ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

真っ赤な太陽

2007年01月16日 20時02分27秒 | 写真

出張からの帰り、西に向かって車を走らせるとでっかい太陽があった。撮りたいと思った。車は走っている。いくら何でも危ない。カメラは助手席の鞄の中に小さなコンパクトカメラがあるだけ。信号待ちで停車したとき、露出を-2にしてオートで撮った。本当なら望遠レンズで圧縮して撮るところだけど、そんな暇もないし持ってもない。トリミングを前提にハンドルに押さえつけるようにしてぶれを防いだ。色は、、、-1と1/3ぐらいがよかったかも知れない。周囲の露出はそれでいいかもしれないけど、太陽はこれぐらいの方がよかったかもと思う。もっとでかく撮りたかったんだけど、そんなことして事故でも起こしたらお互いに不幸なだけ。これで良しとしよう。

見た目は両手に抱えきれないぐらいのでっかさの太陽なのに写真に撮るとずいぶんおとなしい。もしこれを砂漠や最果ての地で見たらもっとでっかく見えるのかも。実は見てみたいものがある。

馬を走らせて 西來 天に至らんと欲す
家を辭してより 月の兩囘 圓かなるを見る
今夜は知らず 何れの處にか宿するを
平沙萬里 人煙絶ゆ

西に向かって馬を走らせていくとまるで天に昇っていくようだ
家を出立して2度満月を見た(2ヶ月経った)
今夜、いったいどこで寝るのかもわからない
見渡す限り砂また砂で人の生活している痕跡もない

磧中の作(せきちゅうのさく)という漢詩だ。高校1年生の時に習ったので細かいところは忘れてしまった。七言絶句の名作(と思う)。訳だけど、一行目は「砂漠は果てしなく天まで続いていているように感じる」と訳してもいいのだろうけど、私は馬を走らせていくと自分が天に溶け込んでいくような気がすると表現した方がそれらしく感じる。

私が見てみたいのは、この最後の部分、平沙萬里 人煙絶ゆ のところ。

人煙というのは、人が生活していると煮炊きしたりして煙が立つ、それを人煙と呼んでいる。日本にいたら、人煙絶ゆなんてことは絶対無い。北海道の端の方に行ったら人は住んでないのだろうけど、人煙絶ゆは無いのではと思う。まして「平沙萬里」は見ることが出来ないだろう。実際に見たら、行ったら、本当にひどいところだと思う。屍を以て道しるべとする場所、生きて帰る人のいない最果ての地、絶対行きたくないところかも知れない。でも一度だけでいいから見てみたい。何のために生きてきたのか考えられる気がする。写真を撮り始めてからこの詩を忘れたことはない。

中国には一度行ったことがある。北京近郊の、いわゆる観光コースだけ行った。こう言うところへも行ってみたいけど、今の中国には行きたくない。それは6年前の観光でわかった。行くなら、夢の中で行くのが一番いいのかも知れないな。きっと正しいことだと思う。

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