地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

『 森と暮らす 森に学ぶ 』 八ヶ岳倶楽部 を訪ねて (その2) 

2008-08-30 03:51:47 | サムライ ニッポン

柳生博さんの『 八ヶ岳倶楽部 』はまだ子供たちが小さかった頃、私のあこがれだった。この夏、八ヶ岳を訪れた際に、お会いすることは叶わないだろうと思っていたけれど、その柳生博さんにお会いすることができた。

         

>この写真は、持参のご著書にサインをお願いしているところ。森のくまさん(=ワタシ)と柳生博さん。

ワタシがこの八ヶ岳倶楽部界隈の山のおうちに憧れていたこと、とうちゃんがずっと企業戦士として働き続けてきたことをお話した。( といってもちょっと興奮状態にあったから、何を言ったのか?あまり覚えていない。)

柳生さんは、この持参した本が古いものであることを感慨深げにご覧になった。

この日とうちゃんは、まだ 前歯の治療が完了していなくて、レレレのおじさん状態だったから、企業戦士が身を削って働いてきたことは一目瞭然だった。

ワタシ、苗字を告げる。●●の●は お○の●・・・。●●の●は ●るの●。
●子の●は・・・。

ところが、柳生さんは苗字に様をつけて、ワタシの名前は書かなかった。一瞬、(えッ?)と思ったけれど、そのわけは次の瞬間すぐにわかった。 

このご本に出逢えたことも、今回のこの旅行で、この八ヶ岳倶楽部に来ることができたことも、まあ 言ってみればとうちゃんのお蔭なんだよね。夫婦は一心同体、大切なのは家族の和、そういうことだと思う。

とうちゃんには、何を言っても、「 聞き流せばいいだろう。」 みたいな言い方で、聞き入れてもらえなかった。という恨みにもにた感情をずっと持ち続けてきたワタシだったから、この一瞬の柳生さんの教えは ちょっと 応えた。

( ですよね、ですね。 森の懐に抱かれていると、素直に納得できました。) 

         

>柳生さんと 森のクマさん 二匹。

    

>柳生博さんと 森のクマさん二匹。撮影 クマのオット。右はダンダントーンで味が変化するフルーツ・ティー、おいしかった。ありがと!

 柳生さんは、柳生一族の末裔らしい。柳生一族がどんな一族か、しらないのだけれど、柳生さんは、どこか悟りを得たお坊さまのような、体 ぜ~~んぶが温かい人でした。

 都会で、ひたすら時間に追われて生きていたのでは、やっぱり正気ではなくなるんだと、自分の人生を振り返りつつ、実感した。

 これからだって遅くはない、機械文明まみれになっている子供たちに何とか自然からのエネルギーを与えてあげたい。

こちら横浜 外は相変わらずの雨とかみなり。
地球にやさしいワタシにならなくちゃあ と お・も・う。


 

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横浜 早朝 雷雨

2008-08-29 05:25:15 | まんまのしゃべり
おはようございます。こちら横浜、お天気は雷雨 

昨日は一日中タッパーの洗浄とお台所のお掃除。あと占いの勉強。(→クリーンさんが作ってくれた魔法の溶液使用にて。)本来は危険な溶液なので素人が使ってはいけないのだけれど、無理を言って捨てないでそのまま使用させてもらうことにした。

何たって2●年どうやっても取れなかった汚れなのだけれど、うそのようにタッパーウエアが蘇る。( ただし時間がかかる。浸け置きしなくてはならない。 )

その昔、タッパー売りのおばさんをしていたから、半端ない量のタッパーがある。つらつら考えてみるに、やっぱり子育てや家事労働より、外に出ている方が好きなんだと思う。

これを占いの見地から考えると・・・実はワタシの星は、陰陽の伝達の星にとまる。(という言い方をする)主星は仕事の星だから、つまりはしゃべりを使った仕事につくと、本人は た・の・し・い!( 結婚にむかない 四大星人 だった。とほっ)

尤も、それで ”飯を食う”なんていうことを考えたら、むっり!(= 無理 )はっきり 無理。

だから、自分で仕事して生計を立てている女性にはうんと憧れるし、尊敬もする。そのうえ、子育ても終了して、ちゃんと独立させました。なんていうことを聞いたらもう拍手喝采。

そのうえ、親の面倒も看ました。介護もやりました。

えッ?しかも、長男の嫁?となれば・・・子分にでもさせていただきたい気分になる。

まあ とはいえ、人には各々与えられた使命があるわけでね、もし、「オーラの泉」なんかで言われているように、過去世がある( →あると思っているけれど)
とするならば、その過去においてクリアーできなかった人生に挑戦するわけでしょ?そりゃあ、苦しいものになっているに違いないわよね。

答えはない。ないわけだから 自分でさがす。占いの知恵を使って。
それが可能なのかはわからないのだけれど・・・親より先に逝かない。これが一番の親孝行だと思う。

さて そろそろ時間だ!今日もとうちゃんの握り飯をつくろう! ん、じゃあ忙しいんで、これで・・。

>写真は 八ヶ岳の空。
このところずっと雨で、「すかっと晴れてほしい!」ってことで。







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あやかし@灰かぶりは・・・  本日大掃除

2008-08-27 05:29:43 | まんまのしゃべり

みなさま おはようございます。おうちを空けている間につもりつもった汚れ。特に油よごれ。    さんの、クリーン さんがやってきて、床と換気扇の大掃除を手伝ってくれます。やっほ! なんとかそれを維持しなくちゃね。埃なんかで死ぬことはないと思うけど、おうちの中が綺麗だと、気持ちいいものね。 やすこ先生に灰かぶり(=シンデレラ)のお話教えてもらってから、マンマミーヤと二人でお掃除がんばっているんです!( 六根清浄、六根清浄・・・。)ん、じゃあ忙しいんで!

                            

>写真は、八ヶ岳~ なんていう場所だっけ?空と雲がとてもきれいだった。
 ところで 写真がいつものように入らないのは なぜなんだろう?困った。

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清里にて

2008-08-25 20:39:40 | たび

              

朝の散歩道

               

右が泊まった宿 『 赤レンガ 』 お犬さま OK! ひと組のみ宿泊可。
左は近所のレストラン。犬OK!のところと 犬 御遠慮ください。のところと区切られているので、犬つきで食事ができる。
清里は動物にもやさしい。

             

これが、萌木の村の 屋外のフィールド・バレエ。今年で19回目。雨がふれば中止になる。運よく 一日目に観ることができた。もし雨が降ってきたら 中止になるので券の購入はぎりぎりにしたほうが良い。( 確か 2~3日 有効 )賭けみたいなところがある。

     

近くに回転木馬があって、15分休憩のときに、15歳以下の子供たちは無料で乗ることが可能。 

もどり 『 赤 レンガ 』 の夕食。 メインは ビーフ シチュー

       

このほかに サラダ。 じゃがいものにんにくベーコンバター炒めみたいなの。グラスワイン。ひらめの きのこ包み焼き。うちの家族は小食なので 食べ切れないくらいの量だった。なんといっても野菜が新鮮でおいしい。もちろん お料理も家庭的でおいしかった。

この日は、宿のご主人が作って下さった。奥様は 中国の山に登っているところだとか? ワタシ達は、食事に行く前 ひょっとしたら 業務用のレトルトじゃあないかな?なんて失礼な噂話をしていた。(→奥様が御留守みたいだったので )
ご主人は見よう見まねでお料理をするようになったらしい。?の スキー連盟の会長さんらしい。脱サラ?で 20年前くらいだっけ?この地にきたらしい。( 人の話を ちゃんと聞けないワタクシ )

       

朝食は、写真のものと チーズトースト、ご主人の入れて下さったコーヒーがおいしかった。家族がビリヤードをやっている間にご主人と話し込む。

脱サラの前は 某メーカーでめちゃくちゃ働いたらしい。ご苦労さまです。いずこも昭和人は頑張ったのですね~~~。

>お薦め・・・こちらは 母屋。 ワタシ達が泊まったおうち( 母屋の横にある )だけお犬さま OK!他の家族に気兼ねしなくていいので、お犬さま付き旅行の方にはお薦め。 

本日は これにて・・・ 今から お風呂に入って ねま~~す。おやすみなさ~~い!  

                     

        

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『 森と暮らす 森に学ぶ 』  八ヶ岳倶楽部をたずねて (その1)

2008-08-24 17:53:28 | サムライ ニッポン
この夏、清里に1泊2日で出かけた。その帰り道、20数年もの間ずっとではないけれど憧れていた 柳生博さんの 『 八ヶ岳倶楽部 』 を訪れることができた。

ワタシの手持ちのご著書は1994年 8月20日 第4発行のものだから、ジャパンが小学校の2年生くらい、マンマミーヤが生まれたころに自分が買い求めたらしい。

作者(=柳生博さん)は13歳になったときに一人旅にでる。そのときに運命的な出会いをしたのが、八ヶ岳近くの西沢の原生林。以下 青字はご著書からの抜粋。

僕は、リス程ではなく、カモシカよりはうんと小さく、そう、タヌキやテン程の大きさに、すうっと小さくなっていったのです。それは、僕を惑わせたり、心配がらせたりするような体験ではなく、むしろ、僕をとても落ち着いた気持ちにさせてくれるのでした。・・・。
 
 多感な思春期の、肩をいからせた自分が、この西沢の森の中では、すっと小さくなって、けれども程よい重みの、そう、生き物としての自分の重みを感じることができたのです。とてもバランスがとれて、非常に安定して地面に立っている。そんな感じです。
 それ以来、例えば恋愛や進学、仕事など、自分で考えて決断しなければならない節目には、必ずここに来て、答えを出すようになっていました。
 この植物の気配に満ちた山の中にいると、他に比較したりする余分な要素が、一切無くなった状態で、ひとつの生き物である僕として、何をやりたいか、どうしたらいいかを素直に考えることができたのです。

 僕は俳優という仕事をしていますけれど、・・・・
特に、売れてきたりすると、褒められて、おだてられるばかりなのです。そうすると、やっぱりバランスが崩れてきます。
 僕は、そういうやばい状態になると、その度にここに来て、自分なりの正気を取り戻していました。けれど、そんな状態を繰り返しているうちに、とうとう、その応急処置的な行為に、限界を感じ始めてしまったんです。
 このままでは、自分も家族も、空中分散してしまう。そんな危機感に、突然、襲われてしまった時がありました。
 僕が俳優としてやっと認められたのは、三十九歳の時。・・・まあ、ずいぶん遅い開花時期でしたけれど、仕事も増えて、お茶の間の人気者になりつつあった時期のことです。
 その頃の僕は、実に傲慢な考えを持ち始めていました。
・・・おきまりの俳優気質に染まっていき、私生活でも、家族を僕の力で育んでやる、という気持ちに陥っていったのです。
 完全に自分のバランスを失っていました。育むことは、決して力づくでするようなことではないのに。
 そして、山に来る度に、僕は家族を育むことに、自信を無くしていったのです。このままでは東京での毎日を続けていたら、家族や夫婦の愛を育むこと、培っていくことができなくなってしまうと思いました。

― 八ヶ岳を目指す ―
そう気がついてからのことは簡単でした。精神生活の拠点を持とう。僕は当然のことのように、ここ八ヶ岳を目指し、家族四人でボロ車に乗り込んだのです。虎の子の預金通帳を握りしめながら―
 その頃の僕は、顔が売れ出したと言っても、所詮は年とった駆け出しの俳優。恥ずかしい話、年収は三五○万そこそこのものでした。とてもゆとりのあるお金はありません。・・・なんとか土地を買ったら、もうお金はほとんど残っていませんでした。
・・・。
十三歳の少年の話を大泉村の人々は一生懸命聞いてくれそして動物や山菜の秘密、山の話などを、いつまでも話してくれた。
僕は、その年代にありがちな、大人を小バカにした少年でしたし、本を書くような人が教養のある人だ、と漠然と思っていました。だから、その時、なんてこの人達は教養があるんだろう、と強く感じたのです。
バランスよく、常識の中で生きている人。つまり、正気の人間だからこそ素敵であり、教養も備わっている。そういうことなのだな、と痛感したのでした。
・・・。
今も、永く東京で仕事をしていると、時折、バランスを崩しかける時があります。そんな時は、まっ先にここに帰って、あの西沢の原生林の中に入って行きます。
そうすると、僕は少しづつ正気を取り戻していき、またすうっと小さくなって、本来の僕の姿になるのです。
 それは、とても安定した、落ち着いた気持ちにさせてくれる重さ―
 実は、この重さこそ、魂の重さなのかもしれない、と思っています。
 あの夏から、ずっと。


自然の中に住まうことはできないにしても、一年のうち何度か、海や山の懐にいだかれる時をすごすことは、子供達にとって絶対に必要なことだと思う。

受験勉強に費やした膨大な時間とお金とエネルギーは無駄だったとは言いたくないが、人間的に豊かになることとはまた別の次元の話だと思う。

実際に、この当時、かの地に山のおうちを望んだ人達は、ごくごく普通のサラリーマンの奥さん達だった。
今まで住んでいた、もう無間地獄のような、欲求不満のかたまりのような二DKの住空間が、とても生き生きしてくるんだな。・・・。
窒息しそうな都会のあの住空間、そして生活、夫婦関係、子供の教育、お金の使い方の悩みまでも面白いように解きほぐされていきます。そうすると、都会の素晴らしさ、面白さがよりエキサイティングになって、仕事にも身が入るわけです。仕事にもがんばれます。


ワタシ達夫婦が、このような試みに挑戦することは、はっきり不可能だったと思う。とうちゃんの仕事は、毎日深夜まで続いたし、朝は誰よりも早くうちを出て働いていたから。

当時、一生懸命働いているのに、どうしてこういう夢がもてないのだろうか?思ったものだ。発想の転換が出来なかった、いやできないくらい、仕事と生活に追われていたように思う。

夢はある意味、切捨て 切捨て生きてきた。それが生きるということだと思っていたから・・・。

>写真は『 八ヶ岳倶楽部 』レストランで飲んだ フルーツティー。奥様 オリジナル。少しずつ、何杯もおかわりすると段々、味が変化してくる。
わくわくして飲んでしまったから、飲み終わったあとのポット。飲む前のポットの中には 贅沢な、色鮮やかなフルーツが沢山入っている。

積年の想いが一気に蘇って、ちょっぴりの後悔の念と、様々な苦しかった思い出がこのフルーツティーの一杯、一杯に 癒された。
 
お会いできるとは思っていなかった柳生博さんにサインもいただいた。現在このご著書は24版になっているとか。

 ここの住人ではないけれど・・・
    大声で叫びたい
       『 ようこそ! 八ヶ岳倶楽部へ 』  














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児言態  三者会談  番外編

2008-08-20 05:25:28 | 思考の支柱
八月十七日 児言態( =児童の言語生態研究会・故上原輝男主宰 )番外編 会談開催・於 渋谷 セルリアン ホテル内 「 坐亡 」
たぬき先生 ・ やすこ先生 (=あだな) ・ ワタシ の三名

全く惜しいことをしたと思うのだけれど、録音の機械を持っていけばよかった。
例えばこんな感じなのだと思う。お寺さんで説法を聞く。
「 いいお話だったわね~。」と満足して帰る。

次の日、誰かに話したくて、思いだそうとしても・・・???はてな状態
ただ今のワタシの記憶力とお話を再生する語彙能力はそのくらい怪しい。
よって・・・
@@@ 記録 @@@
1 縄文時代に立ち返る。火焔土器。文様。人類学、考古学からのアプローチが日本人にはしっくりいく。

2 無意識界 ・・・ 意識界の自分( 自分の思い込み・思いぐせ 等 )を手放すことにより得られる。

3 ポニョ・・・視点の転換 陸にいる人間の視点を転換させて 海から陸を眺める。

4 江戸時代・・・江戸庶民において過去世・現世・来世の考え方は当たり前だった。
現世しかない ただ今の日本人は江戸時代の1/3しか生きる場所がない。

5、名前を変えることによって世界を変えることができる。
多重人格という言葉は否定的な感じで使用されているが、江戸時代には当たり前だった。
>好色一代男・・・好色の捉え方が今と違う。七歳までは神のうち→ 稚児に通じる
例・・・子どもの のぞき。( →女性に興味を持つことは健康な証拠。笑って見守れる大人たち)

6、シンデレラ (=灰かぶり)アンデルセン、同じような童話は世界に結構あって、中国にあるものが一番古く、2000年前位。

恵まれた生活 ~ 一気に転落。

火のそば、かまどに仕える女。かまど~煙突は( サンタクロースしかり)異界のものが出入りする場所。

いざなみのみことの象徴。このかまどは子宮をあらわす。火をつけるということは、生を生み出すことにも通じる。

あの世と交信できる通路を得る。

7、水際で仕事をする人は、神様のお嫁さん。

8、こわい という感覚は実はピュアな瞬間。

9、山に入る時に、触れてはいけない  があり、暖かく包み込むようなもある。
@@@ ワタシのおもい @@@

早朝、たぬき先生( ブック・マーク一番上)のHPに出かけた。昨日(19日)の更新のところに、18日の月と、木星の天体写真があります。とても美しいです。
たまにはね、異空間に身をおくことは大切ですよね。
18日の話し合いは、とっても楽しかったな~。つまりは30年前に一生懸命、わからないなりにも働いていたときの思い出、やりたかった仕事、志、そういったものを再び蘇らせることができたからだと思う。
これまでの自分の生活との接点もいろいろな意味で見出せたしね。

かまどを守る女性。実はこのことが一番子育てに大切なのではないか?とやすこ先生のお話から思った。

火を扱うのは危険を伴う。そういった意味では3Kでもあるわけで、お買い物に行く。新鮮な材料をさがす。暑い中、うちに帰りこれまた暑い場所でご飯支度。それなりおいしいお料理を作る。

家族が食べるのなんて あっという間。自分の都合で三々五々に集まったりすることもあったりして・・・。

あと片付け・・・。このくりかえし。

それのみならず、トイレ、お風呂、洗面台、いわゆる水周りのお掃除。

掃除、洗濯、・・・。・・・。
ここに女性の生きる場所があったんですね。。知らなかった。(っていうか嫌いだけど)
子を持って、家庭を円満に、スムーズに回していこうとするならば、やっぱり 『 火 と 水 を守る 』 ところ からスタートしなくてはならないんだと思う。( ようになった。)
男は 獲物( 今の世の中じゃあ、銭? )を獲って来るのがお仕事。( 獲物はちゃ~~んとおかみさんに 渡さなくっちゃあ~。ねえ~。)

さて この二日間、「それなり守りのかみ」やっとりました。
ただ今 朝の五時半
朝日のぼっています。さ、今日はお肉やさん半額セールの日、頑張るわ!

>写真はこの夏、とうちゃんとマンマミーヤと、ららちゃんの四人ででかけた清里村。
そこで見ることのできる野外のフィールド・バレエ。雨がふったり(酷いときは中止になるらしい)イナズマが光ったりすることもあるらしい。
この日は雷雨のあと、運よく最後まで鑑賞できた。
バックで、夜の虫さんが光に浮かれて一緒に踊っていた。
異次元空間のバレエ。『 シンデレラ 』




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丹波霧は・・・

2008-08-17 05:41:23 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
日々お立ち寄りくださいまして誠にありがとうございました。
丹波霧は本日で終了いたしました。

残りの夏 今年のまとめのようなことが書けたらなあ と思っています。
本日 恩師上原輝男先生がおつくりになった 『 児童の言語生態研究会 』 の、たぬき先生とやす子先生との三者会談にでかけます。

いのちを育てるということは 本当に、本当に、地味で、遅々としていて、それでいて ないがしろにできない正直なもので、手塩にかけなくてはいけなくて、一人ではできなくて、いろいろな方々のお陰によるもので、日々闘いで、・・・際限なく続き・・・

気づけば、大きくなりましたね。とそういう感じなのかもしれない。

ウンチをかたづけ、おしっこを拭き、えさをあげ、水をあげる。毎日が同じようでいて、同じではない。

喜びであり、忍耐であり、どう考えても、自我を捨てるということをしていかなくてはならない作業だと思う。

それが、自分育て ということにもなるのだろうと思うけれど、我をすてるなんていうことはそんなに簡単にできることじゃあないと、いつも思う。

本日 お知恵を頂きにでかけてきます。なかなかね~自分ちの子どもだって、というか、自分ちの子どもだから 難しいんですよ、こ・そ・だ・て。

>写真はピンぼけしているけれど、お気に入りの一枚。
 お題 「 ららちゃん バレエ 」 しっぽが喜びをあらわしているようでかわいい。親ばか。

『 忘れ水物語 』丹波霧は 八月六日 に移動させました。
どうぞ また来年もお越しくださいませ。
 


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ある被爆者の記憶  『  忘れ水物語  』 序

2008-08-06 08:16:16 | ある被爆者の 記憶
+++ 追い書きより抜粋 +++
いざ出版するとなると、この作品の性根のようなものからいって、そうすることが適当であるのかどうか迷ってしまう。
 深くて長い、それでいて、明暗の分かたれぬ以前の薄明と沈闇の、未発の状態でいることが、いまだに正しいように思えてしまう。
 原爆のことを書こうと思ったのは、その傷跡がまだ傷跡とも固まらぬ頃であった。正しくは、書こうなどという意志からよりも、興奮のうわごとを書きつけていたというべきであった。
 そして、その頃、二つの作品を見て、以後、私は筆を折った。
 映画 ”原爆の子”と、丸木夫妻の ”原爆の図 ”であった。
 世評はいずれも大反響があったが、私は、映画では身震いするほどの嫌悪感を抱き、絵画の前には不思議に素直になれた。人間が破壊されているのに、破壊されない人間が、破壊された扮装をすることに憤りさえ思ったのを忘れない。これ以上の陵辱があるだろうかと思い、人間の愚かしさをつくづく思った。それに較べて、丸木氏が木炭画を採択し、しかも赤ん坊だけは、無傷の儘に画かれたことに思わず息をのんだ。書かねばならぬこと、後世に伝えねばならぬことは、事実よりも、その事実に遭遇した人々の想念なのだ、と自覚させられた。

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 忘れ水  物語

2008-08-06 08:14:03 | ある被爆者の 記憶

                           

 

            恩師  上原 輝男 先生の   ご著書
                             先生の還暦祝いに  弟子達が作ったもの
                        その後 主婦の友社から出版されたと聞いたが
                               絶版になっていると思う。

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 忘れ水 物語   目次

2008-08-06 08:12:44 | ある被爆者の 記憶
 雪が燃え  
       修羅の刃を  
               くぐりけり     ― 夕雨 ―

+++ 目次 +++

お国入り         1    ( 2006, 8 , 6 )
黒の水引とんぼ   17    ( 2007, 8 , 6 )
丹波霧         59    ( 2008, 8 , 6 )
お百度詣り      81
蛇の目傘      101
市松人形      123
かぼちゃの少女  141     ( 2005, 8 , 6 )
金気の水      183
名残り        205

追い書き

>>>>>  読みすすむ  順序  >>>>>

カテゴリーからのアクセスではなく、ご面倒様ながら、
2006年 8月 6日
2007年 8月 6日 と お読みいただきまして、今年の八月は「丹波霧」を八月中に少しづ転載させていただく予定ですのでどうぞお読みください。

「 丹波霧 」 終了後には、記事を入れ替え、上から下へ読みすすむことができるようにします。
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