地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

児言態 「 イメージ運動の再起動  」 by たぬき先生

2011-03-31 06:40:53 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
恐らく 大事な教育の根幹になるもの。
ワタシには、うまく説明ができないのだけれど、『 児童の言語生態研究会 』に所属している たぬき先生(= たぬきち )のHPの中に学習会だよりのコーナーがあって、そこに教育に大事だと思える記事があったので、それをそのまま頂いてきました。そのコーナーは時々、入れ替えが行われるので、リンクをしていてもどこかに行ってしまう?んです。

その記事には、ワタシの恩師でもある、上原輝男先生の言葉が書かれています。ワタシには難しいことはわかりませんが、生きるヒント、子供を育てるヒントになると思います。そして、それは、私達大人にだって十二分に使えそうな、生きる知恵だと思います。

ワタシ自身、二十歳すぎまで、ずっといつも不満に感じていたことは、これだったのではないだろうか?思っています。
(小)中・高・大の時代、現実対応ばかりを追い求めて、体が全くといっていいほど鳴らなくなっていましたから・・・。そのことを研究会に所属していた時代に、上原先生に指摘して頂きました。当時はなんのことやらよくわからなかったのですが、二人の子供の子育てをして、やっぱりこっちだったんだと反省しきりです。

多分、ワタシは、これまでの人生、他人のせいにばかりして、自分が、自身を、本気で生きていなかったんだと思います。

>ちょっと、補足つけたしの上原先生のご紹介・・・ウルトラマンの生みの親、金城哲夫氏の恩師でもある。ウルトラマンの発想は、上原先生の、そのまた恩師の折口信夫さんの「 まれびと論 」から きているらしいです。難しいことはわかりませんので、たぬき先生に聞いてください。

>>> イメージ運動の再起動 -東北関東大震災 復興に向けて- H23,3-4 byたぬき先生 >>>

平成23年3月11日、日本人にとってずっと忘れられないような大災害が起きてしまいました。多くの人たちが当たり前だと思っていた日常から放り出され、いまだに大変な生活を送っています。

心の世界もズタズタになり、これからの生活をどうしたらいいのか、全く考えるゆとりも力も出ない状態になっています。

 私が所属している児童の言語生態研究会では長年イメージ運動について研究してきたのですが、その主要なテーマの中に「イメージの裁断と継続」というのがあります。これは主宰であった上原輝男先生ご自身が若い時に広島で被爆された体験に原点があるように思っています。一瞬にして自分をとりまく世界が崩壊した・・・その中から如何に人間は人間としての心や生活を取り戻していったのか・・・その心の働きのカギが「イメージ運動」にあったのだろうということです。

 そこでこれからの復興に向け、まず自分の内側から再起動していくためのヒントとして上原語録から言葉をひろってみました。

*現実いっぱいの子ども逹は「壁にぶつかった」そうしたらこの壁を抜けないですよ。だけどイメージ力のあるやつは突き抜けていく。現実の時間・空間とは違う世界に入っていけるんですよ。『ああ、この子は新しいイメージの世界に入ったんだ』と、これでいいんですよ。・・・だから人間ってやつはいつでも時間・空間の継続と裁断を行いながらイメージを展開させているわけ。           (平成七年合宿)

*停滞したときにどう脱出していくか、そういう状態になった時にどうしてもう一度復活させればいいのか・・・なに、簡単なことなんだ。答えを言うと『イメージ運動の復活』なんだよ。つまり『予見』『邂逅』『祈祷』『没我』『瞬起』これがパッと復活すればイメージは再び動き出す(平成5年 合宿より)

これを読んだだけでは今一つ具体的に分からないかもしれません。それは仕方のないことで、「説明を読んで方法を知る」というのはイメージモードではなくて、知識・思考モードが優先して動くわけですから、「頭では分かっても心の奥底には響いていかない」のです。

 ただ、みなさんの年齢だと、こうしたことを「理解」しておくこともイメージが素直に動き出すための潤滑油のような働きをするので先ずは説明文っぽい言葉を紹介しました。


大人でも深いトラウマを背負った今回の出来事、大事なことの一つに「我慢しすぎない」というのがあります。それに関係あることを上原先生は次のように話しています。

*トトロがそうだったじゃないか。「もしもお母さんがなくなったら」ってワーって泣き出す。上手につかまえていたよね。だからああいうふうにイメージが展開しだすと、もう押さえがたいのね、子どもは。それは知的な展開よりもイメージ力。あれがイメージ力なのね。子どもにとってあれがバイタリティなんだから。だからそれがいい方向で動き始めるようになればこんな強いものはないってことですよ。

 現実対応の仕方ではないんだっていうこと。大事なのはそのイメージ力がどう出るかってことなので、一つのものが出始めたら、誰が何と言おうがダーッと止まらないというのが人間の持っている自分自身のものだから。いのちだもの。

 僕自身、正直に告白するとね、弱くなったなぁって気がしているのよ。子どもの時の事思うとイメージ力が弱くなってるなって思う。僕は子どもの頃にはね、笑われるかもしれないけど僕にイメージがわいてくるとね、体が震えたよ。体が震えるのがよくわかった。つまり、何か『もののけ』が乗り移るっていうのがわかる人間だったのよ。(平成六年合宿)

このサツキにシーンに通じる他の宮崎アニメだと「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」にもありましたね。一生懸命に我慢していたのが我慢しきれなくなって感情が一気に流れ出す。そうすると自然にイメージ運動が再起動します。

 極度の緊張状態で気がはっている時には涙は出ません。

>写真は、マンマミーヤが卒業式に頂いたお花 
 お題 『 送られし 花 』

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 災害救援 ボランティア 情報 ( 神奈川県 ) 

2011-03-31 00:21:13 | 東日本大震災 関連
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/02/0051/saigai-v/index.html

ちょっと 考えてみる。但し 時間がない。
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着物への想い 2

2011-03-30 08:36:30 | 和 の 技 あれこれ指南
おはようございます。こちらあやかし@。

陽のでているうちに記録をしておこう。延々、夜中にパソでは電力がもったいない。写真はマンマミーヤの卒業式に着た着物。実はお洋服にしようと思っていたから、あわてまくりだった。19年前のスーツが入らないであろうことは、よくよく考えてみれば分かることなんだけれど、実際に身につけて初めて実感・納得した。ホックどころか、ファスナーが途中からあがらなかった。( ですよね )自分でも ”馬鹿じゃないの?”と思う。

それから 、「 ジャパン、御願い!」すったもんだの時間が流れる。
三月の月一、着物教室も今回の震災で取りやめになった。
卒業式に着る時には、このような組み合わせにしようと考えていたから、悩みはしなかったのだけれど、そのものたちがどこに入っているのかが、わからなかった。一応 名札をつけて終いはしたのだけれど・・・。

何たって 残り時間 およそ1時間半くらい。襟しんがなかったり、お草履がし舞い込んであったり、バックの中身を入れ替えたり・・・。などなど。

着付けは、この1カ月半位の間にすっかり忘れてしまっていた。自分でも信じられない。前回のお教室は二月半ばだったっけ?「 頑張って袋帯を結びま~~す。」とか言ってと練習したのだけれど・・・。ちょっと情けない。
< 着物の話 >
一つ紋の色無地。( 確かこういう名前 )この着物は親戚のおばさまたちも着た。活躍しまくったらしいので、この着物は喜んでいるだろう。黒の羽織。今どき、こんなものを着るヒトはいないんじゃあないだろうか?でも、いいんだ、着る!
羽織の紐(?)がとうちゃんの寝ている部屋においてあったので、仕方なく、なしで出かけた。

家紋は、父方のおばあさまの家のもの。本来ならば、父方の家の家紋にするところなのだろうけれど、母が選んだ。母によれば、こちらの方がかわいらしい。ということだったけれど、実際のところはわからない。意外とおばあさま(父の母)がこわかった?のかもしれないなと最近のワタシは思う。

おばあさまは、若い時の母(→二男の嫁)にも相当厳しかったらしい。母は二度母をなくしている。
若い時「 母親がいないから躾がなっていない。」と言われたことがあったらしい。

ワタシは、ワタシの両親が、時を同じくして癌になった時に、義母に「 うちにはそんなヒト(癌患者)は 一人もいません。」みたいなことを言われて大層悲しかったことを忘れない。当時は癌患者の数は今のようではなかった。

言ってはならないことってあるんじゃあないだろうか?と思う。そんな時だって、とうちゃんは「 聞き流せばいいだろう。 」の一言だった。
一つ 一つ と 恨みごとが、重なって行った。
>>>  >>>
結婚26年?、やっと、ここまできて、義母の哀しみも少し理解できるようになった。
家紋の正式な意味はわからないけれど、背中に生家の家紋を背負って、たった一人で他家へ嫁いでいくのだ。お葬式にしたって、自分だけ家紋(義母も)が違うわけで、一人孤独。一人部外者。一人蚊帳の外。

自分のお嫁さんを大事にしないオトコは幸せになれないぞと思う。

時代はかわった。実家の母が倒れたならば、今度は、遠慮なく、母(実家)の為に帰省しよう。それと同時に、自分が先に逝かないようにしたい。(けど、・・・ここはシーソーになっている。)

>写真の帯は 名古屋帯。正式ではないけれど、このような国の一大事に華やいだ気持ちにはなれなかった。お亡くなりになった方々、卒業式に出たかったけれど、それが叶わなかった方々の為に、哀悼の意を表したかった。菊のような花は国花を表したつもり。一日も早い日本の復興を祈りたい。

帯締めと帯揚げの色は一致させなくてもいいらしい。





コメント (2)
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地震について 考える ( 主婦の節約術 )

2011-03-29 10:41:45 | 東日本大震災 関連
こんにちは~。こちらあやかし@節子

只今 やっている節約術いろいろ。昨日マンマミーヤとリビングの模様替えをした。コタツは和室に移動して、そこで食事をする。リビングの大画面のTVは見ない事にした。リビングは仕事と勉強の場所にする。勉強をする時は、腰に毛布をまきまきして暖をとる。疲れたヒトは和室のコタツで暖をとる。もしくはお布団で寝る。

とうちゃんは別格にした。すきなようにやってもらう。先日の喧嘩以来、父子の関係がいまいち。間にたつのも疲れる。三人の中で争いごとが起こると、下手するとららこさんが病気になるので、各々が自分の価値判断によって、今回のこの地震に対応する。とうちゃんは、色々検討した結果、やはり赤十字に寄付するのがいいだろうということで、すでに寄付を済ませたらしい。

ワタシは、まだまだ考慮中。実は、お友達の旦那様(宮城県在住)無事であることがわかった。お米も大丈夫だった。しかしながら、宮城県~宮城県ならば、お米を届けることがより迅速に行なわれるだろうから、うちのお米をそちらへまわしてもらえないだろうか?ど提案してある。

只今、こちらではお米を買うことは可能であるのだし、田舎の姉が用意もしてくれている。パンだって麺だってパスタだって食べることができるのであるから、少しくらい足りなくても何とかなる。

 暗闇トイレは、ワタシのみ実行。実はドア~オープン状態にて入る。昔、子供たちが小さかった頃、姿が見えないと泣いたりすることがあったので、そのようにして入っていたが、ららこさんがうちに来てからというもの、このドア・オープンが復活していたのだ。

トイレ(小)は、ちょこっと流すだけにする。聞き間違いかもしれないけれど、一回流すのに、水 8リットルを使う水洗トイレがあるみたいなので、それでは水がもったいない。

掃除機は 弱を使用。吸引力は左程かわらないとTVで言っていた。できれば大きなごみを箒やモップを使って集めておいてから掃除機で吸うと節電になるらしい。

お風呂の残り湯は、もともと、お洗濯に使っていたけれど、プランターのお花にも使うことにした。

電気がまは結構電力を使うらしいので、一度に沢山炊いて、冷凍しよう。

冷蔵庫は、できるだけ空っぽにする。冷凍庫はいっぱいにした方が節電になるとTVで言っていた。この際、冷凍庫の部分、二か所を一カ所にできないか?挑戦してみたい。

頻繁に買い物に行く方が無駄がないのか?電動ちゃりんこが問題だな。確か 充電後 二回乗っただけなのに、もうメモリが三段階のうち二段階まで減っている。ハイパワーで走ったせいでもあるだろう。
テレビとか、電化製品など、
「 今 50円かかりましたけど? よろしい?」 みたいな情報を機械が言ってくれるといいのにな~と思う。

給湯器のスイッチのところ、時々 最後にお風呂に入るヒトが、設定温度のスイッチを消し忘れることがある。これが電力を食うらしいので、こまめに消そう。

六根清浄風呂は地震以来入っていない。水もガスも節約したい。

ブログは唯一ストレス解消に役だっているので、このまま続けたい。さて、いかほど、電気代、ガス代、水道代は節約できているのだろう?2月の電気代が 1年前より 5000円もアップしていて仰天だった。とうちゃんが、ヒーター、エアコン、電気毛布と三種類も使っているのも怪しい。
それから、ジャパンが、自室内で使っている、ヒーターがあやしい。こたつが一番電力を使わないと思うのだけれど?ちょっとわからない。

何より、ワタシは買った材料を無駄にしない。冷蔵庫内、ものを腐らせない。これをしっかりやりたい。

< 欲しいモノ >
釣りの時にはくような、長靴。 おしゃれで重いのが今はやりだけど、いざという時に歩きにくいような気がする。もしくは、大工さんが履いているような地下足袋みたいなのがほしい。

あと、ちりめんの生地。先日買おうか?迷って、高かった(いろいろな色が混ざっていなかった)のでやめにしたけれど、実はなかなか売っていない。例の吊るし雛用に買おうかな?と思う。

もしも仕上がったら、被災地に送りたい。色々な色は、ヒトに元気をくれると思うんだ。しかし、子供やお孫さんをを亡くしたヒトには哀しくうつるかも知れない。そこらが全くわからないから、こんなことをしてみたい、レベルだけれど。

>写真は、先日の夕食。買い物に出かけないで、あるもので作った。意外とできるものだな~と自分でも感心した。
 じゃがいもの豚汁 / トマトと卵の炒め物( オリーブオイル使用 ) / エビとちんげんさいの中華風 / ホイコーロー / こんな感じ。

今日は やきとりの缶詰を利用して、中華風のちまきらしきものを作った。マンマミーヤに褒められた。今からベランダのお掃除。

記事かきかけのまんまUPしてました。おほほ。 



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マンマミーヤの卒業式

2011-03-28 20:44:34 | まんまのしゃべり
マンマミーヤが通信制高校を卒業した。「 おめでとう! マンマミーヤ 」
3年前はどうなることか?と思ったけれど、よく頑張ったな~と思う。こう言っては罰あたりなのかも知れないけれど、学科の勉強に関して言うならば、全くと言ってもいいほど、勉強らしき勉強はしていない。ぎりぎりにレポートを提出し、試験を受けて単位を頂いただけ、といっても過言ではないとワタシは思っている。

あの時、中高一貫教育の私立の学校を思いきってやめてよかった。あの時点で辞めていなかったら、今日の良き日を迎えることは恐らくできなかったに違いない。学科の勉強よりも、何百倍も大変だったことは、「 こころの風邪 」と闘うことだった。これは大変な苦労・困難を伴う。

しかしながら、それ(こころの風邪)はワタシ自身が死に物狂いで、何とか越えた(ている)ものであるから、ワタシは別に精神科のお医者さんではないけれど、その方向性(どちらに向かえばよいのか?)は何となくわかる。
ワタシは占いの知恵も使った。だからワタシにとって、ここ(占い)を否定されることは、大層腹立たしいことなのだ。( 勉強して、& 実践してから言ってくれ!みたいな感じ・・・。 )

だからと言って、それは、ワタシが、おぼれ、おぼれて、藁(わら)さがしに明け暮れ、やっとつかませていただいた知恵なので、まあ他のヒトには、おいそれと理解できないのだし、ありがたくもない知恵なのだろうと、この頃は思うようになった。
 じゃあ、こう言った問題の解決方法はあるのか?というと・・・
ひたすら忍耐の対話と生活。これにつきるのではないか?と思う。
マンマミーヤと、毎日のように繰り返される”対話、対話、喧嘩 / 喧嘩 喧嘩 対話~。(←ここリズミカルに読んでね)泣き、笑い、反省、・・・。本音で語りあうってことじゃあないのかな~と思う。

” こころを、いろいろな形で解放するということは とても大事なことだ。 ”その為に日々を生きているといってもいいのではないだろうか? 感情の解放。押さえて、押さえて、無理して、無理して、我慢して、我慢して・・・なんていうことではいずれ崩壊していく。

しかしながらその崩壊する時こそが、実はチャンスなんだろうと思う。崩壊するということは、崩れ去った場所から、もう一度立ち上がって、構築しなおすということなのだから。だがしかし、それは相当の痛みを伴う。

占い的に考えても、ヒトの人生がガタガタになる時がある。その時は再びの生きなおしをするチャンス。マンマミーヤはそれを私達夫婦に教えてくれた という言い方もできるのではないか?と思う。
< 通信制の学校 >
ワタシは通信制の学校、もしくは、経験したことはないけれど、定時制の学校が好きだ。
それは、与えられたというより、自らが選んで、学びにくるという人が多いからだと思う。
今回の卒業生は、最高齢 70才。平均年齢 35(位)?才だった。どのヒトが校長先生で?どのヒトが父兄で、どのヒトが学生なのか?よくわからなかった。

とても暖かい雰囲気の中で卒業式は行われた。マンマミーヤとちょっと仲良しだった方は途中から学校に来れなくなった。何名かの方々はこのクラスを去って行った。仕方がない。結局のところ、ヒトは人生のいろいろな場所で、たった一人で、自分自身との闘いをしていくしかないのだから。友達が、親が、かわりに、そのヒトの人生をやることなどできない。

優秀な成績をおさめ、会長賞をもらったヒトは、多分40代と思われる 新沼健二さんに似たおじさまだった。この方は?の作文のコンクールでも賞をもらっていらした。
あ 「 健二(あだな)さん おめでとう! 」 自分で学費を稼ぎ、こつこつとお勉強をなさったに違いない。養っている家族はいらっしゃるのか?それはわからないけれど、自力で学ぶヒトにワタシは頭があがらない。

親のすねかじりには、どうも甘えがあるように思う。自分自身が親のすねをかじりまくり状態だったので、余計にこういうヒトに憧れるのだと思う。
                                

こうして、卒業式をあげていただけたことに感謝をしたい。先生方をはじめ、おじいちゃんのお友達、おばさまのお友達、お姉さんのお友達たち 本当にありがとう!

被災地では卒業式をあげることができないどころか、いのちさえもまだまだわからないこども達だっている。
津波によってどろだらけになった卒業証書を手にしていた小学生達がいた。
今日のいのちが、明日もあるとは限らない。大切に生きなくてはと思う。
>>>  >>>
この日、あやかし@ブーリンは着物を着て失業式に参加した。何のことはない。スカートが、全くもって入らなかったのだ。両親に作って頂いた、着物や帯、黒の羽織は30年ぶりに日の目をみた。これっきりかも知れないけれど、着ることができてよかったな~と思う。

まだまだ、この先のほうが長い道のりになるに違いないのだけれど、ワタシは、マンマミーヤが中学校を卒業した時の何倍も、何十倍も、何百倍も嬉しかった。

そうそう、たぬきち 本当にありがとう!今日の日を迎えられたのは、たぬき先生のおかげです。こちら、@ベルテンラモをできるだけひかえ、@ヤマーンタカになれるよう頑張ります!

>写真 上は、キリスト教の学校をおかりしての卒業式。月、二回のスクーリングはこの学校で行われた。
 写真 下は、集合写真をとる前に写したもの。

> 『 旅立ちの日に 』
http://www.youtube.com/watch?v=V1v5hnyT6ZE


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プレ 卒業式 

2011-03-27 04:56:14 | まんまのしゃべり
早朝におはようございます。こんな時間に”時々こたつ”と”電気スタンド”と”パソ”使ってごめんなさい。昼間 土人みたいな格好をして(=寒さ対策、腰に布巻き、靴下二枚重ね)節エネルギ―、& 節電( 暗闇トイレ。リビング照明・いっこ電球 など) してますんで許してやってくんつぇ。

こんな非常(異常)事態のときこそ、家族一致団結して節電・節水、なんて思ってましたけど、うちんち家族には無理だと理解できました。っていうかおじさま(=とうちゃん)一人負(不)参加なんですけどね。
こちらの言い方も悪いんだろうけれど、余計意固地になって反対のことやるんで、むかつくこと限りなし。

節電だの・節水だの、そういうケチなこと、細かいことはやりたくないヒトなんで、もう言うのもアホらしくなった。おじさまは別人格。そのこと(=別人格)は頭では理解できているのにな~。いつも期待してはがっくりくる。そのようなことで悩んだり頭にきたりすると、結局のところこちらの体調が悪くなるだけなんで、もう仲良く協力してやって行こうなんていう、お子様ちっくな夢は持たないようにした。彼は彼、ワタシはワタシ。ワタシは雇われ家政婦。( と思うしかない )

一人節電、一人節水、一人節エネルギー しよう!
とはいえ、ホントに具合が悪い。二・三日前の喧嘩の答えがでているのか?(=悪い気を発すると、こちらが倒れるようになっている )因果応報で、昨日は全身冷や汗状態で真っ暗(節電中)なトイレでのたうち回った、腹痛。まあこれくらいですんでいるのだから良しとしよう。頭痛・吐き気はないんでね。
12年前の寅卯天中殺中(マンマミーヤ + とうちゃん)は、それどころじゃあなかった。
しかしながら、あと抜けるのに 1年。こちらの体が持つのか?ぎ・も・ん。(←天中殺の禍は その本人がうけるとは限らない、相方や親・子供がうける場合もある。)

三月になっておみくじを二回ひいたのだけれど、二回とも、凶 、まあ 凶が出ること自体には、そんなに驚かないけれど、書いてあることがことごとく、病気長引く、だったり願い事叶わずだったりするので、何て言うか~( やっぱりひかなきゃよかっ )って思う。ナム~っ。

  今日はマンマミーヤの卒業式  
着物を着て出かける予定だったけれど、体調が思わしくないし、とうちゃんの送りの車も期待できないのでやめよう。自分で作ったスーツ( 殆ど先生のお仕事で偉そうに言えないが・・・ )え~~と、マンマミーヤが生まれる前に作ったんだから、19年前の服か?それを着て出かけることにしよう。スカートはホックを外して着用する。
やはり今週に予定されていた、  マンマミーヤの大学の入学式は中止になった  

 
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こんな時に パート探し

2011-03-25 16:02:15 | たかが されどの パート 物語
こんにちは~、こちらあやかし@ママチャ・りんこ

今日は久しぶりにチャリンコに乗って出かけた。銀行めぐり。

とうちゃん VS マンマミーヤ + あやかし@ で結構ド派手な喧嘩をしたものだから、お給料を頂けなくなってしまった。( ま、ここ、半分は当たっているだろうと思う。 )
( おいおい、それは我々のライフラインだろが!!!おのれ~~っ。)ちょっと、すったもんだ すったもんだ だった3日間。
< 24日 >
頭にきたあやかし@は次なるパート先の下見に出かけた。

いえね、呼ばれたわけではないんですよ。書類選考の、もっと前の段階。電話選考段階。( 幅広い年齢層と書いてあった。)聞くだけ、聞いておきますけど・・・。みたいな・・・。
< 実は、例の大きな地震の直前に電話をしていた。>
・・・あ「 年齢ですか~? えっとう、( とは言ってないけど )5●才、あっ間違いました。5○才でした。」
注) ● < ○ ・・・決して サバを読もうとしたわけではない。自分の正しい年齢を知らないだけ。

才能のないおばはんに、おいしいお話なんぞあるわけもなく、 2日~ 4H~と記載してあったが・・・  実際の条件は厳しかった。ゴールデン・ウイーク よろしく!クリスマス もちろんですとも!バレンタイン、これも来れますか?状態。。。  。。。 。。。 (ですよね)
マネキンにしても大体が、8時間労働、週5日のパートが中心であって、昔の土日専門みたいなのは姿を消した。

あ「 (一応)よろしくお願いいたします!」と伝え、TELを切る。その数分後ですがな、例の大きな地震に見舞われたのは・・・。
>>> 24日   お友達のおみっちゃんに車をだしてもらう >>>
海の近くの、ケーキ屋さん、喫茶もあります。

あ「 ここって チャりでいけるかな~? 」
み「 自転車は きついよ~。」( だよな~ )

店内、平日なので、ヒトは少ない。ケーキの種類はそんなにもないし、喫茶も、うどんやみたいな忙しさではない。しかし、
 あやかし@お得意のレジが・・・電卓もあり!ですがな・・・ この段階で( ここは無理だな )と自覚する。

前勤めていた、ソフトクリーム屋さんでも呆れられたんですよ。
店長 「 えっ、電卓 使ったことないんですか~? あっ じゃあ そろばんを? 」
あ「 いいえ、どちらも、できません。」 
注)これ 雇ったあとのお話。
 消費税ぬき、逆うちこみ。端数出た時、やり直し、一円消し作業。間違いレジ打ち、訂正5~6か所、マネージャーさん探し。等々・・・あのデパ地下の面倒くさいレジも苦手なら、旧体然のうどんやさん、字が小さくて見えません、横にめがね置いとりますレジもダメだったけど・・・。

電卓って もっともっとダメなんですわ。気づけば、百万円 みたいな金額を打ち出している。
 ケーキを売っている、店長さんらしき方、電卓早い、早い。ケーキ包むの上手    
あやかし@は 勢いだけで生きているヒト、口先だけで生きているヒト、あと、身の程知らずっていうんですか~、それ!
この先面接の電話はかかってこないと思うけれど、それ以前に、気持ちが萎えたな~。
>ジャパンは・・・
学生時代、デパ地下 パンやで働いた。100個以上のパンの値段を頭にインプットしていて、レジ打ちをする。我が子ながら、憧れますわ~。(ぽわ~ん)ジャパンはできなかったけれど、中にはレジ両手打ちのお姉さんもいた。両手なんで早い。( かっこいい~~っ )
  おばはん、年を考えろ!能力考えろ!でしたね。はい。

やっぱり、口で勝負!のマネキンをあたることにしよう!

とりあえず、四月は地震で延期になった工場でのパートを終了させる。そこからだよな、ぼちぼち探すのも。
しかしながら、海抜 2メートルだったそのケーキやさんも、地下にあるお店も正直怖い。 
<<<  <<< 
やっとこお給料を頂いた。何でも、みずほBANKが只今大変なんだそうで、なかなか給料をおろせなかったらしい。( それならそうと言っておくれでないかい、おまいさん。今月給料無しかいな?って思いましたわ、おまいさん。 )
 是非とも、次回から自動引き落としでお願いいたします。
< 25日 >
チャリンコで銀行めぐり、買い出し、 もどり、再び出動!荷物送り。
あやかし@ママちゃ・りんこ。 またまた 買い出し荷物のっけたまんま、転ぶ。
>・・・こんな感じ。ちょい坂の途中、お隣のあさちゃんを見つける。「 あさちゃ~~ん 」
 自転車ノリの不得意なヒトは、電動自転車で 坂道発進及び、坂道停車をしてはいけない。
あたかし@ またも すっ転ぶ。あさちゃん飛んでくる。
「 大丈夫?○●さん~。」 ほうり出された たまごちゃん無事!どもども。
買い物の重さ、およそ 13キロ。電動自転車 確か25キロ。平地は人力でもOKだけれど、坂道は無理。パワー全開で乗り切った、あとちょっとの所での転倒。

あさちゃんは、都内でのパートをやめ、この日近所の?の面接に出かける所だった。
やっぱり パートは近所がいいよね。何かあった時に困る。
>写真は、地震前にかいた絵手紙。被災地に 一日も早い春がやってきますように!
 こころのどこかでは、パートはやめて、ボランティアをしたいと考えるようになった。 
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ここのところ・・・

2011-03-22 00:56:27 | まんまのしゃべり
< 17日 >
例の電動チャリンコに乗って、お花を買って、じっちゃんのお墓のお掃除にでかける。霊園内、トンネルから先の急こう配は手押し車となる。確か 25キロ位だったかな?バイクよりは軽いけれど・・・。きつい。
< 18日 >
弘明寺さんに出かける。このところ、ずっと体調がいまいちなので、行くのをよそうかな?と思っていたが、マンマミーヤが、「 行こう 」と言うので思いきって出かけた。さすがに地震の後だったせいか、人数はいつもの2/3 位だった。

ここの本堂は、関東大震災の時も、戦時中の横浜の空襲のときにも、大丈夫だったらしい。木組みという工法は大層丈夫で、 1000年間  持つように作られているのだそうだ。形あるものは、いずれなくなるとはいえ、1000年もの間、壊れずに建っている建築物をみると、日本の匠、宮大工の仕事に大層憧れる。母方の先祖は宮大工だったらしい。こころ魅かれるのはそれ故なのか?

この日は、特別、”自分や自分の家族の為だけではなく、東北の地震でお亡くなりになった方々の菩提と被災地の復興の為に祈ることになった。ワタシも  祈りは天に通ずるものだと思っている。
しかしながら、もにょもにょの観音経は相変わらずである。
< 19日 >
家族でじっちゃんのお墓参りに行く。おはぎと道明寺をお供えする。お茶とリンゴジュースも。
ジャパンは仕事なので欠席。帰り途 買い物。必要なものだけを買うようにしている。
< 20日 >
マンマミーヤとお買いもの。500円の買い物券 + 全品10%引きの日だったので、学校に通うためのスニーカーを買う。バスケットシューズみたいなスニーカー、白。(これは高かった、お祝いじゃ)あと 閉店するらしい靴屋さんで、パンプス。1000円、可愛い。
ワタシも欲しい、かる~~い バックがあったが、マンマミーヤに却下された。まあなくても特に不自由はしないから、いいや。
こういった、バーゲン、セールをやっている場所にいくと、得した気分になって買いたくなるので要注意だな。帰ってよく良く考えると、買わなくてよかった~って思う。荷物が増えるだけ。

その後、ロッテリアでハンバーガーを食べ、一人、I ちゃんの病院に向かう。面会時間にちょっと間があったので、週間朝日を読む。フューチャ―リーダーのみよこ先生の人生相談みたいなのに、病気ばっかりしているヒトの相談が載っていた。

確か、体半分、左側は先祖がそのヒトを頼ってきているんだ とか? ワタシもず~~~っと 左半身をやられてきたので、なるほど ふむふむと読んだのだけれど、先祖供養をやるのがいいらしい。何もきちんきちんとお墓参りをしなくたって、気づいた時に、お茶を入れて、どうぞ!って供えるだけでもいいのだそうな。
< 病院面会 >
I ちゃんは 面会をとても喜んでくれた。地震はこわかったけれど、看護師さんも、食堂の係の方も頑張って働いてくださるので、全く不自由ではなかったらしい。唯一 食事についている牛乳だけはないらしい。

部屋の片づけをしていて出てきた、S ちゃんの写真。スターさん達の写真をあげたらとても喜んでくれた。5月の Sちゃんの命日には 二人だけでお墓参りに出かけたい と言われた。こんな事を言ってはいけないのだけれど、A 牧師さんとでかけると、お話が 恐ろしくなが~~いのだ。
< 21日 >
朝から 掃除 & 家事。 おじさま(=とうちゃん)と マンマミーヤと ワタシの バラバラの個性が、三日も一緒にすごすと、限界点がきた。ワタシと マンマミーヤ    の 喧嘩が・・・とうちゃんと マンマミーヤの        喧嘩になり・・・ホント こんな時にどうよ?と思うけれど、相性の悪い家族ってあるんですわ。
それにしても喧嘩の度に思うんですけど、話せばわかる。なんていうことありませんから。どちらかが我慢してるだけです。我慢比べ。そして、ある日突然、晴天の霹靂なんです。
> 希望 
各々の独立。もう古い因習にのっかるのはやめにした。アホらしいんでね。その上で、ルームシェア―みたいなのが理想。明日のいのちがわからないんだから 尚のこと、自分の人生しっかりかんがえなくちゃね。と思った。

>写真は、カーテンレールにフックをかけて、洗濯ものを干せるようにしてみた。一応放射能対策のつもり。この先どうなるんだろう?それにしても 節電する気のあまりない人々と暮らすのは気分が悪い。






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ハガキの鍋しきを教えていただいた!

2011-03-20 06:53:23 | まんまのしゃべり
おはようございます。こちらあやかし@。
なぜか休日になると、むちゃくちゃ疲労感が増すあやかし@であります。極力眠るようにしてはいますけれど・・・。

さてさて昨日の鍋しき。

田舎の姉さんが、ネットでめちゃくちゃ分かりやすいやり方が載っているブログを見つけてくれました。で、今日はそれをUPさせていただきたいと思います。 ・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/brunch_dinner/27258548.html
だ、だめだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/brunch_dinner/27258548.html
やっほ!何とかできまして、ございます。
『 今日の晩ごはん 』を開設していらっしゃる あなたさま、ご挨拶のコメントしようと思いましたが、ヤフーさまの関所にひっかかりましてございます。IDとかよくわかんないんですよね。
この場をおかりしまして、
「 どうもありがとうございます。いずれ家族の年賀はがきにて、鍋しきを作りたいと思っています。」
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田舎の姉さんへ 伝言

2011-03-19 14:31:09 | まんまのしゃべり
>姉さんへ・・・

時間が許す時でいいので、この鍋しきの作り方 教えてください。
写真入りで教えていただければ 幸いです。

>写真の鍋しきに使用しているハガキは、1979年 昭和54年のもの。誰が 作ったのかな?

誠に、丈夫で役だっています。ワタシのヤングのお友達が、初めて見たらしかったです。四月になったら、少し時間に余裕ができると思いますので、いろいろ昔の知恵復活したいです。
 
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