ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

慈恩寺の宗教と仏像展 ~本堂落慶400年記念~

2018-10-09 23:52:11 | 仏教彫刻探訪

奈良時代に聖武天皇の勅命によって開かれたと伝わる
山形県寒河江市の古刹・慈恩寺で、本堂落慶400年を記念し
「慈恩寺の宗教と仏像展」が9月10日(月)~10月14日(日)まで開催されている。
かねてから慈恩寺を訪れてみたいと考えながら、なかなかその機会はやってこなかった。
ところが、2013年に吾妻小舎でお世話になった雅子さんと熊爺に
28日(金)に福島で会う予定があったので、それなら山形まで行ってしまえと
念願の慈恩寺行きが決定した。
28日は、郡山駅で熊爺と待ち合わせて、福島に向かった。
雅子さんと熊爺と3人でお昼を食べたついでに買い物に行こうと車に乗ると
「なんだかまるで5年前に戻ったようで、涙が出ちゃうわ」
と、雅子さんがつぶやいた。
3人で車に乗ると、5年もの歳月が経ったことが信じられないほどだった。
雅子さんのお宅に戻り、お茶を飲みながら暫し歓談した後は
「久しぶりのドライブだと思えば良いよ」
と言ってくれた熊爺が、山形まで送ってくれた。


29日(土)、空模様を心配しつつ、左沢線(あてらざわせん)に乗り、山形駅を出発。

慈恩寺にいちばん近い駅は羽前高松駅だが、そこからだと徒歩で慈恩寺まで25分ほどあることと
雨の降り出しが心配だったため、奮発して寒河江駅で降りてタクシーを利用。
寒河江駅からだとそこそこ距離があるようで、片道1800円ほどかかった

慈恩寺に着いて、最初に目に飛び込んできたのは三重塔だった。
しかし、タクシーは三重塔の前をスピードを落とさず通り過ぎ、仁王門の前で停車した。

仁王門も三重塔と同様、江戸時代の再建ながら古色蒼然とした佇まいで
それがかえって周囲の緑を鮮やかに見せていた。

向かって右には阿形の金剛力士像。

向かって左には吽形の金剛力士像。
本堂を参拝する前に三重塔に戻り、境内を散策。

手前の堂は釈迦堂で、奥の堂は天台大師堂である。
慈恩寺の宗派の変遷は大変特殊で、創建時は律宗であった。
しかし、その後は真言宗に、後に天台宗となり修験も入った。
1952年の宗教法人法改訂により、天台真言両宗慈恩寺派となり
1972年には慈恩寺宗として独立して現在に至っている。

では、いよいよ本堂へ。

こちらが本堂。
本堂に上がると、左手の広縁で参拝料金800円を支払い、堂内へ入る。
参拝者が一定数集まると、住職が説明をしながら堂内を案内してくれる。
大変印象に残ったのは、鎌倉期の仏像においては、慶派の特徴を有する仏像が多く
それらの仏像は寒河江で造られたものではなく、京都の仏師に依頼して作成し
京都から運ばれてきたものであろうこと。

とくに、本堂左手の木造阿弥陀如来立像は「歯吹きの弥陀」と呼ばれ
口は少し開かれた状態で説法中の姿を表しているそうだ。
口の中には実際に口金が入って歯が刻まれており、金歯も嵌入されている。
衣紋の襞は流麗で衣には截金が施されており、快慶の作風の影響を受けていると考えられる。
その他、図像には描かれるものの、木造では慈恩寺の4躯のみという大変珍しい十羅刹女像や
胎内より血書経が発見された聖徳太子立像なども独特の威厳を放っている。

本堂の東にある堂は薬師堂で、薬師三尊を十二神将が取り囲むように守護している。

この薬師三尊の興味深いところは、本尊は京都において院保が造像したことが判明しており
脇侍2躯は慈恩寺において造像したもので、本尊と脇侍のお顔立ちが全く違うことである。
そして、なんといっても躍動感あふれる十二神将は鎌倉期の特徴をよく備えている。

なかでも申神将・安底羅大将(あんていらたいしょう)の表情は
多くの参拝者の心を捉えて離さないだろう。


仏像の写真は、寺院パンフレットから転載しました



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
残念、行けない! (芝刈り爺さん)
2018-10-10 18:36:09
慈恩寺と聞いてあの岩槻の慈恩寺??と思っていたら。なんとも風情のある山形の寒河江の慈恩寺ですね。何年か前行きました、、。いいお寺でした。近いうちに蔵王の温泉に行くときにと思ったら。。14日までですね、、。タッチアウトでした。でもいいお寺ですね。
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以前にご参拝とは、さすが! (ぴすけ)
2018-10-14 14:00:42
芝刈り爺さん、以前に慈恩寺にご参拝なさっていたとは、さすがです。
今回の参拝は、ちょうど本堂再建の記念企画展示があり、普段はお目にかかれない秘仏が一堂に会していて圧巻でした。
慈恩寺には、鎌倉時代慶派の特徴を有した仏像が多いことにも驚きました。畿内で制作した仏像を出羽国まで運ばせるだけの財力と勢力を持っていた寺院だったということですね。
それが現在まで残されてきたことも、寺院をはじめ地元皆のさんや行政が、地元の宝だとして守ってきお力によるものだと思います。

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Unknown (まけねこ)
2019-02-26 02:32:26
仏像に何の興味も無いまま慈恩寺に行き、仏像の魅力に引き込まれた者です。
こちらの仏像は本当に素晴らしい物ばかりで、興味がなくとも作りの細やかさと展示の上手さに、してやられました。
特に十二神将は。。。
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ご住職のお話しも楽しいです (ぴすけ)
2019-02-28 15:08:20
まけねこさん、ようこそ当ブログへお越しくださいました。
本当にすばらしい仏様ばかりで、私も感激しました。
とくに、私の好む時代と作風のものが多くて、食い入るように参拝してきました。
私が行った時は、ご住職がひととおり歴史や由緒・仏像の特徴などを説明してくださったのですが、そのお話がとても楽しかったのです。
また行きたいお寺です。
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