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ただ建築が好きな走るエンジニア、

日系某メーカーを辞めて外資系に転職。資格、建築デザイン、転職と来て今はひたすらす走ってます。2020別大2:49:13。

2年後、

2017-06-27 01:02:44 | 回想
2年前の話、

今こうして走っているとは
思っていませんでした。

その2年前の話、

まさか外資に転職しているとは
思っていませんでした。

さらにその
2年前の話、

芸大で建築を学び、
二級建築士の資格を取るとは
思っていませんでした。

さらにさらにその
2年前の話、

電験三種やエンベデッドスペシャリスト
資格を取ったり、
それに乗じてシステムICの設計など
仕事でするとは
思っていませんでした。

さらにさらにさらにその
2年前の話、

まさか愛知へ出向・転勤になるとは
思っていませんでした。

さらにさらにさらにさらに
その2年前の話、

緊急で1日の話で異動が決まるとは思っていませんでした。

さらにさらにさらにさらにさらにその
2年前の話、

やっぱり自分で希望して異動するとは
思っていませんでした。

さらにさらにさらにさらに
さらにさらにその
2年前の話、

最初の会社を辞めて転職するとは
思っていませんでした。

...

落ち着きがないと言えばそれまでですが、
2年後を見通せない人生を送っています。

今日は色々と考えることのある
飲み会だったので。


プログラミング教育って?

2017-04-21 22:01:14 | 回想


子どもと一緒にやろうと思ってタイトルだけ見て注文したら
こんな本が届いた。

「12歳からはじめるゼロからのC言語」

今流行りのプログラミング教育ってやつですよ。



プラネタリウムはいいとして
恋愛ゲームを作ろう、小6と?

確かに小6はそういうことはじめの時期だったかも
知れないけど...

でも思い返せば、

自分の名前と好きな子の名前を入れて
相性何パーセント!みたいのありましたね。

僕の頃も。

画数とか生年月日とか乱数とか怪しい計算で...
でも必死に名前を入れてみるみたいな。

でもこの本をそのまま長男にあげるのは止めときました。
まずは自分が読みます。


昔走ってた頃、

2017-03-13 22:46:00 | 回想
春の雨の匂いは色んなものの
記憶を蘇らせます。

中学の卒業式の雨。
喜び勇んで雨の中を走ったときのこと。
大学の陸上部にぱったり行かなくなった
ときのこと。

雨が降るとどうしても頭の中を廻る
古い記憶。
(20~30歳代はそんなこと
全然思い出さなかったのに...)



正月に実家でサルベージした
高校3年間の陸上の記録です。
計5ページ、マネージャーさんの
手書きです。

1,500mは高2の新人戦県大会決勝
の4'09"8が最速だったらしいです。
(記憶の中では高1だと
ずっと思っていました)

キロ2分47秒ってどうやって
走るんだろう...
今はキロ3分20秒切れるかどうかも
怪しい。

中途半端な自慢話に聞こえるのは
仕方がないとして
当の本人も相当に不思議なんです。

体重は当時に近くなったと思うけど、
多分体の動きは全然違うんだろうなと。

参考にしようとか、真似しようとか
そういうレベルではなく、
常にただ不思議。

大学でも当然走ろうと思っていました。

受験勉強の半年間は走る距離が
極端に減ったけど、
大学に受かって少し練習すれば
またすぐに元に戻るだろうと。

入った大学の陸上部はちゃんと
400mトラックあったけど、
アメフトとか、サッカー部と
共有していたので、

たまに隣の大学のグランドに
赴いて合同練習していました。

入学して走るのを再開したばかりの僕は
800m TTで女性の先輩に
追い付けませんでした。

多分2'20"前後だったと思います。
今、冷静に考えれば
仕方がないことなんだけど

当時はそれで嫌になっちゃいました。

先輩や同級生の仲間は当初心配して
声をかけてくれたけど、
それも却って煩わしくて
部室に置いてあったスパイクや
ジャージも取りに行かず終いでした。

18歳8ヵ月の出来事。

それでもその気になれば走るのは
いつでも再開できるんだと思ってました。

大学から院までの6年間、
何度も走ろうと思ったけど、
結局走りませんでした。

そして45歳4ヵ月でラン再開。
26年8ヵ月ぶり。

今、再開してから1年2ヵ月が過ぎました。
不思議だけど、
驚くほど走るのが楽しいです。




どうして走るようになったのか?小学生編

2016-12-13 23:56:33 | 回想
先週の火曜日は塾帰りの長男と3kmちょっと走りました。
今晩は残念ながら雨。クルマで迎えに行きました。

小学生から夜塾に行くのって大変だね。

私は高校二年の後半まで塾に行ったことはなかったので、
ちょっとピンと来ません。

ちなみに小学生のときに3km走ったこともなかったのでは?
と思います。

スゴいね。

私は中学三年の夏には通信陸上、愛知県大会3,000mで
9'15"3の5位でした。ちなみにあと2"3で全国大会を
逃しました(全国大会へ行くには標準記録を切るか県で1位に
ならないといけなかった)。

でも長男と同じ小五の冬のマラソン大会は140人中、
120位くらいでした。特に不真面目でもなく、単に体育が
苦手な小学生だっただけです。

自分でも不思議なんだけど、小六のときには2位に
なってました。だから中学では迷わず陸上部へ。

それに陸上部は朝練がなくて先輩も理不尽でなかったので。

小六で速くなった理由はよく理解できてないです。

うちの小学校は冬になるとマラソン大会にむけて
毎日6時限目のあとに全校でグランド3~4周か、
15分くらい走らせる習慣でした。

6年のときに体育が万能で速い友達がいて後ろについて
走っていたから、多分その効果だと思うんだけど、
それにしてもという感じです。

自分を含め誰一人としてこんな順位で走れるとは思って
なかったと思います。

だから長距離走は才能じゃないんだなぁ~と。
(オリンピックとかに行く人は別ね)

強いて言えば毎日こつこつ走れることが才能かな?
それを思い出してこの一年こつこつ走ってみました。

思いの外、楽しく走れるようになって嬉しいけど、
タイムはまだまだ、と言うか、現役に届くのは本当に無理。

だから子どもたちの可能性は信じてます(才能じゃなくて)。
親の思っているようにはならないだろうけど、
押し付けなければ何かやってくれるだろうと。

でも、パパもあきらめないで走るから。




十把一絡げ

2016-11-03 02:12:31 | 回想
今日はランオフでした。
渋谷で大学時代の仲間たちと同窓会?だったので。

厳密にはバイト先仲間。

大学の3年間は某有名予備校のチューターをやっていました。
そのときの仲間たちです。

まぁ、大学もだいたいみんな一緒。
バイトと言うよりはほとんどサークル活動。

冬になれば毎週のようにスキー合宿。
暖かくなればテニス、ボーリング大会...

稼いだバイト代はそのまま消えていき。

就職してからもたまにスキーの時だけ集まる。
そんな感じの同窓です。

普遍的なことか、僕らの年代特有なのか分かりませんが、
不惑の40歳代の自覚が薄いです。

若い人からすると何言ってんだ?と言うことになるので、
事実は40歳代のおじさん、おばさんなのですが。

でもやっぱり数年前の出来事よりも鮮明に思い出せることがあったりして
20歳代前半のあの頃の感覚って残っている。

いや、年齢を重ねること≒何か違う人間になる≒大人になるって言う
意味じゃなくてそもそも大人の定義って何だ?

年齢は単に生まれてからの年数を表すものにすぎません。
大人も同様、単に法律上20歳以上の成人と同義の言葉。
不惑、変わると思っていることもある種の思い込み。

一方で名刺交換するし、それなりの肩書にもなっているし、
家庭があって子どももいてそれなりの履歴も経て

戻れないものもしっかり背負ってる。

そんな中でランに戻ってきて?良かったなと思ったり。

変わる、変わらないは十把一絡げではない。
単にそういうことなんですが。





目論見通りの人生。ただ若いだけですごい。

2016-10-26 22:40:08 | 回想
今朝は明け方にふくらはぎが攣りました。痛かった。

起きてから改めてふくらはぎをさすってみると
特に問題なさそう。

昨晩、そんなに無理してないと思うけど…

思いっきりテーパを付けて今晩の帰宅ランは、



ただ、気持ちいいだけのランです。
勿論、他の日も走れば気持ちいいです。
たくさん走れば充実した気持ちがプラスされます。



中学、高校の頃はどんな感じだったかな?
やっぱり、走るようになって思い出すようになったことも
多いです。

いや、ほとんど何も考えずに走っていただけなんだけど。

練習メニューは優秀な友達、先輩が決めてくれたし、
ガーミンなんて勿論なかったし、
死に物狂いで走るか、適当に流すかどちらか。

目標タイムも根拠なし。
ダニエルズさん、なかったし。

よくあれで中学3年県大会入賞できたなと思う一方、
高校で全然伸びなかったのはなぜかなぁ~と。

今、まったく違う人間に生まれ変わって不思議に思います。

人はそんなに目論見通りにはいかないんだなぁ~
それは今も同じかも。

スカイライン

2016-06-13 21:35:51 | 回想


今日は休息日。
昨日30km走ったから。

でもなるべく歩くようにしてます。

昨日も30km走ったあと、
北鎌倉を15000歩、歩きました。

その方が疲れが貯まらないことにも気付きました。
走った後の大豆プロテインも効いてるのかなと思いますが。

で、話は少し変わりますが、

毎日通る日産本社ギャラリー。
通勤経路として開放してくれる日産は太っ腹。

何気に日産は好きでした。

親父が乗っていたスカイラインは
写真右側のやつと同世代の4枚ドアでした。

オートウィンドウのくせしてエアコンがなかった。
夏は窓全開で走ってました。

風の原風景です。

今年はそういう風を少しは感じられるかな。
自分の足で。


フォークダンス

2016-06-04 15:54:02 | 回想


高校三年生の文化祭の後のファイヤーストームを
思い出しました。

子どもたちの成長を見守ると言うのは
自分自身の過去も振り返ると言うことなのかなと。

今日は中学校の運動会を見に行きました。
最後のフォークダンスを眺めながらそんなことを。

そのときは分からないかも知れないけど、
こうして30年後に思い出すかも知れない事もある。

別にそれを狙って生きている訳ではなく。
30年後にただ思い出してハッとする。

私の高校の文化祭は最終日の夕方に火を囲んで
フォークダンスを踊るのが伝統?でした。

ちょうど季節は9月。
高三はもう受験に取り組むだけの季節。

好きな子と手を繋ぎたい。
でも違う子と手を繋ぐのも照れるし、どきどきする。

そうして順番にみんなと踊っている内に
何とも言えない一体感と少し寂しさを感じる。

得てして記憶は美化されるので
本当にその通りだったかは自信ないけど。

今日のフォークダンスでは卒業生の飛び入りもOKで
その飛び入りが本当に沢山で驚きました。


初めての異動

2016-04-28 23:27:14 | 回想
昨日と今日は雨降りでランはお休み。

昨日の続きです。

いきなり結論ですが、
概ね異動のボタンを押すのは、お世話になった上司と別れたとき。
今の異動は実際、ボタンを押すのです。

初めての異動は、半導体開発でお世話になった上司のもとを離れて
一年後のことでした。2000年7月。1995年4月入社だから6年目のこと。

でもいきなり異動になる訳ではないので、それまでの経緯を。

入社して最初の2年くらいは右も左も分からないので、
だいたい誰か先輩のサポートをして過ごしました。

3年目くらいから自分だけのテーマができます。
半導体の微小接続技術やそのための材料の開発です。

色々な要素技術の集積で面白かったです。
今の自分のコアはこの頃できたと言ってもいいぐらいです。

大切な時期。

決して自分だけの成果じゃないけど、社内技報や社外、国際学会での
発表の機会を作ってくれました。

勢いに乗ったのはその国際学会でたまたま新人賞を受賞したときかも知れません。
それと同時に設計のリードを任されるようになり、ちょっと天狗になりました。

学会で賞を取るのは偶然ではないにせよ、周りの色んな人の力が
働いているんです。会社や上司の評判、従事している技術そのものの素性、
自分はそれをそつなくまとめただけなのに。

ずっと同じ仕事をしているとみんなだいたいこうして天狗になるものかも
知れません。特に大企業では。

しかし、その技術そのものはコストが見合わなくなり、収束の時期を迎えます。
最初の上司と別れ、中堅になった自分は別の仕事のリードを任されました。

それが気に食わなかった。

本当はその技術のコスト優位性が損なわれたのではなく、周りが寄って集って
潰しにかかったように映ったんです。やや被害妄想。

みんな数字は客観的だとか、定量的にとか言うけど、人がいじくる以上、
どこまでも恣意的です。昨日の人の話半分じゃないけど。

そんな上の人の数字操作にとことん逆らいました。
その都度、正しい(と思っていた)データで塗り替えました。

一方で組織はこの5年目の中堅に気を使っていてくれたんです。
別の新しい仕事も組織の期待を担っていたし、自分がどれだけ逆らっても
それを頭ごなしに潰すようなことはしませんでした。

誰も悪気はない。

確かに難しい技術だった。そしてそれにとって代わる技術も現れた。
20年後、その工場はもう全く別のものを作っています。誰も残っていません。

そして2000年3月31日に社内募集のボタンを押しました。
長い話になっちゃったな。







就職の話

2016-04-28 00:54:22 | 回想
学生の就職活動は既に始まっているのでしょうか?
就職協定とかあるのかな?

私が新卒で選んだ会社はコンピュータと通信、半導体で有名な会社でした。
それぞれが当時日本1か2で世界でも5本の指に入る規模でした。

同期入社は1000人規模で、自分も含めそのうちの半数が半導体への
配属でした。

会社訪問で見学や面接をした職場はあったけど、
入社するとそれとは関係なく配属先を決める面接があり、
特に希望した訳でもない職場へ決まりました。

配属面接のときに自分の考えを述べていたら、急に重役と思しき人が
「結局プロセスか、設計か、どちらなんだ?」とややイライラした
感じで聞いてきたので、「設計」と答えたから自動的に決まったんだと思います。

配属された技術本部のトップから聞いた話で覚えているのは、
「今年度1兆の売り上げを5年後には2兆にする」という部分。

恐らく予想を大きく外したから印象に残っているんだと思います。
(実際は5年後は7000億でした。その更に15年後の今は他社と合弁して8000億^^;)

まぁ、人の話半分、自己責任半分?

でも適性とはよく言ったもので、上司と仕事には恵まれました。

最初の上司になった8歳上の主任は東大卒で中研出身、
でも研究じゃなくて事業化がしたくて飛び出してきた
優秀と前向きをそのまま具現化したような人でした。

当時としては革新的な半導体製品の超小型化開発を実現し、
やはり某メーカーのAV機器の超小型化に貢献しました。

自分には大した実力はなかったけど、
多くのチャンスとアドバイスをくれ、
そして何より些細なことでも褒めてくれました。

人は会社ではなく、上司に尽くすんだなと漠然と思いました。

でも、ずっと同じ上司と一緒ということはないので。
数年すると自分にも転換期が来ました。

今の学生の皆さんがどんな基準で就職活動しているのか知らないけど、
まぁ、学生のときなんて何も知らないに等しいから、
あまり今の自分の選択に固執せずに柔軟に生きる術を身に着けて欲しいな
なんて思ったりします(それでは自分のように器用貧乏になるだけか?)。



NW-S703F

2016-02-14 11:22:57 | 回想


そろそろ10年になるけど、健在です。
ヘッドホンして音楽を聴いてます。

ハイレゾでもデジタルアンプでもないけど
このプレーヤーにしかない音があります。

香水瓶というか、ティアドロップのような形も独特です。
10年経っても剥げる鍍金ではないです。

通勤、車の中、色々な場面で酷使してきたけど、
内製AMOLEDの表示もちゃんと見えます。

いい仕事してるじゃん。

産業革新機構(INCJ)

2016-01-30 23:24:22 | 回想
産業革新機構(INCJ)ってご存知ですか?

今、シャープの支援で話題にもなっています。
3000億円規模の出資で支援(30日NHKニュース)。

2009年6月に施行された「産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法」
に基づき作られた官民ファンドです。

作られた際の出資は、
日本政府が820億円、国内の主要メーカーが70億円、その他株式30億円です。

2014年までの日本政府出資は既に3000億円規模になります。

さらに1兆8000億円の政府保証でお金を借りる力を持ちます。
(実際に既に1兆円近いお金を調達している)

現時点で作られてから約6年半です。15年の時限付で作られました。
その間に利益・損益を確定しなければなりません。


(産業革新機構の事業報告から)

2014年度までに計85社、約8000億円投資してます。

今のところ主だって回収したのは2013年のジャパンディスプレイの株式47%売却です。
この年は588億円の営業利益を計上しています

ジャパンディスプレイへの出資は2000億円(2011年)、
これはシャープ支援前の現時点では最大です。

ジャパンディスプレイに関連するところでは
ソニーとパナソニックのOLED事業を統合したJOLEDへの出資60億円もあります。

ジャパンディスプレイの次に出資額が大きいのは
半導体のルネサスへの出資1385億円(2012年)です。

実は私はこの3社いずれにも在籍経験があります。
(統合繰り返しているので、そのいずれかの時点で)

その本質に関心があります。

ちょっと驚いたデータがあります。

ルネサスエレクトロニクスの年収
2013年617万円
2014年868万円

2014年の値はソニーを抜いていたりします。
これを業績向上によるものだと思う人はいないでしょう。

私の知り合いでルネサス本体に残っている人はいないです。

自分が外資に移ったから言うのかも知れないけど、
シャープにとって本当にいい選択はどっちなのかな?

日本株式会社の経営陣と従業員の利益は共通ではないかも知れません。
20年傍らで見ていれば分かります。そのくらいは。

雪の印象

2016-01-19 00:39:04 | 回想


雪が積もると2年前のディプロマ提出と発表の日を
思い出します。

記録的な大雪だったお陰で強烈な印象として残っています。

5年前の地震のときは転勤で愛知にいました。
21年前の地震のときはまだ大学院生でした。

記憶は留まるけど、この先は?

できれば明るい印象と結び付けて行きたいです。


不思議な四十歳代

2016-01-16 01:39:03 | 回想
今日は3.4km/19分54秒。
この11日で48km。

走ることはいつか諦めたこと。多分、27年振り。

情報処理試験もそう。
会社入って直ぐに買ったテキストを13年後に見付けて
勉強を始める不思議。

大学受験で迷った建築を23年後に学ぶ。
まさかまた大学に入って建築士の資格まで取るなんて。

外資系の会社もそう。
英語が出来ないコンプレックスを克服したい。

三十歳代の頃は思ってもなかなか実行に移せなかった。
でも多分、三十歳代にやっていたらもっと楽だったかも。

でも今は結構好き勝手で楽しいです(笑)。
不思議な四十歳代。