ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

昭和

2007年02月28日 16時09分42秒 | 写真

ちょっと疑問に思うことがあった。

私はいったい何のために写真を撮ってたんだっけ・・。

思い出した。はじめは自分の心を表現するために撮りたいと思ったのだった。それだけではなく、今という時代を、生活を、保存しておきたいと思ったのも理由の一つだった。それがいつの間にかブログのために撮るようになり、構図が良ければいいや、色がきれいならいいや、、、と思いだした。それらは決して間違った写真じゃないけれども、やはり今という時代や、この町の風景を撮っておきたいと思う。たとえつまらない写真でも10年経ったら貴重なものだ。それはいい写真だからではなくても、その時代の記録であるからだ。10年前の自宅のまわりの風景を思い出すことなんてなかなか出来ない。変わりゆく町の風景を記録しておくのはアマチュアカメラマンの大切な仕事だと思っている。

倉敷という町、観光地としての看板的な風景もあるんだけれど、戦災で焼けなかった古い町並みも残っていたりする。この建物、別にいにしえの建物じゃないけど、鉄筋コンクリートの味気ないビルの谷間になかなか素敵な匂いを漂わせてくれている。場所柄でお店にはなってはいるけれど、もし出来るならこんなところに住んでみたいなと思わせてくれる。

クレヨンしんちゃんの映画で「嵐を呼ぶ モーレツ オトナ帝国の逆襲」ってのがあってその中で昭和の町並みが出てくるけれど、私もあの懐かしさの中で生活してみたいと思う。金はなかった。でも元気があった。そして幸せだった。その気持ちが残っているから昭和の風景には愛着がある。

こんな風景が残っている倉敷って、私はなかなか好きなのである。

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ツクシ

2007年02月27日 09時32分28秒 | 写真

吉備路に行ってきた。土筆を見たかったからだ。

この暖かさで絶対出ていると思ったんだけど、酒津公園では採られたようで見つけられなかった。じゃぁ国分寺あたりならどこかにあるだろうと出かけた。

前日また3時間ほどしか寝られず、まぁ2時間ほど歩いて散歩したら疲れて眠くなるだろうという計算もあった。駐車場に置いて歩き始めたのだがたいそう寒い。もう春だからと薄めの上着にしてたのだがこれじゃ風邪を引くとあわててマフラーを巻いた。梅を見ながら適当に歩き回り、特に日当たりのいいところを見てみたのだけど全くない。まだ季節になってないのか、それともここも採られているのかと思いいながら地面ばかり見て歩いていたら、1時間半後にやっと見つけた。まぁこぶれているけど確かにツクシ。横に一本だけ大きく頭が開ききっていたのがあった。ちょっとだけ満足できた。

帰宅して子どもに、「トンビが鷹ノ子を生むって言うのがあるけど、最近はスギナがツクシを生むってのも多いよね」と言うと意味がわからなかったようだ。トンビが、、は親の能力を遙かに超えた立派な子である言い方だけど、私は、れっきとした血縁関係がある親子なんだけど似ても似つかないやつという多少悪い意味で、冗談にスギナが、、と言ったつもりだったのだけど、子どもはスギナを知らなかったようで、ツクシがスギナの花(と言うべきかどうか)だと知らなかったみたいだった。

野草って見ているようで見てないし、一瞬注目されてもすぐ忘れられる存在だなと、自分の記憶から考えてそう思う。それへの知識を持ちたいんだけど難しいんだなぁ、これが。

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サクラ

2007年02月26日 08時48分43秒 | 写真

倉敷酒津公園のリュウキュウカンヒザクラです。

さすがに普段は帰るともう暗くなっているので休みの日に見に行きました。あいにくの曇り空できれいな色には撮れませんでしたけど、見て分かるように5分咲きぐらいになってます。犬を連れた孫とおばあちゃんも見に来てましたが、家人の話では「この前おばあさんたちがこの下でお花見(つまり何か食べてた)してた」とのこと。犬散歩の時で、「(犬から見ると)変なことしているし、食べ物があるからワンワン言って大変だった」らしい。

とは言っても、根を守るために柵があって真下には入れないようになっているんですけどね。

花は上から順に咲いてます。ソメイヨシノより濃いピンク色です。お花見をどうぞ(笑)

ワシントンに日本があげたというサクラが河畔にいっぱい並んでいて、そこに行った時にアメリカ人から「日本からすばらしいプレゼントを貰った」と言われました。アメリカ人にもサクラの美しさは格別らしい。

でもね、アメリカのサクラ、気候のせいか土壌のせいか、日本と違い白っぽい。そのうえ長く咲いている。1週間以上、ひょっとしたら2週間近く満開が続くんじゃないかな。

日本的はかなさを感じる木ではないみたいです。 

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和歌の花

2007年02月25日 17時54分22秒 | 写真

和歌などに出てくる「花」というのはサクラだそうだけど、元々は日本人は梅を「花」と言っていたとのことである。いつの頃からか、古今和歌集とかのあたりだろうか、「花」がサクラになったと聞いた覚えがある(時期については不明、と言うかいい加減)。では今日は古の日本人になろうかと梅を見に出かけた。

備中国分寺の五重の塔の周りには紅梅も白梅も薄桃色の花の木もあり、特に白梅がよく開いていて楽しめた。赤いのはまだつぼみが堅く、ピンクのは三分咲きぐらいの状態でした。この日は思ったより寒く、もう春だからと分厚いジャケットを着ていなかったのを後悔したぐらい。赤いのはまだもう少し時間がかかるかもね。

もうないのかと思って歩いていくと吉備路考古館の梅林はこの状態。こっちはむしろ盛りを過ぎてました。

東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

梅と言ったらこの歌を思い出すけど、彼が最初に詠んだのはたぶん

東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな

の方らしい。

「な・・・そ」と言う係り結びの場合、ニュアンスから言うと「どうか忘れないでくれ」なところがあり、彼のそれからの不遇な末路を知っている後世の人の変更ではないかという。そうかも知れないが、私は「春な忘れそ」の語感の方が好きだからいつもこう読むことにしている。まぁこの写真たちのような梅はもっと明るく楽しく見てあげるべきと思うけどね。

もう一つ花で思い出すことがある。それは大江健三郎さんの息子さんの話だ。

大江家では大変丁寧な言葉遣いをなさっているそうで、ラジオの相撲中継を聞いていた息子の光さんがこう言ったそうだ。

「今アナウンサーが俳句を申しました。」

どんな俳句か尋ねると「前みつを早く取りたい出羽の花」と言う。「それは俳句ではない。俳句には季語がいるんだよ。」 そう父親が言うと、「出羽の花に『花』が入っております」と答えたそうである。

ここからはネットで調べたのだけど、後日大江さんがこの俳句を国文学者の友人に披露すると、「出羽地方の冬は厳しいからね。春を待つ人々の気持ちがよく出ているねえ。」と絶賛されたとか。(真偽不明)

 

今日は今まで書きたいと思って書けなかったことが二つ書けて余は満足じゃ。

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歩きたい

2007年02月24日 17時30分05秒 | 写真

映画のラストシーンって、映画の出来よりももっと印象に残っているのが多い。学生の頃、サタデー・ナイト・フィーバーが大ヒットした。ジョン・トラボルタの踊りでディスコが大ブームになった。「フィーバーする」なんて言葉もあったよね。

その次回作だと思うけれど、印象に残っているラストシーンがある。どの映画だったのだろう、グリースかステイン・アライブか。オリビアニュートンジョンの方じゃなかったような、だったらステイン・アライブか、、、不明だ。

そのシーンというのは、悩みを振り切ったトラボルタが、食べていたリンゴを道の穴に投げ入れ元気よく歩いていくシーン。サタデー・ナイト・フィーバーのラストが重苦しい心で終わったのでその差がひどく印象に残ってます。

時々あの時のトラボルタのように歩いていきたいと思うことがある。今とても歩きたい。

チボリはリニューアルも終わりつつあり、点検完了の遊具が動き始めた。

噴水もおねえさんも歓迎してくれている気がする。はやく歩きたい。残念ながら帰宅した頃には閉まっているから土・日しか歩けないんだけどね。

ラストシーンで付け加えるけど、サタデー・ナイト・フィーバーのラストも名シーンだと思う。もし自分が映画に出られる人間だったらあのシーンがいいなと思う。

あの時の女性はマリアでトラボルタはイエス、ピエタだよね、あれって。

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ディズニーの功罪

2007年02月23日 22時44分26秒 | 写真

「ディズニーの功罪は動物を友だちだと思わせたところである」と言った人がいた。

くまのプーさんは心優しいおっとりもので、蜂蜜を嘗めている可愛いお友達。象のダンボは悲しいときにぽろっと涙を流す可哀想な子どもで、この子を助けるために私たちも力を貸してあげよう。野犬は、実は自由を愛する理知的な存在で、悪いのは人間、彼らの行動は正しいのだ・・・。

こうやって大きくなってきた子どもは、この可愛い動物たちを友だちとして触ろうとする。野生の生き物でも同じ。日本人が中国に行くと、可愛いぬいぐるみみたいな生き物の檻のそばに行って記念写真を撮ろうとするのだそうだ。柵を乗り越えすぐそばまで行っても平気。だってパンダって可愛いじゃない。抱いてみたい。悪いことするわけ無いわ、こんなに可愛いんだから。

誰もあれが熊だとは思っていない。

私もそうだ。動物は友だち。可愛い。こっちが友好的に接したら相手も判ってくれる。悪いことをされるはずがない。だって映画でもTVでもみんなそうだから。そんな場面ばかり見ているから。

でもそうなのだろうかと思う。みんなエサをやりたがる。撫でてみたい。乗ってみたい。子どもがよちよち近づいて行ってもおかあさんはニコニコとその風景を見ている。声を枯らしているのは飼育員の人だけ。

「(ポニーの)後ろに行かないでください。近づかないでください。蹴られます!!」

でも近づいて行く。だって可愛い動物は友だちだから。

野生の熊をよく知っていると言う動物カメラマンは、熊のいる場所でテントで寝ていて熊に食い殺された。突発的な事故だと思いたい。偶然だと思いたい。だけど最近強く思う。

「ディズニーの功罪は動物を友だちだと思わせたところである」と言った人、それを初めて聞いたときと違い、最近はあなたの言葉に深く共鳴すると。

出来ることなら子どもたちには動物は優しく可愛い友だちだとずっと思わせてあげたい。

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二つの笑顔

2007年02月22日 20時13分00秒 | 写真

おたんこナースというマンガが好きだった。

私、少年マンガと少女マンガのどっちと言われたら少女マンガの方が好きだ。もちろん全てというわけではない。例えば亀有の両さんは好きだし、北斗の拳も全て持っている。子どもは一時期テニプリにはまっていたし、ヒカルの碁のアニメは見ていた。そうなんだけど、多くの少年マンガにある汚い絵と暴力シーンが嫌いで、それに比べて優しい少女マンガの方が好きなのだ。一番好きなのはパタリロ。名作で言えば動物のお医者さんとか天才柳沢教授のマンガも好きだった。日出処の天子は忘れがたい・・。まぁ書けばきりがないのでやめるけど、おたんこナースはNHKのニュースで見てすぐ買ってきた本だった。その中にこんなシーンがある。

看護婦の話だけど、患者さんが亡くなったときに「看護婦は泣かないのね」となじられるシーンがある。そんなことがよくあり、結果、感情を出さないために薄い笑みを浮かべた能面のような顔を作っている、、、そんな話があった。

自分はどうか。職は違うけれど同じように能面をかぶっている自分がいる。心底の笑顔にはなれない。感情むき出しに怒ることも出来ない。ムッと出来たらいいだろうと思う。本当に親しい人以外には自分の本当の顔を見せていないんじゃないかと思う。最近特に。

写真を撮ったときに笑顔が撮れることがある。本心からの笑顔なのか、商売用の顔なのか、これはお店用かな、、、 

本当の笑顔が撮れたらと思う。撮りたいと思う。子どもの笑顔はいいね。自分の笑顔も子どもに戻したいと思っている。家族一緒の時だけは戻れるけれども。

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サクラサク

2007年02月21日 20時14分25秒 | 写真

もう一週間ほど前だと思うけど、犬を連れて散歩していた家人がさくらの木を見て咲きそうになっているのを見つけていた。近所の公園にはリュウキュウカンヒザクラというのがあって、家人の話では「これが毎年一番最初に咲く木」なのだそうだ。

子どもは大学の試験が終わり、追試もなく(笑)今は暇にしている。今日は二人で犬を連れて行ったのだが、くだんの木はついに開花していた。デジタルカメラを持ち歩いていない子どもは携帯電話で撮ったと教えてくれた。

写真右がリュウキュウカンヒザクラ。咲いているのは上の方に数輪だけなので子どもが「背伸びして撮った力作(笑)」だとのこと。ピンが来てないのはしかたないですね、まぁよく頑張りました。

この木、名前で判るように沖縄から貰ってきて植えたものだそうです。私も土・日には見に行きたいと思ってます。

土・日まで待ってくれるかどうか判らないのが左のつぼみ。これはソメイヨシノです。ソメイヨシノ、あの普通のさくらのソメイヨシノです。日当たりのいい場所のつぼみだそうですけど、これってもう咲くよね。今年は卒業式がさくらで彩られるみたいで、と言うことは入学式はサツキですか?! 素敵なような、恐ろしいような。

暖かいのはいいけど、これぐらい早いとちょっと心配の方が先に来ます。皆さんの地では今どういう状態でしょうか。夏は暑いんだろうなぁ、、、苦手なんだよ、暑いのは。

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碁盤乗り

2007年02月20日 16時56分04秒 | 写真

初めて見ました、牛の碁盤乗り。

倉敷チボリ公園を県民公園化しようという方針があるそうで、私は地域で楽しめる公園というのは賛成なんです。ここを色々なイベントに使って何とかフェアみたいな展示スペースとして使うといい。人も来るし、まわりの人も喜ぶ。人が多い方が観光に来た人も楽しいしね。

この前の日曜に新見フェアをやってくれたことを書きましたけど、新見ってのは割と有名な特産物があるのです。その中の一つが草間の日本そば。ソバ畑がずーっと並んでいて花の咲くときはなかなかきれい。ソバ打ち体験もできて私も一度やってみました。職人さんが教えてくれるんだけど、職人すぎて、あれはダメ、そこは違うと注文しすぎ。気持ちはよくわかるけど、初めての人にそこまで要求するのはどうかなと思いました。

もう一つはなんと言っても千屋牛。この和牛は本当に美味しい。その分値段も高級なんですけどね。そんな牛の多い地域なのですが、元々トラクターが出来る前は、「牛=畑の耕作者」だったわけで、単に肉を食べるためのものだけではなかったわけです。ところがこの牛と言う生き物、狭いところが苦手で、まっすぐとあぜ道を歩いたりするのも嫌いらしい。だから調教が必要なわけで、その調教のやり方には簡単なものから高度なものまで様々なレベルがあったそうです。その高度な調教方法の一つがこの碁盤乗りだったとのこと。(以上のことは新見北高校の生徒が説明してくれました。)

トラクターが出来、耕す力として牛を使わなくなってこの技術が失われていたのですが、10年ぐらい前から取り組んだこの高校が見事復活させたのだと教えてくれました。

この牛(たぶん雌牛)は8歳で、2歳の時から乗っているのだとか。

高校生たちが何度か乗せて見せてくれましてヤンヤの喝采でした。この高校、農業高校なのかどうか知りませんけど、みんなまじめないい子たちのようで、髪の毛も黒く、実に誠実に一生懸命やってくれました。将来酪農とか農業で生きていくのでしょうか。現実を考えるとなかなか厳しいと思いますが、どうか天が彼らに味方してくれますようにと祈りました。

いつも思うんだけど、こうやって愛情をかけて育てた自分の牛が肉にかえられるのって育てた人はどう思うんだろう。自分の育てた牛が美味しいと言われるのはうれしいんだろうけど、命を落とさねばならないのはどうなのだろうか。

人間は食べないと生きていけない。生きると言うことは何かを殺すことだ。食べると言うことは別の命を殺めたと言うことだ。だから食べ物に対して謙虚になりたいと思う。欲しいものを食べられる、好きなだけ食べればいい、イヤなら残せばいい、そう思うことも多いけど、それは人間の傲慢さだとも思う。

イルカは頭がいい。鯨は高等生物だ。それを殺す人は野蛮だ。そう主張している人たちがいるが、その人たちの食べているハンバーガーは、殺されるためにだけ生を受けた牛だ。最初から食べられるためだけに生まれてきた生き物だ。その方がもっと残酷だと思う。私は菜食主義者だからと言う人もいる。野菜でも動物でもなぜ同じ「命」と思えないのだろう。

高等生物だから殺しちゃダメ、下等な生き物だから死んでもいい。この考え方は、この肌の色の人は高等だけどこの色は下等。この民族はえらくてあの民族は下と見下す、、、、そういう考えにつながるのではないか。

素敵なメリケン、もっと大人になれよ。

私は、アメリカに短い時間滞在しただけで、この国は自由の国という名の差別の国、そしてそんな自分たちがわかっていない国、と感じた。

日本人的、仏教&神道的思想が世界を平和にすると思っている。

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花めぐり

2007年02月19日 15時26分12秒 | 写真

今日は花だけを楽しもうと思った。名前を知らないのはさみしいけど色と形は楽しむことが出来る。ずらりと並んだピンクの花たち。本当なら一番手前にピントを合わすのかも知れないけど小さなファインダーではよくわからなかった。まぁきれいにぼけたからいいや。

今度こそモクレン。よく庭に生えているあのでっかいモクレンのつぼみじゃない。なんとかモクレンという種類だそうで(忘れた)花が咲いたらまた撮ってみたいと思っている。

マンサクの花。これとは別に赤いマンサクもあった。そちらは日陰でそれも立ち入り禁止区域だったので撮れなかった。

きれいだなと思いながら名前が判らないのがもどかしい。教えてくれる美人のガイドさんがいたらいいのに(笑)。

白と黄色のスイセンもいいけどこの黄一色のスイセンも捨てがたい。どちらも群生しているのできれいだ。残念ながら白い方は少し峠を越してきたようだ。

同じ花を撮っても、太陽の光がお化粧してくれる日はきれいに撮れる。お日様には感謝しないといけないな。

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