【11月5日(土)】
立処山登山口→鍾乳洞→立処山山頂→立処山登山口
6日(日)に神流町で開催される第3回神流マウンテンラン&ウォークにダーリンが出場するため
「応援」と称してぴすけも同行した。
昨年の第2回に出場したダーリンは、町民の方が自宅を宿泊先をとして提供して下さる
「ボランティア民泊」を利用した際に、お世話になったK家の皆さんのことが忘れられず
また、大会にかける町民の皆さんの歓迎振りが嬉しく
今年はなんとしてもぴすけを連れて行きたいと考えていたようだ。
今年7月に開催されたOSJ志賀高原トレイルの際に
ダーリンが走っている間に登った志賀山で味を占めたぴすけはというと
今回は父不見山(ててみえずやま)登山を目論んで、同行したのだのだった
神流町までは、10時に高崎駅東口発から送迎シャトルバスが運行されることになっており
我々は7時36分最寄り駅発の宇都宮線に乗り、大宮駅で高崎線に乗り継いで高崎駅へ。
10時発の送迎シャトルバスを利用する人は10名に満たなかった。
実は、10時発のシャトルバスを利用したのには訳があった。
神流町では、大会の特別企画として、そば打ち体験や昔ながらの豆腐づくり体験など
6コースの山村体験メニューを用意していて、我々は大会前日だというのに
「鍾乳洞での暗闇体験とのんびり登山」という謳い文句に騙されて
「タトロ山・鍾乳洞探検」に申し込んでいたのだった。
ダーリンはバスの中でも、恒例の「眠る男」に変身
バスは約1時間半で、神流町の中心部である万場に到着した。
バス停に到着早々、弁当を販売していた女性が声を上げた。
「あら、ダーリン、ダーリンじゃないの」
驚いて振り返ると、昨年ダーリンが宿泊先としてお世話意なったK家の奥さんであった。
覚えてくれていたことに感激したダーリン
受け付けにはまだ選手の姿は見えず、町のボランティアの皆さんが忙しく準備をしていた。
ダーリンはミドルクラス23kmと山村体験の受け付けを済ませ、事前に予約した弁当を受け取った。
出店のテントもまだ設置されたばかりのようで、店員がいそいそと品出しをしている。
物欲に駆られたダーリンは、人が少ないのでじっくり商品を見て歩いている。
12時50分までに山村体験のバスが発車するバス停に集合なので
1階が休憩所として提供されてるこいこいアイランド会館で、お昼を食べる。
ダーリンはせいご園の「ガンバレ!ます重弁当」。
ぴすけは今井屋旅館の「神流のいろどり弁当」で、これがかなりおいしかったのでびっくり。
お昼を食べて、バス停に向かう途中で群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」と遭遇
ぐんまちゃんは可愛いけれど、着ぐるみ()から覗くスニーカーがちょっと不釣り合い
万場のバス停に待機していた神流町のスクールバスに乗ると、13時にバスが発車した。
バスは、以前は「木古里(きこり)」といううどん店で、今は山村体験処となっている
オーナーの高橋さんの御自宅前に停車。
この高橋さんこそ、今回の立処山・鍾乳洞の案内人として同行してくださる方だったのだ。
事前の説明で、普通は鍾乳洞見学と立処山登山に正味3時間かかるが
今日は大会のイベントの「鏑木毅のトレランクリニック」が16時から予定されているため
15時40分にはここを出なければならず、2時間しか時間がないとのことだった。
え?鍾乳洞探検に30分かけたら、1時間半で往復するのか?
昭文社発行の『山と高原地図』西上州では、登り50分下り40分で1時間半だが
同じ昭文社発行の『山と高原地図』雲取山・両神山では、登りも下りも1時間かかると書かれ
神流町発行の『神流町山歩きガイドマップ』では、登り1時間下り45分の1時間45分だ。
1時間半で往復できるのだろうか。
「皆さん山を走られている方だから、大丈夫でしょう。」
案内人の高橋さんはそう言って、歩き始めた。
登山道は最初こそなだらかだったものの、徐々に傾斜を増していく。
基本的には土の道の上に落ち葉が積もった状態で、踏ん張りが利かない。
それでも途中小休止を入れながら45分で鍾乳洞前に到着した。
鍾乳洞を入ってすぐに梯子が架けられているものの、あとは人工的な手掛かりはほんの一部で
しかも鎖が途中で切れていたりする
照明は皆無で、自分のヘッドランプや懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
ピンポイントで足元を照らしているだけの明かりは、平衡感覚やら距離感やらを狂わす。
石灰岩のつるつるした傾斜のある場所を歩くのだけでも怖いのに
表面が濡れていて、さらに滑りやすくなっている。
奥へ奥へと進んでいくと、目の前にコウモリがたくさんぶら下がっている。
ひときわ天井が高くホールのようになっている場所で、高橋さんが言った。
「はーい、皆さん、懐中電灯の明かりを消してみましょう」
明かりを消すと、そこには漆黒の闇が広がった。
参加者が口々に話しているため、まだ近くに人がいる感覚があるが
これが静寂を伴う闇であったら、長くは耐えられないだろう。
人間が毎日毎日睡眠という静寂と漆黒の闇を耐えられるのは、意識を失うから耐えられるのだ。
30分ほど鍾乳洞にいて、行き止まりになったところで来た道を戻る。
鍾乳洞を出て山頂に向かう道は、ますます傾斜を増し、山頂へ続く尾根に出るまでほぼ直登だ。
途中ロープや鎖があるので、それを使えば難なく登れるが
相当な傾斜と悪路に、下りる時の不安が既に首をもたげている
尾根を上り詰めると、頂上は石灰岩の岩峰になっており、そこをよじ登れば360℃の大展望が広がる。
天気はあまり優れなかったものの比較的展望が利き、周辺の山々が美しく眺められた。
セメント原料の石灰採掘のため、頂上がすっぱり切れてテーブル状になっているのが叶山。
その向こうに突き出たピークが埼玉県小鹿野町にある二子山の西岳。
南に眼をやれば、両神山がゴジラの背のような稜線を呈している。
北面はすっぱり切れ落ちていて、高度感抜群だ。
下方には、恐竜センターの緑の屋根が見える。
山頂で15分ほど休憩と写真撮影を行い、あとは恐怖の下りのみ
ぴすけは最後尾についたが、前方では落石を起こしたり滑ったりしているらしく
「ラーク」という声や石が転がり落ちる音、悲鳴などが聞こえてきた。
鎖やロープのある箇所は問題ないものの、臆病なぴすけは徐々に遅れ始め孤立化。
こんな急傾斜で足がかりのない道を、よくみんなあんなに早く下りられるな。
「だってみんなは怖がっていないもん。」と、ダーリンは言うが
そう言われてもどうにもならず、ぴすけはへっぴり腰で、しまいにはしゃがみこんでしまった。
ダーリンが早く下りてくれて、前方の人にバスの出発時刻に間に合わなければ
我々は別の交通手段で帰るので、時刻になったらバスを出して帰ってくださいと伝えてくれた。
これのどこが「のんびり登山」なんだか…、と、毒づきたくなるほどぴすけにとっては歩きにくく
恐怖の下りであった
この下りで、明日の天候如何にかかわらず、父不見山の登山への気力を使い果たした気がした
もう、むしろダーリンとぴすけをおいていってくれた方が気が楽だと思いつつ、懸命に下りる。
最後の平地は走って木古里まで行くと、まだそこにバスは停まっていて
皆さんが高橋さんからカリンをお土産にもらっているところだった。
「皆さん、遅れてごめんなさい。御心配をおかけしました。」
そう言って頭を下げると、高橋さんが
「時間どおりですよ。また皆さん、ぜひ神流にいらしてください。」
と言ってくれた。
16時からの「トレランクリニック」会場は、既に満席であったため
会場1階に設置されたテレビで会場の模様を視聴。
トレランクリニック終了後は、17時30分からのウェルカムパーティーの会場になっている
万場小学校の体育館へと移動。
昨年の参加者は約600名だったようだが、今年は約730名に膨れ上がりかなり窮屈。
大会プロデューサーの鏑木毅さんのあいさつ。
トレイルランナーの憧れの的なのだろう、パーティー中もサイン攻勢にあっていた。
パーティーの開会を待つ間の静けさとは裏腹に、乾杯の合図と共に皆料理に殺到。
ジャズの演奏がかき消されるほどの喧騒の中、上半身裸になって懸垂を始める参加者がいたり
明日は大会だというのに底抜けに酒を飲んでいる人がたくさんいたり
なんだか皆さんいろいろな大会で知り合いが多かったり、グループで参加していたりで
下手な結婚披露宴や卒業謝恩会などより遥かに盛り上がっている。
ぴすけは昼間の恐怖で精神的に疲れたうえに、この盛り上がりに気圧されてぐったり
19時30分にウェルカムパーティーがお開きになると、今夜の宿泊先の奥さんが
会場の外でプラカードを掲げて待っていてくれた。
我々2人のほかに、ウェルカムパーティーでテーブルが一緒だった女性3名も同宿となり
奥さんが運転する車でお宅まで行き、明日は6時に出発することにして、入浴後就寝
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