紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

パリ・ドイツの旅・10

2008-07-11 06:37:11 | 5・旅の日記
■迷い道

修理工場の人に教わった通り、つきあたりを左に曲がり、アウトバーンの下をくぐり抜けて、迷いつつもなんとか国道に入った。
そして、ランダバウト(交差点)などをなんとかクリアしながら、ひたすらオッフェンブルグを目ざした。運転しているのは、トントン。私は地図と道路標識から、少しも目が離せない。

行ってはもどって、ようやく、またオッフェンブルグのハーツの事務所が見えた時は、あ~振り出しに戻れたとホッとした。

ところが、その後も簡単には行かなかった。
そこから今度は、さっき「ズズズズ・・」と書いてくれた地図に従って行こうと思ったら、トリベルグに行く枝道をあっという間に通り過ぎてしまった。
しかたがない。
「ちょっと右に曲がって。それからもどってこよう。」といって、右に曲がったら、なんと知らない間にアウトバーンを走っている。
「えーダメーーー。アウトバーンはダメっていったじゃない。」とパニくるトントン。
「こうなったら、次の出口までいってから、またもどるしかない。」と、どんどんわけのわからない所にいってしまう。

一体このアウトバーンはどちらに向かって、どこに行こうとしているのか。それもわからない。
冷や汗たらたら、生きた心地がしないまま走り続け、ようやく出口にたどり着いて、アウトバーンから抜け出した。

そうして、やれやれと思って、町の名前を見たら、なんと、「Achern」
さっきの修理工場のある町ではないか。
もう泣きそうになりましたね。
というのはウソで、笑って笑って、笑いころげました。

こんな所に2度も来ちゃって、バッカみたい。だけどいいことが一つある。Achernからオッフェンブルグまでの道はようく知っているのである。
時刻を見たら、もう6時。さっきこの町にいたのは、4時前だったけど、2時間もたって、まだ同じ町にいるのだった。本当なら、もうとっくにトリベルグについて、ビールを飲みながら夕食を食べているはずの時刻である。

しょうがない。今日はいつトリベルグに着けるかわからない。腹ごしらえしよう。
ということで、国道の途中で見つけて入ったホテルのレストラン。まだ時間が早いので、お客は私たちだけ。
でも、すごーく感じのいいマダムで、疲れが吹き飛んだ。




トントンはサラダ、私はスープを頼む。パンも出してくれて、飲み物はティー。
どんな種類のティーか聞かれたけれど、なんと答えていいかわからなかったら、いろんな種類のティーを持ってきてくれた。
そして、いわゆるティーは、「ブラックティー」というのがわかった。
ここのトマトスープはばつぐんにおいしかった。これで、今晩夕食にありつけなくても、とりあえずは何とかなりそうな感じ。




ホテルの入り口で。




借りた車の前のトントン。二人ともとりあえず腹ごしらえをしたら、元気になった。




ここで私は、ヤッホーブログをアップしてないことに気づいて、携帯で写真を撮った。その日に限って、アップしないと、トントンと出会えなかったと思って、心配する人がいるだろう。
それがこれである。

そうして、ようやくまた、振り出しのオッフェンブルグのハーツの前を通り過ぎた。

その後、トリベルグに行く枝道に入れずに、二回も行き過ぎてはもどって、というのを繰り返し、やっと本来の道に入れたのだ。バンザーイ!
その道に入ったら、後はまっすぐまっすぐ50km弱進んで行くだけなのである。


ホテルに着いたのは、夜9時過ぎ。おそくまで明るいので救われた。あれで街灯もない真っ暗な道だったら、トリベルグで目ざすホテルを探すのも大変だった。町では親切な人が、ホテルまでの道を教えてくれて、わざわざどこかに行こうとしていたのに、ホテルまでもどって、指さして教えてくれた。
言葉が通じないので、そうでもしないとわからないと思ったんだね。きっと。

ホテルの窓から見た景色。かわいい家が並んでいる。こんな時間でも明るい。




そして、近くのレストランにいった。
まず、ビールとトントンはティー。




私はピザを頼み、トントンはホットアップルパイ。分け合って食べたが、どちらも、すごーくおいしかった。




シュバルツバルト(黒い森)での1日目は、こうして暮れた。長い一日であった。

長い文章になってしまったが、これでも失敗の5-6こは省略しているのである。(汗)


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