恐らく 大事な教育の根幹になるもの。
ワタシには、うまく説明ができないのだけれど、『 児童の言語生態研究会 』に所属している たぬき先生(= たぬきち )のHPの中に学習会だよりのコーナーがあって、そこに教育に大事だと思える記事があったので、それをそのまま頂いてきました。そのコーナーは時々、入れ替えが行われるので、リンクをしていてもどこかに行ってしまう?んです。
その記事には、ワタシの恩師でもある、上原輝男先生の言葉が書かれています。ワタシには難しいことはわかりませんが、生きるヒント、子供を育てるヒントになると思います。そして、それは、私達大人にだって十二分に使えそうな、生きる知恵だと思います。
ワタシ自身、二十歳すぎまで、ずっといつも不満に感じていたことは、これだったのではないだろうか?思っています。
(小)中・高・大の時代、現実対応ばかりを追い求めて、体が全くといっていいほど鳴らなくなっていましたから・・・。そのことを研究会に所属していた時代に、上原先生に指摘して頂きました。当時はなんのことやらよくわからなかったのですが、二人の子供の子育てをして、やっぱりこっちだったんだと反省しきりです。
多分、ワタシは、これまでの人生、他人のせいにばかりして、自分が、自身を、本気で生きていなかったんだと思います。
>ちょっと、補足つけたしの上原先生のご紹介・・・ウルトラマンの生みの親、金城哲夫氏の恩師でもある。ウルトラマンの発想は、上原先生の、そのまた恩師の折口信夫さんの「 まれびと論 」から きているらしいです。難しいことはわかりませんので、たぬき先生に聞いてください。
>>> イメージ運動の再起動 -東北関東大震災 復興に向けて- H23,3-4 byたぬき先生 >>>
平成23年3月11日、日本人にとってずっと忘れられないような大災害が起きてしまいました。多くの人たちが当たり前だと思っていた日常から放り出され、いまだに大変な生活を送っています。
心の世界もズタズタになり、これからの生活をどうしたらいいのか、全く考えるゆとりも力も出ない状態になっています。
私が所属している児童の言語生態研究会では長年イメージ運動について研究してきたのですが、その主要なテーマの中に「イメージの裁断と継続」というのがあります。これは主宰であった上原輝男先生ご自身が若い時に広島で被爆された体験に原点があるように思っています。一瞬にして自分をとりまく世界が崩壊した・・・その中から如何に人間は人間としての心や生活を取り戻していったのか・・・その心の働きのカギが「イメージ運動」にあったのだろうということです。
そこでこれからの復興に向け、まず自分の内側から再起動していくためのヒントとして上原語録から言葉をひろってみました。
*現実いっぱいの子ども逹は「壁にぶつかった」そうしたらこの壁を抜けないですよ。だけどイメージ力のあるやつは突き抜けていく。現実の時間・空間とは違う世界に入っていけるんですよ。『ああ、この子は新しいイメージの世界に入ったんだ』と、これでいいんですよ。・・・だから人間ってやつはいつでも時間・空間の継続と裁断を行いながらイメージを展開させているわけ。 (平成七年合宿)
*停滞したときにどう脱出していくか、そういう状態になった時にどうしてもう一度復活させればいいのか・・・なに、簡単なことなんだ。答えを言うと『イメージ運動の復活』なんだよ。つまり『予見』『邂逅』『祈祷』『没我』『瞬起』これがパッと復活すればイメージは再び動き出す(平成5年 合宿より)
これを読んだだけでは今一つ具体的に分からないかもしれません。それは仕方のないことで、「説明を読んで方法を知る」というのはイメージモードではなくて、知識・思考モードが優先して動くわけですから、「頭では分かっても心の奥底には響いていかない」のです。
ただ、みなさんの年齢だと、こうしたことを「理解」しておくこともイメージが素直に動き出すための潤滑油のような働きをするので先ずは説明文っぽい言葉を紹介しました。
大人でも深いトラウマを背負った今回の出来事、大事なことの一つに「我慢しすぎない」というのがあります。それに関係あることを上原先生は次のように話しています。
*トトロがそうだったじゃないか。「もしもお母さんがなくなったら」ってワーって泣き出す。上手につかまえていたよね。だからああいうふうにイメージが展開しだすと、もう押さえがたいのね、子どもは。それは知的な展開よりもイメージ力。あれがイメージ力なのね。子どもにとってあれがバイタリティなんだから。だからそれがいい方向で動き始めるようになればこんな強いものはないってことですよ。
現実対応の仕方ではないんだっていうこと。大事なのはそのイメージ力がどう出るかってことなので、一つのものが出始めたら、誰が何と言おうがダーッと止まらないというのが人間の持っている自分自身のものだから。いのちだもの。
僕自身、正直に告白するとね、弱くなったなぁって気がしているのよ。子どもの時の事思うとイメージ力が弱くなってるなって思う。僕は子どもの頃にはね、笑われるかもしれないけど僕にイメージがわいてくるとね、体が震えたよ。体が震えるのがよくわかった。つまり、何か『もののけ』が乗り移るっていうのがわかる人間だったのよ。(平成六年合宿)
このサツキにシーンに通じる他の宮崎アニメだと「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」にもありましたね。一生懸命に我慢していたのが我慢しきれなくなって感情が一気に流れ出す。そうすると自然にイメージ運動が再起動します。
極度の緊張状態で気がはっている時には涙は出ません。
>写真は、マンマミーヤが卒業式に頂いたお花
お題 『 送られし 花 』
ワタシには、うまく説明ができないのだけれど、『 児童の言語生態研究会 』に所属している たぬき先生(= たぬきち )のHPの中に学習会だよりのコーナーがあって、そこに教育に大事だと思える記事があったので、それをそのまま頂いてきました。そのコーナーは時々、入れ替えが行われるので、リンクをしていてもどこかに行ってしまう?んです。
その記事には、ワタシの恩師でもある、上原輝男先生の言葉が書かれています。ワタシには難しいことはわかりませんが、生きるヒント、子供を育てるヒントになると思います。そして、それは、私達大人にだって十二分に使えそうな、生きる知恵だと思います。
ワタシ自身、二十歳すぎまで、ずっといつも不満に感じていたことは、これだったのではないだろうか?思っています。
(小)中・高・大の時代、現実対応ばかりを追い求めて、体が全くといっていいほど鳴らなくなっていましたから・・・。そのことを研究会に所属していた時代に、上原先生に指摘して頂きました。当時はなんのことやらよくわからなかったのですが、二人の子供の子育てをして、やっぱりこっちだったんだと反省しきりです。
多分、ワタシは、これまでの人生、他人のせいにばかりして、自分が、自身を、本気で生きていなかったんだと思います。
>ちょっと、補足つけたしの上原先生のご紹介・・・ウルトラマンの生みの親、金城哲夫氏の恩師でもある。ウルトラマンの発想は、上原先生の、そのまた恩師の折口信夫さんの「 まれびと論 」から きているらしいです。難しいことはわかりませんので、たぬき先生に聞いてください。
>>> イメージ運動の再起動 -東北関東大震災 復興に向けて- H23,3-4 byたぬき先生 >>>
平成23年3月11日、日本人にとってずっと忘れられないような大災害が起きてしまいました。多くの人たちが当たり前だと思っていた日常から放り出され、いまだに大変な生活を送っています。
心の世界もズタズタになり、これからの生活をどうしたらいいのか、全く考えるゆとりも力も出ない状態になっています。
私が所属している児童の言語生態研究会では長年イメージ運動について研究してきたのですが、その主要なテーマの中に「イメージの裁断と継続」というのがあります。これは主宰であった上原輝男先生ご自身が若い時に広島で被爆された体験に原点があるように思っています。一瞬にして自分をとりまく世界が崩壊した・・・その中から如何に人間は人間としての心や生活を取り戻していったのか・・・その心の働きのカギが「イメージ運動」にあったのだろうということです。
そこでこれからの復興に向け、まず自分の内側から再起動していくためのヒントとして上原語録から言葉をひろってみました。
*現実いっぱいの子ども逹は「壁にぶつかった」そうしたらこの壁を抜けないですよ。だけどイメージ力のあるやつは突き抜けていく。現実の時間・空間とは違う世界に入っていけるんですよ。『ああ、この子は新しいイメージの世界に入ったんだ』と、これでいいんですよ。・・・だから人間ってやつはいつでも時間・空間の継続と裁断を行いながらイメージを展開させているわけ。 (平成七年合宿)
*停滞したときにどう脱出していくか、そういう状態になった時にどうしてもう一度復活させればいいのか・・・なに、簡単なことなんだ。答えを言うと『イメージ運動の復活』なんだよ。つまり『予見』『邂逅』『祈祷』『没我』『瞬起』これがパッと復活すればイメージは再び動き出す(平成5年 合宿より)
これを読んだだけでは今一つ具体的に分からないかもしれません。それは仕方のないことで、「説明を読んで方法を知る」というのはイメージモードではなくて、知識・思考モードが優先して動くわけですから、「頭では分かっても心の奥底には響いていかない」のです。
ただ、みなさんの年齢だと、こうしたことを「理解」しておくこともイメージが素直に動き出すための潤滑油のような働きをするので先ずは説明文っぽい言葉を紹介しました。
大人でも深いトラウマを背負った今回の出来事、大事なことの一つに「我慢しすぎない」というのがあります。それに関係あることを上原先生は次のように話しています。
*トトロがそうだったじゃないか。「もしもお母さんがなくなったら」ってワーって泣き出す。上手につかまえていたよね。だからああいうふうにイメージが展開しだすと、もう押さえがたいのね、子どもは。それは知的な展開よりもイメージ力。あれがイメージ力なのね。子どもにとってあれがバイタリティなんだから。だからそれがいい方向で動き始めるようになればこんな強いものはないってことですよ。
現実対応の仕方ではないんだっていうこと。大事なのはそのイメージ力がどう出るかってことなので、一つのものが出始めたら、誰が何と言おうがダーッと止まらないというのが人間の持っている自分自身のものだから。いのちだもの。
僕自身、正直に告白するとね、弱くなったなぁって気がしているのよ。子どもの時の事思うとイメージ力が弱くなってるなって思う。僕は子どもの頃にはね、笑われるかもしれないけど僕にイメージがわいてくるとね、体が震えたよ。体が震えるのがよくわかった。つまり、何か『もののけ』が乗り移るっていうのがわかる人間だったのよ。(平成六年合宿)
このサツキにシーンに通じる他の宮崎アニメだと「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」にもありましたね。一生懸命に我慢していたのが我慢しきれなくなって感情が一気に流れ出す。そうすると自然にイメージ運動が再起動します。
極度の緊張状態で気がはっている時には涙は出ません。
>写真は、マンマミーヤが卒業式に頂いたお花
お題 『 送られし 花 』