ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

日々の記録。見たり、聞いたり、買ったり、食べたり。

今日の買いもの(最近の買い物 小物編)

2011年07月31日 20時14分41秒 | 買いもの

ウインドウズ7の基本 たぶん1050円
ご飯を食べたついでに隣町の本屋で買った。

ウインドウズを真面目に勉強したことがない。パソコンとの出会いはDOS時代で、config.sys を手書きしていた時代だ。パソコン通信を電話回線でやっていたなんて若い人にはわからないだろうと思う。

それだけ歴史が長いので、パソコンについてはかなりのことはわかる。わかるから真剣に勉強したことはない。Windows3.1の時代にはさすがに勉強したが、それ以降は勉強しなくても使えるからとサボっていた。大きくOSも変わっているだろうからと、この夏の暇つぶしに勉強してみることにした。

バックアップに関するパソコン簡単本 880円 岡山紀伊国屋

新しいパソコンはショップブランドでリカバリーCDも付いてないのでバックアップも勉強してみた。ド素人でもわかるシリーズ。

こういう本は要点しか書いてないし、薄い、字が大きい、図が多い、おまけに安くて(内容の割には高いが、専門的な本の数分の一だから)簡単に読めて便利だ。

残念だが、上の二冊はさほど役には立たない。自前の知識で十分だった。とは言え、知らないこともあったから全く役立たなかったわけではない。値段分ぐらいの役には立った。

チビはタコやイカなどの水棲生物が好きで、海水浴場そばの小さな水族館に連れて行ってもらったようだ。その時に見つけて買ってもらった物。300円。裏にシールが貼ってあって、なぜかそれを気に入っている。シール、シールと良く言っている。理由不明。

詳しくはまた書くけど、PCで変換した動画データを見るのが面白く、それをUSB経由で見るためにSDカードや移動用HDDが必要だと感じた。デジカメ用の高級SDと区別するために買った動画専用SDカードの入れ物。隣町のケーズデンキ。厳禁会員特典の3%OFFで368円。

ダイソーで見つけたマイクロSDリーダ・ライター 105円

これなかなか良くできていて、中が回転するようになっており普段は接点が隠せる。私は音楽データや動画データを入れて機械に挿しっぱなしにして使う。小さくていいし、昔売っていたマイクロSDリーダーよりしっかりしている。最近では特に気に入った逸品。これは8Mまで対応。SDリーダーの方は16Mまで対応。そっちは細長く大きい。

同じくダイソーのリストバンド。今までのは縞模様だったり絵が描いてあったりして使いにくかった。これは黒一色で、ジャージにも合うし安いし2個入っていて、使い捨て感覚でもいいぐらいで気軽に使える。気に入っている。

ニトリで買ったペンケース 390円ぐらいだった

3本入る。これを巻くと三角柱の形になって、この形の物は持ってなかったので買ってみた。他にも白がある。今まで売り切れていて買えなかったが先日行ったら大量に入荷していた。1050円の万年筆と、ちょっと高い0.9mmのシャープペン専用にする予定だ。

日記@BlogRanking


今日の見もの(アトランティス)

2011年07月30日 08時37分15秒 | 見もの

アトランティス 失われた帝国
Atlantis: The Lost Empire
2001年 95分 ディズニー アメリカ

タイトルとディズニーというところに惹かれて借りた。チビ用にこの手の映画を見続けているのだが、別の意味でディズニーの面目躍如だった(爆)

博物館の、学芸員とは名ばかりでボイラー係のサッチは、言語学者でもあり、祖父から続いているアトランティス研究をしていた。新しい学説を見つけたのだが、今まで何度も同じ轍を踏んでいたため館長に無視される。その彼の家に謎の女性が現れる。アトランティスを探したくないかという。連れられて行かれた先は大金持ちの家。彼の祖父の知り合いだという。彼に祖父から預けられた本を渡し、「探検用潜水艦から専門家たちまで全部用意してある。あと必要なのは言語学者だけだ。」と彼を誘う。探検に出かけた彼だが、実はそのメンバーたちの真の目的は・・・。

とても出来のよい映画で、特にアイデアやアトランティスの描写、敵のデザインなども秀逸だ。さすがディズニーと言いたいところだ(笑)。

『ウォルト・ディズニーが生誕100周年を迎えた2001年に公開されたディズニー製作のアニメーション映画』だそうで、『ジュール・ヴェルヌの海底二万里を原作とした』とのこと。しかしどうせ書くなら「ふしぎの海のナディアを原作にしてパクった映画」と書いた方がいいと思う。

ディズニーって、自分の作品の著作権に対しては強く主張するくせに、毎回ながらひどいパクリ方をする。この映画なんて、パクリと言うかナディアそのものだ。例えばライオン・キングを見てジャングル大帝との違いを見つけるのは難しいだろう(日本人ならわかることだが)。中国や韓国のパクリを指摘するのもいいが、国民が他国の文化財産を知らないことをいいことにして、自国がパクっている事実を無視するアメリカらしい態度、映画と言うべきか。

ただうちの子どものように、「中国のパクリでは劣化するけど、ディズニーのパクリはそれなりに昇華して楽しめるようになるから・・」と言う考えもある。確かに中国のはただの犯罪を厚顔・傲慢な態度でやっているだけだもんね。

しかし私は、ディズニーという権力による合法的な略奪行為と思えて、よけい質が悪いと思っている。中国のものは最初から偽物と思って接するけど、アメリカのものは他国はそう思わないだろうから。

本バージョン

話は変わるが、あるアメリカ人に会った時に彼はこう言った。

『SONY? SONYはアメリカの会社だよ。サウンド・オブ・ニューヨークの略だ。』

彼はそう言って、SONYが日本の会社だという言葉を頑として受け付けなかった。こう言うアメリカの多くの人たち、アトランティスもライオン・キングもディズニーオリジナルと決して譲らないんだろうなと思う。そうやって既成事実にしていくのだろう。今までの歴史もそうだった。映画やストーリー、アイデアについても同じことをするだろう。

ちなみに、どれぐらいそっくりかというと、こちらを見たらわかりやすい。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9219/atlantis.htm

ランク:この映画を楽しむならよい作品だ。
    ただし完全なパクりをオリジナルと称している犯罪的作品でもある。

日記@BlogRanking


今日の見もの(ルー=ガルー)

2011年07月29日 16時23分24秒 | 見もの

ルー=ガルー 忌避すべき狼
Loups=Garous
2010年 99分 日本 京極夏彦原作

loup-garou(フランス語)の意味は「人狼(じんろう)」である。

この世の中には理解しにくいことがあって、この映画もなぜここにあるのか分からない。多分借りた理由は「京極夏彦のものだから」だと思う。と言っても顔も知らないし本を読んだこともない。ファンではないし、俳優の京本氏と区別さえ出来ない(笑)。いつだったか、ウルトラマンかゴジラか、、とにかく昔のキャラクターのフィギュアの箱に「京極夏彦氏監修」と書いてあって、多分この手のオタク的ものに詳しいヒトなんだろうなぐらいに感じていた。その名前がパッケージに書いてあったから選んだんだと思う。

少し未来の話、そこではヒトは小さなパッド端末によりつながっていた。イヤ、管理されていた。この統制社会は犯罪のない平和な理想社会を造るもので、今では人はそのパッド無しには不安を覚えるほど依存している状態だった。家も強度なセキュリティで守られ健康状態や精神状態まで監視下にある世界だった。ヒト同士は端末でのつながりが主であるため、物理的接触は希だったり、練習が必要にさえなっていた。学校で物理的接触をするように言われた主人公は、その社会システムに疑問を抱く天才ハッカーや男性のような女の子と同じ班になり課題をこなすことになった。そんな時ある生徒が殺されてしまう。同時に同じ班の子が行方不明になって、ある子は積極的に、主人公は流れのままに事件に巻き込まれていく。殺人は連続していくが、臓器が切り取られているなど猟奇的側面もあらわになる。潜入したアジトには誘拐されてきた多くの少女いたり、警察の情報が改ざんされているなど、いったいどうなっているのかわからない。真相を見極めるためにはネットの中心に乗り込まなくてはいけない。残った班仲間は自力でそこに潜入していく。

ルー=ガルーとは何か。殺人犯人は誰か。それは・・。

3DCGではなく、手描きのアニメらしいアニメだ。

ネットのどこかに「発表時は異色作だった京極作品だが、今となっては使い古された発想のもので陳腐だ。今更(映画館に)見に行くほどのものではない」などと書かれていたが、確かに現実の進行の方が早すぎて、中身を見て「斬新」などとは言えなくなっている。しかしこれを原作の小説として発表した時はさぞやと思える内容だった。

『1998年から開始された「F・F・N」(フューチャー・フロム・ナウ)という企画の取組みで、アニメ雑誌「アニメージュ」や漫画雑誌「Chara」、またインターネット上で募集した、近未来における様々な着想が作中に登場している。』とか、『作品世界の設定をアニメ雑誌で公募するといった遊び心ある企画も異例であった。』などの記述があるので、やはり革新的な作品だったのだろう。

現実の進歩が早すぎることが京極氏のせいではないだろう。評論家というのは好き勝手に嫌みを書いてやっていけるんだからいい商売だ。映画だろうが音楽だろうが政治に関しても、評論家なるものの言葉は一切まともには聞かない。「はいはいそれで(を書いて)満足ですか(笑)ぐらいにしかとってない。皆さんはどうか知らないが、上述のお方のように思うなら見なけりゃいいし、見たければ見ればいい。それだけのことだ。

ランク:面白いけど斬新でも近未来的でもない。
    美少女アニメの味わいもある。まぁ普通の作品。悪くはない。

日記@BlogRanking


今日の見もの(よなよなペンギン)

2011年07月28日 17時55分23秒 | 見もの

よなよなペンギン
2009年 88分 日本

夜な夜な街を歩く少女ココ。彼女はいつも死んだ父親の買ってくれたペンギン型のコート(きぐるみ?)を着ていた。彼女は、ペンギンの飼育係だった父が「ペンギンと空を飛んだことがある」と話してくれた言葉を信じていて、いつか空を飛ぶのが夢(願い)だった。そんな彼女をいじめる友だち、見守ってくれるおじさんたちやおじいさん。街の噴水のところには大きな木と七福神の像があり、水中のタイルを触ると音を奏でるようになっていた。ただ、最後の一つの音が出なかった。七つめの像が壊れていたのだ。そんなある日、いつものように夜の街を歩いていた彼女の元に金色の羽根が落ちてきた。それからペンギン型のマトリョーシカが転がってきて、その中の部品を組み立てると人形が出来た。その人形が動き出しペンギンストアに招待される。そこで映画を見た彼女とその人形もどきは、映画の中に入っていく。彼は自分はゴブリンで、自分たちを助けて欲しいという。飛べない鳥が助けてくれるという伝説があるのだという。面食らうココ。私は違うというのだが、だんだんとその世界へ・・。

見始めて思った。「これは絵本だ。」

絵本の世界を映像に変えたような物語。細かいことを言うとつながりがおかしいとかこの話は理に合わないとか色々出てきそうだが、そこは「夢の中では後で考えるとおかしいことでもちゃんとつながっちゃう」的に無視して楽しんだらいいと思う。夢の話を絵本にしたような話。それがわかりやすいかなと思う。

ネットによると、『日本から世界へ発信するフルCGアニメーション作品。日本とフランス、国境を越えて最高のクリエイターたちが集結し、世界中の親子に向けて発信する映像プロジェクト。世界で評価の高い日本ならではの2Dアニメの技術を生かし、未だ見た事の無い新しいフルCGIアニメーションを送り出す。りんたろう×マッドハウスによるフルCGアニメーションは、まるで絵本のようなカラフルでぬくもりのある幻想的な世界と数々の不思議なキャラクターたち、夢見る事の価値、友達の大切さを思い起こさせる冒険ファンタジー。』とのことだ。私が「絵本だ」と思ったのは、確かに間違いなかったようだ。

ティンカー・ベルをネットで調べた時に、「よくできた子ども向けの映画は大人も楽しめるし、大人として別の意味で感じる(考える)こともできる。(そんな映画は)子ども向けだけのものではない」みたいな書き方をしていた人がいて、確かにそれは当たっていると思う。しかしこの映画はそうとは感じなかった。これは「子どものための映画」と感じた。映画館に大人が付き添うことはあるだろう。しかしこれは子どものためだけの映画だと思う。大人は一緒に見るだけ。そう思うと疑問に感じる点が二つある。

子ども向けに違いないのに、出てくる文字が全部英語だ。ペンギンストアだろうと、ウエルカムだろうと、劇中の映画のタイトルさえ全部英語。外国の映画を日本語吹き替えしたのならわかるけど、なんであれを「ペンギンストア」と読めるカタカナで書かないんだろう。「ようそこ」または「いらっしゃいませ」とひらがなの看板でどうして悪いんだろう。映画のタイトルをココが読んでくれるからわかるだろうけど、日本全国の幼児は(あるいはフランスの子どもたちは)みんな英語が読めるのか?? 英語の方がかっこいいかも知れないけど、大人のための絵本ならともかく、これは純然たる子ども向けと思う。りんたろう氏の意図がわからない。かっこよさだけで英語にしているのか。

街の風景も同じ。いかにもヨーロッパ然としている。なのに東洋人の主人公。父の顔は明らかに日本人だ。七福神が出てくるのも日本的。ところがゴブリン、悪魔にしても全部外国的。子どもの顔も、ディズニーのキャラクターみたいに外国人っぽい。フランス人が異国情緒を楽しむだけのためにあんな絵にしたのだろうか。どうせなら全部外国風にしたらよかろうに。「絵本」だから何でもありなのだろうか。

こんな時いつも思い出すことがある。

あるソフト会社の発表会に行ってきた。インストラクターは、「マニュアルなんか読まなくても子どもが直感的にわかるように作りました。」と自信満々で言っていた。

彼女はこう言った。

「最初の画面で『KIDS』を選んでください。そうしたら子どもモードで始まります。大人が使う時には○○を選ぶと別の画面になって・・。」

私は質問した。

「私の周りでは小学校の低学年で英語が読める子はあまり見当たらないんだけど、他の地域では幼児は英語がみんな読めるものなんですか?」

彼女はびっくりして、まさかそんな言葉を返されるとは思わなかったんだろう、「ええーーっと、その場合は、、、あの、ここをクリックして・・・・・」

小さな子どもが使うんなら「ここをおしてね」と書いていても、英語であっても「すたーと」と表示すればかまわないだろう。なのにどうして英語表記にしなければいけないのだろう。日本語はそんなに軽いものか。みんな「子どものことを考えて」とか言いながら、本当に子どもの立場で(目線で)考えているのかどうかいぶかしく思う。皆さんはどう感じているのだろうか。

りんたろう氏は多くの作品を手がけてきた方だから、たぶん意図しての英語表記だと思う。だろうけど、私にはその意図が伝わらない。看板や表記を日本語で書かない理由がわからない。どこかにそのわけが書いてあるなら読んでみたいと思っている。

ランク:絵本として楽しんだらいいと思う。子ども向け。
    得るものが多いかというと、それは感じない。
    チビに見せてどう感じるか聞いてみたい映画。
    私は芸能人をあまり知らないけど、
    大物がいっぱい吹き替えしているらしい。

日記@BlogRanking


今日の買いもの(体のためのモーツァルト)

2011年07月27日 18時59分42秒 | 買いもの

モーツァルト/弦楽四重奏曲集&五重奏曲集
アルバン・ベルク四重奏団(7CD)
マルチバイ特価 2,640円 HMV通販

ある本で耳を鍛えて語学力を高めるにはモーツァルトの弦楽四重奏曲がいいと述べていた。頭が良くなるとか、体にいいという言い方もよく聴く。正直、私の体はかなりガタが来ているようで、藁にもすがる思いというのは余りにも大げさだが、どうせ聴くならそれで少しでも体にいいものがいいやと手持ちのCDの中の弦楽四重奏曲を調べてみた。

で、驚いた。私はモーツァルトの四重奏曲を持ってなかった。

ベートーベンのは同じくアルバンベルクの有名なのを持っている。これも昔恋していたCD(当時は高くて買えなかった)で、オトナ買い(全集で3千円強だが)して持っている。モーツァルトでも弦楽五重奏曲は持っているのだが、四重奏がない。レコードの頃に狩と不協和音をカセットに入れてよく聴いていたりなど、多くの曲は知っているのだが、改めて調べると持ってなかった。信じられなかった。で仕方なくと言うか、念願の、アルバンベルクのボックスセットを買った。マルチバイで40%OFFだった。

これ紙ジャケットなんだけど、HMVの書き込みをみると紙ジャケットをひどく喜ぶ人もいるみたい。私は安っぽいというか、CDに傷が付きそうで、せめてレコードみたいに薄いナイロン袋に入れてくれないかなぁと感じる。そうでない代わりに安いんだろうし、プラケースにいちいち入ってないから体積も小さくなり、収納にはとても便利ではある。まぁ昔高くて買えなかった物が、輸入品とは言え当時の1枚の値段で全部手に入るんだから文句を言ってはバチが当たる。これで体が良くなるならホントに安いものだと思う。有り難い世の中だ。

ところで、本当のジャケットの色は一番最初の写真の色に近いのだが、この写真ぐらいの明るさにした方が気持ちよいだろうか。

最近思うが、本来の露出にしてブログに載せると暗く汚く感じる。明るめにした方がいいようだが、それを印刷するとみられたもんじゃない。明らかに、「(カラー)TVで見たら綺麗に感じるけど、実際とはかけ離れた作られた色」なのだ。近所の風景を、TVを通して見ると「別の場所のようにきれいに感じる」のはそんな色のせいだと思う。ブログの写真なんてどうでもいいようなものだが、特に液晶ディスプレイになって(地デジも同じだが)、「本来の色とは違う見ていて綺麗な色」ばかりで、我々の色彩感覚が壊されているんじゃないかと感じることが多い。

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今日の見もの(ミイラ展)

2011年07月26日 16時55分47秒 | 見もの

古代エジプト 神秘のミイラ展
オリエント美術館 1200円(社割で660円)

どの職場でもあるのだろうが、福利厚生の一環でこういう展覧会への補助が出る。家人が行きたいというので申し込んだら当然のように当たり(たいして申し込む人なんていないから)、とは言っても土日に行くのは大変だからと代休の今日行ってきた。先週は全く休めず、土日にも特別な仕事に行かされたので、さすがに体が疲れて昨日・今日と代休を取った。年取ったおかげで無理できないようで、今日は出かけるというのに起き上がるのがおっくうだった。下の予約がなかったら取りやめていただろう。代休を取って正解だったなと思っている。

内容だが、極めて素晴らしい。この展覧会に行かない人は人生の損だよと言いたくなるぐらいで、まだ行ってない人は是非訪れることを勧める。行くなら平日がいいだろう。私はちょうど10時ぐらいに着いた。下の予約があったので11:20分ぐらいに会場をあとにしたが、もう少し時間をかけて記念品なども見たかったなと思っているぐらいだ。2時間弱かけてゆっくり見たらいいのではないか。

こう言うのは若い人、特に子どもたちにも見て欲しいんだけど、会場を訪れていた子どもはなかなか持たないようだった。子どもにとっては1時間以上は無理だろうな。学生も多くいたが、もう少しじっくり見たらいいのにと感じた。メモなどとって見ていたけど、急ぎ足だったので彼らも時間をくくられていたのかも知れない。

この日にしたのにはもう一つ理由があった。

家人が有名な豆腐料理店が8月末で無くなるから閉店前に行きたいと言い出した。彼女の話では岡山から撤退ということだったが、実際にはケーズデンキそばへの移転だった。車で行くことの多い私たちにはむしろ有り難いが、電車で岡山に来るたびに行っていた親戚の人たちにはもう行けない場所になっただろう。年寄りには有り難くない移転に違いない。

もうこの風景が見られなくなるのは少し残念。しかし駐車場を気にし、交通渋滞をくぐり抜けながら行くことを考えたら、食べるだけなら新店舗の方が有り難い。まぁこのビルのテナント料が高いから移転するんだろうと感じた。東京などの大都市なら基本的に電車での移動だから中心部もいいだろうが、このあたりでは基本車で移動だから中心部はむしろ空洞化する。駐車料金まで払って行くぐらいなら広い駐車場のある郊外の店の方がいい。

今までの中心だった表町がさびれるのもわかる。そういう時代だし、それぐらいのカネモチ具合なんだよ、庶民は。

日記@BlogRanking


今日の見もの(恋していたCD)

2011年07月26日 08時03分48秒 | 見もの

マルタ・アルゲリッチ/シューマン 子供の情景
岡山県立図書館 CD

このジャケットを見たことがあるだろうか。以前書いたように、私はレコードとCDの狭間を経験した。その頃オーディオ用に欲しかったクラシックの中の一枚がこれだった。レコードだったかCDだったかは覚えてない。ただこれが欲しかった。今となってはもうどんな曲のジャケットだったかも忘れたが、これだったことだけは覚えている。

ある時シューマンの曲が聴きたくて県立図書館を検索していて、アルゲリッチの名前を見て胸騒ぎがした。案の定あのCDだった。早速予約したのだが、なかなか手に入らずやっと今週手に入れることが出来た。

これがそのCD。今まで何度も「傷あり」で一部の曲が聴けずに悲しい思いをしたが、今回は全部うまく再生できるようだ。愛しの彼女に会えてとても嬉しい。

私は買うなら(聴くなら)アルゲリッチを選んでいたが、家人はアシュケナージを好んでいた。たまたまアシュケナージの子供の情景もあったので借りてみた。演奏云々よりも録音が悪い。どうも自分には相性が悪いようだ。彼の繊細なピアノに聞こえない。ざらついて野太い、MP3のような高音域の伸びない音になっている。まぁ私の気のせいなら良いのだが・・。(借りようと思っている方、こちらのCDも音飛びなく全曲聴けました。借りるなら今ですぞ。)

この曲、短い曲が13曲集まったものだが、それでも大した時間にならない。いきおい他の曲とのカップリングになるのだが、実際に聴きたいのはこの曲だけなので、CDで聴くとイマイチ好きになれない。ウォークマンに子供の情景だけ入れたらよいのだろうが、耳にイヤホン刺して聴くのはそんなに好まない。年取るとわがままになる(笑)。いっそアルゲリッチとアシュケナージの子供の情景をカップリングしてみたらどうだろう。そんなCDって絶対発売されないよな。

おまけ:アシュケナージは、ウラディミールと思っていたが、ウラディーミルなんだね。コミュニケーションとコミニュケーションと同じぐらい混乱する。逆に思っている人も多いんじゃないだろうか。

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今日の見もの(バットマン ビギンズ)

2011年07月25日 09時26分03秒 | 見もの

バットマン ビギンズ Batman Begins
2005年 141分 アメリカ BSプレミアム録画

名作だ。今までのバットマン映画で一番良かった。というか、一番納得できた。今までの映画はビジュアルに凝っていたのか、変なところで踊ったりわけのわからない行動をとったりしたが、この映画は普通に行動する。まぁ映画だから「普通」じゃないのかも知れないけど、それ相応にリーズナブル。これなら私にも理解できるし、ブルース(バットマン)の心情も理解できる。タイトルも内容にふさわしかった。

子どもの頃、オペラを見に両親と出かけたブルース少年(後のバットマン)は途中でトラウマに襲われ観劇を止めたいと言い出した。察した父親は三人で裏口から外に出た。が、そこにいた浮浪者に金目当てで両親を殺されてしまう。

成長したブルースはあてのない旅に出て犯罪や悪を理解しようとする。裏社会に身を投じて自ら体験するが、当初の目的からずれ、今は刑務所に入っていた。その彼に素質を感じたデュカードは、ラーズ・アル・グール(渡辺謙)の“影の同盟”に入れるべく彼を解放し、ヒマラヤのアジトで鍛え上げた。彼らは正義のためなら手段を問わない危険なグループで、社会が腐敗するたびにそれを(ソドムとゴモラのように)ぶっつぶす仕事をしていた。しかし彼らに慈悲を感じないブルースは最後に反逆してしまう。ゴッサムシティーに戻るが、街は悪と暴力、恐怖と腐敗に支配されていた。彼は、悪人たちの「恐怖のシンボル」として自らのトラウマのコウモリを選び、コウモリ男として悪と戦うことにした。父の会社で開発されていたスーパー道具や車、自ら手作りしたコスチュームやシュリケンなどで身を固めた彼は、悪の首領に立ち向かう。しかし彼の奥に更に陰の首領がいた。彼らは麻薬のような薬を使い、街を破滅させようとしていた。唯一まともな警察官の一人と、悪と戦う地方検事補のレイチェル(幼なじみ、彼のトラウマのきっかけ)を守りながらも協力して戦う事になったバットマンだが、敵の首領は何と・・。

コスチュームも手作り感あふれ、バットマンカー(モービル)も近未来的じゃなく実用本位のそれらしい格好と性能。ビジュアル的には今までの車の方が格好いいのだが、今回のは道具を含めて全て説明があり、なるほどこうやってバットマンは出来たのかといちいち納得できる。彼の孤独感や憎しみ、人間としての弱さや成長など、全てが良くできた映画だと思う。

日本人からみて唯一引っかかるのが、「バットマンがすぐ正体を明かす」ことかな。自分ならどうするだろうか、、、しかし唯一わかって欲しい人がいたらやはり言いたくなるのが心情だろうが・・。アルフレッドの優しさと強さ、彼の葛藤、見て良かったと言える映画だった。

惜しむらくは事前にダークナイトを見ていたこと。やはり順番に、この後ダークナイトを見るべきだった。あの頃はダークナイトがバットマンシリーズとも知らず、BDを試したかったから借りた映画だった。もう一度見たらよくわかって深かっただろうと、それだけは後悔している。

ランク:名作の香り。他はやめてこれだけ見てもいいんじゃないだろうか。
    映像も横長の映画比率でとても良かった。日本語字幕はイマイチだけど。

日記@BlogRanking


今日の見もの(バットマン&ロビン)

2011年07月23日 22時00分27秒 | 見もの

バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲
Batman & Robin
1997年 124分 アメリカ

バットマンシリーズ第4弾。今までの訳の分からない(これをダークな世界と言うらしいが)ストーリーと違い、いかにもアメリカ映画らしい展開の、わかりやすい落ち。私としてはこっちの方がいいが、『・・突然の変更がファンの戸惑いを生み、北米市場で伸び悩んでしまう。評価も決して良いものとは言えず、その年の最低な映画を選ぶ「ゴールデンラズベリー賞」の最低作品賞などの計9部門にノミネートしてしまった。またその内の最低助演女優賞をバットガール役のアリシア・シルヴァーストーンが受賞してしまっている。この悪影響からかシリーズは2005年の『バットマン ビギンズ』まで休止されることとなってしまった。(ウィキより)』とまぁぼろくそに書いてある。

さらに、『主演のジョージ・クルーニーは過去に「フィルモグラフィーから消したい一作」だと語っていたが、『ダークナイト』のヒットを受けてコメントを求められた際は「映画も自分の演技も酷かったが、あの映画が転機となって今の自分がある」と語っている。監督のジョエルは「前作を観て、今作に期待した人がこれを観て、失望したというなら、本当に謝罪したい。そんなつもりではなかったんだ。ただみんなに喜んでもらいたかっただけなんだ」と語った。(同)』だそうだが、私はこういうのがアメコミのバットマンだと思っているし、これでいいんじゃないの、無理して訳の分からない展開にしない方がましと感じている。

ゴッサムシティーに何でも凍らせる怪人が現れた。名はフリーズ。かつてはまともな分子生物学者だったが、奥さんが病気になり、冷凍にして回復させようとしたがそれに失敗。自分は異常体質になり、常に冷凍状態でないと生きていけなくなった。そのスーツを駆動するためのエネルギーがダイヤモンドで、それを盗みに来たのだった。冷凍光線になすすべ無く、ロビンとバットマンは取り逃がしてしまう。

真面目な生物学者アイズリーは、植物を人間が蹂躙することに怒っていた。毒をもって復讐したいと思っていたが、上司の博士に殺されかけ、毒植物人間として生まれ変わった。彼女とその上司の作り出した怪物は、バットマンとロビンに誘惑をかけ、二人は仲違いしてしまう。執事のアルフレッドは不治の病に倒れ、その姪と共に、バットマン一家はバラバラになりそうになる。その絆はやがて一つになり、ついに・・・。

今や俳優と言うよりも大物になってしまったシュワちゃんが、久々にターミネーターもどきの悪役でカムバック。当たり役とは言えないまでも、その存在感はやはり大きかった。それに彼の源に愛が見えるので、それも魅力の一つなんだろうと思う。

内容は、アメリカの好きな「家族の心がバラバラだが、それが事件をきっかけに真の愛に気づき互いの絆を認識し合う。めでたしめでたし(笑)」と言う黄金のパターン。アメリカ的水戸黄門調展開で、実にオーソドックス。姪っ子にしても、アルフレッドや彼の弟にしても、全てこうなるだろうと予測され、その通りに展開するから見ていても安定感、安心感がある。それをよしとするかは人によって違うだろうけどね。

それにしても、ゴッサムシティーってひどい町なのに、結局彼らはその町が好きなんじゃないのかな。バットマン映画って、最後の歌を聴いたらその心が分かるんじゃ無いかと思う。

 

私はアメコミをそんなにたくさんは読んでないから違うかも知れないけど、知っている限りではアメコミってこんな展開だったと思うけどなぁ。それにTVで見たバットマンもこんな感じの話だったように記憶している。私にはこっちの方がしっくりする。まぁ「ダークな世界」が好きな人には許せないんだろうな、こういう話。

ランク:私の知っているバットマンぽくっていいと思う。ダークじゃない。
    内容は薄っぺらい。だけど訳の分からない展開よりは数段いい。
 

日記@BlogRanking


今日の見もの(バットマン フォーエヴァー)

2011年07月21日 21時20分22秒 | 見もの

バットマン・フォーエヴァー Batman Forever
1995年 122分 アメリカ BSプレミアム録画
 

バットマン第三弾。こうなったらもう義務感で見ている。これはBSで録画したのだが、その前後にはバットマンに関するうんちくや解説があったはず。それを録画しておけば良かったと後悔している。山本晋也監督が話していたのではないかと思うが、違っていたかも知れない。もし彼の話が聞けたなら少しは理解できたのかなと思う。 

見ていただければわかる通りのキチガイ二人。彼らがキチガイに当てはまる行動を起こす。あらすじはまたまた自分では書けないのでネットからの転載。

ゴッサム・シティーの検事ハーヴェイ・デントは法廷で硫酸をかけられ、怪人トゥー・フェイスに変貌した。トゥー・フェイスはバットマンに強い憎しみを抱き、彼を呼び出すために高層ビルで暴れる。ゴードン警察長官や犯罪心理学者チェイスが現場で見守る中、大富豪ブルース・ウェインが正義の味方バットマンとなって駆け付け、大惨事を未然に防いだ。

フルースの会社には、彼を崇拝するエドワード・ニグマという研究員がいた。ニグマは脳にダイレクトにイメージを投射する装置を発明するが、上司のフレッド・スティックリーから研究中止を命じられる。工場を視察したブルースはニグマから装置を見せられるが、マインド・コントロールに繋がる危険な装置だと一蹴した。ブルースに怒りを覚えたニグマは、スティックリーを実験台にして彼の知識を全て吸い取った。ニグマはスティックリーを殺害し、自殺に見せ掛けた。

ブルースはチェイスに心を惹かれ、彼女を誘ってサーカス見物に出掛けた。そこにトゥー・フェイスの一味が現れ、爆弾を仕掛けた。空中ブランコ乗りのグレイソン一家が行動を起こし、人々を救った。だが、息子のディックを残し、残る家族は死亡した。責任を感じたブルースは、復讐心を燃やすディックを引き取ることにした。

トゥー・フェイスが愛人シュガーとスパイスを伴って次の作戦を練っている所へ、怪人リドラーに変身したニグマが現れた。リドラーはトゥー・フェイスに「バットマン退治の協力をする」と持ち掛け、自身の装置への出資を求めた。ニグマは会社を設立して装置を発売し、大ヒットする。しかし、それを使った人々の知識は、全て秘密裏にリドラーが吸い取っているのだった。

ディックはブルースの屋敷に秘密の部屋があることを知り、隙を見て忍び込んだ。そこでディックはバット・モービルを発見し、ブルースがバットマンだと知る。ディックはバットマンの相棒として戦おうとするが、ブルースは「復讐は虚しいだけだ」と承知しない。しかしディックはアルフレッドの協力で「ロビン」となり、バットマンと共にトゥー・フェイスやリドラーに立ち向かう…。

いつものようにむかつきながら見ていた。ひどい映画だ。腹が立つばかりだ。その理由がわかった。

ここに出てくるキチガイたちは何の意味もなく人を殺す。良心の呵責もなければ必然性もない。金が必要なだから奪う目的でというわけではない。意味なんて無い。ただ息をするように人を殺す。殺された人の下にある家族とか感情とかそう言ったものは全く無視する。他にも、目があって気に入ったらすぐ寝る。感情のおもむくままなのか、これがアメリカなのか。それが醜く、気持ち悪い。

バットマンは何の存在か。こんな中で、見ず知らずの人を助けることを本当に望んでしているのか。義務なのか。希望なのか。そのバットマンを、必要な時に利用するだけの人たち。彼らにとってバットマンはヒーローか、それとも利用するだけのおもちゃか。そんなヒーローは常に孤独だ。誰にもわかってもらえないだろうし、私なら誰かに言うことなんてあり得ない。神も英雄も、もし存在するとしてもそれは誰にもわからない片隅で、誰にもわからず、気づかれもせず、永久に理解もされない・・。山田正紀の神そのものだなと思う。

この映画の救いは彼に相棒が出来たことか。でも本当に相棒になるのだろうか。誰にも理解されないものが、二人でお互いに理解し合うなんて無理ではないか。二人は、いずれはお互い離れていく存在か。それならよけい悲しく虚しい。ヒーローとはそう言うものなんだろうなと思う。

ランク:前二作と同じ。
    
個人的には前作までのバットマンの役者の方がいい。
    彼の表情の方が魅力的。この人はクールすぎる。
    人としての魅力が自分にはない。

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