三が日も終わりましたので、ブログデザインも「お正月」から通常のものに戻しました。
皆さんは初詣に行かれましたか? 住んでいるところはかつては日本の中心でした。大和に政権が遷る前、吉備國(出雲圏も含めて)が日本の中心であったことは間違いないでしょう。吉備國が衰えてから大和が隆盛を誇るようになります。古墳の大きさにしても特殊器台にしても、吉備から大和への流れは間違いないと思ってます。その理由は、大和と吉備が戦争して吉備の工人を大和に連れて行ってからこうなったと思ってました。でもある人の研究では、『吉備が大和へ出て行ったのではないか』とも言われてます。もしそうならとてもおもしろいと思いますけどね。
まぁそういう歴史のおかげで古い神社がたくさん残ってます。吉備津神社、吉備津彦神社、古墳では作山古墳、造山古墳をはじめとする巨大古墳などなど。その意味ではとてもお参りしやすいところに住んでいると思います。
ここは阿智神社。いつも正月三が日は人出が多いですが、だからといって並ぶほどじゃない。1/1の0:00を除けばね。ところが今年は1/1の15:00でこの有様。なぜ境内には入れないのかは不明。なんか特別な催しでもしていたのでしょうか。
階段下の警備のおじさんが『(ここからは見えないけど)まだ上はならんどるんかな』と私に尋ねる。降りてくる人たちが口々に参拝出来なかったと言っていたらしい。「ええ、私も入れなかったから日をあらためようと思ったんです。」 彼は、今年はやり方を変えたんかなぁと首をひねる。いつもの年はこんなことないらしい。
次の日は、雨模様だったこともあり人はまばら。私、この地へ来て初めてここへお参りしたときにとても驚きました。それは山門に飾られたキラキラもの。小判やタイをはじめ、多くのデコレーションがぶら下げてある。福笹につけてあるような飾り。こんなことをする神社は私の周りになかったので大変驚きました。初穂を飾ってあったりして、神社は農耕の神様でもあると実感。生きていくために一番大切なものだからね。
では、初詣に行かれなかった方はお参りくださいませ。
商売をなさっている方はこちらにもどうぞ。
時間が許すなら夜中にお参りするのもいいでしょう。かがり火が焚かれた境内は幽玄の世界。神様を実感できます。この人が食べているのはお餅だろうと思います。正月は随時餅つきをして振る舞ってくれるようです。私は怪我のために食べられないからもらってないですけどね。
いつも不思議に思う。日本人だったら誰でもわかるこの風景、外国人にはどう映るのだろう。私だったら間違いなく写真を撮るな。
日本の神社のいくつかのものはヘブライの神を祀っていると思う。ある時、上に書いた某有名神社の神職と話をしていて、御陵を掘ってみたいですねぇと言うとこう言われた。「絶対掘らしてくれないでしょうね。」
不敬だからと言うのかと思ったらこう続けた。
「出てきたらいけないものが出てくるでしょうから。」
あの人たちの先祖が大陸から来たことがわかるものですかと私が言うと、いやもっと西からかも知れませんよと答える。
『魚の紋章とか?』
私が言うと、ちょっと驚いて口を閉ざしてしまった。
私が言うのならともかく、神社関係者がここまで言っていいのかと思いました。これって、ひょっとしたら口には出さなくてもみんな知っている常識なのかと思いました。
では最後にこの素敵な看板を。皆様、今年がよい年であることをお祈りします。