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ただ建築が好きな走るエンジニア、

日系某メーカーを辞めて外資系に転職。資格、建築デザイン、転職と来て今はひたすらす走ってます。2020別大2:49:13。

はまぎんこども宇宙科学館

2015-11-28 19:55:39 | 回想


今日は洋光台にある「はまぎんこども宇宙科学館」へ長男、二女と一緒に行きました。
プラネタリウムが目当てです。

洋光台の駅前は懐かしい団地の雰囲気。
駅舎もほどほど古いです。

宇宙科学館も駅からすぐです。
丸いドームが分かりやすくてプラネタリウムを期待させます。

プラネタリウムを見るのなんて何年振りだろう...
二女も怖がらずみんなで楽しめました。
ペガススの四辺形、アンドロメダとカシオペア、くじら座...

秋の空はあまり明るい星はないけど、
星座の話は意外と豊かです。

宇宙科学館の雰囲気は昔の名古屋市科学館と少し似ていました。
(要は少し古い)

...

名古屋市科学館とは少し縁があって

中学校で生徒会役員をやっていた時代には学校に科学館の先生を招いて
星の話を聞くイベントを主催したことがあります。

実際にプラネタリウムで解説を担当されていた先生だったので
話に引き込まれました。

高校時代は科学館の天文クラブに入っていて年に4回はプラネタリウムを
見ていました。屋上の60cm反射望遠鏡での白鳥座の観望会など
貴重な経験をさせて頂きました。

大学に入ってからもしばらく天文クラブで活動していましたが、
その頃になると星以外の人間関係が煩わしくなって足が遠のいてしまいました。

...

45分間だけだったけど、昔に戻った感じがして不思議でした。




常総線

2015-09-11 00:40:19 | 回想

昔、取手から常総線というローカル線に乗って水海道という駅まで行ったことがあります。

列車は1両か、2両くらい、床は木張りでした。

 

本当は鉾田線というもっとローカルな線に乗りたかったのですが、既に廃線直後だったので。

 

ひたすら平らでのどか、茫洋とした景色が広がっていました。

水海道という駅名にもなんとなく惹かれました。

車両基地に止まっていた車両がまた古めかしい。

 

川の氾濫はもう少し予見できそうに思えるけど、何とかならなかったのかな。

自然の前では人間は無力だって言うけど、あきらめてはいけないと感じました。

 

みなさんの無事をお祈りします。

人はリアルに感じるために旅をするんだよね。やっぱり。

 


相模原補給廠

2015-08-25 00:00:05 | 回想

1995年6月から1996年3月までJR横浜線矢部駅の近くの社員寮に暮らしていました。

毎日横浜線で通勤していましたが、横浜線が矢部駅を出発すると隣の相模原駅までの区間ずっと、

右側にはフェンスで区切られた広大な空き地が広がっていました。途中建物がポツン、ポツンとあるだけで

人気もありません。そう、それは在日米軍・相模原補給廠でした。

 

何しろJR一駅分連なっている敷地が強烈で、当時ただただ呆然と眺めながら通勤していました。

中には何があるんだろう...と。

 

2004年2月から2005年6月くらいまで、当時仕事で協力関係にあった東京都青梅市のある会社まで

頻繁に通うことになり、よく社用車で出かけました。道のりはR129号、R16号と北上するのですが、

やはり途中右手にフェンスに囲まれた広大な空き地に出会います。こちらは相模原補給廠ほど静かじゃないです。

在日米軍・横田基地です。軍用カラーと思しきボーイング747???、でっかい飛行機がよく頭上を通過しました。

 

一番怖かったのは2001年8月から2002年5月まで住んでいたさがみ野です。

これもすぐ1km先に在日米軍と海上自衛隊の厚木基地。前にも話しましたが住み始めてすぐに9.11テロが発生したので、

しばらく緊張が解けませんでした。夜遅くまで残業して相鉄さがみ野駅を降りると結構体格のいい外国人の皆さんがいらして

人を外見で判断してはいけないと思いつつも、どきどきして帰ったのを思い出します。

夜中でも5分おきにF14が離陸するし、正門の前にはなんだか物騒なもの構えたMPさんがいるし...

 

まぁ、自分で自分の身を守れないんだから仕方ないという人もいるし、

兵隊さんにも別に罪はないのかもしれないけど、

一つだけ思ったのは、「まぁ、色々言うんだったら実際基地の近くに住んでみればいいさ」ということ。

何か感じることはきっとあるから。

 

昨日の爆発はとっても怖かったんだと思います。

 

 


偶然のリレー

2015-07-31 23:21:41 | 回想

実は今頃になって気づいたことがあります。

たいしたことじゃないです。

 

今回入社した会社は、前の会社で最初に手掛けた製品のお客さんでした。

当時はあまり有名な会社ではありませんでした。

「こんな会社と取引して大丈夫か?」と失礼なことを言いつつ、

しっかり製品を買い上げてくれました。

 

その後どんどん大きくなって今に至ります。

 

そして前の会社は、前の前の会社で最初に手掛けた製品のお客さんでした。

こちらは当時は飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。いわゆるローヤルカスタマーでした。

製品も当時としてはエポックメイキングなものでした。

 

こういうリレーってあるんですね。

まったく狙った訳じゃないんですが。

 

 


伯母

2015-06-23 23:23:23 | 回想

先週末、伯母が亡くなり、今週の初めはお通夜、お葬式でした。

突然の死でした。

 

私が認識している私の最古の記憶は、

1歳の頃、この伯母が夜泣き止まない私を抱っこし散歩してくれた

近所の風景です(当時は世田谷の砧というところに住んでいました)。

 

突然の死ってあまりピンと来ないものなんですね。

慌ただしくお通夜、お葬式、火葬と過ぎていき、ただぼんやりと眺めていました。

 

とてもお喋り好きで、優しかった伯母。

今頃になって寂しさが募ってくるのはなぜだろう。

 

 

 


韓国の話(お終い)

2014-12-20 01:09:48 | 回想


韓国に行って感じたことはやっぱり、
「日本に似てるな」と。

中国や香港、シンガポール、マレーシア、
台湾などアジア圏ではどこでも親密さを
覚えますが、

韓国の場合は似すぎている。
そしてそれは人工的であったりもする。

高層のマンションは日本の公団の団地の様でした。
(寒いからバルコニーが屋内なのとオンドルは
 ちょっと違うけど)

ショッピングセンターも日本のそれとそっくり。

ツアー中アテンドして下さった何人かの人と
会話する機会があったけど、なんか日本人と
会話するのと変わらなかった。

歴史の話とかも至ってニュートラル。

日本語教育を受けてる人は基本的に親日なのかも知れないけど

思ったことはやっぱり、

人は話をしてみないと分かんないよ。

ということ。

恐らく似た者同士はなかなか仲良くなれないんだろうね。
アカの他人より。

今回はゆっくりできなかったので、
次回機会があれば、ソウルをゆっくり歩いてみたい
と思いました。



インターナショナルスクール

2014-12-18 23:33:40 | 回想


韓国に行ったとき見せて貰った
インターナショナルスクールの話です。

「もし採用、家族帯同赴任の場合は
相応の補助がありますよ」と言われ、
見学コースに組み込まれていました。

ちゃんとアテンド付きです。

立派な施設、
英語と芸術感たっぷりの教室、
そして賢そうな子供たち...

日本でも小学校から私学入れたり、
インターナショナルスクール進んだら
同じなのかな?と
想像力外のことを考えます。

小中高一貫で入学4年目からは
科目選択制が入ります。
そして個々に期末、
修了試験を受ける。

なんだか大学みたい。

卒業後は半数以上が
海外の大学へ行くそうです(へぇ~)

当日、体育館は期末試験会場になって
みんなバラバラに
各々の試験を受けていました。
すごいね。


(やはり魅力的なので、
ここまでで相当心が揺らぎます)

そして最後に事務室で
入学説明を受けます。

試しに
「うちの小6の長女は
どのグレードから始まるんですか?」
と尋ねると、

「同じ年齢の子はグレード7(
中1相当)ですが、
おたくの場合は
グレード4か5からですね。」
と。

「ん!?」

「日本では公立ですよね?
だとするとうちは相当進度が早いので
そのくらいじゃないと
付いていけないと思います」

(すごいなぁ~。そうなんだぁ~。)

(もう怖いから小3の
長男のことは聞けない)

子どもの世界も競争社会だったんですね。

勿論韓国の子ども全員が
こんな学校に通っている訳では
ありません。

すぐ隣には韓国の普通の
公立の小学校があって
日本と同じように普通に
子どもが体育をやったり、
遊んだりしていました。

でも、やっぱり少しショックで
考えさせられる経験となりました...








日本企業と外資(面接の話)

2014-12-03 23:42:41 | 回想


今までの経験を総合すると、

外資系は単刀直入、
日本企業は雰囲気、

と言うことになります。
(なんか当たり前の話かもしれませんが...)

外資の場合は先ずメリットを並べます。
報酬、待遇、福利厚生、
場合によってはストックオプションまで。

韓国では家族帯同の場合のマンションや
インターナショナルスクールまで見せて
くれました。


そして面接は、

「我々は○○の××で困っているが、
 あなたはそれを解決できるか?」

と。


多分ここで評価が分かれるんだと思います。
日本人にとっては「使い捨て」、「技術の流出」。
でも彼らは至って正直。

新聞で取り上げられた東芝のケースの様に直接データを
持ち出せば足が着くけど、
実際問題頭の中のノウハウだけでも十分やっていける
はずだし、その場合は特許にでも抵触しない限り
「機密漏えい」の立証は難しいと思います。

本当に力がある人はそこを上手く乗り切り、
その後さらに新しい分野を切り開き、定年まで働く人もいる。

そうでない人は数年で行き詰まり、
辞めざるを得ない雰囲気になる。それが「使い捨て」と映る。

韓国に限らず外資ではそれが当たり前。
だからそれは行く人自身の問題であって
先方を責めるのは「お門違い」かもしれない。

それにそれを斡旋している会社は日本企業の子会社だったり
しますからね。

でもまだ40歳代前半でそんな賭けをする気もないし、
正直単刀直入なノウハウ提供はためらわれる。

それを自分自身できちんと確認したかった。
(と言って信じて貰えるかどうかは微妙ですが)

それはできることだったけど、
「できない」と言って帰ってきてしまいました。

逆に今の会社のいいところも分かった気がした。
色々と問題はあるけど、まだまだ頑張れますよ。




SPI3

2014-11-19 00:43:04 | 回想
国内大手のある会社を受験したときの話。

4月下旬ある会社から面接のお誘いを受けました。

色々な会社の人とお話できるのはいい機会だと
考えお伺いする旨をお伝えしたところ、
先に適性試験は受けて下さいと言われました。

それはちょっと面倒だなぁ~と思ったのですが、
せっかくなので承諾することに。

後日リクルートが経営するテストセンターというところ
からメールが入り、Web上で予約するように促されました。

すごい仕組みがあるんですね。

ここで1回試験受けておくと同様システム採用している
会社なら1年間に限り、結果の流用ができるそうです。

予約して後日、御茶ノ水にあるテストセンターを訪問しました。
すごい立派なビル、ホテルの様な受付、
中に入るとロッカーに私物を預け、個人ブースに
案内されます。

個人ブースには端末があり、ヘッドホンしてボタンを押すと
自動的に試験がはじまります。
一定の制限時間内に性格や基本的な能力(国語、算数、英語)を
問う問題に答え、終了。

性格はうそあぶり出し問題が混じっているので
正直に答えた方がいいそうです。

能力試験は問題がどんどん難しくなっていって
最後はなんだか分からない内に制限時間がやってきました。

確かに最初の会社も今の会社も採用試験のときに同じようなこと
やったよなぁ~と十数年前を思い出しました。

そういえば他のブースは若者の方が多い...

面接確約といいつつ、これで落とされたりしないのかなぁ~
など考えつつ、帰途に就きます。


訪韓(その1)

2014-11-15 23:51:34 | 回想
5月下旬に韓国に行く機会がありました。



こんなこと書いて大丈夫か?
という気はしますが、書き残します。

せっかく色々と仕事を考える機会なので
見れるものは何でも見ておこうと思いました。

転職サイトを利用している人は多いと思いますが、
概ね声が掛かるのは競合他社か人材派遣会社、
もしくはまったく畑違いのフランチャイズオーナー
募集だったりしてそうそう期待している新天地が
見付かるものではありません。

これもこんなこと言うと怒られそうだけど、
今回の件では家族と離れるような選択は嫌だし、
今の家を離れるのも嫌です。

随分横着になったものです。

だから本気で韓国へ行く気があるのかと問われると
厳しいんですが、それでもいいというので
見て話を聞いてみることにしたんです。

最初は3月下旬に日本駐在の方とお話しする機会が
ありました。小1時間×2回。

物腰柔らかく高い教養を感じさせる眼差し、
欧米駐在経験も豊富で博士号も持つその方は
実に紳士でした。

「なるほど、さすがだなぁ~」と感心しました。

試しに
「今の仕事のノウハウをそのまま使うような仕事ではなく、
例えば去年建築の勉強をしたので、そういう知識を活用できる
別分野のイノベーティブな仕事なら考えてみてもいい」
とお話したら、

「もちろんそれで構わない」
と仰るので見に行くことにしました。

結果的にそれはやっぱりちょっと違ったんですけどね。


ドタキャン(その1)

2014-11-10 23:18:41 | 回想
何も決まっていないのに妙に楽観していました。

「広い会社の中、
 まぁ、どこか拾ってくれるだろう。
 上司も乗り気だったし...」

さっそく、どこぞやの部長さんと話をして
面接の段取りをしてくれました。

この文書を読んでいる人の中には、
「お前はなんて恵まれているんだ」と
お思いになる人もいると思いますが、

それは否定しません。

私も最初から自力は諦めて他力本願でしたので。
そういう甘え≒楽観ということになるのかと思います。

しかし、
「はじめからそんなにスムーズにいくものだろうか?」
とは思いました。

金曜日の朝8時に設定された面接。
いつもより早い7時半に会社に着き、まずメールチェックすると、
「緊急の用件につき、日時を再設定します」と。

「たしかに偉い人は忙しいよね」と思い、
軽く流します。

でも、その後二転三転して結局面接は実現しませんでした。

結局は、「即戦力が欲しいがマッチしない」という結論に
なったのです。

本当にその通りの理由か、
やはり上司を頼って異動する人間を怪しいと思ったのかは
分かりませんが、意外と苦戦することになるのでは?
という予感が頭の中を過るのでした。

生涯ビジョン

2014-11-09 11:19:48 | 回想
異動希望を切り出した本人と
惜しみなく協力してくれた上司。

何も考えていなかったように話しましたが、
漠然としたイメージはありました。

できれば生涯なるべく好きなことで働き続けたい。
それに繋がるキャリアパスを設計したい。

今の仕事に誇りはあるけど、
自分の実力と会社の都合を考えると
このままでは先細り縮小で気付いたら何もできない
自分だけが残るのではないか?

でも少なくとも一番下の3歳の二女が
一人立ちするまではある程度の収入水準を保たなければ
ならない。

今の特定の製品の特定の設計に特化した自分の仕事では
上記の命題に応えられないと考えました。

もちろん、会社では人脈や時機の読みなど
技術以外にも大切なことはたくさんあります。

でもとりあえず上述の前提に立って

 「(できれば、)分析、企画、戦略系の仕事がしたい」

と口走り、上司もそれに付き合うことになってしまったのです。

自分の年齢

2014-11-07 23:16:00 | 回想


今の大企業組織の年齢別人員分布は
だいたいこんな感じだそうです。

今回色々な動きをしている中で
実感し、納得しました。

欠員募集している組織は
特別な理由がなければ充足している
年齢層は要りません。

 若いことは重要

 若くない場合は、

  とびきり優秀か、
  ピンポイント

私の場合は最も後者でどうか?
という話になります。

思惑なく際限なくトライ&エラーを重ねることに
なるのです。


エンジニアをやめる

2014-11-04 23:55:30 | 回想
まだ結論は出ていないのですが、
後日書く機会を失うかもしれないので
少しずつメモを残したいと思います。

今年2月下旬、ディプロマ発表を終え一息付いた頃、
一つのことを決断しました。

 「エ ン ジ ニ ア」

  から他の仕事に変われるか?試してみる

幾つかのできごとが重なったことがきっかけだったかも
知れません。

でも一番の理由は、
今がこういうことを試す最後のタイミングだと
思ったからです。

上司には正直に話しました。
社内で自力でトライするには限界があると思ったからです。

組織の利害もあったとは思いますが、
できるだけのことをして貰えたと考えています。

でも何に変わるか具体的に考えていなかった。

簡単な話じゃないことは分かっていたつもりでしたが、
それにしても厳しい(無謀な)現実が待っていました。

「僕が居た○○」

2014-06-17 01:23:07 | 回想
僕が最初の会社に入ったとき、
同じ部署に僕を含め同期が6人いました。

入社5年半過ぎたとき、
まず僕が社内募集でその部署から去り、
更にその1年後、今の会社に移りました。

同時期、残った5人の内1人も
分社化した会社に移り4人が残りました。

元居た会社はその後統合や分社化を経て
その過程で更に1人がそこを去り、
残った3人もそれぞれバラバラの部署に散りました。

そして今回、1人がそこを去り故郷へ帰ります。
もう1人もこの土地を離れて遠くへ行きます。

これまでは同期で気軽に集まっていましたが、
これからは少し難しいかも知れません。

入社したときはこんなこと想像できなかったな。

「○○の僕」(○○は会社の名前)と考えてしまうと、
会社を去るのが惜しくなってしまうけど、

「僕が居た○○」と考えれば、
僕は決して会社の従属物ではないんだということに
気付きます。

まぁ、「○○の僕」と言えるほど実績を残していないから
比較的簡単に思考の組み換えができる訳ですが^^;

いずれにせよ、「僕が」という一人称で考えるとき
かも知れません。