ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

田んぼの中

2007年06月30日 08時48分59秒 | 写真

またまた忙しくなってきました。

仕事柄、6月末から7月半ばまではめちゃくちゃ忙しく、帰ってくるのも遅くなって植物たちに水をやれないときがありまして、ミニトマトはあっという間に朱鷺のようになりました(悲)。とまぁいいわけでもしておいて今日の写真を。

住んでいる地方は田舎なのでまだ田んぼが残ってます。実家は県内でももう少し北で、そのせいかもしれないけど田んぼにこんな生物はいませんでした。

たぶん見えないと思うけど、真ん中のオタマジャクシの5cm右に2匹の薄緑のほにゃほにゃ生物が写ってます。また左上にももう少し大きめが一匹写ってます。

これ、田んぼで繁殖しているカブトエビの幼生。このあと大きくなるとカブトガニそっくりの小さなカブトエビのできあがり。カブトガニは多足類の蜘蛛の仲間ですが、これも同じなんでしょうか。一度子どもに「カブトガニとカブトエビって同じなの?」と訊かれて、同じじゃないだろうけど実によく似ていてずっと前のご先祖様は同じなのかなと思いました(詳細不明)。

これってタマゴを撒いて発生させているのでしょうか。生えてくる草を食べてくれるからなのかなとか思ったりしてます。奇妙なのは、こっちの田んぼには大繁殖しているのに、畦一本隔てた隣には全くいなかったりします。ほんで育てているのかなぁと。

子どもの頃、田んぼ=レンゲでして、あれって野生に生えるんだろうと思っていたのですが、必要な田に植えているんですよね。空気中の窒素を固定するとか。

話変わって、子どもは医療のような情報系のような大学に行ってますが、XP搭載パソコンが欲しいらしい。私、XPのお節介さが嫌いでずっとWin2000です。でも最近XPでないと動かないソフトも出てきて困ってました。買おうと思ってもビスタ全盛の今なかなか買えない。買っても高い。困ったもんです。お金無いのにねぇ。

totoでも買いましょうか(笑)。

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わからない

2007年06月28日 09時37分23秒 | 写真

最近のやり方がわからない。

子どもでも大人でもやりっ放しにする人が目につく。倉敷駅で踊ったり歌ったりしている人たちも同じ。ジャンクフードを食べ散らかし、ジュースとたばこをほったらかして帰って行く。子どもも同じ。美術の授業で使ったものが片づけられないそうだ。怒られて、なんで?と疑問に思うらしい。使うのは自分、片づけるのは他人、それが普通だと思っているようだ。大人だってえらそうには言えない。ゴミ置き場を見たらわかる。犬を散歩させている人を見たらわかる。散らかすのは私、片づけるのは他人。そうでない多くの人もいるだろうにそれは陰に隠れている。

この塀、このあと上塗りしたら見えなくなる。でも昔ならそれでもコテで整えた。ここまで放って置くことはなかった。外観が良ければいいと完結させて、職人の誇りは保てるのだろうか。お金だけでなく自分の心がいいのか疑問だ。

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ボルゾイ

2007年06月27日 21時26分38秒 | 写真

このボルゾイって有名なんじゃないかな。

美観地区でイベントがあったらよく来ている。よくは覚えてないけど、確かいつも夫婦で連れている記憶があるから、この人たちだろう。自慢の息子(娘かも)なんだろう。誇らしげな気持ちもわかる。

でかいし、目立って多くの人の目を引く。行儀がよくて、吠えたりもちろん漏らしたりもしない。毛づやから見てもよく手をかけて育てているのだろう。

いつも思うのだが、何でボルゾイを飼っている人はバンダナを巻いているのだろう。3匹知っているけど全部バンダナ付き(笑)。日射病にでもなりやすいのだろうか。

まぁ私的にはこう言うところではなく土の所を散歩させるべきと思うんだけどね。近所に住んでいる人かも知れないけれど。

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ラストシーン

2007年06月26日 21時16分48秒 | 写真

ドラマは見ない。そもそもTV自体をあまり見ないんだけど、いくらか見るのもドキュメンタリーやアニメが多く、ドラマを見ることはほとんどない。見たら面白いのかも知れないけど、所詮作り物、現実に起こらないウソ物語という気がしてしまい見る気にならなかった。じゃぁ映画はと言うと、こっちは好きでよく見ていた。同じ作り物のウソ物語だろうと言われても仕方ないけど、あれぐらいの大金を使って大がかりに作り上げたウソなら見る価値あるなと感じていたからだ。ドラマ好きの人には詭弁に聞こえるよね。実際そうだと思う。

その議論は置いておいて、やはり映画で最も大切なのはラストシーンと思う。印象に残っているのはサタデーナイトフィーバー。あのラストシーンはすごいなと思った。最初の猿の惑星もいい。シェーンのラストがいいという人もいるけど、古いので言えば禁じられた遊びだな。映画版のラッシーも好きだった。18歳の時に深夜映画で見たシェルブールの雨傘のラストには大人を感じた。あの時は早く大人になりたいと思った。

そんななかで忘れられない一つが最初のターミネーターのラスト。あのおかあさんが車に乗って未来の子どもに託すための録音テープを作りながらガソリンスタンドに入っていく。ガソリンを入れているときにそこの子どもがポラロイドで撮って写真を売ろうとする。値切って買ってあげるときにガソリンスタンドのご主人が言う。

「(写真を撮った)この子が、『セニョリータは美人だけど暗い顔をしている』と言っているよ。」

彼女は何か言って(覚えてない。確か未来は暗黒なのよみたいなことを言ったと思う)から車を走らせていく。道の先には黒い雲がわき上がっている。その後の未来を暗示しているシーンで終わる。

この写真を撮ってあれを思いだした。レベルは違うけれどこれから先を暗示しているような気がした。この先は一体どうなるのだろう。この道はどこへ通じているのだろう。日本は、倉敷は、私はどうなるのだろうか。

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雨の日と月曜日は

2007年06月25日 12時44分00秒 | 写真

洋楽を聴き始めた頃に一番流行っていたのがカーペンターズだった。カレンとリチャードの兄弟。同じ顔だったし、笑ったときに上唇を薄くして笑うのが変だと友人の一人が言っていた。イエスタディ・ワンス・モアが絶頂の時で、私は「歌=内容は愛の気持ち」と思っていたので、あの歌の訳詞を読んだときは拍子抜けしてしまったのをよく覚えている。

歌が好きだったのではなく、よくタイトルを覚えているのが「ハーティング・イーチ・アザー」と、この「雨の日と月曜日は」だ。子どもだったし歌詞カードも手に入らなかったからわからなかったけど、歌い方や雰囲気から雨の日と月曜日は気分が落ち込んで憂鬱になるってんじゃないかなと思っていた。

梅雨らしく雨が降るようになった。常に降るのではなくときおり数時間晴れたと思うとまたしょぼしょぼと降り始める。水の匂いとそれが連れてくる涼しさ、私は小さい頃からそれが好きだった。毎日雨が降ればいいのにと思っていた。幸い自宅は雨で被害を受けるような場所ではなかったせいもあっただろうけど。

この季節は紫陽花がいい。他の花たちも、濡れているか、濡れてなくても湿気でしっとりしているのがいい。カタツムリやナメクジは嫌いなんだけど、それはワガママというものだろうな。

きれいな花だなと思う。いつも散歩していた公園にあった。名前は知らない。今は前と違って見える気がする。小さな花がはじけるように広がって線香花火みたいだなと思う。小さい頃、線香花火は弱々しくて貧相に見え派手な花火を好んだけど、今はあの花火が素敵に思える。もう純日本産は絶滅したと聞いた気がする。

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七夕

2007年06月24日 09時07分39秒 | 写真

七夕が近づき商店街に飾りが現れた。こんな風景を見ると思い出すことがある。

私の田舎はまさに田舎と言われる場所で、買い物はよろず屋で行うしもちろんその店は一軒だ。そこには文房具から缶詰、野菜も魚もお肉もアイスも服も、果ては棺桶まで売っていた。生きるには事足りるにしても、やはり華やかでたくさんの店に行ってみたかった。車で1時間弱行ったところに県北最大の町があり、7月になるとそこの商店街で土曜夜市なるイベントが開催されていた。父親は時々それに連れて行ってくれた。家族みんなで行ったこともあったと思う。お金を持ってない子供だから何か買えるわけではない。金魚すくいや綿菓子など、いくらかさせて貰えたかも知れないけど贅沢は無理だった。何も買えなくてもこういう華やかな場所に行けるのは子ども心にワクワクした。昔の楽しみってずいぶん質素なものだったなと思う。

恵比寿通り商店街が華やかに飾られていた。でもなかなか今の子どもの心をときめかせることは出来ないみたいだ。それは大人でも同じこと。子どもの頃に見た飾りより格段にきれいな七夕飾りなのにと思う。こういうことを楽しめなくなったのは淋しいなと感じている。

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贈りもの

2007年06月23日 16時35分36秒 | 写真

エディが死んで一週間経った。ホントは死んだのが月曜なので一週間ではないのだけれど、週末を迎えて一週間経った気がしている。家人も落ち着いて静かに話せるようになった。子どもも普通に大学に行き、バイトして友だちと遊んでと日常の生活が帰ってきた。この前あったことが、いま思いだしてもまるで夢の中の出来事のようで時間の感覚がおかしい。なぜここにエディがいないのだろうと思ったり、あぁもう少ししたら帰ってくるんだなと感じたり、昔っからいなかったような気持ちになってみたり、、、ただ出かけるときに花を見て、そうかここにエディは眠っているんだと、そう、その時だけ現実に戻されたりしている。

エディが死んだとき、一番の心配は家人だった。あの子が死んで悲しかったけど、それより家人がどうなるのだろうと恐れた。家人の悲しむ姿を見るのが辛かった。そして子どもが元気に振る舞う姿が悲しかった。もう一匹の子犬が時々エディを捜す姿に心が痛んだ。

振り返ってみると、いままでこれほど周りの人たちを見ていただろうか。このことがなくても家人が悲しんでいたこともあっただろうし、子どもが苦しんでいたこともあっただろう。その時自分はどうしていただろうか。仕事や自分のしたいこと、いなければいけないこと、そんなことばかりして自分だけの世界に閉じこもっていたのではないか。そう、私は自分の都合のいい世界にたくさんの時間住んでいた。エディが死んで、おかげで周りを振り返ることが出来た。エディはみんなを愛していた。みんなもエディを愛していた。その愛を今度は別の方へ振り分けたらいい。それは家人であり子どもであり、もう一匹の子へだ。そう天が言っているような気がしている。

あの子が贈りものをくれたんだと思う。今までの愛のお返しに、残った我々に語ってくれたと思う。自分の大切なものにもう一度気づくこと。自分の周りの大切なものをもう一度見ること。心を開き、合わせること。

子どもの頃、こんな話を読んだ。エジプトの神官だっただろうか、よく覚えてないけれど古い話だった。神様がある男に向かってこう言われた。

「何か一つ願いを叶えてやろう。何が欲しい?」

彼はこれだけを望んだ。

「(どちらが残されることなく)妻と同時に死なせてください。」

願いは叶えられた。彼ら夫妻は長生きして幸せに過ごし、最期に二人で同時に眠りについた。

子どもの時この話を読んだとき、自分なら世界一のお金持ちになりたいって言うだろうな。不老不死を願うかも。こんなつまらない願いを何で言ったのだろう。そう思った。でも今は違う。この人の願いは最高の願いなんじゃないかと思う。自分中心だけでない心を、世界を、エディがくれたからかも知れない。

子どもが成人して立派な伴侶を迎えたら同じ願いをお願いしようか。でも最期の眠りにつくまでは前を向いて歩かなくては。下ではなく上を向いて、前を向いて。

これでエディの話は終わりです。もう書くことはありません。ブログも再出発です。

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どんぶり

2007年06月18日 15時19分32秒 | 写真

倉敷朝市にはワンコイングルメというのがあって、だいたいは500円で、たまには100円で何か食べられます。100円の時にはそうめん食べ放題とか里芋の入ったお汁、500円の時には国際ホテルのカレーとかこの日のようなどんぶりものだったりします。

左のは国際ホテル系の「亀遊亭」のハンバーグどんぶり。亀遊亭は美観地区のど真ん中にあるので、ここで食べた人も多いんじゃないかな。右はえびめし屋のサラダどんぶり。家人はこっちを、私は左を食べました。と言っても、交換しながら少しずつ食べたけどね。

味なのですが、左のはデミグラスソースがもう少し濃い味でも良かったな。今回はこのふたつなら右のが好みでした(うちんちの場合)。

もう一つカレーどんぶりがあったんだけど、もう一杯食べるほどおなかが空いているわけではなかったので食べてません。ちょっと残念でした。

家人は最近ひどく料理に自信を持っていて、ハンバーグを食べて、「うちの勝ちね」と一言。それだけ言えれば立派なもんです(笑)。

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洪水

2007年06月17日 20時42分05秒 | 写真

旧約聖書のノアの箱船の洪水があったとされる日(年号不詳)は2月17日なのだそうだ。どこまでこの情報が正しいかは判らないけどね。

今日は恒例の朝市で、昨日も休日出勤で休む暇もなくそんなことはすっかり忘れていたのだけれど、家人が「明日は行くんでしょ?」と言ってくれてやっと思いだした。

それほど気張って早く行くほどでもなかったので、まぁワンコイングルメが食べられたらいいやと8時前に出かけた。出かけてすぐ、どこの用水路も水であふれているのを見た。田に水を入れるためなんだろうけど、そのレベルじゃない。あちこちで水があふれ、この家なんて数センチで床下浸水だぞってぐらいだった。

大切な主食のためで判るけど、ここまで急いでしなくてもと思う。1時間後帰ってきたときにはもうどこも水はかなり減っていた。水が足りなくて争いでも起こっているなら我先に自分の田に入れたくなるだろうけど、十分な量の水もあるみたいだから一気に入れなくてもじわじわ入れればいいのにと不思議に思う。

近所の不動産屋さんが、「百姓が無茶な水の入れ方するから(自宅の用水が)逆流して困る。自分のことしか考えんのんじゃから・・。」と言う。

どっちが自分のことだけかは判らない。お互いに言い分があるだろう。しかし、大金払って作った自宅が被害を受けたらケンカしたくなるのも道理だと思う。住宅地で農業を営むのは大変だと思う。

かくいう我が家、自宅前にあった田んぼの持ち主はコンバインでうちの柵を壊して平然としている。

「犬を散歩させている人に田んぼの中にしたフンを投げつけるのよ、あの人たち」

家人が言っていた。

投げる方もだけど、土の上だからと言ってフンをそのままにしていく多くの人に怒るのも当然と思う。

貧しい心の国になったと思う。全て自分中心か。

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