ちょっと訳あってこの写真を掲載しようと思う。今まで何回か掲載した倉敷まるごと音楽会の様子だ。
この音楽会、100回目が間近で、たぶん4月でまる百回を迎えると思う。月1として年に12回、つまり8年以上している計算になるけど、元々月に一度だったのかも、この場所でやり続けているのかも知れないから確証はない。メンバーの一人が「やり始めて今日で3年目」と言っていたことがあったから少なくとも数年はやっているんだと思う。たぶんメンバーも色々入れ替わったんだろうな。
私、いつも全時間いるわけではないので見てないシーンもある。この前初めてこのシーンを見た。みんなで歌おうみたいなコーナーがあって、こうやって楽しませてくれる。準備も大変だろうし、聴きに来るメンバーに高齢者が多いため、たぶん彼らの知らない歌ばかりをこう言う時には選んでいるのだろう。その苦労がしのばれる。
私がこの若者たちに好感を持っているのにはいくつか理由がある。一つはこの催しが素晴らしく、この無償の愛に感動しているからであるけれど、もう一つは自分から見て子どものような若者の行動がほほえましく、その一生懸命さを肉親の情めいた気持ちで見られるからである。
上記理由で、歌っている歌のかなりの部分は彼らの知らない古い歌や童謡であったりする。一度こんなことがあった。映画音楽を演った時、
「私は見たこと無いのですが、古い映画の曲だと言うことです。ステファニーで朝食を(?)だったかな…」
そうか、彼らにとってティファニーで朝食をなんて全く知らない、そう古典文学みたいな古いものなんだ…。馬鹿にしている訳じゃない。自分と彼らの間の時間のギャップと、その若さでありながらこうやって頑張っている姿に、私はその時ひどく優しい気持ちになっていた。若いから非常識で不作法なんてことはない。最近の大人、特に老人と言われる年齢の無軌道さには腹が立つ。若者に非常識な輩もいるけど、全部がと十把一絡げにしてはいけない。私はこの若者たちを本当に好きになっている。
次の日曜にまた彼らに会えるだろう。残念だが私は行けないかも知れない。いつも時間が余っているわけではないから。どうにか行きたい。天が味方してくれたらいいのだが。日本神道の伝えてきたものの一つに清く明(あか)い心があるだろう。きっと彼らはそれを持っているに違いない。だから会いたいのである。