ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

吾妻小舎での時間

2011-08-20 12:24:58 | 登山(雑記)

何かに刺された足の痛みを抱えながら、なんとか吾妻小舎に着いたのは15時10分だった。
いつ雨が降ってもおかしくない空模様だったが、我々は運良く雨に当たらずに済んだ。
吾妻小舎の台所からは灯りが漏れていて、窓を覗くと熊爺の姿があった。
「熊爺、こんにちは。今夜お世話になります。」
そう声を掛けると
「いらっしゃ~い。待っていたよ。万年バロック青年も、お待ちかねだよ。」
と、迎えてくれた。
2階に上がると居間で万年バロック青年が
「いやいや、お疲れさんでございます。私も先ほど着いたばかりですよ。」
と、5月の春山以来、3か月ぶりの再会を喜んでくれた。
熊爺によれば、我々のほかにもう一組、いわきから見えた御夫婦が今夜宿泊されるとのことだった。
御夫婦が見える前に、ぴすけは何としてもしたいことがあった。
居間から一段高くなっている寝床のカーテンを引き、赤ちゃん用のウェットティッシュで体を拭き
2日間着ていた衣類を着替えて、最後に靴下を脱いだ。

ガガーーーン

くるぶし周りが象の足のように腫れて、しこりになっている。
よくここまで靴を履いて歩いてきたものだと、我ながら感心する
手で触ると、腫れのほぼ中心部に痛点があるのだが、そこが刺されているように見えないのが不思議だ。
靴を履かなければ、階段の昇り降りで痛みを感じる以外は、全くといっていいほど問題はない。
う~ん、本当に虫刺されなのだろうか…
着替え終わったので、先月の志賀高原でのすっ転び事件の傷を万年バロック青年に見せていると
それに負けじとダーリンがなぜかパンツ一丁で、先日の脚立転落事件で作った痣を見せびらかした。
実は10日に、ダーリンは職場で脚立から転落し
頬と顎に擦り傷を作り(誰かとそっくり)、左上腕部内側と右大腿部内側に大痣をこしらえたのだった。
しかし、2人で傷自慢をして見せびらかしている我々を、万年バロック青年はどう感じたのだろうか。
娘曰く「なんだかとっても楽しそうだけれど、あんまり羨ましくない」というところだろうか。


18時40分、熊爺から「御飯ですよ~」と声が掛かり、食堂へ。
今は訳あって、熊爺一人で小舎も野営場も切り盛りしていると聞いていたのだが
以前と変わらぬ品数の献立に、熊爺の気持ちが籠もっていると感じ、感激した。
我々が泊まるというので、管理人の雅子さんからも、ぜんまいの煮つけが差し入れられた。
熊爺も雅子さんも、無理をしないで体を大事にしてほしいと願いつつ、ありがたくいただいた
万年バロック青年はというと、既に恒例となっているワイン試飲会を開催
ミニボトル3本を開けて皆に勧めるのだが、いわきからの御夫婦を交えても揃いも揃ってお酒に弱く
「6人でミニボトルが3本空かないなんてな~、みんな飲まないね~
と、呆れ顔。
それでも楽しく各地の山や植物、明日の行動予定やこれから登りたい山の話題などで盛り上がり
吾妻小舎の夜は更けていった。



8月16日(火)の朝、やはり4時30分を過ぎると明るくなるからだろうか。
誰からともなく起き始め、各々散歩に行ったり身支度を整えたりしている。

ぴすけはここでも雑記帳に雑文を書いている

朝食まで、浄土平野営場の「我が家」・A2サイトへ行き、震災の影響がなかったか確認。

野営場から吾妻小舎までの道に咲くノリウツギ。
小舎に帰ると、万年バロック青年は…

まだ蓑虫状態であった


朝食を済ませた我々は、8時30分に小舎を出ることにして、各々身支度を整えた。
吾妻小舎は風が弱い場所だが、この日は風もあって、東吾妻山の方角には雲が垂れ込めている。
天気が快方に向かうことは望めなかったが、夕方まではなんとかもつものと思われた。
足の痛みも快方に向かっているとはとても思えず、靴を履いて歩くと激痛が走った

それでも、15日に歩き通した妙な自信から、この日も歩けるだろうと楽観予測。
もちろん、自分の体の状態は自分で判断し、我が身は自分で引き受ける覚悟はしている。
熊爺に見送られ、いざ、磐梯山へ向けて、出発



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