道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

文明的生活

2010-08-15 10:27:52 | 社会一般
昨夜、冷蔵庫に入れておいた水を出して飲んだ時、
便利な世の中である、と思った。

冷蔵庫が無い時代から生きているわけではないが、想像するに、昔の人間が真夏にこれだけ冷たい水を飲もうとしたら、それなりに大変な思いをしなければならなかったはずである。
井戸水はなかなかに冷たいが、ポンプで汲み上げようとしたら、コップ一杯分だけ出すのは難しいだろうし、つるべ式だったら、誤って落ちる危険すらある。いずれも、夜中に喉が渇いたからといって、気楽にしようと思える作業ではない。
それが今では、蛇口をひねれば水道水が出て、それをペットボトルに入れて冷蔵庫で冷やせば良い。氷を作ることすら、労せずしてできる。
かつて放送されていたテレビドラマ「恐竜家族」に、「冷蔵庫感謝日」という年間行事があったが、実際に制定しても良いと思う。


しかし、一方で、技術が発達したために、却って不便なこともある。

まず第一に、テレビのリモコンは無駄であろう。少なくとも我が家に於いてはそうである。
どこにあるか分からなくなってしまうと困るから、リモコンは常にテレビの脇に置いてある。チャンネルを変える時、音量を調節する時、いずれも席を立ってテレビの前まで歩いていって、そこでリモコンを手にとって操作する。
はっきり言って、その手間は、ダイヤル式と何ら変わらない。そして、リモコンは電池を必要とするのだから、面倒だし、電気が無駄だ。
エアコンもまた同様である。リモコンで持ち運べることに何のメリットも感じない。
しかし、今時、電器屋にあるほぼ全てのテレビとエアコンがリモコン式であり、電池の交換が面倒だからといってそれを買わないわけにはいかない。

自動ドアもまた然り。
もちろん、自動ドアが本当に必要な場所もあるが、スーパーやコンビニの入口に付ける必要はないだろう。幸い私がアルバイトをしているコンビニは手で開けるタイプのドアだが、特に不自由した憶えはない。車椅子の客が来ても、店員か他の客が代わりに開けてあげるのだから、何も問題ない。もし、入口が自動ドアだと、電気が無駄になるし、開閉の動作が鈍いと鬱陶しい。短気な客は怒り出すかもしれない。
そして、防犯上もよろしくない。例えば、住宅や施設などで、入口にカードキー開錠式の自動ドアが設置されているところは少なくない。しかし、誤って人間を挟んでしまった時のために、その多くには、隙間に異物を検知すると自動的に開くという安全設計がなされている。これを悪用すれば、キーがなくてもドアを開けることくらい簡単にできる。
それよりも、手で押し開くタイプの従来通りのドアに施錠した方が、防犯上も安全上も優れているだろう。

新しい技術を導入したために、却って不便になった例というのは、案外多いものだと思う。

「お客様は神様」

2010-08-05 00:13:36 | 社会一般
日本の良いところの一つに、サービス業の平均的レベルの高さが挙げられると思う。空港で中国人旅行客から聞き取り調査を行うと、かなりの人間が日本の印象として「接客が丁寧で驚いた」と言う。星付きホテルやレストランはともかく、そこらへんのスーパーやコンビにでこのサービスの良さは、異常にすら思われる。
ほぼ全員がそういう環境の中で育っているから、そういう人間がバイトで雇われた際も、あまり教育を受けなくとも丁寧な接客を自然に行う。こうなると、ある種の無形の伝統文化になりつつあるとも謂えるかもしれない。
ただし、その反面で、釣銭詐欺など、過剰なサービスの良さを利用した犯罪もなされているわけで、短所がないわけでもない。

自分も、アルバイトながら、細く長く接客業を行って来た身であり、日本式平均的接客態度というものは板に着いている。どんなに眠くても、ひとたびレジに立てば言葉遣いは間違えないし、客のイレギュラーな要求にも対応するし、無礼な客には慇懃無礼に皮肉を返す。
決して上等な方ではないが、まぁ、そこらへんによくいるそこそこの一般的店員と謂えよう。


そんな、そこそこ接客業歴7年のこの私であるが、先日、お客さんから初めて言われた言葉がある。
一人の老婦人が店内に入って来て、猫の餌とトイレ砂の有無を訊ねて来た。そこで、私はペット関連の一角に案内した。そこで、彼女は「缶詰じゃなくて、ドライフードは無いの」と訊いて来たので、「申し訳ございませんが、当店では現在取り扱っておりません」と返答する。
すると、彼女は、遠くにあるスーパーに行くのは大変だから、ドライフードを常備して欲しいという要求をした後で、このように言った。

「お願いしますよ。だって、“お客様は神様”でしょ?」

客の側からこの言葉を言われるとは思っても見なかったが、これを言われると日本の店員というのは弱い。実質はどうあれ、働いている間は、この言葉を建前とするのが、日本の接客業文化というものだからである。

全ての客を神様として扱うのは実質上不可能であり、無理を通して倒産しては元も子もないのであるから、これは建前に過ぎない。しかし、その場は若干の無理を通してでも目の前にいる客を満足させ、たとえその場では損を出しても、後々の利益につながる信用を勝ち取る、というのがこの言葉の真意と謂えよう。
そのために、とにかく目前の客に対してはベストを尽くすようなうわべを取り繕ってその場を乗り切るのが、日雇いバイトの常とも謂えるのだが、この言葉を客から言われると、何となく我々の欺瞞を見透かされ、したたかに利用されたような気にもなってくる。



そういえば、思い返せば、この言葉を私も言ってやればよかったと思うことがある。

あれは、とある友人と二人で入った、渋谷の「黄金の蔵」でのこと(こういっても具体的な店舗は特定されないくらい、渋谷には「黄金の蔵」が多いが)。普段、私は格安居酒屋と言えば「一休」か「新宿かっぱ」か立呑み屋で、「黄金の蔵」に入ることはない。だからこのチェーン全体についてはよく知らず、これは渋谷のあの店舗だけの話なのかもしれないが、とにかくサービスが悪かった。
注文したものが全く来ない。まず、最初のビールすら、頼んでから20分程経ってからようやくやって来る。店が混んでいたのは確かだから、これは仕方が無いことなのかもしれない。そこで、もう諦めて、精算をして別の店に行くことにした。

金を払って、レシートを受け取ると、その内訳と実際に来た品数が合っていない。そこで、それについて訊ねてみると、どうも、サラダが一つ来ていなかったらしい。
テーブルに来てもいないもので料金を取られるのは不当であるから、その分の代金を返すようにレジの店員に要求した。
すると、
「只今作っている最中ですので、返せません」
と即答。

注文してから30分以上も来なかったのだから、もうこれは作っている最中であっても店側の責任であろう。第一、サラダなど、よく注文されるものなのだし、少々置いておいても品質は落ちないのだから、作り置きと思えば良いはずだ。
これはレジの逃げ口上に違いない。しかし、それで言い合いになってもつまらない。
そこで、私は言った。
「それでは、テイクアウトでお願いします。」
店員は一瞬詰まったが、はいわかりました、と言って厨房へ向かう。

それから待つこと約10分。
厨房から、一人の店員が白いビニール袋をぶらさげて、やって来る。
まさか、とは思ったが、そのまさかであった。

ビニール袋の中に、直接サラダが入っている。紙箱はおろか、皿すら無い。
おそらく、客に持ち帰らせることなどそもそも想定外で、そのための器具はなかったのだが、言ってしまった以上店員には店員の意地があるから、無理やりビニール袋で間に合わせたのであろう。
ここで「神様であるお客様に対して何事か」とでも言えばよかったのであろうが、私は神様ではなく仏の心でそれを許し(というよりも、最早笑い話として面白く感じていた)、店を後にした。

帰りのエレベーターの中では、べろんべろんに酔った女の人が、何やら英語で「ファッキンエレベーターは一階に行く途中だけど、いい」と訊いてくるから、我々は、もちろんそうだ、と応えた。彼女が「ファッキンハッピーゴールデンウィーク」とわめいていたのが妙に印象に残っているから、あれは5月のことだったのであろう。
とにかく、それ以来、「黄金の蔵」には行っていない。

共通の話題

2010-06-25 01:52:20 | 社会一般
イギリスでは放送法で、「国家の団結を図るため」に、地上波でスポーツのメジャーな大会を全て放送しているらしい。当然、サッカーのワールドカップは全て放送される。

スポーツの国際大会というのが「国家の団結」につながるというのは、まぁ、その通りで、日本でも「日本は決勝トーナメントに進めるか」というような話題を新聞・雑誌でよく見かけ、ネット上でも様々なコメントがなされていて、大半は日本代表を応援している。
私のような非国民は例外として、多くの国民が「日本人として」ワールドカップを話題にするのであるから、なるほど「国家の団結」を促進する行事と謂えよう。


「民族自決」(こう書くと集団自殺みたい)だとか「ネーションステート」というのは近代西洋の生み出したフィクションで、現在も有効かというと少し怪しい。
小規模な団体であれば、利害の共有・目的達成のための協力によって結びつきが強まるが、国家規模で全ての構成員が帰属意識を強めるような利益配分というのは難しい。それこそ、「仮想敵国」でも設定して「危機」を喧伝しない限り、不可能であろう。

こういう状況下で機能するのが、「共通の話題」なのである。
共通の言語で、共通の話題を話すというのは、親近感が湧く。謂わば「内輪ネタ」を共有する「仲間」のような感覚となれ、そのような共感意識があれば、見知らぬ人同士でも飲み屋で仲良くなれる。

ワールドカップやオリンピックで盛り上がるというのは、こういう効果があるのだろう。
「日本人として」「日本代表を応援する」という視点を共有すれば、話も弾む。
Jリーグではこうはいかないのだろう。


同じような効用を持つものとして、「天皇家」というものがあるように思う。
その存続・廃止について様々な考え方はあるが、ともあれほとんどの日本人が知っている共通の話題と謂えよう。

彼らの存在意義というのは、伝統の継承者というよりも、むしろ話題の提供者という点にあるような気がする。生まれた時からアイドルで、幼稚園に行っても小学校に行っても新聞・週刊誌で報道される。プライバシーも職業選択の自由も何のその。かつて天皇は人の形をした神であったが、今は人の形をしたパンダ、ひたすら衆目を引くことに価値を見出されている存在である。
ネタにされている皇族は気の毒であるが、そういう家系に生まれてしまった以上、諦めてもらうしかない。おそらく、彼らのあの人格の良さは、諦念から来ているのであろう。

ともあれ、「象徴天皇制」とはよく言ったもので、彼らの存在は、我々が「日本人として」語る内輪ネタを用意し、それによって「国家の団結」を図っているものと謂える。
東京オリンピック開会式に由来する体育の日は第二月曜日に改めても、
昭和の日・文化の日・建国記念日・勤労感謝の日といった天皇絡みの祝日を旧来のままに留めたのも、そういう配慮であろうか(例外は海の日のみ)。



そういえば、私は、天皇と皇太子の名前を憶えていない。
つくづく非国民に育ったものである。

既存メディアと信用

2010-06-01 02:26:13 | 社会一般
新聞やテレビ等、既存メディアがインターネット上の情報よりも勝るのは、まず、報道についての責任の所在が明らかであることだと思う。何か誤報があれば新聞社やテレビ局等に抗議することができるし、裁判に持ち込むこともできる。何より評判が落ちれば収益が減少するのだから、それらは責任感を持って信用ある記事を作る。
また、情報源がきちんと明示されている点も評価できる。自らの意見を述べるにしても、根拠も示さずに断定するのではなく、何に基づいているのかが示されているから、それに問題を感じたら情報源にあたって調査することができる。
しかし、情報源の明示が誤っている場合、その引用内容の責任は誰に帰すべきであろうか。もちろん、誤っていると分かれば問題はないが、一般の読者は「ふーん、この人、こんなこと言ってるんだ」くらいで、誤りを誤りのまま記憶してしまうのではなかろうか。
こうなると、ハナから信用度の低いネット上の書き込みよりも、ある程度権威のあるメディアの方が罪が深い。


-----------------------

「最古級の論語、北朝鮮から 古代墓から出土の竹簡に記述」(朝日新聞5月29日夕刊)

問題の箇所は、
「東京大の平勢隆郎教授(中国古代史)によると、それまでの法家や墨家を重視する政策を転換し、儒家を起用したのも同じ武帝だった。儒教の教典を教える「五経博士」の制度が設けられ、地域により多様だった論語などの経典も共通化された。論語は役人の基礎教養とされたという。」

問題の第一は、
「それまでの法家や墨家を重視する政策」というけれど、漢代初期に重視された政治思想は法家や黄老思想(道家)とするのが普通。墨家を数えるのは聞いたことがない。墨家は秦代に亡んだという説も有力なくらい。

問題の第二は、
「儒教の教典を教える「五経博士」の制度が設けられ」というけれど、「武帝期に五経博士が置かれた」という話はフィクションと考えるのが通説。少なくとも、このように断言することはできない。最近では、山川の世界史教科書からも、この記述は削除された。

問題の第三は、
「地域により多様だった論語などの経典も共通化された」とあるが、『論語』が完全に共通化されたのは後漢末期の鄭玄による編集を経てから。後漢期に至っても3,4種類の相異なるテキストがあった。

もちろん、ひらせセンセは普通ではないから、彼の考えは通説とは異なるだろう。しかし、それにしても、何の説明も無しにこんな不用意なことを言うだろうか。特に、「武帝が五経博士を設置した」というのは旧来(約1900年間)の通説であり、旧説を打ち破るのが仕事のひらせセンセが、既に打ち破られた旧説を再び擁立するとは考えにくい。
朝日の記者が勝手に書いたのではあるまいか。

-----------------------

そこで、ひらせセンセと仲の良い人に頼んで、このことについて訊いてもらった。

回答に曰く、
私も朝日新聞は取っていますが、その記事には気付きませんでした。
これは多分「別の人」の意見でしょう。私の言ったことではありません。
これを読んだらよく知ってる人は誤解するでしょう。少なくともおやっと思うでしょう。
おやっと思って、なんだひらせのヤツこんなこと言って、と思う人もいるでしょうし、これを契機によく調べて正しい理解を得られる人もあるでしょう。ひらせはしかもどこでもそんなこと言ってない、とそのとき分かるでしょう。
だからまあ怪我の功名なんですよ。また、もうどうしようもないんです。
多分、私の言ったことを理解できなかったんだと思います。と。


やはり、ひらせセンセが言っていないことが「東京大の平勢隆郎教授(中国古代史)によると」で書かれていたのである。
しかし、さすがはひらせセンセ、千年単位で自分の学問を考えているだけあって、器は大きい。新聞記事なんぞによって誤解を生んでも、それは大して問題ではないと思っているのだろう。
まぁ、「おやっと思って、なんだひらせのヤツこんなこと言って、と思う人」なんてほとんどいないだろうし、「ひらせはしかもどこでもそんなこと言ってない、とそのとき分かる」というのはありえないだろう。言ったことを証明するのは簡単だが、言ってないことを証明するのは不可能に近い。
本当に怪我の功名を目指すなら、「5月29日夕刊○面で「~」と書きましたが、記者の誤解でした。現在では武帝期の五経博士設置については疑問視されています」くらいの訂正文を出させなければならない。


要するに、論語をめぐる当時の状況について記者は質問したのに、ひらせセンセが例によって緻密にして特殊な自説を展開したために、記者はわけわからなくなって適当な知識で勝手にまとめたのだろう。その結果、「五経博士」なんていう、恐らくひらせセンセが口にもしていない単語が紛れ込んだのだ。

-----------------------

これは、朝日だけの問題ではないと思う。専門外の人間が締切に追われて記事を書くというのはどの新聞でも同じことなのだから、恐らくあらゆる新聞で同様のことがほぼ日常的に起こっていることだろう。
先日、オルガンについて東大新聞の取材を受けた後に記者の方から草稿が送られてきたのだが、やはり何点か誤りがあり、そこで朱を入れて送り返した。私は丁寧に説明したし、向こうも真面目に聞いてメモを取っていて、互いの会話は特に問題なく流れていたつもりだったのだが、それでも誤解は生じたのだ。
東大新聞は非常に良心的で、事前に草稿を確認させてくれたので、そこで掲載される内容について私も責任を負うことができる。しかし、朝日(に限らず大手メディア一般に当てはまることであろう)のように取材後に作成した記事について本人に連絡すらせず、記者の誤解がそのまま「○○氏によると」という形で全国に流されてしまったら、とてもではないが責任を負い切れない。

故に、専用コラムが設けられてその人の文章がそのまま記事になるのであればともかく、記者が書いた記事の中で「○○氏によると」という形で引用されている内容については、「(あくまでも記者の理解によると)」ということを常に意識しながら読む必要があるだろう。

国債通貨説

2010-05-09 12:52:26 | 社会一般
ところで、ギリシャは破綻状態だが、では、日本はどうなのか。
テレビや新聞で、国家財政を家計に喩えた絵を度々目にする。確かに、家計や普通の企業だったら、とっくに破産しているプライマリーバランス。借金の支払いを借金でまかなうのだから、所謂「雪だるま」。
しかし、先日、運用会社の人と話していて、「国債の金利では赤字なので、売買で利ざやを稼ぐ」という、まぁ言われてみれば当たり前な話を聞いて、ふと思いついた。
――投機の対象であれ、国債が流通し続けている限り、大丈夫なのではないか。謂わば、通貨のようなものなのではないか。
通貨も国債も、信用だけで成り立っている紙切れで(むしろ、最近ではデータのやり取りに過ぎないものも多い)、「流通できる」ということに価値がある。他人にそれを渡して何か別のものと交換できるという前提を信じているからこそ、それを得ようと思う。金本位制ならばともかく、現在では政府の裏づけではほとんど保証に足りず、純粋に流通可能性だけが価値のようなものである。
故に、いくら国債が大量に発行されようとも、それが投機その他の対象として買われ続け、流通し続ける限り、政府の弁済能力の有無に関わらず、謂わば「擬似通貨」のようなものとして価値を保つのではないだろうか。それに、国債の取り付け騒ぎが起こるようなことがあったら、むしろ通貨自体の価値も危うくなる。
以上は、全くの素人考え。しかし、国の財政というのが、必ずしも家計に喩えられるものではないことは確かだと思う。
(余談だが、フランス革命中に、公債が通貨となったこともあるらしい。ただし、これは大インフレを引き起こした。)

ただ、ここで不思議なのは、国債の金利よりも大きな利ざやを稼がなければならない運用会社が数多く存在すること。彼らは投機で儲けているからこそ従業員を養っているわけだが、彼らが売買の繰り返しで儲けた利益の分だけ、誰かが損しているのだろうか? 個人投資家が年に何百人破産したところで、巨大運用会社の何個分の利益になるのだろうか。

もしかすると、世界全体で考えると、帳簿上で、通貨の総量自体が膨張しているのだろうか。
私の原始的な知識では、物質的蓄積と生産力の増大に合わせて通貨流通量が増えるのは自然なことだと思っていたが、最近のは何となくそういうレベルではないような気がする。
国債の金利には通貨流通量を増やすという働きがあるのだが、運用会社の人たちの話を聞いていると、どうも国債の金利や生産力の増大を遥かに超えたペースで、額面上の通貨が増えているのではないか、と思う。
もしそうだとすると、国債が雪だるまで膨れ上がっている以上に、通貨が雪だるまで膨れ上がっていることになる。すると、もはやプライマリーバランスなど問題ではなくなる。
いったい、どうなっているのだろう。

新聞

2010-01-23 00:13:55 | 社会一般
東大総合図書館には、様々な新聞がある。
国内のメジャー紙はもちろん、海外紙もあるから、
毎日図書館に通えば、新聞を購読する必要はない。

中には変なものもある。

例えば、『神社新報』。
1月18日の一面では、「全国初詣人出調査」「全国的な寒波が影響 参拝者は各地で現象」と題する記事が載り、各都道府県の参拝者数と分析を行っている。また、宮中祭事や皇室に関する記事が紙面の多くを占めるのも、なるほど神道というべきか。
しかし、この新聞、読んでいると相当気持ち悪い。旧仮名を使っているのに、新漢字。
例えば、兵庫県の参拝者数について、
「県警本部では警備対象全体での参拝者数を発表してゐない。上位三社では三一○・一(四・○増)」
「ゐ」を使うなら、「對」「體」「數」も使って欲しい。

「天皇陛下には皇族を伴はれ長和殿ベランダから親しくこれにお応へになられた。」(1月11日号)
気持ち悪い気持ち悪い。頼むから「お應へになられた」と書いて欲しい。


一通り眺めて気持ち悪くなった後、
ふと脇をみると『前進』がある。
「国鉄決戦で民主党政権を打倒し プロレタリア革命勝利を開こう」「社保庁525人解雇に怒りの大反撃」
「資本主義を打ち倒す世界史的な激動、大動乱の時代が始まった。日本の階級闘争は……(中略)……労働者階級の死活を決する一大決戦を迎えている。勤労千葉などが呼びかける2・13全国労働者総決起集会まで1カ月だ。5千人結集へ全力で闘おう。本誌新年号の革共同政治局1・1アピールを武器に……(以下略)……」(1月18日号)
すごいすごい。まだあったんだ、こんな新聞。

「危機に立つブルジョアジーの階級意思の凶暴さ」「資本主義とそれを支える労働貴族」「日の丸・君が代」不起立闘争へ 団結と職場支配権を奪い返し 日教組本部・鳩山政権打倒を」「革命の火薬庫・沖縄に火をつけ 民主党・連合政権を打倒しよう」「反帝国主義・反スターリン主義世界革命の勝利へ」
これは凄い。よくできている。よくできているというか、本気だ。

1月1日号を見ても、一貫している。
「マル青労同の黄金時代を築け」「資本主義にとどめ刺せ」「2010年国鉄決戦に勝利し プロレタリア世界革命へ」「スターリン主義によって歪曲されてきたマルクス主義を、労働者の手にとり戻す闘い」

ちなみに、記事はホームページにアップされている。


『三里塚』も一緒に並んでいたけれど、
これもホームページにアップされている。

図書館内に誰か中核派がいると見た。



同じ棚に『解放』も並んでいた。
こちらは革マル派の発行する新聞。
なるほど、バランスは取れている(?)。

以下はその1月18日号。
「1・24労学統一行動に総決起せよ」「われわれは、「オバマジョリティ」に飲みこまれた広島の既成指導部翼下の「反核」運動を乗り越え、米―中・露の新たな革命的反戦闘争を創造するために奮闘しなければならない」「首切り容認の労働貴族を弾劾し 春闘の爆発をかちとれ」「京浜工業地帯のど真ん中から労働運動の危機突破の炎を」「帝国主義打倒! スターリン主義打倒!」

……しかし、『前進』とよく似ている。さすがは元同一会派。



私はいつも思う。
お前らのいつまでも同じことやってる頭の中身にこそ、革命が必要だ、と。

しかし、こういう人たちの存在は、表現の自由のバロメーターでもある。
そして、右翼とバランスを取っているのかもしれない。

少子高齢化は著しく進んでいることと思われるが、
今更転向もできないだろうし、
まぁ、せいぜい頑張って欲しいものでもある。

「ひと雨10 万本」

2007-08-08 17:48:45 | 社会一般
以前、京王線は傘の無料貸し出しをしたことがある。
スポンサーをつけることで傘を調達したのだが、持って行って返しに来ない人が多過ぎたせいか、すぐにそのサービスはなくなってしまった。

ところで、電車に傘の忘れ物はかなり多いらしい。
だからこそビニール傘の産業が廃れないとも言えるが、処理させられる鉄道会社も大変だし、何より資源の無駄である。

ならば、忘れ物として廃棄される傘を、駅に置いて、乗客に提供すれば良いのではないのだろうか。
スポンサーを募る必要なく、ほとんど金銭的負担なくサービスを提供できる。そして、何よりゴミを減らして資源をより有効に活用できる。
前々からこのように思っている人は多かったはずであるが、恐らく何らかの事情のために、それが実現されることはなかった。

しかし、たまたま都営浅草線の戸越駅に行くと――あった。
明らかに乗客の忘れ物の傘だが、無料で貸出すようである。

ビニール傘産業には打撃になってしまうであろうが、限りある資源を無駄にしないために、他の鉄道会社も是非このサービスを始めて欲しいものである。
……もっとも、そもそも我々が傘を忘れないように気を付ければ良い話なのではあるが。。

「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」

2007-05-10 14:06:11 | 社会一般
4月の契約実績で、ソフトバンクが初めて純増加を達成し、
番号ポータビリティー制導入以来、顧客数が減り続けているのは、
ドコモだけとなった。
http://www.asahi.com/business/update/0509/TKY200705090262.html

そんな中で、ドコモが新たに打ち出したのが、「ドコモ2.0
――「ウェブ2.0」のパクリ、と言ってしまえば身もフタもないが、
要するに、ドコモが進化して、今までの携帯とは根本的に異なる、
ということを強調したいのであろう。

今までのドコモのイメージとは異なるデザインの広告を作り、
特別のホームページを立ち上げて、
TVのCMや、駅にポスターを貼るなど、かなり力が入っているが、
「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
「絶対にマネできないケータイ、遂に完成。(いまのところ)」
といったキャッチコピーは、力が入りすぎて、暴投の感が否めない。

「絶対にマネできない」「(いまのところ)」というのは、
いわゆる「若者っぽさ」を追求したものであろうが、
何となく幼稚な響きがある。
若者言葉の軽い雰囲気を取り入れようとして、
やや軽薄になりすぎてしまったような気もする。

そして、何よりまずいのが、
「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
――負け惜しみというレベルを超えて、何かを見下しているような響きである。
もちろん、負け続けとはいえシェアNo.1であるし、
最も実力がある者が不利に陥りながら、それを後から挽回する、
というのは、古今人気のある筋書きである。
しかし、「さて」「してもいいですか?」という、余裕のある口調、
丁寧な言葉を使うことで、却って謙虚さが感じられなくなり、
どことなく傲慢で、俗悪な後味が残る。
少なくとも、人をして応援する気にはさせられないのではなかろうか。

私は以前からNTTドコモの宣伝力には疑問を持っていたが、
今回、更にまた、その思いを強くした。

どの携帯会社も、契約内容・電波状況・基本的サービスとしては一長一短であるし、
ドコモが特別不利だとは思わない。
しかし、いまいちイメージがよろしくない。
「高い」「電波が悪い」「サービスが微妙」
こういった悪いイメージを払拭すべきであるのに、
効果的な広告を打たないばかりか、
どことなくお高くとまった、逆効果のキャッチフレーズを使ってしまう。

さて、そろそろちゃんと反撃して下さい!

マメマメしき豆腐

2007-01-24 22:10:32 | 社会一般
最近、納豆が大分話題になっていたが、
本ブログはあいも変わらずやっぱり豆腐の話。


篠崎屋から新たにカリスマタマゴ(略して「カリタマ」)なるものが出たので、
セブンイレブンで購入して食べてみた。
味は、ジョニーが少しクセがなくなったようなもの。。
2つのパックをテープでとめてタマゴのような形にしたアイディア以外は、
基本的にジョニーの路線である。

ジョニーといえば、相模屋からは「渚のハイカラ豆腐」なんていう、
形や商品名までジョニーとかぶっているものが出ている。
「生粋豆乳」などで地道に良品を出している相模屋だけに、
これを見た時は「相模屋、お前もか」とつぶやきたくなってしまった。

納豆のように大きく話題にはなっていないながらも、
ひそかに、豆腐がますます面白いことになっているが、
やはり、異端児ジョニーの影響力は絶大なのであろう。


ところで、
「渚のハイカラ豆腐」、発売から大分経つはずなのだが、相模屋HPの商品一覧にはまだ反映されていない。
HPの更新が滞っているのであろう。
現に「最新情報」も一年以上前のものである。
このあたりがまだまだである。

三和豆友のHPも、以前はそのまま男前豆腐店にジャンプさせていたが、
男前豆腐店の独立から半年経って(この半年間はリンク切れ状態だった)ようやく自前のHPが作られた。
HP再開以降頻繁に更新がなされているようだから、今後に期待できる。

しかし、この中で以前からマメに更新しているのが篠崎屋のHPなのだが、
「すべて選択」をしてみると;

  株式会社篠崎屋・(株)篠崎屋・篠崎屋・2926・樽見茂・茂蔵・三代目茂蔵
  ・豆富・カリスマ・カリスマ豆富・カリスマ豆富かりたま・かりたま・カ
  リタマ・豆腐・豆乳・おから・大豆・イソフラボン・豆富創作料理・ソイ
  ミルク・がんも・厚揚げ・油あげ・豆乳チーズケーキ・納豆・豆腐料理・
  大豆加工食品・スイーツ・にがり・フランチャイズ・FC・工場直売所・茂
  蔵Deli・茂蔵CAFE

といった隠し文字が出現。
……マメなのは良いが、ちょっとせこい。

豆腐業界戦国時代

2006-08-23 19:31:41 | 社会一般
最近、豆腐業界で様々な個性が活躍している。
大豆やにがりを使った様々な商品を送り出す「三代目茂蔵」ブランドの篠崎屋
ネーミングは奇抜だが素材にこだわる本格派の男前豆腐店
「究極のきぬ」「至高のがんも」など某マンガを思わせるおとうふ工房いしかわ
面白い商品が続々と登場して、豆腐好きにはたまらない展開である。

しかし、こうした盛り上がりの中で、例に漏れず業界再編成が起きているようである。
男前豆腐店はもともと三和豆友というところからの暖簾分けのようなものなのだが、
今年5月、篠崎屋がその三和豆友を参加に入れた。
そして、男前豆腐店は以前から続いていた三和豆友との提携関係を、6月にやめた。
これは「三代目茂蔵」「男前豆腐」両ブランドのライバル関係を表す出来事ではないだろうか。

ともあれ、豆腐業界は今熱い。

先日「ジョニ本」が発売されたが、
篠崎屋の樽見社長も『豆富バカが上場した』他何冊か本を出している。
また、ネット上でも、
男前豆腐店のホームページはいわずもがな、
篠崎屋は社長自らブログをつけて発信しているし、
京とうふ藤野では各店舗の店長がブログをつけるようにしていくようである。
宣伝競争はすでに始まっている。

これからそれぞれが成長していけば、互いに勢力範囲が重なり、
販売面でもさらに熾烈な競争が起こるのではあるまいか。

世はまさに、豆腐業界戦国時代に突入しようとしている。