する人がいたりする。例えそれでお金をごっそり稼いだとしても、その子孫はお金で苦労すると言われている。何がいいかはわからない。
逆にお金がないと工夫をするし、お金を大切に、感謝して使うでしょ。
お金がある。 ものを買いあさって 家の中ゴミ箱になっている。新品同様のものを捨てる。ってことが賢い生き方とは思えませんものね。家の中だって すっきり さわやか~に必要最低限のもので生活するほうがいいじゃあありませんか~。
うちんちの家族、まあワタシも含めてだけど、 木 剋 土 、つまり幸せ感がないと 物を買いあさったりするわけです。マンマミーヤが あの私立の中学校に通っていたころ、ワタシ達夫婦もかなり狂っていたし、物を買い与えすぎていた。お金はあればいいってもんじゃあない。ほどよくあることが理想だ。つまり・・・中庸ということはそういう事なんだろうと思う。
天から与えられた宿命というものがある。恐ろしく偏っている☆★もある。それを自分が与えられた力・手段(☆★)を、懸命に動かしていくことによって、だんだんとこの五行がまんべんなくそろっていって、最終的には「 福 」にたどりつく。と考えられている。
夫婦の単位になると、これが結構難しい。各々価値観が異なっていたりするからね。双方 もしくは 片方が相当我慢をすることになる。( ような気がする。)
さっさと見切りをつけて 離婚っていうのもありだと、ワタシは考えているけど・・・。
でも、S 先生によれば、すぐに離婚!と判断を下すのは下格の占い師のやることらしい。だけど占い師にだって上格・下格って有るんだと思う。
いずれにしても物事は 一方の角度からみたんじゃあいけない、あちらからこちらから眺めることが重要なのだろう。そして最終の判断は自分自身でやる。自分がやったことに対しては自分が責任を取る。だな。
< 孔子の言葉 >
『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』 (為政編)
わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。
早朝のあやかし@であります。
昨日の出来事はショックではあったけれど、どこかすっきりした。スポーツバック(ってほどのもんじゃあない。マンマミーヤが買ったけれど使っていないバック )の中には結構なものが入っているんだ。
1、室内用の運動靴
2、汗まみれになった運動着や下着など ( 行く時は アフターのお着替えが入っている )
3、お風呂用の洗顔石鹸・化粧水・日焼け止めなど + タオル 4枚
4、携帯
5、音楽を聞くグッズ( ジャパンにもらったやつね )
6、うさこちゃんのポーチ
7、カギ二つ
8、洗濯ものを入れる スーパーの袋
9、お水の入ったペットボトル
10、スポーツクラブのカード
11、細かい事をいえば 輪ゴム。首にまいているタオルをとめるために必要。
昨日の出来事を反省すると・・・
1、エアロビクスが通しで踊れて ごきげんさんで浮かれていた。
2、それでも 超集中して踊ったので お・つ・か・れ さん
3、実は やってはいけないことだと思うのだけれど、音楽をききながらちゃりんこに乗っている & お買いものをしている。ごきげんさん。上の空状態。( ゆずの虹と栄光のかけ橋。特に「 虹 」が好き。 )
・・・つまり意識が全然違う所にいっちゃっているわけです。
ポイントカードを使って、お買いものをして、うさこちゃんのポ―チにポイントカードをしまったところまでは覚えているんだけど。このポーチ、恐らく短パンのポッケにいれたんだと思う。この間、うかれまくりなわけでね。で、多分だけど、チャリンコを漕いでいるあいだに 落っことしたんじゃあなかろうか?ちょっとわからないんだけど。
+++ 占いの知恵 剋すということ +++
五行に 木・火・土・金・水 というものがある。これは宇宙のそれぞれ 木星・火星・水星・金星・水星 からきている。これに太陽と月をあわせると 七つの気がそろう。これが一週間になったわけだ。
この五行をいろいろなものにあてはめることができる。
例えば 五感や五臓、五味といった言葉はここからきている。
五徳というものがある。それぞれ 五行の 木・火・土・金・水 (もっかどごんすい) にあてはめると。福・寿・禄・官・印 となる。
福( 幸せ感 )・寿 ( 寿命・子供 )・禄 ( 財 )・ 官 ( 名誉・仕事 ) 印 ( 生きる知恵 )それぞれ他にも色々意味があるけど・・・。これらは循環する。
この 5つのうち 一つおきは 剋する形になる。< 土 剋 水 ・ 木 剋 土 >
つまり 財がたっぷりあると生きる知恵がなくなる。財に執着すると生きる知恵がなくなる。株だの投資だので失敗する人がいたりする。例えそれでお金をごっそり稼いだとしても、その子孫はお金で苦労すると言われている。何がいいかはわからない。
逆にお金がないと工夫をするし、お金を大切に、感謝して使うでしょ。
お金がある。 ものを買いあさって 家の中ゴミ箱になっている。新品同様のものを捨てる。ってことが賢い生き方とは思えませんものね。家の中だって すっきり さわやか~に必要最低限のもので生活するほうがいいじゃあありませんか~。
うちんちの家族、まあワタシも含めてだけど、 木 剋 土 、つまり幸せ感がないと 物を買いあさったりするわけです。マンマミーヤが あの私立の中学校に通っていたころ、ワタシ達夫婦もかなり狂っていたし、物を買い与えすぎていた。お金はあればいいってもんじゃあない。ほどよくあることが理想だ。つまり・・・中庸ということはそういう事なんだろうと思う。
天から与えられた宿命というものがある。恐ろしく偏っている☆★もある。それを自分が与えられた力・手段(☆★)を、懸命に動かしていくことによって、だんだんとこの五行がまんべんなくそろっていって、最終的には「 福 」にたどりつく。と考えられている。
夫婦の単位になると、これが結構難しい。各々価値観が異なっていたりするからね。双方 もしくは 片方が相当我慢をすることになる。( ような気がする。)
さっさと見切りをつけて 離婚っていうのもありだと、ワタシは考えているけど・・・。
でも、S 先生によれば、すぐに離婚!と判断を下すのは下格の占い師のやることらしい。だけど占い師にだって上格・下格って有るんだと思う。
いずれにしても物事は 一方の角度からみたんじゃあいけない、あちらからこちらから眺めることが重要なのだろう。そして最終の判断は自分自身でやる。自分がやったことに対しては自分が責任を取る。だな。
< 孔子の言葉 >
『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』 (為政編)
わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。