フォルクローレとは、ボリビア・ペルー・アンデスなどの先住民の音楽という言い方でまぁいいんじゃないかと思う。専門家から言わせると正確じゃないかも知れないけどね。フォルクローレと言う言葉を知らなくても、El condor pasa(エル・コンドル・パサ;コンドルは飛んでいく)と言うペルーの曲は知っているだろう。サイモンとガーファンクルの歌の歌詞と本当の意味は違っているだろうけどね。
私、この音楽が好きだ。と言うより、この音楽にはたぶんDNAが感応しているんじゃないだろうかと思っている。アンデス(だったかな)のインディオと日本人にだけと言ってもいい「しるし」が蒙古斑。たぶん遠い祖先がつながっているのだろう。かつてベーリング陸橋を渡って日本人が移動したのか、南米から日本へ丸木船で渡ってきたのか。その辺は判らないけれど、縄文土器と見まごうばかりの土器があのあたりで見つかるから、日本人が南回りに南米に渡って先住民になったと考えてもいいかもしれない。
まぁ現段階では奇説のたぐいかも知れないけど、案外こう言うところに真実があるんではと思っている。
そんな遺伝子のためかどうか判らないけど、とにかく私にとってフォルクローレは大変心引かれる音楽だったりする。それを地元で聴くことが出来た。
初めてこの音楽を生で聴いたのはチボリ公園に演奏に来たコンフント・アンデスと言うグループ。あまりにも感動して、そのあと楽屋に行って今度はいつどこで聴けるかと尋ねた覚えがある。もう5,6年も前じゃないかと思う。1年ほど前に岡山駅近くのNHKで偶然彼らの演奏に再遭遇して嬉しくなった。ただ昔のメンバーとは違っていたけどね。
今年の倉敷音楽祭のメニューにコンフント・アンデスの名があって、これだけは聴かないとと出かけた。野外ステージで風が強く寒かった。でも聴けて満足した。前から彼らのCDが欲しいと思っていたけど、そこで売っていた。買いたかったけどお金がなかったので手に入れられなかった。この時は貧乏なのが悔しかった。
もうこれでフォルクローレは終わりと思っていたのだけど、21日に商店街を歩いていて驚いた。向こうから民族衣装を着た女性たちが歩いてくる。あの衣装は間違いなくフォルクローレ。私はその辺りを見回して時間を調べた。彼女たちの演奏は天満屋前のステージで12時から。私は少し時間をつぶして会場に向かった。
正直に書くけど、そんなに期待していた訳じゃない。コンフント・アンデスが私の周りで最高・最強のグループと思っている。こちらは女性だけだから音も優しいだろう。力強さが足りないだろうからどうかな、まぁフォルクローレが聴けるからいいか、その程度の気持ちだった。
天満屋前のステージは少し遅れていた。やっと始まった音楽を私は非常に楽しんだ。コンフント・アンデスとはまた違った優しさのある音。女性だけのグループがこんなにいいものとは思わなかった。本当に素晴らしいと思った。原色の衣装や頭に着けた色とりどりの羽飾りが本当にきれい。是非もう一度聴きたかった。私以外もそうだったのだろう。アンコールの声がかかった。はにかむ女性たちが、「前の方が15分押してますのでこれで終わりにしたいと思います」そう言うのだけど、アンコールが何度もかかる。主催者側がOKを出して一曲やってくれた。本当によかった。私はこの「ビルヘネス・デ・ラ・ルナ」という女性グループのファンに、すっかりなってしまっていた。
片付けている彼女たちに近寄って、どこで(あなた方の演奏を)聴くことが出来ますか、次のコンサートの予定は?と訊いてみたのだけど、決まってません、県内では予定はありませんとの答え。残念だった。たとえ遠くでも聴きに行きたかったのに。
「確実なのは、来年の倉敷音楽祭に来ることが決まっているだけです。」
じゃぁ一年待つことにしよう。織り姫と彦星だって一年に一回なんだから私もそれで我慢しよう。そう思うことにした。
コンフント・アンデスはまた聴けるだろうか。もっともっと倉敷に来て欲しい。このふたグループの音楽なら仕事をとり止めてでも聴きに来たいなと、今思っている。
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