ナショナルジオグラフィックDVD
聖書の謎を追え 全5巻
県立図書館蔵
たぶん文明の衰亡論や人類・文明の起源というのは、人間にとっての永遠の興味の対象であろう。それを完全に解明できる可能性は限りなく0に近いにしても、想像で探求するのは楽しい。そしてその資料となるのは古い書物、伝承、神話とそれを裏付ける発掘調査しかないだろう。
という興味は私にもあり、これを借りてみた。
たぶんこれを見るのは二度目。以前にひかりTVのナショジオチャンネルで見たのではないかと思うが、はっきりと覚えてはいない。いずれにしても、見たいと思う番組がこういう公共の場に存在すること自体が嬉しい。願わくは、いつまでも傷なく見続けられること。こういうところのメディアは中々そうはいかないからなぁ。
内容は書かないことにします。興味深いものだから多くの人が借りたいでしょう。その興味をそぐようになってはいけないからね。ただ一般論として、ナショジオは、結論を出さなかったり、それはどうかと思うような思い入れの強すぎる結論に導いたりとかもありますね。ファンタジーに満ちた答えばかりを求めてはいけないでしょう。これについて言っているわけではないですけどね。
では何でこれを書いているかというと、上の文字に違和感があるから。
私の中では、はこぶね=方舟であり、ノアの方舟をこれ以外の表現にするのはどうも嬉しくない。ネットで調べると、箱船や箱舟とも書くそうなので、私の違和感の方がおかしいのかも知れません。
一瞬、図書館職員の書き間違い?とまで思いましたが、さすがにそんなことは無し。まぁ言葉の専門家たちの集団なんですから、そんなことはありえんわな。上の写真がパッケージの表記です。
さてノアの洪水伝説だけど、実際に大洪水が起こったのは間違いないと思ってるけど、聖書の「40日40夜」はどうかなと思う。シュメールの粘土板やギルガメッシュ叙事詩の記述の方が信憑性を感じる。
『ギルガメシュ叙事詩』における記述 [ウィキより転載]
アシの小屋よ、アシの小屋よ、壁よ、壁よ。アシの小屋よ聞け、壁よ察せよ。ウバルトゥトゥの子、シュルッパクの人よ。家をこわし、舟をつくれ。持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え。すべての生きものの種を舟に運びこめ。おまえがつくるべき舟は、その寸法をきめられたとおりにせねばならぬ。その幅と長さとをひとしくせねばならぬ。ウトナピシュティムがつくった舟は七階だてで、各階には九室あったようだ。七日目に舟は完成した。洪水が起こると、彼は全財産、つまり銀や金、生きもの、家族、身よりの者、職人たちをすべて舟に乗せた。すると、六日と七夜、風と洪水がおしよせ、嵐が国土を吹きまくった。七日目になると、洪水をもたらした嵐は戦いに負けた。それは軍隊の攻撃のような戦いだった。海はしずまり、嵐はおさまり、大洪水はひいた。空模様を見ると、まったく静かだった。そしてすべての人間は粘土に変わっていた。見わたすかぎり屋根のように平らになっていた。天窓をあけると、光がわたしの顔にさした。わたしはうなだれ、坐って泣いた。涙がわたしの顔をつたって流れた。わたしは広々とした海を見回して岸を探した。十二の場所に陸地があらわれた。船はニシル山についた。山は船をとらえて動かさなかった。このようにして船は六日間ニシル山にとまっていた。七日目に、ウトナピシュティムはまず鳩をはなした。鳩は休み場所が見あたらずにもどってきた。つぎは燕をはなしたが同じ結果になった。そのつぎには大烏をはなしたところ、水がひいていたので餌をあさりまわって帰ってこなかった。そこで彼は山頂に神酒をそそぎ、神々に犠牲をささげた。
アララット山にある舟形や、多くの探検家の発掘した建造物のかけら、およびその年代測定などから、何かがあったことは間違いないし、それが伝説になったことも間違いないだろう。地表が全部覆われるような洪水というのは中々信じられないが、その当時の「世界」=「自分たちの住んでいるところ周辺」を指していると考えたら、それもありかなと思う。
と言うことで、お勧めしますからどうぞお借りください。人気作品らしく、中々全部いっぺんに借りるのは無理みたいです。必ずどれかは貸し出しになってます。県立図書館は先日から一度に借りられる視聴覚資料が5本になったので、うまくいくと全部同時に借りられるかも知れません。