僕が最初の会社に入ったとき、
同じ部署に僕を含め同期が6人いました。
入社5年半過ぎたとき、
まず僕が社内募集でその部署から去り、
更にその1年後、今の会社に移りました。
同時期、残った5人の内1人も
分社化した会社に移り4人が残りました。
元居た会社はその後統合や分社化を経て
その過程で更に1人がそこを去り、
残った3人もそれぞれバラバラの部署に散りました。
そして今回、1人がそこを去り故郷へ帰ります。
もう1人もこの土地を離れて遠くへ行きます。
これまでは同期で気軽に集まっていましたが、
これからは少し難しいかも知れません。
入社したときはこんなこと想像できなかったな。
「○○の僕」(○○は会社の名前)と考えてしまうと、
会社を去るのが惜しくなってしまうけど、
「僕が居た○○」と考えれば、
僕は決して会社の従属物ではないんだということに
気付きます。
まぁ、「○○の僕」と言えるほど実績を残していないから
比較的簡単に思考の組み換えができる訳ですが^^;
いずれにせよ、「僕が」という一人称で考えるとき
かも知れません。
同じ部署に僕を含め同期が6人いました。
入社5年半過ぎたとき、
まず僕が社内募集でその部署から去り、
更にその1年後、今の会社に移りました。
同時期、残った5人の内1人も
分社化した会社に移り4人が残りました。
元居た会社はその後統合や分社化を経て
その過程で更に1人がそこを去り、
残った3人もそれぞれバラバラの部署に散りました。
そして今回、1人がそこを去り故郷へ帰ります。
もう1人もこの土地を離れて遠くへ行きます。
これまでは同期で気軽に集まっていましたが、
これからは少し難しいかも知れません。
入社したときはこんなこと想像できなかったな。
「○○の僕」(○○は会社の名前)と考えてしまうと、
会社を去るのが惜しくなってしまうけど、
「僕が居た○○」と考えれば、
僕は決して会社の従属物ではないんだということに
気付きます。
まぁ、「○○の僕」と言えるほど実績を残していないから
比較的簡単に思考の組み換えができる訳ですが^^;
いずれにせよ、「僕が」という一人称で考えるとき
かも知れません。