ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

パパ、靴がぁ

2007年01月31日 11時13分40秒 | 写真

パパぁ、靴ぬげちゃった

小さな声がした。お父さんが駆け寄ろうとすること、今度はおにいちゃんがお父さんを呼ぶ。おにいちゃんにこの子の世話をして欲しかったのに、おにいちゃんはお父さんを独占したいらしい。道の真ん中に座ってしまったおにいちゃんのところに鞄を持ってお父さんが行っている間、この子は歩いていた小さな溝の横に腰掛け自分で靴を履こうとしていた。そりゃ無理だろう。おしりがもこもこしているからまだおむつしているのかも。でもこの小さな子は泣きもせず靴で遊んでいた。

子どもがよちよちだった頃、家人が美観地区に連れて来ていたら外人のおばさんに会った。彼女はこの日本の子どもが可愛かったようで、「Oh! little kids!」と言って写真を撮ったそうである。

「使い古したライカ持ってた。ドイツ人みたいよ。」

家人は言うのだが、別にライカは世界中で売っているし、なぜドイツ人が英語で話したんだ。ついでに言うとkidsじゃなくて単数形だろう。そう思ったけれども家人は確信を持っているようだからそれはそれでいいことにした。

この写真を見てふと思い出した。そのドイツ人のおばさんのアルバムには、日本旅行の記念としてうちの子の小さいときの写真が貼られているのだろうか。それはちょっと嬉しいなと思っている。

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人柱

2007年01月30日 10時04分08秒 | 写真

いよいよチボリ公園のメンテナンスも最終段階に入ってきていると思います。ここには数万個、いやもっと多いかなぁ、の電球があり、昔はちょくちょく換えてたと思います。二人組の人が、あそこの上から二番目が切れてるとか調べていたのを見てます。赤字で人減らししたりしてなかなかそうはいかなくなったみたいで、最近は切れていてもすぐには交換できないみたい。今回のような大規模メンテナンスの時には換えられるでしょうから、2/1の再開が楽しみです。

上の写真は入り口のところ、下は入り口右側の歩道の生け垣。きれいに刈ってあるのでフェンスが埋もれているみたいです。この瞬間しか見えない素敵な風景。

ウインドウズ・ビスタが発売されました。95以来の衝撃なんて言っているけどどうかな。私、OSはコケなければいいと思ってます。ちゃんと過不足無く動いてくれたらいい。OSに高機能を期待してなんていない。欲しい機能はソフトをインストールする。自分にとって必要なソフトがあればいいので、それ以外に不要な機能が付いて重くなるのは勘弁して欲しい。昔は新しいものに挑戦したかったのですぐ導入してました。機械にしても、まだ海のものとも山のものともわからないものを高い値段で買ってました。私たちがこうやって人柱をしたおかげで、多くの人は安くて高機能なものを手に入れられたわけだ。まぁそれはそれで重要な時代の流れだったと思う。

では今はと言われたら、ビスタに興味はない。いいOSかも知れないけれど、まだ完全対応のソフトやハードに不安が残るし、一番の気がかりは快適な動作に要求されるハードのスペック。詳しくは知らないが、メモリは1Gが最低で、3,4Gが必要なんてのじゃないかな。少し古いペンティアム4の3.2Gでも快適なのかって言われたら疑問符が付きそう。そうであってもしばらく待ったらこれに合わせてハードが進化するし安価になる。今は人柱を人に譲ってしばらく待とうと思っている。そもそも私はXPさえ使ってない。

Windows2000が一番いいOSなんだよ、私の場合(CM風)

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風が吹いた

2007年01月29日 20時50分31秒 | 写真

風立ちぬ いざ生きめやも

風が吹いた。さぁ生きてみようかなぁ。恩師、杉本先生はこの言葉をこう教えてくれた。

フランスの詩人バレリーの"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."(風が起きた、生きてみなければならない)を堀辰雄が文語調に翻訳して、自らの作品「風立ちぬ」の冒頭に使ったものだと覚えている。調べてみると、

「生きめやも」=め→意思助動詞のむ、やも→反語の助詞
「さあ 生きようか、生きまいか」という意味です。

29日付(たぶん2004年)読売新聞編集手帳に、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭、主人公の口を衝いて出る「風立ちぬ、いざ生きめやも」は誤訳だったということが書かれています。国語学者の大野晋さんによれば、「生きめやも」だと「生きようか、いや断じて生きない、死のう」の意味になるというのです。

こう書いてある。

正直どうでもいい。私には風が吹いたのを見て、今まで自分の未来をどうでもいいと思っていた自分がその考えを変えてみようかと思いついた、その気持ちだけで十分だ。

風は目で見えるだけでなく、心に感じた、心を吹き抜けたのかも知れない。鬱々とした心に今日の寒風が吹いた気がした。心が冷たくなったけれど、それは冷めたのでも凍り付いたのでもなく、その寒が自分を引き締めてくれた。

風立ちぬ いざ生きめやも そうつぶやいて少しほほえんだ。

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ピザだよね!

2007年01月28日 00時01分20秒 | 写真

チーズというのは昔は消しゴムでした。 ・・・って書いても意味わからないよね。

私の子どもの頃には田舎にはそういうハイカラな食べ物はありませんでした。初めて見たのは給食の時。大人の人差し指ぐらいのウインナーみたいなやつで、皮を剥いて食べました。イヤ間違い、食べようとしました。

一口食べて、この臭く酸っぱい食べ物は腐ったものであり、食感は消しゴム。飲み込むのは修行、間違い、罰の強制労働、違うか、簡易死刑執行作業と言うべきものでした。今と違って、食べられなかったら延々と残されたり無理矢理口に押し込められたりする時代で、吐いてしまった子もいました。それ以来チーズは自分には食べ物ですらありませんでした。

大学に行った頃、とろけるチーズが売り出され、それを見て美味しそうと思い、一時期ピザトーストにハマってチーズが食べられるようになりました。味も、たぶんですが、昔とは雲泥の差でしたでしょうしね。

今日友人からポットプレートで出来るピザの作り方を聞きました。よかったらどうぞ。

  1. ピザ生地は市販のものをどうぞ。私は知りませんでしたがどこでも売っているみたいです。その白い粉に水と油を入れて1分ヘラで混ぜて3分手でこねて10分間ラップをして寝かせると出来上がり。簡単にできます。分厚いふかふか用のやつと薄いかりかり用のやつがあるのでお好きにしてください。
  2. ホットプレートいっぱいにピザ生地を広げて焼きます。
  3. ピザソースを塗ります。
  4. お好きな具を乗せます。チーズにはこだわりましょう。
  5. 最後に秘密兵器。写真のようなバーナー(ガストーチ)であぶってチーズが溶けて少し焦げ目が付いたらできあがり。このバーナーは逆さにしても使用できるタイプのものを使いましょうね。

と言うことで、具にお金を掛けて凝ってみるといいんじゃないかな。ピザを切る円形のくるくるカッターは、最近は百均で売っているそうです。恐るべし百均。一個買っておいて損はないでしょう。

もう一個おまけ

殻付きの牡蠣は殻ごと皿に載せ、ラップするか、軽く袋でまく(濡らしたキッチンペーパーをかけてもよい)。1個に付き1分(10個なら10分)ぐらいのつもりで電子レンジでチン。もちろん味付けはなし。牡蠣がふたを開けたらできあがり。

これをやると身が縮まず、汁気も十分残って美味しいです。ノロウイルスの風評被害で安い今、是非食べて産地を活気づけてあげましょう。

なに、炭火で金網で焼く? そっちの方がいいに決まってます。準備や片付けが面倒でなければどうぞ。上のやり方は全く掃除の必要もなく、割れたり飛び散ったりがないから楽ちんですよ(笑)。

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こっちむいて、お願い

2007年01月27日 22時33分21秒 | 写真

倉敷の街には画家が多く、天気がよければあちこちで描いている人を見かける。昨日のおじさんは商売だけど、それ以外の人は好きで描いているアマチュアだと思う。この人たち、絵を覗いても動じないし怒らない。だから外で描いているのかも知れないけど、子どもの頃学校で写生大会をしたとき、ほとんど全員が自分の絵を見られたくなくて隠していたのを思い出すと不思議な気持ちになる。絵も千差万別で、水彩あり油絵あり、印象派風からえらくデフォルメしたもの、写真のような精密なものまで個性がある。大部分は日本人の好きな印象派風なんだけど、自分にとって好きな作風ってのはあまりない。でもみんな誇らしげだ。これはすごいことだと思う。

写真を撮り始めた頃、自分の写真に自信がなかった。自分ではいいと思った写真も人には評価されなかった。人が評価する写真の良さが今ひとつわからないことも多かった。芸大に何度も落ちた池田満寿夫が、「芸大は自分の芸術がわからない」と言って無視したなんて言っていたけど、自分の写真の良さのわからないやつなんかどうでもいいさなんて思ったこともある。でも今は違う。

人が褒めてくれようと、評価されようとされまいと、そんなことはどうでもいい。自分が撮りたくて撮っているし、写真の半分は記録である。芸術の香りがするのもいいけど、子どもがべそかいている写真も、朝市で魚屋さんが威勢よく売っている写真も全部素敵だ。コンテストで賞を獲ることとかが目的の人はそういう写真を撮ればいいし、それは立派なことだと思う。私はそうではなく、撮りたいものを自分の好きなように撮って楽しむのがいい。そう思うとカメラを持つのが楽しい。ファインダーを覗くのが楽しい。日曜画家たちも同じ気持ちじゃないのかなと思う。自分の楽しみを人の言葉に左右される必要はない。自分を高めるためにアドバイスを貰うのはまた別の話だ。

この時はこの画家さんに目線を貰いたかった。こっちを向いてくれないかなと思いながらカメラを構えた。数枚シャッターを切った中にこの写真があった。目線をくれたのかなぁ。私なんか眼中になく、絵のために風景を見ていただけなのかも知れない。たぶんこの人、自分が見られていることなんてどうでもいいと思っているに違いないから。

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ふりかぶる

2007年01月26日 22時47分26秒 | 写真

久々に写真らしい写真にしてみましょう。

私の心の写真絵日記と題しながら、最近は単なる記録写真ばかり撮ってます。と言うか、撮りに行く暇が無く、散歩もできないので無理なんです(と言い訳しておきます;笑)。今日はもうネタがないなと思いながら仕事用のカメラをいじってましたら12/31の写真が出てきました。そういやこのカメラで撮ったっけ。

私、一度カメラを買うとほとんど売りません。使わなくなった物でも持っていることが多いです、なんか売るのがイヤなもので。おかげであの名機QV-10から最近の機種まで、おもちゃみたいなのも含めて30台ぐらい自宅にあります。もちろんそんなに使えなくて、主に4,5台を用途に分けて使ってますけど、たまに古い機種で撮ったりします。そんなわけで時々データが発掘されたりするわけです。

さてこの美観地区の有名な似顔絵描き屋さん、まるで日本刀をかざすように時々振りかぶってえいやっと筆をキャンバスにつけます。タッチに影響があるとは思えません。単なるパフォーマンス。でもこれっていいよね。芸術家っぽい。岡本太郎氏の講演を聴いたことがありますけど、天才となんやらは紙一重って言いますが、普通に考えたらなんやらですよ、芸術家は。それにその方が狂気が作品に混じって面白い。風貌やこういうやり方は芸術家のアクセサリーと思います。

アマチュアカメラマンも芸術家の端くれとしてこういう格好をするかと聞かれると、、、、私はしないな。できるだけ目立たなくしたい。風景にとけ込んで異質な雰囲気を消したい。その方が意識せずに相手を撮れそうな気がする。

芸術家にありがちなベレー帽、手塚治虫先生は似合うけど、私には大久保清のイメージが強すぎてだめなんだなぁ。自分は正ちゃん帽とカメラマンベストでいいや。まぁ正ちゃん帽のわかる人はもういないだろうけど(笑)。

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甘酒への戦慄

2007年01月25日 19時57分05秒 | 写真

小さい頃時々甘酒を飲まされた。本当は振る舞って貰ったんだけど、自分的には「飲まされた」気分だった。

田舎ではグループが決まっていて、たぶんこれは冠婚葬祭のための地区分けだと思うんだけども、道路沿いの集落のうち、ここから東は組になっていて、あそこから先は別の組になっていると言う風に別れていた(よく覚えてないけど)。その組が持ち回りで甘酒を造り、今年は中のじょうかい(漢字不明)が造ることになっている、出来たからよばれに行きなさいなどと言われて飲みに行っていた。大人たちは、ごちそうだろう、嬉しいだろうというスタンスだったけど、私は味と飲んだ後に残るつぶつぶが気持ち悪くどうにかして飲まずに済まそうといつも考えていた。

最近倉敷でやたらと甘酒に接する。あちこちに甘酒ありますの看板があり、私の好きな朝市でもこれを売っている。いかがですかと誘ってくださるけど、どうしても飲もうという気が起こらない。いま口にしたらおいしいものなのかも知れないけど、昔のイメージ、刷り込みが強すぎるのですよ、私には。

もう一つ。小学校の時の給食で、月に一回、お汁粉とおひたし+コッペパンのメニューがあり、甘いものと冷たい醤油味のもの、硬くてまずいパンに脱脂粉乳(だったかどうかは不明;低学年の時は脱脂粉乳で、高学年では牛乳だった)という修行メニューがありました。職人の家ですから、家の味付けは塩辛いものが多くそもそも甘いものを食べませんでした。それなのにご飯の時に甘いもの、、、、私にはどうしても信じられないメニューで、それが月に一度来襲するんだからこの日がいつも恐怖でした。

ちなみにいまはぜんざいも汁粉も食べられますが、まず周りを見回して、「おひたしはないよなぁ・・」と確認します。

三つ子の魂百までとは、真理を突いた言葉ですぞよ。(10才ぐらいでしたけど;笑)

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幸せ家族

2007年01月24日 22時11分41秒 | 写真

夜家人と二人で散歩した。

犬が年をとってきて、「我慢できなくなってたら可哀想だから(家人)」と言うことで夜も犬を連れて散歩している。寒いときには人間でもトイレが近くなる。犬だって同じ。14才を過ぎた犬にはトイレが我慢できなくなるだろう、それは可哀想だからと家人は言う。一度そういって散歩を始めると、今夜も行きたいと犬がねだるから仕方なく毎日の日課となってしまう。

歩きながら家人が教えてくれた。

「ここの不動産屋さんのご主人、最近見ないなぁと思ったら、『知らなかったの?女のところに行ったきり戻ってこないんだって』って教えて貰ったの」、「ここの家ね、ほら子どもと同級生の女の子が居て家にも遊びに来ていたじゃない。この前町内の人に『今度再婚することになったから、もうこの家からいなくなるから役員は出来ません』って挨拶に来たんだって。」、「なんでって? ご主人が単身赴任の時に新しい人が出来て、ご主人も帰ってこなくなっちゃったらしいよ。あの子も家に寄りつかなくなったって。弟も今どこにいるかわからないみたい。夜でも家に電気が点いていること無いから。そういえばこの前久々に点いていた。クリスマスもお正月も真っ暗だったのに。」

延々と教えてくれるのだけれど、話を聞くとこのあたりにはまともな家はないのかと思ってしまう。

「ここの家ね、この前の朝、まだ暗いときに(犬の)散歩していたらものすごい大きな声がしてがちゃんがちゃん音がしていた。夫婦喧嘩してたみたいよ。」

家人はさほど近所の人と話し込むほどではないのだけれど、それでもこれだけ知っている。と言うことは、この田舎町では家での出来事は全て筒抜けて他に知られているのだろうか。恐いもんだなと思うとともに、バツイチなんて言葉が定着することにもひどく虚しい気がする。

人にはわからない事情があるのだろうけど、それだけか? ワガママや自分勝手の産物もあるだろう。子どもが可愛くないのか。可哀想ではないのか。子どもが小さい頃は親子で手をつないで遊びに行っていただろう。階段で転けたらいけないからと手を引いてあげただろう。子どもは親を全面的に信頼し、帰ってきたら走って玄関までお出迎えに来ただろう。あの時の家族はどうなったんだろう。

「ここに新しい家が何軒か建っているでしょ。ここ田んぼだったじゃない。あそこの家の田んぼだったのよ。子どもが仕事もしないで飲み歩いていて、飲み屋の人と結婚して子どもが出来たと思ったらすぐ離婚したんだって。お金が無くなって土地を売ったらしいよ・・。」

もういいからと静止しようとしたんだけど、聞いてあげるのも大切だよなと聞きながら歩くことにした。

本当にこのあたりって普通の家はないのか。これが普通なのか。よくわからなくなった。

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萌え萌え朝市(笑)

2007年01月23日 21時48分13秒 | 写真

昔友人に聞いて驚いた話がある。彼は日曜に家族を連れて高知の朝市に行くのだそうである。

岡山ってところはなかなかいい立地条件で、東西には山陽道、中国縦貫道の二本の高速道路が南北各地区を通っているし、南北はと言うと、島根・鳥取から瀬戸大橋を経由して高知まで、同じく高速道路でつながっている。ちょうどこれらの高速道路が十字架を作ったときの中心に岡山があるわけで、そういう意味では、ハブ地区として他県にないよいところがあるわけだ。

件の友人はこれを利用して、娘三人と奥さんを車に乗せて、ちょっといってくるわと高知まで車を飛ばすのだそうだ。どんなに安くていいものを買ったとしても、瀬戸大橋の料金と高速料金をあわせると安くないはずなんだけど、それでも行きたくなるぐらい楽しい朝市なのだそうだ。私はこれがうらやましかった。

岡山県はと言うと、岡山県庁そばで京橋の朝市というのをやっているのだけれど、私んちからは遠いのでなかなか行けない。ところが倉敷にも朝市が出来た。毎月第3日曜がそれだ。私は第3回目ぐらいからここに行き始め、最近は毎月行っていてとても楽しんでいる。高知の朝市もいいけど、このこぢんまりした倉敷朝市も皆さんに是非来て欲しいと思ってます。

ではいくつか紹介しましょう。下津井からはタコが。生きているものもあるし、こうやってタコの凧もあります。たこ飯って言うのがあって、これもおすすめ。もちろんあちこちのおこわや漬け物、おでんから鮮魚、和牛、野菜など何でもあります。私が好きなのはちりめんじゃこ。くださいと言ったら、「おまけしとくよ」って言って2倍ぐらい入れてくれたりします。有り難いけど食べきれないぐらいです(笑)。

最近欲しいなぁと思うのがこの寄せ植え。手作りの陶器(素焼き?)や器に苔をつめ植物を寄せ植えしてある。いいなぁ、机の上に一つと思うんだけど持って帰りにくいのが欠点。

高校生も店を出してます。よかったら買ってください。商業高校なので、将来の実践練習の意味もあるみたいです。ちなみにこの高校、前阪神監督の星野さんの母校です。彼はここで野球してたんです。

真ん中の小さい広場では色々食べられます。つきたてのお餅、うどん、牛串(それも和牛)、特製肉まん、サンドイッチ・ホットドッグ、一番人気はご当地バーガー。美味しいんだろうけど、いつも長い行列が出来ているので私は食べてません。皆さんこの緋毛氈の上で食べてます。真ん中の人、車いすの奥さんを優しくいたわっているご主人。いい風景だなぁ。

よく意味がわからないけど、今回のベストコピー。いい言葉だねぇ。糸井重里氏もびっくり。私ならこれ見て買わない手はないな。

小広場ではワンコイングルメという500円か100円(時によって変わる)の特製料理が食べられたり、各種イベントも行われます。店の女将さんたちが甘酒作って売ったり(100円)、楽しめること請け合い。倉敷に来られるなら第三日曜にどうぞ。

あ、タイトルですが、こういう服のおねえさんには萌えーって言わないといけないかな。ちょっと違うか(笑)。

写真よく見てください。テントの中のおねえさん、こぼれるような笑顔で、こんな楽しそうな笑顔を見たら食べたくなります。私は怪我で食べられないので今回はやめましたけどね。

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路上観察

2007年01月22日 14時32分36秒 | 写真

作家の赤瀬川原平さんと仲間が路上観察と言うのをやっていて、路上観察学会などと名乗って楽しんでおられます。テレビでこれをやっていて写真をいくつか見たんだけど、これがめちゃくちゃおもしろい。私も路上観察などと言えるほどのことまでは出来ないにしても、似たようなことが出来たらといつも思ってます。カメラを持ってそのつもりで歩くと、これって何?と思うことや、おもしろいやん、この風景、なんてことに出くわすことが案外あるもんなのです。

髪を切った帰り、自転車で通りすがりにこの木を見つけた。イチジクじゃないかなと思う。なぜかぺちゃんこにつぶした缶がぶら下げてある。鳥避けのつもりかきれいだからか、でっかいクリスマスツリーか(笑)。

CDを焼くのを失敗したときのメディアをこうやってぶら下げている人がいる。近所にもベランダにぶら下げている人がいる。カラス避けなのだそうだ。子どもによると「カラスってキラキラしたものが好きなので、カラス避けと言うよりはカラス寄せになるんだけどね」と言う。

子どもは観察力があるようで、「小さい頃カラスが石で遊んでいるのをよく見た。線路の石をぽいって投げて遊んでいた。何がおもしろいのかなぁ。」と笑った。

一時期、線路に置き石があると調べたらカラスの仕業だったってことがありましたね。あれと同じみたいです。

ちなみにうちの雌犬は、散歩の時に松ぼっくりをくわえてぽいっと投げます。これで遊んでと言う意味です。サッカーよろしく蹴ってやると10分ぐらい楽しんでくれます。もっと遊ぼうと思うのにしばらくしたら飽きて遊ばなくなります。自分が満足したら終わりというわがままなやつなんです(笑)。

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